74-15話 戦闘・救出・邪神の片鱗

「とりあえず逃げて逃げて!!」


 船の上から繰り出される風の刃から、瑠璃は退避する。

 とはいえ、あまり離れるのも考え物だ。ヨナルがどの程度の威力を出せるかはわからないが、少なくともブラッドガルドの威力と考えると、とんでもないことになる。直接パウロを攻撃すれば、船のほうが壊れかねない。

 ならば、まだカリュブディスに一撃食らわせる方がいい。


「しかしなあ、お嬢ちゃん。攻撃ったってどうすんだ?」

「え!? 駄目なの!?」

「たぶん……今は、駄目だ! 見てみろ!!」


 フランクが指さす方向へとなんとか視線を向けると、クリストファーの船があった。そこからカリュブディスに向かって大砲が何発も向けられていた。どうやらクリストファーの船の面々は、パウロ派の海賊達との戦闘をしながらも、カリュブディスに攻撃を仕掛けていたらしい。だがカリュブディスの外皮は硬く、しかもただでさえ海水の中に隠れている。そのうえ、カリュブディスの瞳は閉じ荒れていて、しかも巨大な爪のようなものがその周囲を守っている。


「狙うなら瞳だ。そいつは間違いない。どんな化け物だって、目をやればいい」


 魔術師がその後ろから言う。


「あんなにでかいクセして肝心な目を閉じやがって。しかもあの牙みてぇなやつで守ってやがる」


 いまは静かだが、その圧倒的な存在感だけは変わらない。


「カリュブディスって、伝承通りならどういう魔物なの?」

「大食らいの魔物さ。餌を食うために海水を飲み込み、そして吐き出す。それ以外は常に眠ってやがるのさ。だがな――だがなぁ嬢ちゃん。お前の保護者がどんだけ強いか知らないが、使い魔を通すんなら威力も『それなり』になっちまうだろうさ」

「えっ。そんなに駄目?」

「あんだけ喧嘩売っといてその絶対的な信頼なんなんだよ……」


 瑠璃はいやとかうんとか言いながら言葉を濁した。

 ひとまず強いのだとは思う。そもそもブラッドガルドの力というのを見るのがそうそう無い。しかも今は、その威力の恩恵が直接受けられるわけではないらしい。


「本人が来ればいいのに……」


 さすがにヨナルが首を振った。瑠璃にはなんだかよくわからなかったが、とにかく本人は駄目なようだ。


「とにかく突破口が無ぇと駄目だ――しかもこっちも時間が無ぇぞ!」

「え?」


 風の刃は、とっくに此方から違う方へと標的を変えていた。風の刃が、クリストファーの船の帆を裂いていくのが見えた。パウロ派の海賊達はとっくに向こうの船へと再び攻勢をかけていた。それが出来たのも、ひとえにその風の魔術のお陰なのだろう。


「まずいなぁ。あいつ一人で船をぶっ壊されたら、船長どころじゃねぇ……!」


 魔術師も冷や汗を浮かべた。

 魔術を使えるのは魔術師だけ――しかし、それは正確ではない。少数民族の中に魔女がいたように、あるいはカインが魔力を形に出来たように、独自で魔力の使い方や扱い方を継承している者たちもいる。パウロもその一人なのだろう。


「先輩は!? 先輩は魔法使えないの!?」

「使えねぇよ、俺は……」

「うぬぬぬ……」


 どうすればいいか、瑠璃は呻いた。

 玉砕覚悟で何らかの攻撃をしてもらうか、それとも――。完全に行き詰まって、苦虫をかみつぶしたような顔をしていると、不意に海中で動きがあった。瞳を守っている円形に並んだ牙が動き、それぞれが外側へと開きかけたのである。それどころか、瞳のほうも不気味に開きかけた。だがそれは僅かな時間の出来事であり、瞼は閉じ、牙も閉じられた。


「……うん? な、何いまの?」

「後輩! 中の――ええと、船長達の様子は!?」


 フランクが何かに気付いて、カメラアイが映す胃の中の映像を見ようとした。

 中では相変わらず攻撃が続いていて、時々歓声というか鼓舞するような声があがっていた。


「あ……そうか! 中で攻撃してるからだ!」

「ほおん、なるほど。腹の痛みで目が醒めてきてるってわけだ」

「船長! 船長聞いてる!? そっちで何してるの!?」


 瑠璃が叫ぶと、ようやく向こうに声が届いたらしい。


『お? 新入りか! いま、どでかい穴をぶち開けてやったところだ!!』


 そんな声が返ってくると、後ろからフランクが瑠璃を押しのけて叫んだ。


「船長! いま、こっちでも反応があったんだ! 目が開いた! たぶん、中で暴れてるからだ!」

『ほう! そりゃいい報告だ!』


 後ろで歓声があがる。


「でも早くしないとダメだ、パウロがクリストファーの船ごと壊しかけてる!」


 はあ!? という声が後ろで響いた。

 代わりに、バルバロッサからは爆笑する声が届く。


「めっちゃ笑ってるし」

「よぉし、嬢ちゃん。中で船長達がもう一度大穴を開けたら、目が開くはずだ。そこをやってくれ」

「え、やるって……」

「俺はその間に、船長たちを助け出す」


 魔術師はヒュウイ、と指笛を吹いた。何をしたのか尋ねる間もなく、どこからともなく、わらわらと干物のようなエイたちが顔を出した。


「あれっ、エイヒレ君たちだ!?」

「おい、変な名前をつけるな。俺の使い魔たちだぞ。こいつらを他のエイどもに紛れさせて、お前たちの動向を見てたんだ」

「えっ」


 今更の告白で完全に素になった瑠璃だが、今はそれを追及している暇はなかった。というより、追及している暇を与えてくれなかった。


「いいか、もういちど言うぞ。船長達があの目を見開かせたら、一発ぶっ放せ。そしたらこいつらに船長を助け出させる。もちろんバルボアもだ」

「できるの?」

「なぁに、簡単なことさ。俺がうちの船長すら助けない方法をとるわけないだろう」


 フランクは一瞬迷ったように逡巡したが、迷っている暇はないと思ったのだろう。頼む、と一言だけ告げた。


「そうこなくっちゃあ」


 魔術師はにやっと笑った。

 言うが早いか、エイヒレたちに何事か指示をしはじめる。何匹かのエイヒレたちが頷き、そのままあっという間に海の中へと飛び込んでいった。大丈夫なのかと視線で追ったが、魔術師は特に何も思っていないようだった。

 代わりに、違うことを尋ねることにした。


「でも魔術師さんはなんで船長のこと助けてくれたの?」

「そりゃーお前。バルボアの船長が生きてるのに置いてく事なんてあったら、俺がうちの船長にどやされるだろうが」

「あっハイ」

「海に蹴飛ばされるのならまだいい方だからな。下手したら首を物理的に飛ばされかねんぞ」


 魔術師は自分の首を親指で切る仕草をする。


「ま、バルボアの船長に恩も売れるしなあ」

「せめてそっちだけが理由であってほしかったよね」


 話はついた。

 その気配を確認したのか、カメラアイの映像の向こうから声が聞こえてくる。


『おい、用意はいいか!?』

「えっ!? 早っ!?」


 だが、ぐずぐずしている時間は確かに無かった。

 下でばきばきと音がした。クリストファーの船の帆はずたずたになっていて、既に折られそうな勢いだった。このままでは何もかもがダメになる。


「いいですよ、船長!」


 フランクの声が合図になったのか、あるいは声よりも先に、胃の中にいる海賊たちが一斉に動いた。

 送られてくる映像の中では、武器を振り回した海賊たちがもう一つ胃に穴を開けるべく、力を溜めていた。なにがしかの呪文のようなものが呟かれ、武器の先に魔力が溜まっていく。


「ところで、どうやって一撃ぶちかますんだ?」

「えっ」


 そこで気付いた。


 ――……何も考えてない!


「おい! 時間無いんだぞ! 早くなんとかしろって言ったろ!」

「お前だって魔力くらいはなんとかなるだろうが! とにかく魔力を流せ!?」

「魔力う!?」


 ショックを受ける瑠璃。魔力など無い。


「えっ、えっ……まりょくって……あっ!」


 魔力は無いが、あるものはある。


「よっ、よなっ、ヨナルくん!」


 目をぐるぐると回しながら、瑠璃は影蛇の頭に手を突っ込んだ。

 冷たい泥のような、重い水のような感触がする。沼のような影の合間を縫い、ビニール袋のようなものを引き当てる。中に残ったそれを取り出すと、長方形のパッケージに描かれたお菓子が目に飛び込んでくる。


 チョコパイ。

 「パイ」というにはしっとりとしたソフトケーキで作られたお菓子だ。真ん中にクリームを挟んだケーキを、チョコレートでコーティングしたものである。

 だがこれは、普段のものと少し違う。

 本来の製品は白いクリームだが、これはクリームもチョコ味だ。そしてソフトケーキもミルクチョコ香るチョコケーキ。

 瑠璃は包装を破り捨てたチョコパイを、両手に持った。


「おい、後輩!? なんだそれ!?」

「一個あげるからちょっと黙ってて先輩!!!!」

「なんだこれ甘ェ!!!!」

「ヨナル君!」


 横から、ヨナルの口の中にチョコパイを突っ込んだ。微妙に驚いたような気配があったものの、ケチらずすべての袋を開け放ち、その口に放り込む。ヨナルはしばらく口を開けていたが、すべて放り込まれたと思った瞬間、ごくりと呑み込んだ。

 どういう原理なのか、瑠璃は知らない。だがブラッドガルドにとっての魔力の源は、その使い魔にとっても同じような作用をもたらす。チョコパイを呑み込んだヨナルの瞳が、赤く鋭く輝いた。その存在感が増した。


「……開いたぞ!」


 魔術師の声で、我に返る。目の前で、巨大な瞳が見開かれようとしていた。先程よりも確かに大きく開かれようとしていたが、またすぐに閉じかける。


「早くっ!!」

「一撃……一撃っ!」


 ヨナルの口が開かれる。

 瑠璃が片方の手をしっかりと伸ばした。指先にあるのは海に隠れながらもしっかりと此方を見つめる瞳。


 ――ブラッド君、でかいのお願い!


 影たる蛇の瞳の奥で、邪神がニィッと嗤ったような気がした。


「――ドラゴンブレス的なやつっ!!!!」


 使い魔を通じてその顎門から吐き出されたのは、吐息というには暴虐的に過ぎる代物だった。

 鈍い黒に、深紅を纏う光。かつては怒りのままに、炎を失い虚無に堕ちてもなお破壊の限りを尽くした邪神の力の片鱗。


 闇龍の咆哮Breath of Blood――。


 光線がカリュブディスの瞳めがけてまっすぐ空間に色を描いた。深紅の色を放電させながら、空を切り裂き、海水をものともせず、一気に掻き分けて瞳に直撃した。音が一瞬世界から消えて、それから凄まじい轟音が響き渡った。カリュブディスを中心に衝撃波が走り、誰もが耳を塞ぎ、揺らされた脳に呻いた。大きく揺れた船からは横たわった死者たちが放り投げられ、海水が巨大な波となって船を襲った。

 ようやく気が付いたときには、海面から煙りが立ち上っていた。しゅうしゅうと音を立てる煙が晴れると、三分の一ほど抉れた瞳が顔を出した。瞼の柔らかな場所をも吹き飛ばし、緑色の血液のようなものが海の上に流れている。牙がひくひくと動いてはいたが、かなりのダメージを負ったはずだ。


「……」


 さすがの魔術師とフランクも、あまりの光景に口を開けたまま言葉を失っていた。

 使い魔を通してなおこんな威力を保つ魔術師なんて、いるはずがなかった。頭の中が理解を拒否し、ただただ目の前の光景に茫然とすることしか出来なかった。


「うわ……」


 そして当の瑠璃は、欠けた瞳を見て完全にドン引きしていた。

 一撃くれてほしかったのは事実だが、それで実際に目が吹き飛ぶなんて事が起きたらドン引きするのも当然の反応だ。

 三人はそれぞれ違った理由で茫然としながら、黙り込んでいた。


 ところが、その余韻は長くは続かなかった。ぱくりと口を閉じたヨナルが、へろへろと力を無くしたように落下しはじめたからである。


「えっ? わっ、わーー!?」


 しゅるしゅると影が小さくなり、巨大な姿がごく一般サイズの蛇になって、瑠璃の腕になんとかしがみついていた。三人はそのまま海の中へと落ちていった。もうだめだと思った。だが海に激突する寸前、べちゃっ、となにかにぶつかって再び上昇した。なんだか微妙にぬめぬめとしたよくわからないものにぶつかったらしい。瑠璃は慌てて下にあるものを掴もうとしたが、とっかかりになりそうなものは無い。


 ――……なにこれ?


「おお。間に合ったな」

「船長!?」


 瑠璃がその声に気が付くと、目の前に船長がいた。片目につけられた布はすっかり濡れて顔に張り付いていた。


「え!? これは!?」


 ぺたぺたと自分を乗せているものを触る。やがてその形を把握すると、驚いたように目が見開いた。


「エイだ……」


 海の中で見るままのエイだった。渇いてもいないし、宇宙人のような容姿もしていない。瑠璃からは見えないが、腹の方はまったりした笑顔に見えるエイだ。たぶん間違いない。


「お。どうやら無事だったようですなあ!」


 別のところから魔術師の声が聞こえる。

 どうやら別のエイに救い出されたようだ。


「え!? なに!? どうなってんの!?」

「こいつらは海水を自主的に含むとこの姿になるんだ」

「いや全然わかんない!!!」


 確かに干した姿がアレなのだから、水を含ませれば元に戻る、というのは理解できる。だが理解しがたかった。その頭から、すっかり縮こまったヨナルが顔を出した。髪の毛の間から、ふるふると頭を振る。その間に、バルバロッサと重なった影からカメラアイが戻ってきていた。

 変わらずハテナマークを浮かべる瑠璃を無視して、フランクが言った。


「そうだ、パウロは!?」


 見回すと、ぼろぼろになった船にしがみつく姿が見えた。体は海水に浸かっていて、他にも海に浮かんだ海賊たちの死体がある。その片目には何か鉄のようなものが刺さっていて、流れる血は涙のようだった。バルバロッサの布で覆われた片目と逆の目だ。よく見ると、体のほうは何か船の板のようなものに貫かれていた。睨むように上空を見上げる。

 見返したのはバルバロッサだった。


「まだやるかい? パウロ」


 まだ生きている片方の目が嗤う。

 その海の中で、巨大な渦が巻き起ころうとしていた。まだカリュブディスに意識があるらしい。わけもわからぬまま、海水を飲み込もうとしていたのだ。

 パウロは海水まみれの顔でニタッと笑ったかと思うと――そのまま、手を離した。


「あっ……」


 瑠璃が反射的に手を伸ばそうとしたが、手は遠すぎた。その姿はやがて渦の中に巻き込まれていった。

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