挿話44 黒い呪いとブラッドガルド

「……めちゃくちゃ疲れた……」


 リクは微妙な顔をしながら休憩部屋として提供された部屋に入った。

 あのあと、会議に飽きたブラッドガルドは瑠璃を引きずり込んでさっさと引っ込んでしまった。会議は一時中断という形で休憩をとることになった。

 一緒に部屋に入ったアンジェリカも、やや疲れた表情をしている。部屋に置かれたソファに二人して腰を下ろし、息を吐いた。


「あれ、ところでセラフは?」

「お二方と話してくるそうよ」

「そうか。呼び出してそうそう、ほんとに悪かったな……」


 もっとゆっくり呼び出せれば良かったのだが、セラフの魔力の欠片をチェルシィリアに握られていたのでそれも叶わなかった。おかげでセラフの目も若干死んでいたように思える。起き抜けにわけもわからないまま謎の会議に出席することになれば、精霊じゃなくても誰だって頭の切り替えが難しいだろう。


「しかし、かつてなくやることが多いなぁ!」

「そうね。最終的な目標は決まってるけど」

「ああ。あのワニの封印が解かれるのを阻止するんだろ」


 リクが言うと、アンジェリカはきょとんとした顔をする。


「ワニって?」

「あ……。そうか。あの泥の女神とかいうやつの姿だよ。俺たちの世界にいるワニって生き物に似てたから、つい」

「いるの!?」

「印象が似てるってだけだけどな」


 さすがにワニに毛やつややかな卵状のものがぼこぼこ生えていたりはしない。


「瑠璃がいれば、スマホ持ってるから見せられたんだけど。あの様子だと普通に向こうに帰ってそうだな」

「次に来た時に頼んでみるわよ」

「しかし、瑠璃のおかげで下手にこじれずに良かったよ。いてくれて助かった」

「そうね……。ブラッドガルドだけだったら、本当に……」


 そこで言葉を止めるアンジェリカに、リクは改めてその顔を見る。


「どうかしたか?」

「べつに、どうかしたってほどじゃないけど……。どうして、ブラッドガルドはルリを連れてきたのかしらって」

「うん? どういう意味だ?」


 もし瑠璃がいなければ、ブラッドガルドは完全にこの「お願い」を蹴っていただろう。下手をすれば敵に回ったかもしれない。だがそこにアンジェリカは違和感を覚えていた。


「だってルリが居たら、絶対に協力させられるじゃない。ルリは少なくとも世界が壊れそうって聞かされて、放っておこうとはならないでしょ」


 リクは黙って瞬きをする。


「他のお二方だって、当初は『魔女』がどんな人間か見極めて、可能ならブラッドガルドとの交渉の間に入ってもらおうと考えてたはずよ。そんな交渉の場所に、ルリを連れてきてみなさいよ。どう考えたって自分が引っ張り出されるし、それをブラッドガルド本人がわかってないはずないと思うんだけど」

「……そういえば、そうだな?」


 リクは首を傾いだ。


「うーん。瑠璃ひとりくらいどうとでもなると思ってたのかもしれねぇけど……」


 そのとき、ノックの音がして扉が開いた。


「……ブラッド公は、無意識ではちゃんと、神としての性質を持っていたのかもしれませんね」


 入ってきたカインがそんなことを言うものだから、二人は顔を見合わせて瞬きをした。


「すみません、盗み聞きするつもりはなかったのですが」

「いえ、かまわないわ」

「ああ。こっちもちょうど良かった」


 カインが中に入ってくると、その背後からふくよかなメイドも続いて入ってくる。


「先ほどはお疲れ様でした。お茶とお菓子をご用意したので、どうぞ」

「そっ、そんなわざわざ!」


 アンジェリカは慌てて立ち上がった。

 メイドがカートに乗せたお菓子を運んできた。かなりの量だ。三人分のカップとポットのほかに、おいしそうなカップケーキやクッキーがどっさり並んでいる。


「あらすごい」

「プリンもありますよ」

「おっ、それがブラッドガルドに出したってやつか。菓子が充実してるなあ」

「ありがとうございます。ブラッド公が来るたびに結構無茶振りをされるので、いつのまにかこのようなことに」

「む、無理しなくていいんだぞ……」


 現代日本と同じクオリティを求められても正直困るだろう。

 メイドが部屋から下がると、カインはカップにお茶を淹れ始めた。アンジェリカはますます焦ったが、カインは自分がやりたいからと言って二人の前にカップを置いた。


「実は精霊様にもお出ししようとしたんですが、とくべつ食べ物は召し上がらないようでして。残りはこちらに回してやってくれと……」

「それでか。なんかやたら多いと思った」

「セラフに聞いたことあるわね。四柱の中で食べ物が必要なのって、ブラッドガルドだけみたいよ」

「そうなのですか?」

「ええ。火の性質みたいなこと言ってたわね。逆かもしれないけど」


 ブラッドガルドという火の龍がそうであったからこそ、火をつけるためのものが必要になったのかもしれない。


「他の精霊は体の維持に必要なわけじゃないから、食べるって行為は趣味みたいなものらしいな。逆にブラッドガルドは必要としてる分、それで回復したんだろ」


 本来必要としていたものというのもあるし、菓子の持つ神への供物としての側面が合わさったのだろう。


「へえ……。それは初めて知りましたね。ルリさんは知ってるんでしょうか」

「さあ、そこまではどうかしら。案外知らないかもしれないわ。……そういえば、さっきも神としての性質がどうって言ってたわね」


 カップの中身を冷ましながら尋ねる。


「ああ、はい。……少なくとも、この世界を作った責任といいますか――愛着と言うと違う気はするんですが」

「言いたいことはわかるぜ。自分が壊すのはともかく、誰かに壊されるのは我慢ならねぇ……的な?」

「はい。しかも、四柱がかりで封印した女神が出てきて壊されそうとなったら、あまりいい気はしていないと思いますね」


 カインはそこまで言ってから、カップケーキを口に含んだ。その様子を見て、そわそわとしていたアンジェリカもカップケーキを手にした。


「だから、もしかすると……。気にしていたのかもしれませんね、最初から」

「……なるほど」

「ただ、他のお三方に言われて協力するより、ルリさんに無理矢理連れ出された、という方がまだ言い訳がつくというか」


 確信をついたようなカインの言葉に、リクもアンジェリカも黙った。


「ルリさんは絶対協力しようとしたでしょうし、ふっかけようとしたらその前に勝手に自分を貸し出されていた可能性もありますが」

「あ~……」

「ああ……」


 リクもアンジェリカもなんとなく理解できてしまった。

 ひとまず予想がついたところで、三人はもそもそとお菓子に手をつけた。暖かいお茶と、甘い砂糖の入ったお菓子を食べると、ようやく一息ついたような心地になる。

 ひととおり気力を回復させてから、今後のことについて話題が移った。


「とりあえず、精霊会議の第二回があるかはさておいて……。俺たちは会議が必要だな」

「ええ。ひとまずお二方と相談させていただきたい」


 軽く今後の予定を立てて話し合う。

 まるで雑談のような気軽さだったが、立てられた予定は本物だ。


「そういえば、リクさんは『黒の呪い』について説明するとおっしゃってましたよね。何かわかっているんですか?」

「ああ、瑠璃に資料を頼んでたからな」


 リクはうなずき、お茶を少し飲んでから続けた。


「カインにも頼んでたけど、当時の症状と確認して――基本的には体が黒く変色して死に至るってのが恐怖の元だけど、そのほかにも発熱や悪寒、嘔吐……。それから、皮膚に腫瘍ができたりもしたらしい。それと、鼠径部や脇の下にできる謎のできもの――。これらから判断して、おおむね間違いはないかなって思った病がひとつある」


 アンジェリカとカインの視線がリクを見た。


「俺たちのところではこう呼ばれてる。――『黒死病』と」

「こくしびょう……」


 カインが復唱するように言った。


「字で書くと、『こく』が黒い、『し』が死ぬ。そこに病気って意味の『びょう』。またの名をペストとも言うんだ」

「……やはり、病の一種なのですね?」


 確認するように尋ねる。


「多分だけどな。ただ、当時は解呪の魔法が効かないって話もあったんだろ」

「そうね。病であるなら、解呪の魔法が効かないのも当然よ。それを理解していた魔術師もいたはずよ」

「リクさんのところでは、どのようなことがわかっているのですか?」

「ざっと読んだだけだから、少し違うところもあるかもしれないけど――」


 リクが荷物をあさって、紙を数枚取り出した。目を鋭く資料に向けたので、アンジェリカとカインはぐっと気を引き締めた。


「原因はペスト菌と呼ばれる細菌だ。昔はネズミが媒介していると思われてたけど、最近の研究だと、実際はネズミにつくノミが媒介しているって明らかになってる。もちろん、感染した小動物からもかかるけどな。だから本来は、ノミと小動物を生き来してるらしいんだ」


 リクは指を動かし、行き来している様を指し示す。


「けれど、何らかの事情で野生動物が死に絶えてしまったりすると、菌は新たな宿主を探すことになる。――それが、人間だ」


 二人はそのまま唾を飲み込んで聞いていた。


「感染経路の違いで三つ。全体の八割から九割を占めるのが腺ペストだ。こいつは保菌者のノミからの吸血や感染した動物との接触で感染する。風邪みたいな症状が出て、脇の下や鼠径部のリンパ節が拳大まででかくなることがある。皮膚や目に入ると、その部分は腫瘍みたいにもなるらしいな」


 二人は一瞬顔を見合わせたが、続く言葉に目を丸くした。


「この状態で適切な治療が行われないと――敗血症型に移行する。この頃になるとショック症状が起きたり、手足の壊死が起きるんだ。これが黒死病の由来だ。壊死した箇所が真っ黒になるからだ。こうなると二、三日以内に死んでしまう」

「では、黒き呪いの原因はすべてノミや感染した小動物であると?」

「この時点までではな。ただ、潰れたところの血や体液から菌が飛んだり、肺に菌が入って肺炎を起こすこともある。そうなると菌を含んだ血の痰なんかを出すようになって、これが原因で人から人への飛沫感染が起きるんだ」

「……なるほど」


 リクは持っていた紙のうちの一枚を取り出した。

 パソコンからの印刷物ではなく、ペンで書かれたようなものだ。


「カインからもらった資料によると、ブラッドガルドの迷宮は、かつては森に囲まれていたんだろ。それが迷宮の拡大や、踏破を目指す人々によって一気に切り開かれて、そこにいた動物たちが外に出た可能性が高いな。更にこの呪いが取り沙汰されたのは戦争中だ。たぶん、衛生状況も最悪だったんじゃないか?」

「あっ……、そうか! 迷宮戦争の死体!」


 カインが叫んだ。


「迷宮戦争の当時、多くの兵士の遺体がそのままにされたと聞きます。それどころか、体の一部を失って歩けなくなった者や、傷が酷く動けなくなった者たちも、大量に……。重傷者や兵士の遺体が故郷に帰れるのは稀で、ほとんどは迷宮の入り口付近で折り重なって山になっていたと……」

「……なんてこと……。それじゃ、その黒死病じゃなくても病は蔓延しそうね」

「そうだな。実際のところは、呪いなんざかけなくても、なんらかの病が蔓延してたんだと思う」

「迷宮だけでなく、国に帰ることができても、居場所のなくなった人々が町のあちこちで死んでいたそうです。逃げ出す人たちも多かったので、常に人手不足に悩まされ、死体が置き去りになっていたとか……」


 ぞっとするような光景が頭によぎる。

 迷宮だけでなく、国のあちこちで死体が積み重なり、誰もそれを片付けない。供養することもできない。それと前後し、ネズミたちは死んでいく。生き場所を失った菌は、生きた人間へと牙を剥く――。


「当時はエルフやドワーフに感染者がいなくて、ややこしいことになったみたいだが……。おそらくエルフは耐性があったか、半分精霊みたいなものだからな。人間に姿が似てるってだけで、持っている耐性は全然違うんだろう。ドワーフにいたっては、あいつら酒作りにかけてはめちゃくちゃ真摯だからな。ネズミなんかは絶対に村に入れたりしないだろう」

「あ~、そうね。特にドワーフはそのへん繊細というか、厳しいというか」


 少なくとも風邪をひいたような症状のものだって近づけさせないだろう。


「それと、残ってる資料を見ると、『海の呪い』みたいな症状もあるしな」

「えっ? なんで海の呪い?」

「海の呪いというと、リクさんが『壊血病』という名で呼んだものですよね?」


 リクは頷いてから続ける。


「ああ。確か壊血病は脱力感や鬱から始まって、太腿のあざ、出血や歯の脱落、そして死に至る。この症状の報告も混ざってて、最初は黒死病かどうかもわからなかった」

「そちらの原因も、やはり菌なのですか?」

「いや。壊血病っていうのはビタミンC不足で起こる疾患だ。簡単に言うと野菜不足だな。海の上だと新鮮な野菜や果物が足りないからな。ってことは、戦場でも同じことが起きるんだよ」

「えっ!? そうなの!!?」

「戦地で長く戦ってると、食べ物が不足するだろ。自生してる植物はあるし、食べられるものもある。もともと迷宮やダンジョンに潜ってる冒険者なら、そういうのはよく知ってたと思う。でも迷宮戦争は、戦争というだけあって――」

「……兵士はともかく、上官には貴族の騎士や、末端の王子たちが多かった……」


 アンジェリカが納得したように頷いた。


「……。そうですね。当時の環境は過酷で、食料はそうした上官や貴族に回して、一般の兵士によっては生きたネズミを食べていたこともある、と聞きます。おそらく、そういうことも要因になったと思います」

「衛生状態が最悪な中で、そんなことをしたら……」


 最悪な状態になったのは予想に難くない。


「それと、この病がブラッドガルドの呪いだと考えられた理由はもうひとつあるんじゃねぇかなって」

「え、なんです?」

「ペスト菌は空中にあっても一時間くらいは感染性があるらしいんだ。でもその実、日光や熱に弱いらしい。体外では長期に生存できねぇ」


 カインとアンジェリカはしばらくその意味を探っていた。

 だが、あっ、と先に声をあげたのはカインだった。目を見開く。


「……そ、うか……。セラフ様は……!」


 ブラッドガルドの火を取り込み、光の女神となったセラフ。

 日光は、セラフの加護そのものと言っていい。体内にあるものはともかく、汚染されたものが日光や熱によって浄化されたとなれば、別の側面が見えてくる。セラフの威光を高めると同時に、その敵であるブラッドガルドの呪いを焼き切ったように見える。


「もちろん、これはあくまで俺の世界……もとい、俺の地域の話だ。だから、この『呪い』とは違うかもしれない。細菌じゃなくて、目に見えない魔物の群れかもしれない」


 だが、類似性を見いだすことはできた。

 それに、この世界にもこの『呪い』を病だと考えている人間はいる。それなら、病の線で働きかけてみるのも悪手ではないと思えたのだ。


「そういえば、当時って死体はどうなったんだ?」

「迷宮まわりのものは、無くなってしまったと聞いています」

「無くなったって、どういうこと?」

「えー。たぶんですが……、ブラッド公にとっては迷宮――というか自宅の前に大量の死体を放置されてるのと同じですからね。おそらく途中で――こう」


 カインは手を振り払った。

 すべての死体は、自宅前に死体をおかれてぶち切れたブラッドガルドによって焼き捨てられたに違いない。


「……ありえるわね」

「人間側から見れば、そんなことをされたら遺体を持ち帰ることすらできません……。反感は大きかったでしょうし、慌てて兵士たちが逃げ帰った時には、既に感染していた者たちもいたんでしょうね……」

「病が広がったのはある意味であいつのせいでもあるけど、病が抑えられたのもあいつのおかげってことか」


 三人は黙り込んで、同時に同じことを考えた。


「いや本人に言ったら絶対に吹っ掛けてくるでしょ」

「そ……そうですね……」

「我のおかげで人類が生き残れたということだな、とか言いながら世界ごと乗っ取ろうとするぞあいつ」


 ひとまずこの件が終わるまで、ブラッドガルドが果たした真の役目は伏せておくことにされた。とはいえそんなの気にしないだろうとも思ったし、汚名返上してもまったく喜ぶようには見えなかったからだ。

 実際、三人のこの判断は正しかった。そのため、この可能性の未来はいまここで潰えることになったのである。

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