スイートポテトを食べよう(後)
「……『甘い芋』?」
「直訳すればね。日本ではお菓子を指すけど、英語ではサツマイモそのものを指すんだよ」
瑠璃がいるのはいつものお茶会部屋だ。
テーブルの向こうにいるのはブラッドガルド一人だし、特に変化は無い。
普段通りの光景だった。
「しかし貴様にしては珍しく殊勝だったな、我を優先するとは。まあ当然のことだが」
「……」
きみがそれを言うのか、とでも言いたげな目で見る瑠璃。
そもそもブラッドガルドを優先しなければあの場で何が起きていたのか、予想できない瑠璃ではない。見慣れない一般人のいるところでブラッドガルドが正体を明かして、何がどうなるかくらいは想像がつく。
……と、瑠璃は思っているだろう、とブラッドガルドは予想していた。
実際それは合っていて、そのやきもきする瑠璃の姿はいい酒のつまみ――ならぬ、菓子の娯楽になった。
とはいえ、あそこで瑠璃の正体がばれても面倒なことになっただろうから、逆に感謝してほしいくらいだ。
まあともかくそれで、瑠璃は「再現したレシピやら諸々の確認」というなんともワヤワヤした理由で、スイートポテトに関しての情報は翌日にするという約束をこぎつけた。
そういうわけで、いま現在はテーブルの上にお茶会用のスイートポテトが並んでいるのである。
「しかし、見た目だけなら焼き芋と変わらんな」
「あー、そう見えるよね」
何故ならそのスイートポテトは、サツマイモを縦に切ってただ焼いたような形のものだからである。
お菓子として成形してあるものは、本来ラグビーボールのような形をしていることが多い。アルミ箔で皿を作ってあったり、包んであったりするものだ。だが今回は、ブラッドガルドだけでなく異世界の人間にも見せるものだ。アルミ箔や何やらついているなら、別の箱に移し替えるなどの手段も考えた。
悩んだ末、スーパーでいいものを発見した。
それが、サツマイモの皮をそのまま受け皿にしたスイートポテトだ。これならごまかしたりする必要はない。
「でもちゃんとスイートポテトだよ、これ」
瑠璃は黄金色のポテトをスプーンですくう。
ぱくりと口の中にいれると、やはりただのサツマイモとは違った、滑らかな舌触りだ。崩れてしまうでもなく、かといってもちもちとしているでもなく。きちんと手が加えられたものなのだと、その感触が告げている。
上品な甘さが口の中に広がり、ほんのわずかだがラム酒のような香りもした。
「ふん。だろうな」
その香りに気がついたのか、ブラッドガルドはスイートポテトを掴むと、皮ごとかじりとった。
「んふっ……これめちゃくちゃ美味しくない?」
「まあまあだな」
相変わらずつっけんどんな態度を崩さず、ブラッドガルドは二口目をかじりとった。
何度か咀嚼し、飲み込んでからその瞳がはっきりと瑠璃を見る。
「まあ良い。それで、続きは」
「んっとねえ。どこから話せばいいかな……」
「まずそもそも、サツマイモの意味がわからん。『さつま』は『甘い』ではないだろう」
瑠璃の耳に、「さつま」と「甘い」がはっきりとした日本語の音として聞こえた。
「あー。『薩摩』ってね、ざっくり言うと、今でいう鹿児島県あたりのことだよ」
「昔は名が違っていた、ということか」
「そうそう」
頷いてスマホを取り出し、検索をかける。
「もともとはイモだから、中米からアジアに渡ってきてると思うんだよね。そこから、つまり中国から宮古島に渡ってきたとか、それとは別ルートで琉球、つまり今の沖縄から薩摩に入って栽培されてたって話があってね。どっちにしろ、中心部に渡ってくるころには鹿児島で薩摩の芋でサツマイモになったんだよ。他にも琉球薯って呼ぶところもあるみたいだけど、ほとんどサツマイモかなあ」
「ほう。では、他の国では単純に甘い芋なのか」
「うん。中国とかではそのもの「甘藷」とか、他の国でも基本的に「甘い芋」ってニュアンスの言葉で呼ばれてるね。スイートポテトもそう。ブラッド君ならわかるでしょ?」
「……まあな」
簡単な言葉ならば、日本語でどんなニュアンスなのか、という所は理解している。
「しかしそれならば、何故スイートポテトなどという言葉になったんだ」
「……うーん。その理由ははっきりしないんだけど……多分、洋風の和菓子だから……かな?」
「は?」
またよくわからないことを、というような顔で睨むブラッドガルド。
それをまったく無視して、
「そもそもスイートポテトって、洋菓子みたいなカテゴリに入ってるけど、実際のところは『洋風和製菓子』なんだよ」
「……つまり、日本で作られた洋風の菓子……?」
「そうそう。具体的に誰が作ったのかってのはわからないみたいだけど、出来た時期は明治の初め頃らしいね」
「その頃に何かがあったのか」
「西洋菓子が入ってきたんだよ。一気に」
「……ああ」
要は現在のこの世界そのものか、とブラッドガルドは思った。
もちろん瑠璃にとっての現代日本ではない。ブラッドガルドにとっての現代――瑠璃から見た異世界の方である。
宵闇迷宮という、瑠璃の深層心理をトレースし、再現した迷宮によって、擬似的に現代日本の菓子が入ってきた。多くの者がその迷宮の有様にカルチャーショックを受け、いまだに宵闇迷宮産の菓子や料理を求める者は少なくない。
ブラッドガルドが魔導機関を作り上げたように、やがてその技術や情報から新たなものを作り出す者も出てくるだろう。
「多分、東京あたりの菓子職人さんが、そのとき入ってきた洋菓子に触発されて作ったんじゃないか、くらいだね」
そう言って頷く瑠璃。
「では、詳しい事は一切わからんと? 近代のものにしては珍しいな」
「うーん。いろいろ入ってきすぎて、そうした日本側の工夫っていうのは後回しになっちゃったとかかなあ……?」
首をかしげる代わりに、考え込むように左右に揺れる。
ブラッドガルドがその動作に微妙な目線を向けたあたりで、瑠璃は止まった。
「そういえば、私がバリーさんと話してた時に大学芋の話もしたでしょ?」
「バリー? ……ああ、あの冒険者の小僧か」
「小僧っていう年にも見えなかったけど……。ま、まあそれはいいや」
ブラッドガルドから見れば全員が年下なんだろうなと思いながら、話を戻す。
「実は、大学芋も由来が謎なんだよね」
「大学……というのは、学問をやるところだったな」
「うん。そもそも大学芋って、乱切りにしたサツマイモを揚げて、水飴とか蜂蜜とかで作った糖蜜で絡めたやつ。あとはゴマとかかけたりね。見た目もそうなんだけど、よく考えるとまず何が大学なのかさっぱり」
「説明をされても目の前に出されん事にはコメントのしようもないが」
「こ、今度持ってくるから」
『まあまあ』としか言わない魔人からコメントなどという単語が飛び出してくる方が驚きである。絶対にコメントしないやつだ、と瑠璃も理解しながら答える。
「それで、由来は無いのか」
「一応、昭和初期くらいに、学費に困った学生が作って売ってた説が有力ではあるんだけどね」
「ほう」
「大学の近くで売っていたとか、子供を大学に入れるくらい作るのに手間暇がかかるからとか、そもそもそれくらいの時代に商品名に『大学』を付けるのが流行ってたからとか……、なんかいろいろあるけど」
「それもはっきりしたことはわからんと」
「そうそう」
残ったスイートポテトを食べきってしまってから、まだ温かなお茶で流し込んだ。さっぱりとした甘さのせいか、すっかりいい気分だ。
「……それじゃあ、そろそろいい時間かな?」
そう言うと、部屋に置かれていたバスケットに手を伸ばした。ヴァルカニアで借りてきたものだ。蔓性の植物で編まれた不格好なもので、中には布が敷かれている。食材を入れるのにぴったりのものだ。
瑠璃はひとつだけ残ったスイートポテトをパックから取り出すと、バスケットの中にそっと置いた。これでいい。
「レシピをメモしてもらう時間も必要だしね。ブラッド君、上まで連れてってくれる?」
「……」
「どしたの」
「……。ただの冒険者の小僧に、なんの労もなくくれてやるのは惜しいのではないか……?」
「お、おう……。喧嘩売るのはやめてね……」
存外にチョコレート以外のお菓子にも固執するんだなあ、と瑠璃は考えを改めた。
*
「というわけで、これがスイートポテトだよ」
冒険者のバリーの前に出されたのは、サツマイモを二つに切っただけにしかおもえないような姿をした、『スイートポテト』だった。
その表面はきつね色に焼けているが、見た目は焼き芋のようだ、と思った。
バリーは少し戸惑ったように顔をあげる。
その部屋は、ヴァルカニアの中にある建物の一室だった。
なんでも、好意で貸し出されたものらしい。窓の外には大通りが見えている。誰も使ってないようだが、椅子とテーブルと、そして簡素な家具だけは置いてあった。不便はしなさそうな部屋だ。
そして目の前には、にこやかに笑うルリの姿があった。
だがそれ以上に圧がすごかったのは、テーブルの向こうで座っている男だ。ブラッドという名前の男は、相変わらず黒の上下に、同じ色の変わった上着を着ている。足を組み、妙に不機嫌な目でこちらを見ていた。長い茶髪の片側だけ、リボンが編み込まれた三つ編みになっている。
「あれは気にしないで。スイートポテトを取られて機嫌が悪いだけだから」
「そ、そうなのか?」
確かにその視線はスイートポテトに注がれている。本当にそれだけなのかと思うくらいには。まずなにより、何故ここにいるのかもよくわからない。他意があるのではないかと探ってみても、わからなかった。妙に底の知れない男だというのがわかっただけだ。
――冒険者には見えないし、研究者か何かか。
迷宮関連ならきっと国に所属しているか何かだろう、とバリーは理解した。それに研究者なら少しくらい変な格好をしていてもそれほどおかしくはない。
「で、これがレシピ」
ルリが出してきたのは、一般的な紙に書かれたメモ書きだった。
さすがにヴァルカニアが所有しているあのきれいな紙は出てこないらしい。
「ええっとね――」
それから、何か思い出すような仕草で話し出す。
「これ、たまたま、えーっと……、ヴァルカニアの調査隊の人たちが、なんだっけ? ハロウィンタウン?」
「……ナイトメア・タウン」
低い声が不機嫌に言葉を訂正する。
「ナイトメア・タウンで、魔法生物の人? に貰ったんだって。だから再現もがんばってるけど、味とか焼き上がりの時間とかはまだ調整中みたい!」
――……言わされている感が半端ないな。
しかし、迷宮の中でスイートポテトというものを見たことはない。とにもかくにも宵闇迷宮は珍しいものばかりだったから、その珍しさの中に埋もれてしまったという事も考えられる。少なくとも出自は隠しておきたいものらしい、というのは理解した。
――しかしここで何か言おうものなら……。
バリーは、ブラッドという男から感じる妙な緊張感に気付いていた。確かに目の前のルリは、どこか抜けていそうだ。本来、国の調査隊が関わっているなら、例え菓子のレシピひとつだとしても、うっかりしゃべってしまいましたでは済まされない。
しかし、おそらくそれを補ってあまりあるのがブラッドなのだろうと理解した。
――なるほど……。案外、この国は……。一筋縄ではいきそうにないな。
ブラッドガルドから土地を取り返した少年王といい、目の前の男といい。どんな国なのかあと思っていたが、これはなかなか楽しめそうだと思った。ただ、その分ルリの脳天気さというか、抜けっぷりでかなりの均衡が出来ているとも思った。ある意味、バランスがめちゃくちゃだ。
「……ところで、バリーさんは食べないの?」
「え? い、いや俺は」
「いいからいいから! 食べてみてよ!」
用意されていたスプーンがそのためだったと気付くと、バリーはどうしていいかわからなくなった。このまま持って帰るつもりでいたが、レシピもあるならここで口にしてもいいかもしれない。
バリーはより酷くなったブラッドからの視線を受けながら、皮の中の黄金色にスプーンを突き刺した。前の焼き芋と全く違う感触がした。
驚いたが、そのときにはもう既に黄金を口の中へと受け入れている最中だった。
あっ、という間にその違いに気がついた。
「……っ、美味い……!」
ひどく滑らかな舌触りは、この間食べた焼き芋とは比べものにならなかった。あれもだいぶ甘い味がして驚いたが、これは更に上品な仕上がりになっている。これは貴族の味だ。貴族からすれば、土の下で魔物なんぞに喰わせていいものではないと断言するだろう。
それからどうやって宿に帰ったのかよくわからなかった。
バッセンブルグに帰ると、どことなくぼんやりした頭で、逢いたくもない貴族の顔を拝んだのは覚えている。興奮した相手が何か言っていたが、何を言っていたかまでは覚えていない。きっとどうでも良いことだった。報酬の金貨3枚をもらい受けても、まだ口の中に、あのときの上質な味わいが残っていた。
それからその金貨で材料を買い、なんとか再現できないかと自分なりに作ってみた。
だがいくら再現しても、あの時食べたスイートポテトの味にはほど遠かった。
それからバリーがヴァルカニアに拠点を移すまで、そう日はかからなかった。
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