挿話43 第一回精霊会議(後)

 カインが咳払いをした声で、全員の目が向き直った。


「ブラッド公。その前に、この会合を片付けてしまいませんか」


 ブラッドガルドの目がカインに向いた。

 カインがその視線を受け止めた瞬間、ぴりりとした空気が部屋を走った。奇妙な沈黙が部屋に満ち、アズラーンとチェルシィリアの目がわずかに鋭くなる。

 先ほどまでのややおちゃらけたような空気が一変し、明らかに尋常ではない気配が醸し出された。アンジェリカの背にすら悪寒が走り、ごくりと息をのむ。

 だが何かことが動く前に、セラフの手がすっと静かに動いた。安堵させるような動きに、アンジェリカの目がわずかに動いた。セラフの目はアンジェリカを見てはいなかったが、ゆっくりと二柱に視線を送り、軽く頭を振った。

 鋭い視線がセラフにも向かう。


「そうだよブラッド君。まだ終わってないんでしょ」


 瑠璃がその空気に気がつかないままいうと、ブラッドガルドの視線がカインから瑠璃に向かった。明らかに面倒臭そうな視線が向けられる。


「それに早く終わるとリクに映画見せる時間が増えるかもしれない」

「なるほど」

「なんで俺にクソ映画を見せるのは決定してるんだ!?」

「リクは勇者だからどんなアレな映画でも捌いてくれると思って……」

「勇者そこまで万能な肩書きじゃねぇんだけど」

「ふん。まあいい」


 ずるりと溶けた闇が自分の席で再び形になり、目の前にあった菓子の山に乱雑に手を突っ込んだ。手でつかんだそれを口の中に放り込むと、何をしてるとばかりの視線を向けた。


「さっさと続けろ」


 どことなくしらけたような声色で言うと、部屋の中の空気も和らいだ。


「ところで、なんの話だったっけ?」

「お前が一時的に主におさまった迷宮が暴走した結果、世界レベルで影響及ぼして、なんかやばいのが復活しそう」

「おっけー、わかった!」


 瑠璃が笑顔で答えたせいで、一瞬静まりかえる。


「なんで私のせいなの!!?!?」

「ワンテンポずれるな、殺すぞ」

「理不尽!!」

「とにかく、そのやばそうな女神っていうのはどうなってるんだ?」

「我々もあまり知らぬ話です」


 横からカインが声をあげた。


「いま、伝わっているのはあなたがた四柱の神が、世界を作ったということだけです。しかしほとんどの人間は、それは古い神話として語るのみです。現在ではセラフ様を主神とする女神聖教が力を伸ばし、セラフ様が世界を作ったのだ――と信じている方もいるくらいです」

「それはおそらく、セラフと人間が専属の契約を結んだからだね」


 アズラーンが静かに言った。

 その視線がちらりとセラフを向くと、彼女はうなずいた。


「ええ。かつてブラッドガルドが人に生贄と世界を対価に求めたとき――、一部の人々が私に助けを請いました。彼らは自らの『自由』と引き換えに……、つまり私と専属の契約を結ぶ代わりに、炎を手に入れてほしいと――」

「……」

「そのあとのことは知っての通り。ただ、私も知らぬ間に当時のことが神話として、細かいところで人間の手が入れられていたようですが……」

「人の歴史がそこから始まったと考えると、適当な気はするけど……」


 最後までは言わずに、リクはちらっとアズラーンを見た。


「そりゃあ、人の歴史からは失われても、失われなかったものはあるからね」


 ぎしりと椅子の音を立て、アズラーンは苦笑するように笑った。


「例えばそれは、僕らの封印した痕跡や欠片。それだけでなく、名も無き女神本人の痕跡。それらは過去に一部の人々によって発見され研究されていた」


 時に邪教として。

 時に失われた種族や部族の伝説として。


「あー。つまり急に無くなったわけじゃなくて、ちょっとずつ忘れられてった感じ?」

「そう。それが遺跡になって各地に残るだけになった。だがそれらもいずれは世界に還る」

「還る……はずだったのだろう?」


 ブラッドガルドの声は愉快そうだった。


「……その通りだ」


 苦笑気味だったアズラーンの声色に、やや忌々しいものが混じる。

 ブラッドガルドは手に持ったチョコチップクッキーでアズラーンを指さしながら続ける。


「相も変わらずグダグダグダグダと――。世界に溶けた貴様ら二人が出てきた理由など、わかりきっていたことだろうが。『世界の危機』――」

「えっ? そうなの?」

「ああ」


 相変わらず愉快そうに頷きながらチョコチップクッキーを口の中に入れてばりばりと食む。


「なぜこいつらが我と鳥女とのいざこざで出てこなかったと思う。簡単だ、そう決めていたからに過ぎん。早々に世界を明け渡し、次に出てくるのはこの世界が壊れそうなその時だと決めた愚鈍なモノどもよ」

「……」


 アズラーンは堪えるように眉間に皺を寄せ、チェルシィリアは拳に力を込めた。セラフは静かに目を伏せる。


「あれは我ら四柱の力でようやく封印できた存在。殺すことさえできん。だがこうなった以上、放っておいては目覚めはいずれ来る。だからこそ貴様らはなんとか我の力を借りられないかとコソコソと嗅ぎ回っていたのだろう?」


 いかにも愉快そうに笑うと、闇が広がった。


「貴様らの考えなどとうにお見通しだ。なれば平身低頭、この虫けらめに手をお貸しくださいブラッドガルド様と床を舐めるがいい」

「……この野郎……」

「落ち着け、チェルシィリア!」

「そうだよー。ブラッド君なら手を貸してくれるから大丈夫だよ!」


 あっさり瑠璃が言い放ったので、誰もすぐには反応できなかった。


「は……?」


 アズラーンの気の抜けた声に返事はない。


「おい。話に入ってくるな」

「だってこの世界がやばいんでしょ!? 引きこもってる場合じゃなくない!?」

「我は引きこもっているわけでは」

「そういうわけで、ブラッド君の力ならいつでも貸すからね!」


 無視して精霊たちに宣言する瑠璃。


「小娘……」


 ずっ、と広がった闇が瑠璃の背後で収束する。爪のような形をとった黒い色がふたつ、それぞれ瑠璃の腕をつかむ。


「貴様、思い上がるのもいい加減に――」

「いいじゃん。力ぐらい貸してあげなよ」

「貴様とてこの世界とはなんの関係も無いだろうが!」

「私だってブラッド君との遊び場が無くなるのは困るんだけど!? おねがい!!! 私のためだと思って!! なんか……えー……チョコレートあげるから!!」

「貴様、チョコレートを万能の供物だと思っているな!?」


 ぎゃあぎゃあと言い始める二人に、ぽかんとしていた二柱が気を取り直す。


「……あの二人本当にいったいどういう仲なんだい?」

「あの二人は本当にいったいどういう関係なの?」

「ああいう仲としかいえないわね……」

「なんかああいう関係みたいだな」

「ああいう関係ですね」


 同じ答えしか返ってこなかった。


「……信じられないのはわかるけど……。私もいまだにちょっと心がついていけないし……」

「きみもか、セラフ……」


 他の三柱と三人が現実に戸惑いをみせているなか、瑠璃が言い放つ。


「でもコソコソするのは確かによくなかったよね。ちゃんと最初からやばいのが出るから力を貸してくださいって言えばいいんだよ」

「……正直、あなたが話が早くて助かるわね……」


 背後からいまにも呪い殺しそうなブラッドガルドが半分闇と同化したまま睨めつけているというのに、まったく動じない。


「それで、そのなんか……女神っていうのはどういう感じの人? なの?」


 それどころかブラッドガルドを見上げて聞く始末だ。


「……人の形ではないな」


 当のブラッドガルドはいまだに納得のいっていない顔をしていたが、瑠璃の片手を離して手を前に差し出した。


「貴様らに見せてやろう。原初の泥の女神の姿を」


 そう言うと、その手から3D映像のごとくひとつの映像が映し出された。全員の視線がそこに注がれる。それは沼に横たわる生物の姿だった。


「うっ……!?」


 カインが眉間に皺を寄せた。


「これは……龍……?」

「水龍でもいそうだけど、あまり見たことは無いわね……」


 アンジェリカもまた困惑しつつ、呻くように言った。


「水龍も蛇に似たタイプか、鱗のないタイプが多いですからね」


 どう形容すべきか、二人は適切な答えを出せないでいた。

 その姿を知っている三柱は複雑な気持ちでその映像を見つめる。いまここで映し出されているのはかわいらしいほどの小ささだが、実際の大きさと強さ、そしてやっかいさはいやというほどたたき込まれている。

 沼の中から最初に浮上しながら、あらゆるものを喰らい尽くして漂っていた怪物――。そのごつごつとした肌や、前に長く伸びた巨大な顎は龍を思い起こさせる。龍こそがその特徴を濃く受け継いでいると言っていいだろう。だが彼女は沼を這いずり回り、その短いが凶悪な手足で獲物を捕まえては屠るだろう。彼女は何もかもを喰い尽くし、自らの迷宮――原初の泥という自分の世界を作りだし、その迷宮の主にあっさりと収まるだろう。


 ――僕らは、長い年月の間に弱まった……。


 だからこそ、この世界を、その民を守るためにはブラッドガルドの力が不可欠だ。


 ――けれど。彼は本当に……。


 この世界を守るだろうか。

 他ならぬ、彼を世界から排除しようとしたモノたちを守るために。


 ――都合のいい話だとは理解している。だけどいまは……。

 ――私たちはほんとうは必死になってでも、頭を下げなくちゃいけない……。


 複雑な表情をする二柱を見ながら、セラフは自身も目を伏せた。


 そしてそんな彼らをよそに、瑠璃とリクの二人はちょうど同じことを思っていた。


 ――ワニだ……。

 ――ワニだな……。


 沼に潜む、突き出した巨大な顎。並びの悪い歯にごつごつとした肌。

 もちろん普通のワニと違う箇所も存在する。頭の部分からは羽毛のように伸びた毛が生えているし、その背びれは二列並んでいて、爪のようにそそり立っている。爪のような背びれと背びれの間の空間には、なめらかな卵のような隆起がいくつもあった。卵はひとつひとつに灰色の内容物が入っていて、ぬらぬらと光って生理的嫌悪感を呼び起こした。巨大な手もワニのそれそのものだったが、爪は巨大で、手の甲からは頭と同じ羽毛が流れていた。

 ブラッドガルドが再現して見せた映像も、泥というよりも沼に近い印象を受ける。そのせいで余計に横たわるワニ度が増していた。


 ――泥の女神っていうか沼地のワニだなこれ……?


 そう思うとますます変わったワニにしか見えてこない。


「沼地のモンスターとかでいそう」

 ゲームのモンスターを思い浮かべて普通に述べる瑠璃。

「沼地の魔物ではなく泥の女神ですよ」

 それに通常の感覚で突っ込むカイン。

「いや……多分瑠璃はそういう意味で言ったわけじゃなくてだな……」

 説明に苦慮するリク。

「頭の悪い会話をやめろ」

 醜態を罵るブラッドガルド。


「まあ、とにかくこれをなんとかすればいいの?」

「なんとかって、なんとかなるのか?」

「いや大丈夫でしょリクいるし」

「俺?」

「だってリクならブラッド君とやり合えるくらいだし……ほら、敵との共闘は割とお約束だと思う!」

「……お前……」


 リクはまじまじと瑠璃を見ながら、いっそ感心したように続けた。


「……お前、ほんとにブラッドガルドのこと……」

「そうだ貴様がやれ勇者。そして死ね」

「死ねは余計だ!?」


 話の途中で割って入ってきたブラッドガルドに、リクはさすがに突っ込む。


「でも、もしやるとなればいろいろと準備が必要ね。もしかすると世界樹にもいかないといけないし……。あそこはいま、国が管理してるからすぐにはいけないし。そのうえブラッドガルドも協力するって言って信じると思う?」

「おい、我が手を貸す前提で話を進めるなと何度言ったら」

「おねがいおねがいおねがい!!」

「ええい離せ小娘!!」


 腕をつかむ瑠璃を振りほどこうとするブラッドガルドから、アンジェリカとカインが無言で目をそらした。遊んでいるようにしか見えなかったからだ。


「……ブラッドガルドに話が通じてる……!」

「あなた、その感動癖変わってないですよね……」


 ぷるぷると感動に打ち震えるアズラーンに、セラフが微妙な顔をして言った。


「私も久々に会ったけど、大体これ癖直ってないのよね……」

「あ~……」


 また収拾のつかなくなってきたところで、考え込んでいたリクが口を開いた。


「……そうだな、とりあえず黒い呪いの件を片付けるか」

「黒い呪い……とは、まさか……」

「ブラッド君がばらまいたって言われてるやつ?」


 カインと瑠璃に、リクはうなずく。


「おい、我は関係無いと言っているだろうが」

「ああ。その黒い呪いだ。迷宮戦争を終わらせた要因のひとつだな。瑠璃にも資料を頼んでただろ?」

「お、おう。そういやそうだったね」

「要はこれがブラッドガルドと関係無いってわかれば、ひとまずは懸念のひとつは消えると思う」

「……」


 ブラッドガルドはしばらく何も言わなかったが、真顔のまま続けた。


「で、実はそれは我のせいだと言ったらどうする」

「やめろ話がややこしくなるから!! 絶対面白がってるだろ!!」


 面白さのために発言を撤回しかけるブラッドガルドを見抜きつつ、リクは叫んだ。

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