挿話39 アズラーン、再来す
「――そうですか」
報告が終わると、カインは安堵のため息をついた。
目の前には水晶パネル。映し出されているのは、派遣した騎士団を筆頭に、リクとアンジェリカだ。
「特に問題無く成し遂げられたようで、何よりです」
『ええ。改めて、陛下のご協力に感謝致しますわ。ですが、陛下の大事な臣民に奴隷の真似をさせるなど、誠に……』
「いいえ。彼らも承知したことです。これ以上は何もありませんよ」
『重ね重ね、御礼申し上げます』
「様子はどうです?」
『今は大人しくしていますわ――全員。”海賊達”は、一人残らず』
アンジェリカの物言いに、カインは言外に状況を理解した。
全員と海賊達と言葉を分けた理由はたったひとつだ。全員という言葉には、海賊以外の人間がひとり含まれている。
『それと、船長の治療が終われば、”海賊達”も尋問に応じるでしょう』
「……そうですか。それでは、”海賊達”は自分達の目的等はまだ言っていないんですね?」
『ええ。”海賊達からは”、聞けませんでした』
「なるほど。わかりました」
カインは言葉少なに頷いた。
僅かな言葉の切れ目によって、情報を交換する。
そのたったひとりが、海賊ではないと自分達が知っている――そのことに気付かれてはならない。
「改めて、勇者リク殿、並びにアンジェリカ殿。お疲れ様でした」
『ああ、此方こそ協力に感謝する』
隣でリクが顔をあげた。
「ではお二人とも、先に下がって良いですよ。明日からも忙しいでしょうから。ゆっくりお休みになってください」
『はっ』
『失礼致します』
二人が頭を下げてから踵を返すのを見送り、カインは視線を戻した。
「騎士団の皆もお疲れ様でした。グレックは残りの報告をお願いします。あとの者は先に下がってください。まだ気が抜けないと思いますが、きちんと休むこと」
『はっ。ありがたきお言葉』
グレックが立ち上がると、後ろに控えた騎士団へと踵を返す。
『では、陛下のお心遣いに感謝し、交代する者はちゃんと体を休めよ。解散!』
『はっ!』
背後の者たちは一度だけ頭を下げると、全員が規則正しく立ち上がり、踵を返した。一人ずつきちんと部屋から出て行き、カインはそれを見送った。
部屋から誰の気配もなくなると、グレックはふうっと息を吐き出した。
「だいぶサマになってきましたよね」
カインが独り言のように言うと、グレックは何とも言えない表情で頭を掻いた。
『人生何があるかわからんもんだ』
「まったくですね」
それはカインも大いに同意するところだった。
人生、何があるのかわからない。特にヴァルカニアの国民は、それを経験した者がまだ大半を占めている。
『――しかし、良かったのか? 奴らは』
「何がです?」
『勇者達だって、自分のとこで捕獲しようと思えば出来たんじゃねぇのか』
具体的に何の事、とグレックは言わなかった。たったそれだけの事で、いまはなんの事か通じてしまう。
「おそらく彼らも、此方で引き取るのが都合がいいと思われたのでしょう」
『ふうん? そういうもんかね』
「ええ。リクさんにはリクさんたちなりの考えがあるんでしょうから。――それに、僕らだって勇者殿と仲良くしておいて損はありませんからね」
『ま、そりゃそうだな』
グレックは鼻で笑うように言った。
この港の人々も――少なくとも、表面上はヴァルカニアの騎士団を受け入れたようだった。勇者が信頼を置いているという事実だけで充分だったのだ。
それもあってか、亜人が国に仕えて騎士団をしているというややイレギュラーな事実も、戸惑いがちに受け入れられたようだ。そもそもの人員不足と言えばそれまでだが、ヴァルカニアにおいては関係が無い。
『お互い上手く使えりゃあ、それでいいか』
「あの人達は信頼できますよ」
『そうかい』
返ってきたのはそれだけだった。
国王陛下の前でやるには不敬な欠伸をすると、グレックは何度か首を鳴らしてからパネルに向き直った。
『それでは陛下。報告は以上になりますが』
「ええ。お疲れ様でした。グレックさんもちゃんと休んでくださいね」
『おう。陛下もな』
最後はついうっかり言ってしまったらしく、あ、という言葉を最後に通信が切れた。カインは苦笑するように笑ってから、椅子に深く腰掛けた。背中を預ける。執務用の革張りの椅子が、軋んだ音を立てる。
「ふう……」
安堵のため息が漏れた。
――ルリさんが無事で良かった……。
一時はどうなることかと思った。
瑠璃がどういうわけだか海に放り出され、海賊に捕まったと聞いた時は肝が冷えた。彼女が自分から言うことはないと思うが、宵闇の魔女その人とわかればどうなるか想像もしたくなかった。
少なくとも海賊達はそのままヴァルカニアを目指そうなどとしなかっただろうし、瑠璃の身が奪還されるような真似はしなかっただろう。下手をすれば迷宮戦争のような、世界を巻き込んだ争いが起きかねなかった。
リクとアンジェリカがいたことも幸運だった。
海賊達の接近に気付いた勇者が、たまたま滞在していたヴァルカニアの王に助力を求めた。助力を求められたカインは騎士団を動かし、商人として潜り込んだ彼らが勇者の補佐をする――ほとんど突貫工事のシナリオだったが、うまくいったようだ。
――いや、海賊達の尋問はこれからだけど。
瑠璃の保護という最初の目的は果たされた。そのせいか、何もかもが終わったような気になってしまっている。これではいけない、とカインは気を引き締めようとする。
「……宵闇の魔女、か……」
思わずというように、ぽつりと呟いた。
我知らず、宙を彷徨う視線はぼうっとしていた。静かな時間が流れる。一瞬のような時間が、とてつもなく長い時間のように感じられた。
そのとき、気が抜けたように彷徨っていた視線に、不意に緊張感が走った。
「……っ」
内側から、何かが駆け上がってくるのを感じた。心臓がどくんと脈打つ。
背後の窓は開いていて、カーテンが風もないのに揺れている。そこにいる人影はほとんど人間と変わらない身長なのに、まるで巨人が立っているかのようだ。カインはゆっくりと視線を向けた。
見覚えのある色がそこにあった。
美しい黒髪だったが、リクや瑠璃のそれとは少し違う。どことなく人間離れした色だ。足首まである白い貫頭衣に、細い革バンドの靴。奴隷の服には違いないが、高貴さを兼ね備えた態度は、王の側にいても遜色ない。
否、彼自身がまた王であるかのようだ。
「……アズラーン……様……」
「アズでいいよ。楽にしてくれていいさ」
そこにいたのは、間違いなく世界を作りし四柱の内の一柱、土の精霊アズラーンその人だった。
「君のところは無事なのかい?」
「無事……とは?」
思い当たるところがなく、困惑気味に聞き返す。
「おや。じゃあ大丈夫なのか。ブラッドガルドと魔女が、何やら得体の知れない遊びをしていたみたいでね」
「はあ……。遊び、ですか?」
「そうそう。何か知らないかい?」
「あの方が……、ブラッド公が魔女と一緒に何かするというのなら、おそらくチェスやカードなんかの本来の意味でのゲームだと思いますが……」
カインが進言すると、アズはしばらく額に手をやって考えるそぶりをする。
「……本気で言ってるかい?」
「本気です。というより、どうされたのですか」
ようやく尋ねることに成功したカインは、アズからかいつまんで要点だけを聞き出した。
なんでもアズはブラッドガルドを訪ねた折に、魔女とともに地上で妙なゲームをしていた――ということを仄めかされたのだという。それでアズラーンは一気にシバルバーから地上へ舞い戻り、いろいろと情報収集をしていた。だが、それらしい魔力も壊されたようなものもなく、真意がわからずにいたのだという。
カインはしばらくその話を聞いていたが、話が進むにつれて眉間に皺が寄せられ、どう説明すべきかを苦慮して苦い顔になった。
「多分ですけどそれ、嘘ではない代わりに本当の事もおっしゃってないですよ……」
「は?」
「おそらく、そういうゲームをしていたのでしょう。けれどもあの方がおっしゃれば、人はたやすく現実の舞台が汚されたのだと思ってしまう――それをあの方は知っていらっしゃるのです。まあ、つまり、その、からかわれただけかと……」
言いにくいことだったが、言わねばならなかった。
少なくともブラッドガルドに振り回されている精霊を説得するには、はっきりと言ってしまうしかなかったからである。
アズは瞬きをしながらそれを聞いていた。無言の時間が流れる。
ここまで振り回されたのなら、さすがに怒るのではないだろうか。
「あの、アズさん」
「あっははははははは!!」
突然爆笑しはじめたアズに、カインはびくっと肩を跳ねさせた。
「あ……あのう?」
「いや傑作だよ!! これが笑わずにいられるかい!?」
あまりにも愉快げに笑うものだから、逆に呆気にとられてしまった。
「だってそもそも、あんな聞き分けのない、何か言ったら百倍増しで炎でぶん殴ってくるような男がだよ!? ゲーム……」
「……そ、それはちょっと思いますけど」
「ますます興味深いね、宵闇の魔女。いったい何をどんな風に躾けたらそんな芸当が出来るんだい?」
アズはカインに問うた。
目を見る限り、本気で尋ねているようだった。
どう説明すべきか、カインは僅かに眉間に皺を寄せる。
「……そこはもう、お二人にしかわからない何かがあったのでしょう」
ふむ、とアズはカインの様子を見て考えるそぶりを見せた。
「じゃあ、まず聞き方を変えよう。『宵闇の魔女』とは、君たちの形勢する社会ではいまどういう扱いなんだい?」
「……」
「大丈夫大丈夫。ザフィルには言わないよ。おっと、もちろん他の王にもね」
アズはそれから付け加える。
「僕は、この世界を作った『神』として、彼の変化を喜びもしているし、戸惑ってもいるんだ。僕らは永遠に変わらないものだからね」
だからブラッドガルドも変わらなかった。
変わらないのがわかっているからこそ、無理矢理にでも何とかする必要があった。だが、ブラッドガルドはあろうことか、古い皮を脱ぎ捨ててしまったのだ。
そこには、魔女が関わっている。宵闇の魔女と呼ばれる、誰も知らない魔女が。
「……だから、魔女とは、いかなる人間なのだろうかとね」
カインは少しだけ考えたのち、
結局はここで何も言わずとも、いずれ耳に入ることだ。
「……そうですね。ほとんど国家機密です」
「へえ?」
「巫女、あるいは魔女など――名称は様々で、立場や国によってどの程度知識があるかも異なるでしょう。しかしおおむね、『唯一ブラッドガルドに仲立ちができる人物』……という所は一致していると思われます」
「……続けて」
「どうしてそのような間柄になったのか、僕にも実はよくわかりません。むしろ、それこそ魔女本人にお会いしてみるほうが良いかと」
「ふうん? 話によると、弱り切ったブラッドガルドをきちんと神のように扱った――ということだけど――」
アズはそこまで言って、カインの顔を見た。そして言葉を止めた。何しろそのときのカインの顔は、「えっ、あれで?」と言いたげな複雑な感情が前面に押し出されていていたからだ。さすがのアズも、カインがそこまで隠しきれない何かがあるとは思ってもみなかった。
「……ええと。カイン君は、ブラッドガルドと魔女を何だと思う?」
「あー……いえ……。その、こう言うとブラッド公本人に怒られそうなのですが」
そう前置きしてから言う。
「単に、ご友人では?」
「は?」
「ブラッド公は奴隷と言い張っておりますが」
一応そう言っておくが、明らかに奴隷に対する態度ではないとカインは思った。
「少なくとも魔女は――ルリさんの方は、ブラッド公の事を友人だと思っているでしょうね。そう理解してみると、納得ができると思います。相手が相手ですから信じがたいですが」
「えー……?」
先程とは打って変わって、アズのほうが「何言ってんだこいつ?」という表情を隠しきれていなかった。
「……確かに周囲から見ると不思議でしょうね。ただ、彼女には邪気がない。勇者殿と同じように、ブラッドガルドを恐れない」
「――」
何か感じるものがあったのか、アズは僅かに目を細めて真剣味を増した。
「ブラッド公が弱っていたのもタイミングとしては良かったのでしょう」
暗い牢獄で、ただの人間と築かれた僅かな絆。
それはまだ離れることなく、ブラッドガルドから壊されてもいない。
黙って聞いているアズに、カインは視線を向けた。
「ええと、真実味はないかもしれませんが……」
「……いや、いまの話を聞いて、多少の希望が出てきたよ」
「どういうことです?」
「……僕らは精霊だ。何も変わらない。変わるはずがないんだ」
続きを促すように、カインは無言のままアズを見る。
「かつて――彼が世界を欲したときも、そうだった。増長した彼を大人しくさせるには、炎を無理矢理引き剥がすしか方法はなかった」
まるでつい数年前の出来事のように、アズは言う。
「炎の精霊にとって、炎とは自分自身。僕ら精霊にとっては、存在そのものなんだ」
もしもカインが、王という立場を失っても、カインはカインだ。
あるいはカインという名を失ったとしても、名を失うだけであり、自分の体そのものが別の人間に変化してしまうことはない。
だが神は、精霊は違う。
「それ自体は自業自得というか、因果応報だよ。自分を分け与える代わりに、生贄どころか世界を要求したんだから。風の彼女だけじゃなく、一歩間違えれば、僕や蒼翡翠の彼女だってもういちど世界に出て行かざるをえない所だった」
懐かしく語るように言う彼に、カインはぞっとした。
一柱の精霊相手に、三柱の精霊が現れる。しかもそのうちの二柱は、既に世界を預けて溶けてしまっていた精霊だ。
「それにほら、空っぽになったあとも『迷宮の主』として自分を定義付けして、その存在を保っただろう? だから今度は『迷宮の主』に固執したんだよ。例え自分の存在そのものが、零落しようとも」
「なるほど……?」
「ま、その頃の癖は抜けてないんだろうけど。いまは闇の精霊なのか、魔王なのか、邪神なのか知らないけど、彼はきっと自分を定義している。そして、その中に人間の救助は入っていない……」
最後のつぶやきのような言葉に、カインは耳を疑った。
妙に胸騒ぎを覚える。
――……なんだ? 当然のことだっていうのに。
ブラッドガルドにとって、人間はきっと娯楽のようなものだ。
例え魔女を取り合って人間達のあいだで争いが起きるのなら、ブラッドガルドは間違いなくそれを楽しむだろう。ただ、争いを止める為に魔女が死ぬような事態があれば、牙を剥く。そうでなければ人間たちの愚かさを笑い飛ばして、瑠璃が翻弄される様子すら楽しんでしまうに違いない。そしてその騒動は、娯楽としてあっという間に消費されてしまうのだ。
「だから僕達は、本当に困っていたんだ」
アズは、期待するような声で言った。
「もしかしたら、これでやりやすくなるかもしれない。彼が少しでも、この世界を……惜しいと思ってくれているのなら……」
その視線は窓の外に向けられていた。
広がるのはヴァルカニアの領地だが、アズが見ているのはきっとそれよりももっと広い場所に違いなかった。
カインは相変わらず高鳴る心臓を抑えるように、言葉を選んで尋ねた。
「……あなた方がブラッド公の所へやってきたのは、かのお方の変化を見定めるだけではなかったのですね。魔女の正体を見極める為だけでもない。もっと、僕らにとっても大事な、無視できない事態が起きているのではないですか」
内側からこみ上げてくる畏怖は、敬意でもある。
カインは臆せず、王として、人間として、尋ねなければならなかった。
アズはゆっくりと振り返り、カインを射抜くように見た。
「……”いま”の僕達は、かつてのような力は失われている。だから、まだはっきりとした事は言えない」
「……」
「でも、わかることはある。――かつて僕らが四人がかりで封じた原初の女神が、何者かによって目覚めさせられようとしている、とね」
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