74-11話 通信・解説・海の底

 下での喧噪が落ち着くと、ゆっくりとした足音が階段を上がってきた。甲板に出てきたのは数人の海賊たちで、みな副船長に向かって言った。


「こっちは片付きやしたぜ」


 瑠璃は目を丸くする。


「そうか」


 副船長は彼らを振り向くと、宣言した。


「いいか! カリブディスは伝承によれば、海水を吸い込んだあと、しばらくしてから今度は海水だけを吐き出す。それまでの間は、しばらく海が静かになるはずだ。その間にここを抜けきるぞ」

「へいっ!」

「それと、その前に――あっちをやってしまおうか」


 パウロの目線が、もうひとつの船へと向く。クリストファーの船だ。

 同じく船長を失い、あっちはあっちで混乱状態に陥っているらしい。その反応は真逆のようだが、やるならいま、ということだろう。

 上がってきた海賊たちの手によって、船を動かす準備が進められた。

 どうやらいましがた甲板に上がってきた海賊たちは、副船長の息のかかった者たちらしい。端っこにいる瑠璃のことなどまったく無視したまま、それぞれ分かれて仕事をし始める。瑠璃がわたわたと状況を把握しようとしている間に、あっという間に船をクリストファーの船目がけて動かし始めた。

 だが、明らかに数は少ない。

 副船長側についた人間――といえばそれまでだが、全員ではなさそうだ。瑠璃が言葉を交わしたことのある海賊たちも、居たり居なかったりしている。


「残りの人は? ま、まさか……殺したの?」


 たまたま近くを通った海賊に尋ねると、彼らは胡乱な顔をしてから笑い出した。


「ははははっ! まさか。掟に従ってもらうだけさ」


 海賊たちはそう言うと、仕事に戻っていく。

 よくわからない顔をしていると、フランクが話を引きとった。


「専門家は貴重だからな。そんなにすぐに殺しなんてしねぇよ」

「専門家って?」


 フランクは一瞬、瑠璃を見下ろした。

 純粋な疑問から出た言葉だと、顔を見ればすぐにわかった。少しだけちらりと副船長を見てから、話を続ける。


「例えば、航海士なんかは言わずもがなだろ。あとは医者とか、大工なんかも必要だ。そういのは引き入れて、新しい海賊の掟にサインさせるんだ。他の船を襲って人員を引き入れた時もそうする。お前が来てからはそういうことが無かったから、見てないかもしれねぇけど」

「えっ。だって私、サインとかしてないけど」

「そりゃお前、勝手に動き出してたからな」


 つまるところ、海賊たちの掟やルールを知らない瑠璃は、何も知らぬままに動いてくれるいい駒だったというわけだ。フランクという教育係をつけたのは、正体不明な瑠璃への監視役であると同時に、まっとうな下っ端への教育でもある。しかし、少なくとも海賊たちの文化への疎さはしっかり利用されていたようである。


「じゃあ、いま他の人はサイン待ち?」

「そういうこと。たぶん下の牢屋だろ」

「牢屋かあ……」


 瑠璃はがっくりと下を見るように、床を指先で滑らせる。


「抵抗すればわかんねぇけど、ここで生き残りたいならそんなことはしねぇと思う」

「私は?」


 完全にひとり取り残されている。

 というより、副船長からも他の海賊たちからも完全にスルーだ。そんな瑠璃に、フランクが若干同情の色を向けてから目を逸らす。


「お前はその、なんていうか……、使えないし……」

「ねえ先輩、私の目しっかり見てそれ言える? ねえ?」


 遠回しに役立たずだと言われた。だがつまりは海賊たちの中での瑠璃の扱いというのはそんなものだった。


「でも生かしておけってのは言われてるよ。利用価値があるからなあ」


 近くの樽の上に座り込んで、フランクは瑠璃を見下ろす。


「あったっけ、そんなの」


 自分で言うのかよ、という呆れ顔を一瞬される。


「だってお前、仮にも魔術師じゃないのか。モノを収納できる使い魔がいるんだろ?」


 いつの間にか使い魔がいることまで漏れていたらしい。

 瑠璃は三秒ほど呆けたような顔で思考停止してから再び動き出した。


「あ~、まあ、そうだね」

「なんでお前が能力把握してないみたいな声するんだ!!?」


 だって実際知らなかったし、というのは伏せておく。


「いや、そもそもどうしてこんなことになってんの? 先輩だって船長のことは尊敬してたじゃない。それがなんで……」

「船長のことは……。うん、そうだな。感謝はしてるよ」


 ちらりと視線を送ると、既に船の準備は着々と整ってきていた。中央で指揮をとる副船長は、既に我が物顔でこの空間を支配しつつあった。


「でもどうしようもない」

「副船長は、なんか船長に恨みとかあったの?」

「恨みじゃねぇよ。恨みはないと思うけど……なんでそんなことを?」

「……暇だから……」


 迫真の顔をして言う瑠璃に、フランクはあたりを見回した。

 確かに、いまの瑠璃に何が出来るというわけでもなさそうだった。少なくともいまはまだ、生かされて監視されているだけだ。

 フランクは少しだけ考えるような仕草をしたあと、おもむろに口を開いた。


「パウロ副船長……いや、パウロ・トルヒージョは、トルヒージョ家ってとこの長男なんだ」

「トルヒージョ家って?」

「船長と一緒だよ。貴族なんだ。船長の……バルボア家よりは地位としては上だけど」

「ええ? それじゃ、わざわざ船長を追い出してまで船を乗っ取る意味がわかんないんだけど」

「トルヒージョ家は、傾きかけてるんだよ」


 フランクが説明してくれたところによると、トルヒージョ家は迷宮戦争以前は確かに社交界の中でも、貴族の位としても上位に属するところにいたようだ。海の魔物が蔓延りダンジョン化した小島を二つ攻略し、気難しいと言われたとある亜人たちと交流を深めた。

 しかしその功績はほぼ残っていない。忘れ去られてしまっている。


「それは……なんで?」


 雨が降る中、船は動き出す。瑠璃は無意識に床につかまりながら尋ねた。


「わかるだろ。黒の呪いだよ。迷宮戦争で蔓延った呪い――」


 侵攻をかけた中に、トルヒージョ家もいた。だが、その跡継ぎである男たちが、次々に黒の呪いにかかった。そのうちの一人などは、船ごと沈められなければならないほど、船じゅうに呪いが蔓延していたという。

 トルヒージョ家はなんとか家を建て直すために、慌てて跡継ぎではなかった女性を当主に立てた。しかし、迎え入れた婿からの乗っ取りを防ぐためにかなり歪な関係になってしまったらしい。

 それから百年の時をかけて、ゆったりとトルヒージョ家は衰退していったのだという。

 瑠璃は、雨の中でクリストファーの船目がけて前進させるパウロの背を見た。


 がたん、という音が響いた。

 思わず視線を向ける。とうとう船がクリストファーの船と接近したのだ。ハシゴがかけられ、船同士が連結する。一瞬、向こうの船も警戒を解きかけた。だが、自分たちが一体何であるかをすぐに思い出したらしい。

 クリストファーの船へ襲撃がかけられる。

 だが、フランクは意にも介さず言葉を続けた。


「バルボア家は小さいとこだけど、バルバロッサっていう型破りな傑物が登場したことで、いま名声をあげつつある。それに比べて……」

「で、でも、傾いてるっていっても有名なとこなんでしょ? そこの長男なら、船長が警戒したりするはずじゃ……」

「そりゃ普通の生まれだったらな。だけどパウロは――その、母親が奴隷なんだよ」


 ずぶ濡れのまま、戦闘の音が遠くに聞こえる。

 長男でありながら、母親が奴隷。

 その意味を何度か噛みしめてから、瑠璃はなんとなく察した。


「あ~……」


 こじれているというか捻れているというか。


「途中まで存在を隠されてたらしいけど、あっという間に裏から掌握したらしい」

「でも、それと先輩はどういう関係にあるの?」

「……俺は、トルヒージョ家の分家筋なんだよ」

「……」

「そんな俺ですら、パウロに抗えない。俺んちだってそうだ。もうとっくに駄目になってるのに、まだ昔の名声に縋り付いてるようなとこだ。それに比べて、船長は……。俺と同じ立場なのに、バルバロッサ船長はあんなに……凄い……」


 なんとなく、瑠璃はフランクがバルバロッサを慕っていた理由にたどり着いた。それはただの推測に過ぎなかったけれど、たぶん当たっているのだと思った。


「俺は海にいる間だけ、自由になれたんだ。そ、それを俺は……」


 フランクは自分の両手を見ながらぶるぶると震えた。


「俺はっ……、船長を、殺したくなんかなかった……!!」


 慟哭するフランクを、瑠璃はなんとも言えず眺めた。


『へ~。なるほどなあ』


 代わりに返事をしたのは瑠璃ではなかった。

 「鶴の一声」という言葉がこちらの世界にもあるのなら、まさにそうだった。あたりに響いているはずの、ごうごうという海と嵐の音さえ蹴散らし、鎮めるような一声だった。船上の空気が一瞬にして止まる。


『あ、続けていいぞ』


 振り返った瑠璃の目が丸くなり、フランクの目と口は大きく開いたまま停止していた。

 瑠璃の背後にある木の壁に、いつの間にか丸い窓のようなものが出来ていて、そこからバルバロッサが話を聞いていたのである。


「船長ぅうううう!!?!?」


 あまりのことに、フランクはひっくり返った。

 ついさっき目の前で渦に吸い込まれていった人間が、瑠璃の隣の窓から顔を出しているのである。驚きもする。

 その声でさすがに他の海賊も全員が気付いたらしい。全員が目を丸くして、行われていた戦闘も止まっていた。


「……っ」


 パウロでさえ目を丸くして、一瞬出遅れながらもナイフを投げた。すぐさま、ドッ、という音とともに、船長の顔面にナイフが刺さった。

 ひえっ、と悲鳴をあげたのは瑠璃とフランクだけだった。


「あ、あわわわわ……!?」


 パニックになって目を回す瑠璃を見ると、船長は爆笑した。


『あっはははははは!! アンタ、相変わらず面白いよねえ!!』


 避けもしないどころか、倒れもしない。

 それどころか、血の一滴も出ていない。皆ぞっとした。だがバルバロッサが指先でちょいちょいと触ったのは、むしろ、ガラスでも隔てているかのような仕草に見えた。

 その片目に布が巻かれているのに気付くと、瑠璃はなんとか気を取り直しながら尋ねる。


「船長、その目は……」

『ああ、これかい? さっき渦に巻き込まれた時にやられてねえ』


 なんてことのないように言うバルバロッサ。


『おいバルバロッサ! いい加減うちの坊ちゃんにも喋らせてくれませんかねえ!?』

『え? やだよ』

『ちょっとぉ!!?』


 その言葉で、まだクリストファーも生きているということが知れ渡る。

 だがいまはそれどころではない。


 いかなる秘術が用いられ、このような事が起こっているのか。


「せ、船長。ほんもの、だよな。なんで、どうやって。ここって、壁……!?」


 フランクが目を丸くしながら、なんとかそれだけ言った。

 ナイフが刺さったのは確かだが、それはバルバロッサの顔面ではない。そこにあるのは船の壁なのだ。不思議なことに、バルバロッサの姿は壁に映し出されている。

 全員がぽかんとした後、先に我に返ったのはクリストファーの海賊たちだった。茫然としている海賊たちを剣で押しやり、船に押し返していく。


「いったい何が……」


 パウロが思わず呟いたあと、その目が一瞬にして瑠璃へ向いた。こいつの仕業だ、と直感的に思った。ふつふつと何か怒りとも衝撃ともつかぬものが沸きあがってきて、体を強ばらせる。


『ようパウロ! まだアタシはくたばってないぜ?』


 そんなパウロへ、バルバロッサは暢気に声をかけた。

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