74-13話 使い魔・交渉・その向こう
「お前の仕業か」
そんな声が瑠璃の耳に届いた。ぞくりとする。
パウロの声だった。やや怒りのこもった声で、瑠璃を見ていた。ひえっ、と小さく瑠璃が悲鳴をあげる。
「――いったい何をした。お前の使い魔にはこんな力もあったのか」
えっ、と小さな声をあげたのはフランクだった。
「そんな馬鹿な! だって新入り、お前の使い魔は――」
『力だかなんだか知らないけどさぁ』
バルバロッサが耳に小指を突っ込んで掻きながら言う。
『ルリ。とりあえずこいつはアンタの使い魔ってことでいいんだね?』
「そ、それは、うん」
『ふうん。それだけわかりゃあ充分だよ。――それじゃあ野郎ども、続きといこうか!』
バルバロッサが笑いながら言った。
船員たちのほぼ全員がぽかんとしている。
「えっ、続きって?」
まるで代表するように瑠璃が言うと、バルバロッサはにっこりと笑った。
『何って、このクソみてぇな魔物をぶっ飛ばすんだよ』
まるで何事もなかったように言うバルバロッサに、一瞬「えっ?」という空気が漂う。
『おそらくこいつは、外からやるより中からやるほうがずっと簡単だ』
「ちょ、ちょっと待って船長! 状況! 状況まったくわかんない!」
瑠璃は目をぐるぐるとさせながら言う。
パウロが船を占拠したことを知らないわけではないだろう。それなのに、まるでそんなの無かったことのようにこの先の話をされても困惑するだけだ。
「えっ、そこもしかしてホントに魔物のお腹の中なの?」
『他にどこだと思ってるんだ? アンタが繋げてるのはあの世かい?』
『そうだとも!! おい、聞こえているか野郎どもォ!』
突然バルバロッサを押しのけ、クリストファーが出てきた。
『何をちんたらしている!? やられたのなら十倍にしてやり返す! それが我々マドラス国民の基本であり、エルナン侯爵家の揺るぎなき掟である! 総員、かかれ!!!』
クリストファーの声が、向こう側の船にまで届いたらしい。
突如として、雄叫びが上がった。向こう側の一団が、船にかけられたハシゴを逆に渡ってきたのだ。思わずハシゴを外そうとしても無理だった。一気にハシゴを掌握され、次々に此方の船に入ってくる。
しかし、そこまでしてもパウロは睨むように、瑠璃と、その背後のバルバロッサを見ていた。
『くふふ。クリストファーの手下どもが、解放してくれれば終わりさ』
「ふん、そううまくいくものか」
パウロは腰の剣を抜いた。
しゅらりと音がする。見た目には普通の剣だが、不意にそこに魔力が流れた。柄を通って剣へと流れた魔力は、その刃に緑色の光で文様を描いていく。緑の光が剣を縁取り、よりいっそう大きく見せた。
「まずい! 新入り、伏せろ!」
「えっ、なに!?」
フランクに頭を掴まれ、むりやり床と挨拶することになる。
その途端、とてつもない大きさの巨大な風の刃が、クリストファーの一団を払いのけた。悲鳴があがり、何人かが海に落ちていく。それを切っ掛けに、パウロ派の海賊たちが近くにいた海賊をぶん殴り、ハシゴを掌握し返す。
だがそれだけではすまなかった。
巨大な風の刃は当然、瑠璃の方へも向けられた。真上を風の刃が通過していくと、背後にあった建物にめり込んでカンテラごと破壊した。巨大な音と木材の破片が飛び散り、しばらく瑠璃は頭をあげることができなかった。背中に小さな欠片が当たり、顔を顰める。
降りしきる嵐が部屋の中に侵入し、中にあった荷物を次々と濡らしていく。慌ててカメラアイが別のカンテラを映して、魔物の中へと中継する。
「う、うう……」
『わー。怖い怖い』
ある意味で安全圏にいるバルバロッサだけはそんな声をあげる。
「新入り。船長と繋げて調子に乗っていたのだろうが、ここまでだ。我が血族のために、奴らには海の藻屑と消えてもらう……!」
ざっ、と魔力の通った剣を構え、ゆっくりとパウロが近づいてくる。
『んー。これはアタシにもどうしようもできないねえ』
「ひえっ!?」
「パウロ! お、お前、このまま全部ぶっ壊すつもりか!?」
「安心しろフランク。お前も一緒にあの世に送ってやる――」
剣が再び構えられた。
勢いよく剣が振り抜かれ、瑠璃は隣のフランクの頭を掴んで抱きかかえた。巨大な風の刃が迫り来る。もはや逃れられない死を否定するように、瑠璃は目を瞑った。
がちん――。
唐突に金属音がした。
衝撃はこなかった。
覚悟はしていたものの、あまりに遅すぎる。恐る恐る目を開けて、前を見る。
「……なんだ、こいつは」
同時にパウロが視線をあげると、そこには巨大なものが突っ立っていた。
それは風の刃を魔力ごとその大顎で受け止めていた。巨大な刃を受け止めてなお、微動だにしない。真っ黒で、うねうねと細長い体。ばきんと音がして、魔力の刃がたたき折られた。パウロの目が大きく見開く。刃は真っ二つになり、その半分が床に落ちた。落ちたそれが魔力のもととなって消滅する前に、口の中に残った分をごくりと呑み込む。
黒き影――影たる蛇は、ただパウロを見下ろした。
見下すでもなく、睨むでもなく。そんな必要は無いといいたげに。
「よ……ヨナルくーんっ!」
瑠璃はほとんど泣きそうな声で、目の前に突っ立っている巨大な黒い蛇へと声をかけた。
『はははははっ! やっぱりアンタ、本命を隠してたね! アンタから感じた何かは、これぐらいでっかかったからねぇ!!』
フランクでさえ、茫然とその蛇を見上げていた。
「嘘だろ……」
「ご、ごめん。でもヨナル君に色々預かってもらってたのは本当で……」
「違うそうじゃねぇ!」
いろいろな衝撃を後回しにして、フランクには聞かねばならないことがあった。
「どうして二匹も使い魔と契約できてるんだ!?」
「えっ」
瑠璃はその意味がわからずキョトンとした。
基本的に、多くの使い魔を使役する魔術師は確かにいる。
しかしそれは、個体ではなく群体として契約しているに過ぎない。たとえばそれは双子のように二対で一体の魔物であったり、あるいは蝙蝠のように群体として契約していたり。
だが、別々の使い魔を複数使える魔術師となると話は別だ。
だから、魔術師の使える使い魔は、一体あるいは一種のみである――というのがなんとなく常識として知られている。
だが瑠璃は、そんなことを――この世界それとなく流布しているような常識など知らなかった。
だが、明らかにパウロに動揺を与えたのは事実だ。
その瞬間に、再び向こうの船からの反撃が起きた。パウロを捕らえろ、という声が響き、それが追い風となった。
『よおし! クリストファー! アンタもこっちに協力しな! こいつを中からぶっ潰すよ!!』
『レディ。きみはひとつ思い違いをしている。僕はきみに協力するのではなく、きみが僕に協力を――』
ぎゃあぎゃあと背後では、カメラアイの映像が動いていく。
ヨナルはぐるっと瑠璃とフランクを向き直ると、蛇特有の動きで近づいてきた。
さすがにフランクはその巨体にのけぞる。
「あ~~。ヨナル君~~。ありがとう助かったああああ!」
泣き言をいいつつ蛇の頭を犬のように両手でぐりぐり撫でる瑠璃。ヨナルはちろちろと舌を出しながら、大人しくされるがままにされていた。
「よしっ! とりあえずヨナル君がいれば大丈夫!」
「お、おう……」
臆することなく巨大な蛇に抱きつく瑠璃に、若干フランクが引き気味に言う。
「それじゃあヨナル君! あれ何とかできる!?」
目の前の巨大な影蛇に、瑠璃は期待をこめて叫ぶ。
まあできないこともないけど、というような空気を纏って、ヨナルはゆらゆらと揺れた。
「うしっ! それじゃあ、行こう!」
瑠璃は笑った。
だがこれといった反応はなかった。別に相手が蛇だからとかそういう事ではなく、本当に反応がなかった。
「……あれっ?」
それどころか、ヨナルの視線はあらぬ方向を向いていた。というか、顔ごと明後日の方向を向いている。
「ヨナル君? ちょっと? おーい!?」
近寄って顔を見上げるが、ヨナルは素知らぬ顔で違う方向を見る。さっきまで何となく理解できていた空気が理解できない。ぺちぺちとヨナルの体を触ったり軽く叩いたりするが、ヨナルはまったく瑠璃を見ようともしなかった。
「やばい。こんなときに限ってヨナル君と話が通じない……!?」
「なんでだよお前の使い魔だろ!?」
驚いたフランクも叫ぶが、実際には違う。
その様子を眺めていた一人の海賊が、ぬっと顔を出した。
「ははあん。さてはお前の使い魔、誰かがつけてるんだな?」
「えっ」
「保護者だかなんだか知らねぇが、そいつも相当頭が硬ぇな」
「保護者……」
めちゃくちゃに心外だというような顔で呟く瑠璃。
隣で、海賊の男をまじまじと見ていたフランクが口を開く。
「お前、クリストファーのとこのやつか?」
その問いに、男は笑いながら頷いた。
「そうそう。世にも珍しい海賊魔術師たァ俺のことよ!」
どうやら戦いからは離れてとっくにこっちの方に来ていたらしい。
男はヨナルを見上げると、一瞬だけ息を詰まらせた。なにか得体の知れないものを感じとったように咳払いをする。
「にしても変わった使い魔だなあ。バカでかい上に、なんの魔物なんだこりゃ?」
「そ、それよりなんかわかるの!?」
「わかるもなにも、いざとなったらお前は助けるだろうが、それ以外は知ったこっちゃねぇってことさ」
「えー!!!?」
つーん、とばかりに明後日の方向を向くヨナル。
「でもいままでそれとなくきいてくれてたのに!?」
「ああん? そりゃおめぇ、命の危険が無かったからだろ?」
「んん?」
瑠璃は理解に詰まる。
他の人の命に関わるような重大事は、ヨナルひとりの判断ではできないということだろうか。いまいちぴんとこない顔をする瑠璃に、自称魔術師の海賊は肩を竦めた。
「おめーの保護者がどういう指示をしてるか知らんけどよう。少なくともこれ以上はお前の命に直接関わると思ってるんだろうよ」
「だ、だったら尚更……」
「だから、さっき言ったろ。命が関わる以上、お前は助けるだろうが、それ以外は知ったこっちゃねぇのさ」
それ以外はほとんどお遊びのようなもの。
瑠璃の枕になろうが、魔物を追い払おうが、一緒に動画を見ようが、幽霊を追い払おうが、そこまでは越えるべきではないラインだった。使い魔たるヨナルにとってはたやすいことで、児戯に等しい。しかし、直接迷宮の主に手を出せというのは、なにか違う意味を持つのだろう。
「じゃっ、じゃあどうすればいいの!?」
「こいつはアテにしないか、あるいはこいつを通じて、本来の持ち主に対価を払うしかねぇな。お前の保護者なんだから、お前がお願いするしかねぇよ」
魔術師の海賊はそう言って肩を竦める。
一方の瑠璃は、眉間に皺を寄せて変な顔をしていた。
「……保護者……」
「なんでさっきからそんな納得してねぇ顔してんだよ」
横からフランクに突っ込まれたが、納得いかないものは納得いかないのだ。
「ええ……。対価かあ……対価ってたとえばなに?」
ヨナルはようやく瑠璃を向き直る。
とりあえず聞くだけは聞く体勢はあるらしい。
「とりあえずチョコケーキワンホールとか……?」
「なんでお前ケーキ一個でなんとかしてもらえると思ってんだ!?」
「だって大体なんとかしてくれるし……」
「いや、それ以上だからダメって話なんじゃなくてか!?」
そうだなー、駄目だよなー、という感じでヨナルが後ろを向いた。
「ああああ!!」
ことここに及んで微妙に相手を増長させてしまったらしい。変なところで主にそっくりだ。とはいえヨナルが瑠璃を向き直ったとき、ふと違和感に気付いた。
「……んあ?」
瑠璃はヨナルの目を下から覗き込む。
影蛇の瞳の向こう側に、暗い赤色が見えた気がした。じっと見つめる。影蛇がこっちを見ているのは言わずもがな。ごく自然なことだ。けれどももっとその奥から、何者かがこっちを見ているような気分になってくる。そんなものは一人しかいない。
「……」
瑠璃はほんの少しだけ目を見開いた。
唇だけが、僅かに思い当たる人物の名を呼ぶ。
荒涼とした風が吹いた気がした。嵐の中にいるのに、それすらも弾き飛ばすような異様な目。ここにいるのは確かに使い魔たる影蛇なのに、そうではない気さえする。巨大な人型が目の前に立っている気がした。とんでもない存在感だった。それは他のすべてを現実感のない背景に貶めるような理不尽さでもある。そして瑠璃と自分だけを檻に閉じ込め、交渉の場から逃がさないようにしてしまう横暴さがあった。
近くにいたフランクと海賊は、不意に冷や汗のようなものが流れた。じり、と無意識のうちに片足が下がる。だが、体は動かない。
「へ、へへ……。こいつの本来の主は、かなりの大物らしいな……」
奮い立たせるように男が言ったが、掠れたような声しか出てこなかった。
「だ……誰かわかるのか?」
「わからねぇ。わかりたくもねえ……。俺の心ってやつが拒否してやがる」
そんなにか、という問いは、フランクの口からは出てこなかった。その異様さはフランクも理解するほどだったからだ。
「えーっと……。それじゃあね~~」
瑠璃はしばらく考えてから、口を開いた。
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