挿話41 襲来・チェルシィリア
『……まあ、つまりですね』
水晶パネルの向こうに映った若き王は、なんともいえない表情で言った。
なんとか気を取り直し、バルバロッサに目を向ける。
『僕達としては、なんとしてでも彼女を取り返したかったわけです。単純に危険だから、というのもありますし、彼女自身の事情もありますね。その点においては、無事に送り届けてくださったことは感謝しています』
バルバロッサの表情は変わらず、目線だけがしっかりとパネルの向こうを見ていた。
『それでなくとも僕達はマドラスとの交流を考えています。――というのも、あの方が出てくる前に言いたかったんですけどね……』
「わかりやすく言ってくれ」
『仲を取り持ったことにするので、黙っててもらえませんか』
「わかりやすくて助かる」
瑠璃とブラッドガルドの関係はこれ以上隠しきれないところまできていた。というより、カインやリクの計画をよそに、ブラッドガルドが自由に動いてしまった為に起きた喜劇だった。ゆえに、バルバロッサと、勇敢にも廊下に飛び出てきたクリストファー、そして巻き込まれる形でフランクが別室に呼ばれ、パネル越しにだがカインと対面した。
今回の襲撃は、緊急事態による相互の認識不足と無理解から起こった不幸な事故――ということで片付ける代わりに、バルバロッサを暫定的な大使に任命し、ついでに瑠璃の事も黙っていてもらおうという算段だった。
平常時であれば、もっと綿密なやりとりをして決めることも可能だろう。海賊行為をした、あるいは仕掛けたという部分があったとしてもだ。そこは交渉次第であったはずだった。だがお互いにそれを了承しなければならない理由は、目に見えた脅威が背後にいるからだった。そこはブラッドガルドにある意味感謝するしかなかった。
「ところで――ついでにもうひとつ聞いていいか?」
『はい。なんでしょう?』
「私はさっきから一体何を見させられているんだ」
バルバロッサが後ろを振り向き、カインがそれに応じるように視線を奥に向けた。
背後では上からスライムのような影に吊されたクリストファーが、目隠しをされた状態でトウガラシを口に突っ込まれて呻いていた。その隣には完全に同じ状態でグロッキーになっているフランクがいる。
トウガラシを口に突っ込んでいるのは他ならぬブラッドガルドであり、その隣で行為に呻いているのが瑠璃だった。
「ご、ごめん船長……。どうしてもブラッド君が罰ゲームするって言うから……!!」
「罰ゲームではない。代償が必要だと言っただけだ」
とてつもない気配と魔力を纏い、代償と言いながらやっていることは確かに罰ゲームレベルだ。笑えばいいのか呆気にとられればいいのか理解に苦しむ。
「それに、私はトウガラシ食べさせようって言っただけなんだけど!!」
「誰がここまでやれって言ったんだよ」
瑠璃の後ろからは、リクがなんとも言えない表情でそれを見上げている。
アンジェリカも似たような表情だった。
「次はミミズパスタだ。食え」
「ねえどっから出したのそれ!?」
ボウルの中でこれでもかと蠢くミミズにドン引きする瑠璃。
「う……っ、ぐっ……、ば、バルバロッサの為なら受け入れよう……!!」
「無理しなくていいんだよクリストファーさん!!!」
クリストファーの精神性に思わず叫ぶ。
「黙れ小娘。貴様にも食わすぞ」
「ウアーーーめちゃくちゃ蠢いてるーーー!!」
「お前絶対そいつらより瑠璃の反応愉しんでるだろ」
「前より平和的すぎて突っ込みにくいわね……」
世界ごと巻き込んで崩壊した可能性を思えば随分とマシだと言える。
ただ迷惑が世界から個人レベルに移ったことで、反比例するように嫌がらせ度が格段にアップしている感は拭えない。
「やめろこのミミズ野郎ーー!!! ハゲ散らかしてしまえーー!!!」
「とりあえずルリ泣かすのやめなさいよミミズおじさん」
「殺されたいのか」
震える手で指さしつつ、無言のまま何か訴えるような目でカインを見るバルバロッサ。
『……なんというか、ブラッド公は基本的に自由なお方なので……』
「自由の度を超えてないかい?」
ただでさえやることなすこと規格外だというのに。そこに自由さが加わってしまえば邪悪以外の何者でもない。
「しかし、どうしてあんなに不機嫌なんだ」
『さあ……。献上品を使ってしまったというのもありますし、正直、ルリさんがちゃんと戻ってきた事に憤慨している気もしますね……』
「なんで?」
本当に「なんで?」としか言えない事案だ。
ほんとうは、ルリという無能の存在を取り合って各国が戦争状態になるのを見たかっただろうから――という憶測は喉の奥にしまっておいた。
それに気付いたブラッドガルドが、瑠璃を指さす。
「今からでももういちど誘拐するか?」
「えっ」
「バカなの?」
『やめてください』
アンジェリカとカインから二重のツッコミが入るのを見ながら、バルバロッサはカインに向き直った。
「……いやあ、ここまで目の前で見させられちゃあね」
『だいたい信じていただけましたか?』
「ルリがその、なんとかの魔女だっけ? まあ、信じよう」
泣かされて暴言を吐きつつもまだ生きていることが信じられない。しかも瑠璃から感じていた違和感のような魔力は、すべてがブラッドガルドのものであり、本人には何も無いのが輪をかけていた。
何もかもが信じられるようなことではなかったが、信じないと始まらない。
それは瑠璃の事だけではない。
カインが「海の呪い」について興味を持っている事もそうだった。カインはそれを病であると――マドラスでさえいまだに呪いであると考えている者もいるのに――断言した。
――黒の呪いも、感染症の可能性があるとか言ってたか。
迷宮戦争を終わらせた呪いが感染症、つまりは病であるなら、これはこれで大変な事になる。再びどこかで再発する可能性があるからだ。それを防ぐために、勇者も資料を取り寄せている最中だという。底が知れないと思った。
加えてカインが、交易品としてレモンが欲しいと言った事も驚きだった。ただの貴族の道楽ではなさそうだった。もしこれが大きな取引になれば、バルボアの名も大きく知れ渡るだろう。
新興国家とはいえ、魔女と手を取り、勇者や、ブラッドガルドという脅威の迷宮のような存在と対等に渡り合う若き王。その王と間を取り持ち、マドラスという国と文化を世界に認めさせることができるなら――。パウロが船を乗っ取ってまで切望してやまなかった事が、いま自分自身に起きようとしている。
バルバロッサはなんとなしに目を伏せた。
『……どうしました?』
「……いや。アンタが一番変わってるなと思ってね」
バルバロッサはカインの映るパネルを見て言う。
『僕なんてこの中ではだいぶ普通ですよ』
「そうじゃないさ。最初はこんな水晶の……パネル、だっけ? こんなところから話してくるなんて、さぞかしお高くとまってるんだろうと思ったけど」
『それは申し訳ありません。計画が破綻……というより、予定が早まってしまいまして。のちほど、改めて我が国にご招待させて頂きますよ。そのときにまた色々と取り決めをしましょう』
カインの言葉に、バルバロッサは今度は素直に頷いた。
「海賊にして貴族だっていう、私の言葉を真に受けた奴も初めてだよ」
そう続けてにやりと笑う。
一番にそう告げた彼女に、カインは一言「わかりました」とだけ答えた。カインにとってはマドラスの文化に触れるのは初めてだったし、相手の言葉を受け止めただけだ。だがそれはバルバロッサにとって意外なことだったのである。
「マドラスの文化はあまり理解されないからな。改めて、寛大な処置に感謝致します――カイン陛下」
『……会うのを愉しみにしていますよ、バルバロッサ・バルボア嬢』
それで話がつき、バルバロッサは後ろを振り向いた。
クリストファーとフランクを放置し、ミミズパスタを手に瑠璃に迫るブラッドガルドを、勇者と魔術師が止めようとしている不可解な情景が目に入った。
「……うん?」
どう突っ込むべきか考えた途端、その異様な気配は急激に大きくなった。
ブラッドガルドが瑠璃に迫る手を止め、陰鬱な表情で振り返った。眉間に皺を寄せ、あからさまな舌打ちをする。次にリクとアンジェリカが同時に何かに気付いた。
「えっ。なに? どうしたの?」
理解していないのは瑠璃だけだった。
どこか遠くから、ざあざあと雨の降るような音がする。それが次第に近づいてくると、滝の近くにいるような音に変わった。いずれにせよ水の音が近づいてきていた。パネル越しのカインでさえ目を丸くし、立ち上がって胸に手を当てた。瑠璃以外の誰もが、やってくるのが原初の精霊たちの一柱だということが理解していた。
やがて部屋の中央にどこからともなく水が出現した。しゅるりと円を描くように現れたそれは空中に留まったまま、水量を増しながら水の玉になっていく。肥大化していく玉の中央から、水に濡れた白い手が姿を現した。その先に、透き通るような長い銀の髪が、水と同化しながら揺れていた。青い瞳が開き、蒼翡翠のドレスのようなワンピースが揺れる。もう片方の手は堅く握られていて、白い光のようなものが小さな風のように渦巻いていた。
「チェルシィリア……様……」
バルバロッサの言葉に、影から解放されたクリストファーとフランクが反射的に膝をついた。海を根城にする海賊達にとって、水の精霊は海の神そのもの。その神が目の前に現れたとなれば当然の事だ。
だがブラッドガルドは膨れ上がった魔力を隠すこともなく、相対するようにチェルシィリアの前に立った。
「……魚女め。何故出てきた」
「出てきては不都合だったかしら。ブラッドガルド」
「狭いだろうが殺すぞ」
「えっ」
さすがに想像の範囲外だったのか、素の声がした。
それからチェルシィリアは辺りを見回す。
そもそもが瑠璃の他にリクとアンジェリカ、そこに加えて海賊が三人もいる時点で、既に会議みたいな状態だ。そこにブラッドガルドのでかい図体と、更に水の精霊まで増えた。人間が集うには普通だが、この世界を作った精霊が二柱いるには、不釣り合いな部屋である。
「えっ……なにここ……、狭っ……」
「なら何故わざわざ出てきた。バカなのか?」
当然のことを突っ込むブラッドガルド。
「……どうしてこんなに狭い部屋に集まってるの……」
「我に聞くな。人間どもに言え」
「なんで……?」
――なんだこの微妙に頭の悪い会話……!?
思わず瑠璃がそう思ってしまう程度にはズレた会話だったが、ほかの異世界人たちと、リクにとっては理解しやすい会話だった。
そもそもチェルシィリアはブラッドガルドのいる場所を目指して降臨したのだ――という事が理解できなければ無理だった。そして、そのブラッドガルドがこんな普通の部屋にいるとは誰も思わないのだ。本来であれば、暗く沈んだ場所から出てこない類の魔人だ。人間ですら、なんでこんなわざわざ狭い部屋に出てくるんだと思うほど。精霊であれば尚更だろう。
「大体ブラッドガルドのせいだな……」
「そうね……」
「おい、我が何をした」
「何もしてないけど、ここにいるだけで不自然なのよアンタ」
少し前であれば港街の建物の中の部屋にいる事なんて想像もつかなかっただろう。
「だが確かに狭い。どうにかしろ人間ども」
「お前が言うなよ」
「自分一柱だけ関係無いですみたいな面するのやめてくれない?」
「あ?」
端から見れば勇者と一触即発の空気感でしかない。
そこへ、ひらめいたという表情で瑠璃が目を輝かせた。
「じゃあブラッド君ちょっとちっちゃい猫とかになってよ! 私が抱えとくから!」
「殺すぞ小娘」
「ブラッド君、ただでさえでかいから場所とってんだよ」
「部屋をなんとかしろ間抜け」
輪をかけて脳天気な会話に、チェルシィリアは困惑の極みにあった。
「なんなの。ブラッドガルドはその子に何か弱みでも握られてるの?」
「ブラッド君はつぶあんが苦手って話かな?」
「それは単なる食い物の好みだしドヤ顔で言うことでもないからな」
リクからのツッコミにますます困惑は深まった。
「それより、ええと……、チェルシィリア様。あの、もしかして……。その手にあるのは……」
そんなチェルシィリアに、アンジェリカが何か確信を持った表情で尋ねた。
彼女の手はいまだ硬く握られたままだったが、そこから感じる気配はどこか親しいものを感じたのだ。いまそこにあるものを、確かによく知っている。
「え、ええそうよ。ここにあるのはセラフの欠片。ブラッドガルドが何かしようものなら呼びだそうかと……」
「狭い部屋がもっと狭くならない!!?!?」
「これ以上増やしてみろ、殺すぞ」
瑠璃のツッコミに便乗する形で、セラフの呼び出しを回避するブラッドガルド。
「セラフの……欠片……!?」
「待ってリク!! わかるけどいまは我慢して!!」
「そうだぞ勇者。貴様の狭い部屋好きの性癖に付き合う義理は無い」
「誤解を招くような事を言うなよ!? ってかお前はセラフに会いたくないだけだろ!!?」
もはや収拾のつかなくなってきた惨状に、誰もが諦めかけたその時だった。
『……あの。少々よろしいですか』
不意に聞こえた声に、全員が其方を見た。
パネルの向こうのカインが、真面目な顔で此方を見ていた。
『チェルシィリア様。このような場所から失礼致します。僕の名はカイン・ル・ヴァルカニア。“小さな庭”ヴァルカニアの王に御座います』
全員が黙ってその言葉を聞いている。
「ヴァルカニアのカイン。噂は聞いているわ。ブラッドガルドから地上を取り返した……」
カインは一度頭を下げてから続けた。
『そのような場ではなかなか話がし難いでしょう。他の人間も、現状では落ち着いて話ができないとお見受け致しました』
「……」
『よろしければ我が国をお使いください。二日もあれば、相応しい部屋をご用意致しましょう。何卒、ここは一旦引いていただけると』
「……なるほど。人の子の王よ。心遣いに感謝します」
『セラフ様を再びお呼び出しすることも可能でしょう。そうすれば――おそらく、都合も良いかと』
「都合が良い? なんです、それは」
チェルシィリアの疑問に、カインは少しだけ答えにくそうに視線を泳がせてから言った。
『実を言うと、いまここにアズラーン様がいまして……』
その衝撃的な発言に、その場にいた者たちは全員立ちくらみを起こした。
瑠璃とブラッドガルドを除いて。
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