74-16話 確保・収容・捕獲

 ブラッドガルドが通信を切ったあと、その目線だけが鋭く横を見た。

 その彼めがけて、唐突に水の柱が殺到する。構わずゆっくりと振り向こうとする直前に、水は手の形を取った。振り向いたブラッドガルドの首を掴むと、そのまま壁に叩きつけた。背中の痛みに僅かばかりに顔を顰めてから、ゆっくりと目を開く。

 だが震えていたのはブラッドガルドではなく、手を伸ばし、水の玉をいくつも周囲に浮かせた女のほうだった。


「……何を、したの……」


 理解が出来ない。そんな困惑が乗せられた、なんとか絞り出すような声だった。


「どうして、手を、貸したの」

「そりゃあ、乞われたからに他ならんだろう」


 ブラッドガルドは今にも笑いそうなほどに目を細めて、自由である手で、その水の手を掴んだ。


「だけどこれは! 私とお前の賭け。そこに介入するなど」

「奴は対価を払うと言った。そして我はそれに応えた――それだけだ。使えるモノは我の力であろうと使う。そこに何の問題がある」


 ぐ、と力を込める。


「……ありえない。お前を復活させておくほどの力を持ちながら。……本当に、彼女は自分の魔力を使うつもりはないの?」

「言っただろうが。奴はどんな状況になろうとも、例え自分の死がかかっていようと、使と」


 あまりに愉快に口元を歪めて言うと、鼻で笑った。


「まあ――人間どもも、もう動き出しているからな」


 それだけ続けると、水の腕を引き千切った。形を失った水は音を立ててその場に飛び散り、床を濡らした。







 その頃、ヴァルカニアより北西部に位置する大森林を抜け、更に北西へと進んだ先。

 そこにはオストワルドという名の港街があった。近くで産出される白い岩を混ぜて作られた外壁が有名で、それが海によく映える。国というには小さすぎるが、街としては充分な規模の場所だ。漁業と水産加工、そして少々のワイン作りで成り立っていて、人口の半分以上を水夫が占めるような所である。

 かつてヴァルカニアを囲んで魔力嵐が吹き荒れていた時は、北西側の海沿いの迂回ルートにある中でも比較的栄えた街として認識されていた。そのため、冒険者の往来や、商人たちの逗留も珍しくなかった。


 その日も、港では何人もの水夫が多くの荷物を運んでいた。そのうちの一人が、魚がびっしりと入れられた木箱を運ぼうとしていたときだった。

 不意に、緑色の腕章をつけた屈強な手がそれを持ち上げた。


「な、なんだ……!?」


 見慣れないオーク亜人が荷物を運んで行くのに、水夫の一人が慌てて捕まえようとする。


「ああ。ありゃあオットーさんのところの奴隷さ。オットーさんのご厚意でな、ここらの荷物運びを手伝ってくれてんだ」

「へえ? その……オットーってのは何者なんだ?」

「二週間くらい前に来た新参の商人だよ。あの緑色の腕章が、オットーの所の証明なんだとさ」


 オットーという男は、変わった男だった。

 頭に緑とオレンジのバンダナを巻き、どこの出身かよくわからないまま街にやってきた。

 商人だとは言うが、引き連れているのは水夫どころか冒険者にも負けず劣らずの訓練されきった男達だった。護衛を兼ねているらしい。自身も腕に覚えはあるらしく、本当に商人かどうかも微妙に怪しいくらい。だがその割に、多少の礼儀は知っている。そんな人物だった。

 とはいえ、ここでは一人、二人変わった商人がいたところでそうそう目立つものではない。護衛なのか奉公人なのか微妙なオレンジ色の腕章をつけた男達を引き連れて、街を練り歩く事もそう珍しい事ではない。彼の変わった所といえば、奴隷もある程度自由にさせていた事だった。緑色の腕章をした奴隷達――その全員が亜人だった――は、水夫達を手伝ったり、街の女達の代わりに子供の相手をする者までいた。その様子に他の商人たちも感嘆したものである。中には譲ってくれと頼んだ者もいたようだが、それに関しては頑として譲らず、ことごとく断っていた。奴隷達もまた腕に覚えがあるらしく、無理矢理に抑え込もうとしても逆にするりと交わされてしまう始末だった。最初は物珍しげに見ていた人々も、次第に悪い奴ではないらしい、という評価に落ち着いた。

 そうして、彼らの存在も日常に取り込まれようとしていた矢先のことだった。


 いつものように、港街で作業をしていた水夫達が、ふと顔をあげた。海の向こうのほうで、見慣れない船が漂っていることに気が付いた。

 最初は気にも留めなかったが、やがて港に向かって近づいてくるに従い、その異様さに目を疑った。


「なんだ? あの船……」

「見た事無い船だな。どこの船だ?」

「……海賊……」


 誰かが呟いたとき、船から大砲が発射された。それは放物線を描いて次第に大きくなり、港街に激突した。


「海賊だ!」


 所々、何かしらの攻撃を受けたような損傷があるが、確かに海賊船だった。

 その一撃で一気にパニックが広がり、更に二発目が港に着地した時には、張ってあったテントが壊れて声が上がった。戦えない水夫達が声をあげながらおろおろと海から逃げ出していく。

 その隙をついて、小型のボートで港に近づいてきた海賊達が上陸する。


「悪ィなあ! こっちも切羽詰まっててよォ!」

「大人しくしてれば命までは取らないが、さもなくば……!」


 どことなく傷ついた者たちばかりの印象だったが、海賊の襲来という事実に街の人々は震えた。

 ここしばらくは、海賊の被害になどあったこともなかった。居ることは知っていても、自分たちの周囲ではその気配は微塵もなかった。街の警備を担当する者たちも、ほとんどは水夫たちのいざこざを解決するのが目的だ。

 港の管理事務所から出てきた初老の男に、水夫達が声をかける。


「長! 海賊です! た、戦いますか!?」

「慌てるな。女子供は高台へ避難させ、男達は奥へ行かせないようにせよ」

「そ、それでいいんですか?」

「あとは――彼らに任せよう」

「彼ら?」

「そうだ。……なによりもいまここには、あのお方がいる」


 長が見守るように目を港へやる。

 逃げ遅れた水夫が殴られて転がされ、撃たれた弾によって木箱やテントに火がついた。あちこちで悲鳴があがり、港は阿鼻叫喚の嵐が巻き起こった。海から魔物が近づいてきた時ですら、これほどの騒ぎにはならなかった。

 護衛つきの商人でもあわあわとわけのわからないことを言いながら逃げだし、なんとか護衛たちが剣を突きつけて退路を作っている最中だった。


「おらあっ!」


 その場で突っ立っている緑とオレンジのバンダナを巻いた商人へ、海賊が斬り掛かった。だが海賊の剣がその身を貫く前に、オットーと呼ばれた商人はその後ろに回り込んだ。


「え?」


 次の瞬間には首の後ろを勢いよく叩かれ、海賊が小さな呻き声をあげて気を失って崩れ落ちた。


「てめぇ!」


 更に背後から斬り掛かってきた海賊の手をあっけなく掴む。踵で股間を蹴り上げると、ウッ、と小さく呻き声をあげた海賊を一本背負いして地面に叩きつけた。悶える海賊の腹に踵落としを決めてトドメをさしておき、別の角度から斬り掛かってきた海賊の剣を小さなナイフで受け止める。

 大立ち回りを繰り広げるオットーに対し、じりじりと隙をうかがっていた海賊が二人いた。その背後に、ぬっと緑の腕章をつけた手が迫る。二人が気が付く前に、唐突に亜人奴隷が両手で二人を掴んだ。海賊達は目を丸くして声をあげたが、反撃する暇も与えられないまま、二人の頭がかち合った。両手で勢いよくお互いの頭をぶつけられたのだ。目の前に星が飛び、目を回して気絶してしまった。


「ほらほら、マスター! よそ見しないでヨ! 危ないからネ!」

「おうおう、そっちは任せてんだから仕事しろよ!」


 海賊の腕を後ろに回して、関節技をキメたオットーがけたけた笑いながら言う。


「しょ、商人ごときがっ……!」

「悪いが、俺は商人じゃなくてな」


 勢いよく頭に結わえたバンダナを取り払う。


「ヴァルカニア騎士団、団長のグレックだ」

「ヴァ……ヴァルカニア!?」


 海賊達だけでなく、水夫もざわついた。

 その背後で、亜人奴隷の一人が海賊の剣を払いのけた。地面に金属音が鳴り響く。拾い上げようとする直前に、剣を足で踏みつける。慌てて体勢を立て直そうとした海賊の首に腕を引っかけると、たちまちに締め上げた。苦痛に顔を歪めて、なんとか腕を払いのけようとする海賊を楽々と締め付けつつ、自分も頭に巻いたターバンを取り払った。


「同じく! ヴァルカニア騎士団の獣人部隊第二隊長、ココだヨ!」


 亜人たちが奴隷ではなく、騎士団と名乗った事に水夫達が一番に驚いた。


「騎士団……!?」

「オットーさんが?」

「で、でも、どうしてヴァルカニアの騎士団が……?」


 ヴァルカニアが人間の手に取り戻された事は、風の噂で聞いていた。だが、この街と親交があった事実は一度として無い。オストワルドは国ではなかったし、そもそもまず出方をうかがっていたところだった。


「悪い悪い。俺が協力要請したんだ」


 その声とともに、顔の隠れた海賊を一人捕まえながら歩いてくる影があった。

 人々はやや警戒気味に、しかしその声に僅かに期待した。影のような人物が、ぐいっとフードを取り払う。

 黒い髪に、黒い瞳。まだ若い風貌の青年。

 その顔を知る者は少ないが、誰もがその存在は知っている。そして、彼を知る者たちは、その偉業と存在の大きさに、心の底から興奮した。


「お疲れ様で御座いましたな、勇者リク殿」


 僅かながら興奮した様子で頭を下げた街の長に、街人が沸いた。


「――リク様!?」

「なんだって!?」

「勇者様だ!」

「勇者!?」


 今度こそ歓声があがった。


「ほ、本物なんですか?」

「本物さ。わしは以前会ったことがある」


 街の長が出てきては、もはや誰もが信じないわけにはいかなかった。


「数週間前に勇者殿から話を聞いた時は驚いたさ」


 リクはある日突然、長の前に姿を現した。

 以前の冒険で旧知であった長は街をあげての歓迎を提案したが、リクはその前にとんでもないことを言い出したのだ。ヴァルカニア目当てに、海賊船がこの街に近づいてきているかもしれないこと。緊急事態であるため、当時滞在していたヴァルカニアに協力を要請したこと。そのため、この訪問はできるだけ穏便に、どこにも勘付かれないようにしておきたいこと。そして、騎士団は商人とその護衛や奴隷として街に潜み、ひっそりといつ海賊が来てもいいように警護につくこと――。

 街の長は驚き戦きながらも、勇者の言う事を信じた。


「ちょうどヴァルカニアに滞在してたんだ。そこで海賊がこっちに来るかもしれないって事を知ってな」


 リクはグレックを振り返る。


「改めて、カイン陛下と騎士団の協力に感謝するぜ。獣人隊にも奴隷に扮してもらって、悪かったな」

「ははん。いいってことよ。全員納得済みだ。勇者殿の役に立てて光栄だぜ?」


 騎士団というにはやけに豪快に、グレックは笑った。


 その光景の違和感を、誰も気にするものはいなかった。

 なにしろ目の前で繰り広げられたやりとり――勇者と、稀代の少年王の騎士団とのやりとりは、まさに物語を見ているような気になったからである。誰もが夢心地であり、誰もが現実感を失っていた。

 だから、どことなく芝居がかったような所があったとしても、誰も気に掛けなかったのである。


「そうだ。俺はまだ用事があるから、こいつも頼むぜ」


 勇者リクは近くにいた騎士団の一人に捕まえていた海賊を託す。


「はい。お任せあれ、勇者殿」


 顔の見えない海賊が引き渡されると、獣人隊の一人が頷いた。


「さあさあ、キミはこっちだ」


 そうして、捕まえた海賊をさっさとアジトに使っていた建物へと引っ立てていった。

 それから港では大捕物が始まった。勇者リクを筆頭に、ヴァルカニアの騎士団による大捕物だった。海賊達はあっという間に捕まり、船が遠のく前に、リクが港街から『飛んで』船に飛び乗った。

 そのたびに街人たちは声をあげ、未知の国であるヴァルカニアの騎士団達にも感謝と歓声をあげていた。


 そんな喧噪を余所に、こそこそと獣人隊の一人はリクから受け取った海賊を搬送していた。大捕物に戻ることなく、建物に入った亜人は、そのままひっそりとある部屋の中へと海賊を案内する。


「こちらです」


 廊下を通り、ややぴりぴりとした緊張感の漂う部屋へ入ると、ガタンと小さな音が立てられた。椅子から、金髪の少女が立ち上がったのだ。どこか心配したような様子の彼女は、連れて来られた海賊をしっかりと見つめた。

 亜人の手によって顔を隠したフードが取られると、その下からは薄汚れた顔の同じ年くらいの少女が顔を出した。青黒い髪に、黒い目。勇者と同じ色合いの少女だった。後ろに回していた手を離し、軽く汚れを払ってやる。


「ルリ!」


 アンジェリカが、少女の名を呼んだ。確かめるように彼女に近づき、その両手を掴んであちこちに視線をやる。


「大丈夫? どこも怪我とかしてない?」

「アンジェリカだ! アンジェリカもいる!」


 やや興奮したように、瑠璃は言った。まだ自分に何が起きているのか理解していないのか、きょろきょろとあたりを改めて見回す。


「てか、ここどこ!?」


 ややキレ気味の、しかし疲れ切った彼女を目の前にして、アンジェリカは大きく安堵の息を吐いた。


「なんかリクに捕獲されて! 後でヴァルカニアの騎士団に引き渡すから何も言わずに言うこと聞いてくれって……」

「お、落ち着いてルリ。静かに!」


 しぃっ、と声のトーンを落とすように促す。


「とにかくこれは現実で、貴女は助かって、いまはヴァルカニアの騎士団の方々に保護されてるのよ」

「……」


 瑠璃は改めて周囲を見回した。あたりにいる亜人も人間も、どこかで見たことのある者たちばかりで固められていた。


「……マジで言ってる?」

「マジで言ってるわ」


 そこでようやく瑠璃はなんとなく自分の現状を理解したのか、何度か瞬きをした。力が抜けたように緊張感が抜けていく。慌てて背後にいた騎士団員が、椅子を持ってきて座るように促した。瑠璃はそこに座り込み、テーブルにちょこんと手を乗せた。


「……お風呂入りたい……」

「そうね……。わかるわ」

「温泉だともっといい……」

「お……オンセン?」


 その肩に毛布が掛けられると、肩口の影からちょろちょろと影のような蛇が顔を出した。


「とにかく良かったわ、ルリ。……これで、作戦はひとまず成功ね」


 アンジェリカが言うと、周りの騎士団達が次々にぐっと親指を立てた。

 外ではまだ捕り物が続いているらしく、喧噪が聞こえてきていた。

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