74-14話 交渉?・救出・作戦開始

 あたりには凄まじい嵐が渦巻いていた。

 雨が船を叩きつけ、荒れた海の水が甲板を滑らせる。時に全員がバランスを崩しかけるほどに揺れている。それでもほとんどの海賊たちは慣れたもので、ハシゴの上で剣を突き合わせている者たちまでいた。

 しかしそれでも、時間は足りなかった。

 迷宮の主が海水を吐き出せば、胃の中に取り残された者たちは胃液で今度こそどうなるかわからない。しかも無事に脱出できたとしても、広い海に取り残されれば船にあがることすらできない。

 タイムリミットとそれぞれの思惑が交差する中、瑠璃は渋い顔をしていた。


「だ~か~ら~さ~」

『しつこい』


 いつからこうなったのかは、後ろで見ていたフランクと魔術師の二人もよくわからなかった。

 話の最初は、ヨナルという黒い蛇の使い魔に協力してもらうために、ヨナルの本来の主に交渉をする、ということだった。だがその話は平行線のまま、瑠璃は効果的な対価をひねり出すことができなかったらしい。あるいは、提示した対価に対して黒蛇の主が徹底的に却下したということは理解できた。だが、その会話がどうやってなされたのかまではわからない。何しろ、その声は聞こえないからだ。


「なあ、あれ誰と喋ってるんだ?」


 フランクが戸惑うように言った。彼からすれば、瑠璃が一人で何かと喋っているようにしか聞こえないのだ。

 隣で問われた魔術師は、こりこりと頭を掻きつつ様子をうかがう。


「俺たちにあちらさんの声が聞こえねぇってことは……。使い魔を介した会話だろうさねえ。俺たちみてぇな外野に介入されたくねぇのさ」

「え。あの……使い魔の主が、いるってのか?」

「そりゃお前さんだって気付いてないわけなかろうよ」


 だが、白熱する交渉らしき何かと違って、ヨナルの反応はやや微妙なものだった。自分の主と監視対象に挟まれたヨナルは、次第になんともいえない微妙な表情で――蛇なので実際どうなのか二人にはわからないが――虚空を見つめるようになっていたのだ。


「そんな事言わずに手伝ってよ!!」

『知らん。せめてもっと我の心を掴むような対価を示せ』

「それさっきも言ったよね!? だから何がいいの?ㅤ って聞いたじゃん!」

『だから、鉄の竜だ』

「それは絶対にやめろ」


 ㅤ一度は中止したものを出してくるあたり、確信犯なのは理解出来た。つまりはやる気はないのだ。


『ともかく知らん。貴様のような阿呆くらいは何とかしてやるが、他をどうにかする義理はない』

「むむー……」


 交渉どころか一方的な拒絶だ。

 そもそもが瑠璃に交渉事など無理な相談なのである。


「……つまり、ここにいる人たちが助かるメリットがあればいいわけ?」

『どうしてそうなる。あるわけなかろうが』

「この国、というか船長のところがレモン作ってるから、助けてヴァルカニアにたどり着けたら、レモンが輸入できると思う!」

『なんの意味があるんだ、それは』

「レモンは夏にぴったりだろ! さっぱりするし!」

『だからどうした』

「あとレモンはお酒とかあるでしょ!」


 ガタッ、と向こうから音だけ響いた。


「ど、どうしたの。なにいまの?」

『……気にするな』


 何か押し殺すような声が聞こえる。

 ヨナルもざわざわしながら目を逸らしたので、たぶん酒に反応しただけだ。


「レモンって意外と使い道あるんだよ? かけてよし食べてよしじゃん」

『……』


 飲んでよしはどこへ行った、という言葉は喉奥で留められた。


「からあげにかけてもいいし、甘いお菓子にも使えるし、あと瀬戸内レモンのイカ天とかけっこう好きだよ、私」

『……は?』

「あ、イカ天ってね、私の言ったやつはスルメに衣つけて揚げたお菓子なんだけど、お酒のおつまみとかにもいいやつ」

『……』

「瀬戸内レモンってさ~。名産なのにどうにも地味だったらしいんだけど、数年で結構全国に知れ渡るようになったんだよね。で、その全国に売りだそうっていう最初の商品が瀬戸内レモンのイカ天なんだって。このあいだテレビで見た」

『……』

「普通のイカ天より小さい一口サイズなんだけど、カリカリで、レモンの酸っぱさが私は好きかな~。あんまりいっぺんには食べられないけど」

『……』

「あれ? ねぇちょっと聞いてる?」


 おーい、と瑠璃がもういちど聞いてみたが、返ってきたのは地獄の底から響いてくるような声だった。


『……貴様は喧嘩を売っているのか?」

「なに急に!? 売ってないけど!?」

『黙れ、いいから早く帰還しろこの小娘が……!』

「おわっ!?」


 大きく揺れた船に、瑠璃は片膝をついた。

 背後にいたフランクと魔術師も、慌てて近くにあった壁に手を引っかけてバランスを取る。その時だった。煌めくものが、どこからともなく瑠璃目がけて投げつけられた。それは瑠璃の足を切り裂き、床に突き刺さって音を立てた。

 バランスをとるには間に合わなかった。そのままもんどりうって、近くにあった壁に背中からぶち当たる。

 ナイフが投げられた方向へとヨナルが首を向ける。威嚇するようにあぎとを開くと、海賊がびくりとした。その背後から振り下ろされた剣に、慌てて対応する。ヨナルから逃げるように、喧噪の中へ舞い戻っていった。ヨナルの目がその背中を鋭く睨めつけてから、瑠璃へと戻る。


「くっ……!? お、おい、大丈夫か新人!?」

「うぐぐ……」


 痛みをこらえて前を向く。ついでに何かにしこたまぶつかったらしく、背中も妙に痛い。ズキズキと、鋭い痛みが走る。

 やや慌てた様子のヨナルが視界に入る。


『なにを遊んでいるんだ貴様は』

「……あ……遊んでるわけじゃ……なくてねぇ……」

『どうせ貴様は役に立たんのだ。そこにいてもせいぜい船の汚れくらいにしかならんだろう』


 腕に力をこめて起き上がると、目の前にいる影蛇をギッと睨んだ。


「……じゃあ、そもそも、なんで私ここにいるんだよ! 絶対楽しんでるっていうか、どーーー考えても一枚噛んでるだろ!!」


 大声をあげる瑠璃に、思わずヨナルが驚いたように口を開けた。


『言っておくが、我のせいではな――』

「うるさいこのスットコドッコイ!!!!」

『……ああ?』

「もっかい聞くけど、ブラッド君のせいじゃないならなんで私はここにいるんだよ!!」


 いちど目元をぬぐった瑠璃に、ヨナルが左右に視線どころか頭を彷徨わせる。

 姿の見えない主と違って、焦りが完全に行動に出ていた。


「しかもぜんぜん助けにも来てくんないし!! なんで来てくんないんだよ!! なんかあったかと思うじゃんバカなの!? 来いよ助けに!! 私いまブラッド君しかいないんだぞ!! せめてもっと早く繋げろよ、この髪の毛ワカメ野郎!!」

『……だ――から、貴様だけは帰還させると……』

「うるさい!! 手伝ってくれなきゃもうこっちに来ないからなこのクソザコミミズ!!!」


 一瞬、使い魔を通してビキリと船が軋んだ。

 異様な気配が満ち、ヨナルを中心にして大気が震えた。ぞくりとした悪寒は、降り続ける雨に紛れてすぐに流れた。だが、波紋のように広がったそれは明らかに海の魔物たちの心臓へと手を伸ばし、領域から慌てて逃げ出させるのに充分なほどだった。


『……貴様、言わせておけば……』

「言わせておけばじゃないんだよ!!?!?」


 それにしてはもはや交渉というよりただの口喧嘩の様相を呈してきた。背後で見ていた二人も、もはや何が起きているのかわからず閉口するばかりだった。

 ぜえぜえと肩を揺らして両手をつくと、雨が背中を叩きつけた。妙に痛い。足からは血が流れていくのが見える。髪を濡らして落ちてくる雨を拭うと、目の前に影が落ちた。顔をあげると、ヨナルが心配げに近寄ってきて舌を何度も出した。その頭に手をやると、僅かにそのあぎとが開いた。


『貴様――、貴様、戻ってきたらただでは済まさんぞ……。必ずや、この代償を支払わせてやる……』

「おう。レモン漬けにしてやるから覚悟しとけよ」

『ふん』

「あととりあえず一発殴るからな」

『……』


 何か言いたげな空気が漂ったが、その前にヨナルが瑠璃の体を絡め取り、その頭の上に乗せた。


「先輩! えーと、魔術師さん! 話纏まった!」

「……いや、なんでだよ」

「……なんでだろうなあ」


 後ろの二人には、今の流れで話が纏まったことが不思議で仕方が無かった。だが今はそんなことを言っている場合ではない。フランクと魔術師も一緒にヨナルの頭の上に乗る。


「なんでアンタまで乗るんだよ」

「へへへ。そりゃあ俺はうちの船長を助けねぇとならないんで」


 ぐん、とヨナルの体が迷宮の主へと近づく間に、カメラアイがひたひたと瑠璃の影から出てきて、内部と映像を繋ぐ。


『うおりゃああああーーっ!!』


 唐突に聞こえてきた怒声に、耳が吹き飛ぶかと思った。


「うおっ、なんだ!?」

「何してんですか船長!?」

『お!? フランクか!? いまこいつの胃の中にでっけぇ風穴開けてやってる途中なんだよ!』


 そう言って剣を構えるバルバロッサは、海水と血液まみれになりながら笑っていた。それを見て引く瑠璃。外からでは気が付かなかったが、中ではかなりそうした浸食が進んでいたらしい。わずかにひくひくと内部が振動して、海水を吐き出そうとしている。


『さっきから反応はしてるみたいでな。何度も海水を吐き出そうとしてやがるし、壁から胃液は流れてくるし』

「そっか、さっきの振動……」


 船を揺らすほどの振動は、嵐でも波でもなく、僅かに海水とともに異物を吐き出そうとしたカリュブディスの抵抗だったのだ。


『とりあえず狙うのは心臓部分だからな。そこまでぶち抜いてやる』

「あ、あの~。うちの船長います?」

『おう、あっちでクソでかい穴開けてるぞ』


 僅かに詠唱のような声が聞こえ、轟音が響いていた。それに対してバルバロッサが再び愉快そうに笑う。こんな状況だというのに、まるで何も希望は失っていない。


『これで前に食われた奴らのお宝あたりが出ればいいんだけどねえ。あと、口も全然開かない。……どうだい新入り。奴の口を開けさせられるかい?』

「どうかな、ヨナル君」


 瑠璃が下の頭に問うと、ちろちろと舌が出た。それが答えだった。


「うん。よし、お願い」


 ぺちぺちと、ひんやりした爬虫類特有の肌を軽く叩く。


「よおし、作戦はこうだ。嬢ちゃんの使い魔があいつを何とかして、その間に俺の使い魔を向かわせる」

「アンタの使い魔って?」

「こいつだよ、こいつら」


 魔術師がヨナルを指さす。というより、下を指さした。するとそこにいたのは、干からびたエイのような精霊だった。


「あれっ、この子たちって……」

「そうそう。俺の使い魔」


 雨を含んでいるのか、以前見た時よりも若干ふっくらしている気がする。

 へえ、と感心しかけた時、突如として風の刃が瑠璃たちのすぐ近くをかすめていった。一瞬時が止まったように無言になる。一番最初に反応したのはフランクだった。


「副船長だ!」


 下を見ると、怒りの形相でパウロが剣を構え、上空にいる瑠璃たちを睨み付けていた。


「うわー。頑張りますなあ、バルボアんとこの副船長は」


 だが、魔術師もそんなことを悠長に言っている場合ではなかった。なにしろ、海賊たちは一気にクリストファー側の船へと押し込んでいるからだ。隅のほうで倒れたままぴくりとも動かない海賊もいる。


「う……」


 瑠璃は思わず視線を外した。


「やべーなあ。うち押されてるぜえ、船長」


 魔術師が事もなげにカメラアイの向こうのクリストファーに向けて言った。だが向こうからは相変わらず、胃に穴を開ける音しか聞こえてこない。


「ヨナル君、とにかく避けて! そんであのでっかいやつの上まで行こう!」


 瑠璃がなんとかそれだけ言うと、ヨナルは僅かに舌を出してうなずきの代わりにした。

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