挿話42 第一回精霊会議(前)

 ばらばらになって細かく散らばっていた砂が、集められていくようだった。小さな粒だったものは集められるとひとつの塊になり、ひとつの意識になった。深い眠りから醒めていくように、次第に意識もはっきりとしてくる。あらゆる事を感じられなくなった代わりに、思考が明確になっていく。それこそ砂で城を作るように、崩れてしまっていた自分の形がはっきりと浮き上がってくる。

 聞き覚えのある声がする。

 誰かが自分を呼んでいる。

 光が見える。

 目を開けようとして、眩しさに少しだけ戸惑ってから――もういちど目を開けた。


「……リク?」

「セラフ!」


 見覚えのある声が二つ。

 自分が呼んだ勇者と、彼の共となった魔術師の少女。


「セラフ。わかる?」

「……アンジェリカ……」


 きっとほんの少しの間だったろうに、長い夢を見ていたようだった。


「ここは……」


 ゆっくりと顔をあげる。

 その視線の先に、テーブルについてにこにこしているアズラーンと、腕組みをして真顔でこちらを見ているチェルシィリアがいた。


「ヴァーーーッ!!?」


 およそ女神の口から出てはいけない声が響いた。


 ヴァルカニア時計塔城内部――。

 その広い会議室のひとつに、四柱の大精霊と、人間が四人。

 もとは風の鳥であった、光を司るセラフ。

 銀の髪に蒼翡翠のワンピースを揺らす水のチェルシィリア。

 黒髪に浅黒い肌をした美丈夫が土のアズラーン。

 そして火の龍であったのはいまや闇となったブラッドガルド。

 城の当主であるカインですら言葉を失うほどの者たちが、何故かここに集結しているのである。


「なんですか!! なんで居るんですか!!!」

「なんでと言われても」

「ねえ」


 アズラーンとチェルシィリアは互いの顔を見合わせる。


「大丈夫だ、セラフ。一応結界は張ってあるから」

「こんなに濃い魔力が集っていたら、不自然だしね」


 リクとアンジェリカの言葉に、セラフは一旦は矛をおさめる。


「そ、それもそうですが……。これは一体どういう状況なのです? あとなんなんですか、あれは」


 セラフはテーブルの一角を指さした。そこには、世界のありとあらゆる憎悪と怨嗟と邪気を煮詰めたような気配が漂っていた。もはや黒い靄のようなものとなって辺りを暗く沈めている。その隣で座っている瑠璃が、顔をあげて苦笑しながら頬を掻いた。


「あー、えーと。ごめんね。ブラッド君、めちゃくちゃ不機嫌で」

「いえ、あの……」


 果たして不機嫌という問題なのか、という疑問が湧いて出てきたが、それ以上何も言えなくなってしまう。


「ほらブラッド君、とりあえずチョコレートでも食べて落ち着いてよ」


 果物皿に、果物の代わりにクッキーとチョコレートが山と盛られたものを差し出す。すべて瑠璃が持ってきたもののパッケージを剥いで盛り付けたものだ。


 ――なにあれ……。


 一瞬セラフの意識がそっちに持っていかれたが、気を取り直す。


「というより、ルリさん! わ、私は貴女に――」

「おい小娘。あのアホ鳥を殴れ」

「急に何!?」

「ちょっと!!!!」

「なんだクソ鳥。貴様にチョコレートはやらんぞ」

「ちがっ……、っていうか勝手に話を進めないで!!」


 一瞬にして騒がしくなったのを前に、アズラーンはにこにこしながら言った。


「いやあ、いい光景だねえ」


 同じくその光景を見ていたリクが、なんとも言えない表情で尋ねる。


「そうかあ……?」

「ああ。特に昔の彼からするとね。ああして話し合いの席にいるだけで僕は嬉しい」

「……ふうん」

「前は話すら通じなかったからね。いやっ……もう僕はそれだけで感動して!!」


 ――不良の更生を喜ぶ親戚みたいな反応だな……。


 喉から出かかった言葉をなんとか抑える。


「それより、きみがセラフの呼んだ勇者君だろう? 噂はかねがね伺っているよ。僕はアズラーン。きみたちの言うところの土の人とか、土の精霊とか、土の神とか呼ばれてる者だね」

「あ、ああ……、リクです。リク・クサナギ」

「ちょっとリク。……わたくしはアンジェリカ・フォン・ハイド・ドゥーラ。アンジェリカとお呼びください」

「リクにアンジェリカだね。よろしく! それで、あっちで憮然とした顔してるのが水の精霊のチェルシィリア。ちょっと今は茫然としてるけど、基本的にいい子だからね!」


 友好的な態度を崩さずに話すアズラーン。やや拍子抜けしかけた二人が互いの顔を見合わせていると、扉を開けてカインが入ってきた。全員の視線が彼に集まる。


「失礼致します。本日はこのような場所にお集まり頂き、光栄に御座います――」

「堅苦しい挨拶は要らないよ、カイン君」


 にっこりと笑うアズラーンとは対称的に、チェルシィリアが値踏みするようにその動きを見送る。そしてカインが進行役として前に立ったとき、それを止める声があった。


「おい待て小僧」

「なんでしょう?」

「こいつに仕切らせろ」


 ブラッドガルドは隣の瑠璃を指さし、瑠璃は一言「えっ」と呟いた。というより、その場に居た全員が「えっ」と言った。







「じゃあ、第一回精霊会議を始めます!!」


 やるとなればそれなりにテンションの上がった瑠璃が、カインの隣でどーんと構えた。リクとアンジェリカだけが「いいのかこれで」という感情を隠すこともできないまま表情に浮かべている。四柱が揃っているだけでも室内は異様な空気だが、それが若干緩和されたともいえる。


「あの、カイン君はそれでいいのかい!?」

「他の皆様が良ければ。前も迷宮でやってますし」

「やったの!?」

「えーと、とりあえず何すればいいの? 自己紹介?」

「そんなもの飛ばせ。それよりこいつらは何をしに来たんだ」

「えー。何しに来たんですか?」


 瑠璃のまったく精霊を恐れない態度に、アズラーンは面食らったように笑う。


「ストレートに聞くなあ。でも嫌いじゃないよ。ブラッドガルドが自分を受け入れて神に戻ったなら、そりゃあ見に来るよね」

「あ、そっかぁ! ブラッド君のこと心配だったんだね!?」

「んふっ……!」


 あまりに嬉しそうに言う瑠璃に、笑いそうになったアズラーン。ブラッドガルドの射抜くような視線が貫いた。

 その向かい側で、チェルシィリアが微妙な表情をする。


「……それと、ブラッドガルドを復活させたという魔女の顔を見に来たのよ。どんな魔力持ちで、どんないけすかない女かと思ったけれど……」


 そう言って、まじまじと瑠璃の姿を見る。


「……意外なタイプよね」

「あっ、それは僕も思う」

「殺すぞ」


 闇が一層濃くなる。


「……まあ、本来の魔力を視てやろうと思って……。いきなり海に送ったのはごめんなさい……まさか本当に魔力が無いとは思わなくて……」

「そうだぞ魚女。これ以上無い醜態だ」

「ぐっ……」

「ブラッド君もノッたでしょ!? まあ無事に帰ってこれたからいいかな。というか、魔力無いですとか言われても信じられないのはわかるよ」

「おい小娘、その魚女を殴れ」

「ちょっと黙っててくれる!?」


 ストレートなツッコミを無視してチョコレートを口に運ぶブラッドガルド。


「でもさあ、かみさまってそういうのわかんないの?」

「残念ながら、僕たちもそこまで万能ではないからねえ。それに……ねえ、わかるだろ。さっきまで世界に溶けてたセラフ君」

「え、ええ。世界に溶けている時は意識が散らばっているのですよ。思考や感情が定まらないのです。異変を感じることはあっても、細かい所まではわからないのです」

「この姿になれば思考や感情は安定するし、ちゃんと理解はできるようになるけどね」


 アズラーンはそう言ってから、不意に真面目なトーンになった。


「そう、だから――僕達が現れた、……こうして人の姿をとってしまった原因も、今はまだよくわかってない」


 そう言った途端、会議室の中に緊張感が張り詰めた。


「えっ、なに? 何かあるの?」

「気にするな。我より厄介なのが復活しかかってるだけだぞ」

「それ駄目な奴じゃない?」

「貴様の頭でもわかるように言うと、ヤバめの女神が復活しそうだ」

「駄目な奴じゃない?????」


 完全に進行役がパニックを起こしたので、隣でカインが咳払いをした。


「しかし、あなた方でも手に負えない女神とは……? あまり考えられませんが……」


 確かにブラッドガルドとセラフは敵対していたが、それでも世界を作ったモノ同士。セラフも勇者に力を与えた事から考えても、実力が無いわけではない。そんな者たちが手こずる相手とは、そう思いつくようなものではない。

 ブラッドガルドがちらりとアズラーンの方を見た。

 セラフが口を噤む。

 アズラーンがどう説明するかと顎に手を当てたとき。


「――世界は、泥から作られる」


 チェルシィリアが呟いた。

 リクは瞬きをして、聞き返す。


「泥……?」

「そう。私達は泥と言っているもの。泥としか形容できないからそう呼んでいるだけで、混沌や暗闇とも呼ばれるわね。つまり、光と闇が分かれていない、ただの泥……」

「それって神話の最初……、天地が作られる前みたいなものか?」

「光あれって叫ぶ前の世界ってこと? あんまりピンとこないけど……」


 瑠璃が首を傾げた。


「いや、そうでもないぞ。日本神話……というか、俺たちの神話でも、イザナギとイザナミが混沌をかき混ぜて大地を作った、みたいな話がある」

「へー。よく知ってんねリク。その混沌が泥ってこと?」

「そう。その泥から最初に生まれたのが、原初の女神――」


 名前すら無く、泥に浮かび上がった最初の存在。最初の女神だ。


「だけど、その女神に知性というものはまるで無かったの。泥の中に潜み、巨大な顎を持った姿は、龍とも蛇とも……はたまた泥の中を泳ぐ姿は、魚とも言いきれなかった。女神は、泥から産まれたものを次々と食い荒らすだけだった」

「その彼女の暴挙を封じたのが、僕たち四柱――」


 想像すらできない事態に、カインとアンジェリカだけが困惑した表情をしていた。

 ブラッドガルドは視線を外していたが、一度だけちらりとチェルシィリアのほうを見た。


「僕らも彼女も同じ精霊だ。互いに倒すことはできない。だから僕らは彼女を封じこめ、彼女を中心に世界を作った」


 アンジェリカは困惑気味に、その事実を咀嚼しようとしていた。


「……それが、この世界の本当の成り立ちであるというのですか?」

「ああ」


 少し間を置いて、セラフが口を開く。


「その封印の余波で出来たのが、エルフたちの世界樹です」

「世界樹だって?」

「異変があれば世界樹を通じて、エルフ達に通達される……はずだった。けれど、世代を重ねるごとにエルフ達の力は薄くなって、わずかばかりの預言を聞くものになってしまったのです。それでも、異変があればエルフ達には通じるはずです」


 その言葉に、カインがはっとしたようにセラフを見た。


「あ……じゃあ、もしかして、エルフ達が次々と体調不良を起こしたのは……!」

「ええ。封印が揺さぶられたんでしょう」

「でもなんで急に? なんかあったの?」


 瑠璃が尋ねると、三柱は互いに顔を見合わせた。そして、言いにくそうにセラフが口を開いた。


「あの……ルリさん。迷宮が暴走を起こしたでしょう?」

「えっ。ああ、そういうことらしいね?」

「多分、あれです」

「えっ!?」


 迷宮の暴走とは、迷宮というシステムのバグから来るものだったらしい。

 そもそも迷宮とは、ダンジョンと呼ばれるものの上位互換。ダンジョンとは元々ある自然物や廃墟に魔物が住み着いたり、巣になってるもののことだ。後は盗賊が作った砦やアジトもそう呼ぶ事がある。それに対して迷宮は、ダンジョンが広がって独自の魔力を持ち始めたもの。

 魔力を持ったダンジョンは、自ら迷宮としてのその機能を維持しようとする。主を中心に、蟻の巣のように範囲を広げていくのだ。ゆえに迷宮の主は、単にそのダンジョンの中で一番強いボスというだけではなく、迷宮にとっても必要な存在だ。主こそが迷宮の核になるのだから。


「ザカリアスの研究によると――」


 リクはそう前置きしてから言った。


「迷宮は、主の魔力を通して性質や願望を読み取って、迷宮を主の住みやすい環境にしたりする。だけどお前は違った。ブラッドガルドの強大な魔力があるのに、お前自身には魔力が無い。本人は居るのに、肝心の魔力が認識できないし、接続できない。そのまま何も起きなきゃ良かったんだが――」

「おそらく、それで迷宮に混乱が生じ、暴走状態になってしまったのですね」


 セラフがそう言いながら頷く。


「で、でも、暴走状態で起きたのはなんかアレでしょ、なんか私のやりたいことが反映されてたってやつ」

「いや……、多分、迷宮の暴走そのものじゃなくて」

「大地が回復され続けた方が問題ですね」


 アンジェリカもその言葉に頷いた。


「回復魔法っていうのは、そもそも体の治癒機能を動かす魔法なのだけど。それに似たものが大地にかけ続けられた状態になったのよ。結果的に、かなりのスピードで大地のものが実り、種になってまた育って……を繰り返すことになった。それが何らかの影響を及ぼしたんでしょうね」

「そんな迷宮が世界規模に影響及ぼすバグある???」

「……そうでもない」


 いままで黙っていたブラッドガルドが、口をきいた。


「考えてもみろ。魔力が漂った空間と、その場所の主がいる状況――。それは我らと同じだ」

「我らって……」

「例えるなら大気という巨大な空間と、その中心地で大気を司るアホ鳥。……神々が作ったこの世界は、いわば迷宮の上位互換のようなものだ。濃く集った魔力が、新たな世界を作ろうとした結果が迷宮だ」

「あっ……えっ。そういう考え?」

「わからんか?」

「いや草原マップとかでめっちゃだだっ広いだけのダンジョンとかやったことあるから、わかることはわかる」

「そうか」

「いや最後のは俺とお前ら以外わかんねーだろ」


 ブラッドガルドがゲームのことを理解しているのもどうかと思うが、リクは言わずにはいられなかった。

 話が一段落ついたことで、リクはなんとなくあきれかえった目で瑠璃を見た。


「はあ……、お前、ブラッドガルドに何教えたんだよホントに」

「教えたっていっても、お菓子の話とかしてただけだよ」


 瑠璃にとってみればそれだけだ。


「お菓子の話に絶対いろいろくっついてるだろ」

「あ~、まあ……。ゲームも結構やってたし、映画も怪獣王のやつとか延々見てたよ」

「何見せてんだ!!?」


 さすがにそれは突っ込まざるをえない。


「割と気に入ってるよー。気が付くと同じやつとか周回してるし」

「子供か!? というか、なんで怪獣王なんだ。もっとこう、なんかあるだろ! 他に!」

「あっ」

「えっ?」


 そのとき、突然のようにリクの背後に影が落ちた。


「……勇者、貴様……。小娘と同じ所から来ておいて、王の王たる所以がわからぬとは……」

「はっ?」


 地獄の底から響いてくるような声が、部屋に木霊する。


「お、おい瑠璃、こいつ何言って……」


 そっと瑠璃が、明らかに関わりたくない表情でリクから視線を外した。

 そのせいかどうかはわからなかったが、思わず立ち上がりかけた三柱が一斉に視線を外した。これは放っておいてもいい、積極的に関わってはいけないやつだと直感的に理解したのである。


「おい!!?」


 セラフまで視線を外した事には遺憾の一言でしかない。


「え、えーと……。最新作のバーサスキング貸そうか? お父さんがブルーレイ買ったみたいだから」

「瑠璃!!?!?」

「……いいだろう。勇者、貴様にはたっぷり時間をかけて、その脳髄に叩き込んでくれる……」

「そういう台詞はもっといい時に取っておいてほしかった」


 瑠璃の台詞も何回目だかわからないが、思わず言ってしまうほどには。


「あと小娘、貴様が借りているこの世の汚泥と地獄とを煮詰めたような映画も貸せ。一週間ほど勇者に続けて見せる」

「地獄かな???」

「何見せられるんだよ俺は!!?」


 クソ映画とかいわれるやつだよ、と瑠璃は心の中で合唱しておいた。

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