挿話45 しばしの休息
瑠璃の部屋の扉が、中側から開かれる。
「お~~」
扉の向こうに続く居間を見ると、瑠璃は思わず声をあげた。顔を綻ばせると、見慣れたソファに転がり仰向けになった。両腕両足をぐんと伸ばす。
「なんか久々に帰ってきた気がする~~!」
その背後からゆっくりと近寄ってきたブラッドガルドが、眉間に皺を寄せた。
「どけ小娘。そこは我の座だ」
「人んちのソファを自分の椅子扱いするなよ」
しかも別に高級家具というわけでもない。
瑠璃は上半身を起こしつつ、ふとあることに気がつく。
「あれっ、お母さんたちの記憶の改ざんってもうやったんだっけ?」
「やってやっただろうが。しっかりしろ」
久々とは言ったが、実際には一度帰ってきている。
たどり着いた港町でリクに捕獲されたあと、数日寝込んで体力を回復させてから船長と再会し、そうかと思えば数日後にはヴァルカニアで会議をすることになっていた。そのわずかな間に現代に戻り、ブラッドガルドに責任をとらせる形で記憶の改ざんをしてもらった。ブラッドガルドは渋々だったが、そうしないと今後円滑にお菓子を持ってこられない――かもしれないという事実の前に、選択肢は実質無かった。
瑠璃は指先をこめかみに当てつつうなる。
「うぬぬ……なんか帰ってきてからもいろいろありすぎて、何をやって何をやってないのかがいまいち……」
「ふん。そんなことで混乱を来すとは、貴様の脳味噌も相変わらず羽虫以下だな」
「半分は誰のせいだと思ってんだよ」
それからようやくソファから立ち上がると、その隙にブラッドガルドがソファを占拠した。キッチンに向かった瑠璃を見ることもなく、どっかりと座って足を組む。その影から伸びた蛇が手の形をとり、テーブルに置かれたリモコンに伸びた。影の手がテレビの電源を入れ、いくつかチャンネルを変えていく。その間に、他の影の手が今度は映画のディスクを漁りだした。怪獣王のデザインされたパッケージの中から最新作を見つけ出すと、勝手にセットしていく。
「ブラッド君なんか食べるー? 久々にカップラーメン食べたくてさー。味噌味でいい? 二個あるし」
手洗いとうがいを済ませた瑠璃が、対面型キッチンから叫ぶ。
腕組みをして画面を眺めているブラッドガルドの代わりに、影蛇たちが頷いた。
「ん。じゃあ待ってて」
電気ポットのお湯をカップ麺に注ぐ作業を終える頃には、既に映画の冒頭が流れていた。
「もう見てるじゃん」
テーブルにカップ麺を二つ置きつつ、瑠璃は言った。ブラッドガルドがど真ん中でソファを占有しているので、テーブルとソファの間に腰を下ろす。瑠璃は映画に目をやりつつ、三分経つのを待っている影蛇の頭を撫でたり、自分の影から出てきたヨナルをクッション代わりに膝に抱えた。
タイマーが鳴ると、影の手がカップ麺を掴んでブラッドガルドに差し出した。こういう時は影の手よりも自分の手でやった方がいいらしい。カップ麺を食べながらしばらく映画を見ていたが、不意にブラッドガルドが口を開いた。
「……ところで貴様。さっき妙な事を言っていたな」
「え? どの話?」
急に話を振られたのもあるが、あまりに唐突すぎてどこからの話なのかわからない。
「あの沼女の話だ」
沼女と言われても、瑠璃は一瞬理解ができなかった。
カップ麺をすすってから少し考える。
「えっと……、最初の女神様がワニみたいだって話?」
「それだ」
「いっこ聞きたいんだけどあれ本当に女神さまなの?」
「女神だ」
他でもない神の一種に肯定されてしまっては、それ以上ツッコミの仕様もない。
「えー……それで、なに?」
「いや。」
「似てるっていうか、造形というかね。どっちかっていうと沼地に出てくるワニ系のモンスターだけど」
「ふん。なるほど。ドラゴンは架空の生き物だというのに、アレらしきものはいるのか」
つくづくわけのわからない世界だ、とブラッドガルドは現代を評した。
けれども彼は、わけのわからないことがたくさんある世界を楽しんでいるようだった。それを感じ取った瑠璃も嬉しくなる。
「今度見てみる? サメに次いでよくわかんないところに引っ張り出される生物だよ」
「そうか。出来はよくわかった」
「そういうこと言うなよ! まだわかんないだろ!!」
画面の中の怪獣王が声をあげている。
「あと蛇とかの映画もあるはず」
「……」
「なんで!?」
あからさまに微妙な顔をするブラッドガルドに、瑠璃は叫んだ。
「そういえばさあ、話変えていい?」
「なんだ我は王を見ているのだ殺すぞ」
「先に話しかけてきたのブラッド君じゃん!?」
「何だ。さっさと言え」
「結局、何すればいいの?」
瑠璃が尋ねると、ブラッドガルドは今度こそ微妙な顔をして見下ろした。
「貴様、話を聞いていたのか」
「そういうブラッド君だって話聞いてた?」
「当たり前だ」
まるで聞いていないように見えたので、しれっと返された瑠璃は言葉を失う。返事をする代わりに味噌味のスープを少しだけ飲んでから聞いた。
「えー……じゃあ、なに? みんなそれぞれ何すんの?」
「あのアホどもはどうせ自分の代理の後ろに隠れるだけだ」
「代理?」
「奴らの言い分によると――この世界は既に、世界から生まれた精霊や人間どもや魔物のモノ、ということらしい。自分たちは本当にどうしようもなくなった時に出てこればいいと」
そのどうしようもなくなった時、というのが、原初の女神の出現らしい。
ブラッドガルドの眉間に皺が寄っていくのを見ながら、瑠璃はなんとなく頷いた。
「なんか今更だけど、なんでブラッド君が他の三人のこと嫌いなのかわかった気がする」
「ほう。言ってみろ」
「世界を後進に譲りたい三人と、絶対に譲らないマンみたいな……」
「……言い方は非常に気に食わんが、大体そういうことだ」
一億歩ぐらい譲って、ブラッドガルドは瑠璃の言葉を肯定した。
「セラフさんは先に寝ちゃった二人よりももうちょっと人に甘い気がするけどね」
「アレは阿呆なだけだ」
ブラッドガルドはそう言うと、味噌スープを飲み干した。空になったカップに箸を入れ、近くでゆらゆらと揺れているヨナルにカップを差し出す。ヨナルはカップ麺を口でくわえると、テーブルに置いた。
「最終目的はちゃんとわかってるよ。あのワニさんをどうにかするんでしょ」
「理解しているではないか」
「わかってるけど、具体的に何するんだろう的な……。封印の場所くらい覚えてるでしょ?」
「愚問だな。『どこ』というのがはっきりしないから苦労しているのだ。それは我らもそうだが――おそらくは蘇らせようとしている者どもも同じだろう。しかも向こうの方が進んでいると見える」
「そういうもの?」
瑠璃の感覚では、はっきりとした封印の場所というのがあって、そこに封印されているのだとばかり思っていた。だがいまの口ぶりからすると違うらしい。
「力のぶつかる場所はあるが、はっきり『どこ』というのは無い。強いて言うなら世界そのものに封印している、という状況だからな」
「強いて言うならの規模がでかすぎる」
「それに、聞いただろう。魔力の残骸は各地に散らばっている。ということは、封印を解く一大拠点があるわけではないだろう。中心地はあるだろうが、そこに居を構えているかは別だからな。更に人間どもの作った遺跡や宗教なんかで更に細かく分散していると、かなり面倒だな」
映画を見ながらここまでしゃべるのはなかなか珍しいことだった。
しかも流れているのは新作映画なのである。
「だから、ヴァルカニアの小僧を中心に――土塊と魚女はそれぞれが自陣営の者どもをけしかけて、周囲の遺跡や邪教の類を細かく潰しておく」
「ほうほう」
「忌々しいが、勇者は神を殺せる力を持っているからな。間に合わなければ奴の出番だ」
「ブラッド君は?」
「ふん。我があれだけの事で手を貸すと思ったか」
「ブラッド君は?」
「何故もう一度聞いた?」
絶対に譲らない意思がぶつかり合った。
「ところでさ」
「なんだ」
「私は何すればいいの」
瑠璃が尋ねると、ブラッドガルドは魔力の無い役立たずを馬鹿にするような目で見下ろした。というより実際馬鹿にされていた。
「脳味噌にとうとう蛆でも湧いたか」
「なんだよ!!?!?」
「貴様ごときが何かできると思ったのか」
「うぬぬ……」
それを言われると困る。
そもそもがブラッドガルドは邪神とはいえ神の一柱だし、何か起きたとしても対処できないことはない。
アズラーンも直接手は下さないにしろ、その庇護のもとにある草原と砂漠地帯の人々に協力を仰げるだろう。チェルシィリアも同様だ。彼女にはマドラスの人々に協力を仰げる信仰がある。チェルシィリアは実際、バルバロッサを仲介役に指定しているのを見た。
そしてセラフはいわずもがな。既に一大勢力である教会があるし、更に言うなら彼女はリクに力を与えている。
リクは力を持っていて、なおかつあの世界の人間ではない。つまり、あの世界の人々が持つある種の根源的な恐怖――神殺しへの抵抗感を感じないまま、神殺しを行うことができる。原初の女神が復活してしまった際の究極の切り札と言っていい。リクの仲間たちも、そのサポートに回れる。
では自分は――となると、できることはほとんど無い。
向こうの世界に住んでいるわけでもなければ、何か頭が働くわけでもない。
「……か、カイン君に印刷用紙持ってくぐらいしか浮かばない……!!」
「貴様、いつか鳥女に刺されそうだな」
積極的に現代日本のものを取り入れていくスタイルのブラッドガルドに言われたくないし、その事実にセラフが卒倒しかかったので間違ってはない。
「そうだな。貴様は我に菓子でも持ってくるのが似合いだ」
「それいままでと変わんないじゃん」
どさくさまぎれに甘いものをねだられても困る。
「変わらなくはない。我が魔力が回復すれば世界を手中にできる」
「せめて本音は隠してくれない?」
「我が魔力が回復すれば世界を救える」
「うん」
まったく心のこもっていない説明だったが、ひとまずはそれでよしとしておいた。
ブラッドガルドの目線が再び映画に向いたあたりで、瑠璃は食べ終わったカップをテーブルに置いた。
「ところで、映画見るのにリク呼ばなくて良かったの?」
「奴は後で呼ぶ。貴様が押しつけられた、腐肉と魚類を煮詰めて腐らせたような『ゾンビvsマーマン帝国』を一週間見せ続ける」
「リクの精神力が試されてる!!!!」
「我が言うのもなんだが友は選べ殺すぞ」
今日イチでブラッドガルドの怒りのようなものを感じながら、瑠璃はうめいた。
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