74-10話 戦闘・主・交代劇

「どうだ? あのアホの船は見えたか?」


 バルバロッサが見張り台の上に居る海賊に声をかける。


「すっげぇ言いにくいんすけど、嵐に入ってくとこみたいっすね!」

「ふうん」


 それだけなのか……という空気が一瞬流れたが、もうこれ以上は腹をくくるしかなかった。

 魔物と戦い、潮に流され、時に迷う。

 海上の迷宮は一筋縄ではいかない、というのは肌で理解してきた。

 だがそれよりも、もっと大事なことがある。


「ねえあの嵐に近づいてんだけど!! あの嵐に近づいてんだけど!?」


 黒雲に近づいているとなれば、瑠璃もつっこまざるをえなかった。次第に風も強くなり、ばたばたと音がする。


「めっちゃ近づいてるな……」

「あれの中面倒臭そうだぞ」


 さすがの海賊たちも、明らかな嵐にこちら側から近づくとなると、死んだ目をしている者も多かった。黒雲に近づいているとは思っていたが、まさか本当に近づいているとは思わなかったのだろう。

 だいたい、存在そのものがどう考えてもフラグでしかなかった。どう足掻いてもルート的に嵐の中に突っ込む必要があるらしい。


「そりゃあ、クリストファーの野郎の船ももうあの中に向かってるらしいからな。もう腹ァ括るしかねぇだろ」

「ええ……本気で言ってる? ここから見る限り島っぽいところもなさそうだし……」

「そりゃそうだろ。このあたりは昔からほとんど何もない海域だったらしいから」


 フランクが顎をさすりながら言う。


「じゃあ、昔は本当に普通に通れたってこと?」

「グライフ公国やドゥーラの船が出てたから、普通って事はないらしいけど……、そのへんどーなんだ?」


 話を振られた海賊が首を傾げる。


「うーん、小競り合いはあったらしいが、普通って言えば普通に通れてたんだろうな」

「おいおい、お前ら。いまは昔のことより、結局あそこを通らにゃあならんってことのほうが問題だろ」


 ぶつくさ言いながらも、皆、嵐をしのぐ準備に入っていた。船の事だけではない。交代で食事をとり、自分たちの武器や防具の手入れをし、甲板に放置されたものはしっかり船の中へと押し込む。中には手に入れた魔物の素材を使って、簡単な武器を開発している者もいた。

 末端の瑠璃に至るまでが覚悟を決めたときには、次第に雨がぽつぽつと船の中に染みを作った。あたりは真っ暗になり、灯りが点けられる。まるで巨大な口の中にでも入っていくようだ。雲の隙間から不穏な唸り声がし、ときおり稲光となって姿を現す。

 海は荒れ、大波が押し寄せる。もはや何もしないでも、引き寄せられているかのようだった。その視界のうちに、見覚えのある船が揺れていた。進むごとに船の姿は大きくなる。向こうが止まっていることの証明だった。


「クリストファーの船だが……動いていないな」

「あの野郎。ハンデのつもりか?」


 止まっているのか、それとも進めずにいるのか。

 やがて船同士が近くまで寄り、船の中に人が動いているのが確認できるほどになった。


「チャンスだ。いまのうちに――」

「待て――動くな!」


 誰かの声が響いた。

 荒れ狂う天気の中、なにものかの気配を感じ取っていた。瑠璃以外は。

 海の中に何かがいる。なにかが、ぐるぐると二つの船を睨めつけるように旋回している。


「これは……この気配は……!」


 そのとき、海水を吹き上げながら、青色の巨大な体がうねった。あちこちで悲鳴があがり、立ち上るその姿をぽかんと口を開けて見つめる。蛇のような龍のような長い胴体。背中と思しきところには魚のような背びれが揺れている。ちょうど二体、二つの船をそれぞれ威嚇するように現れた。


「シーサーペントが二体!?」

「こいつらが迷宮の主か!」


 シーサーペント、大海蛇。

 瑠璃に自動的にかけられる翻訳の魔法は、性質の似たものが選ばれることがある。瑠璃の世界では未確認生物扱いだが、伝説上・神話上で語られるシーサーペントは、現在では既知の生物の目撃例だったのではないか、と言われている。一般人のイメージはたいてい巨大な蛇であり、目の前のそれも巨大な蛇のようだった。


「で……でか……」


 瑠璃が呆気にとられる中、他の海賊たちは武器を手にした。

 そのうちの一体。

 船に近いほうへと狙いを定める。クリストファーの船でも同じことが起こっているようだった。二匹ならば仕方が無い。


「――片付けるよ、野郎ども!」

「おおおっ!」


 シーサーペントが咆哮をあげると、それがすべての合図になった。

 開かれたあぎとが船ごと食いちぎらんと迫る。剣を持った海賊たちが素早く移動して攪乱する。


「おらあっ! 食ってみろや、蛇野郎があっ!」


 ぬめぬめとした鱗へと剣を突き刺し、そのまま一気に離れる。シーサーペントの頭がそっちの方へと頭を向けた瞬間、反対側から更に誰かが斬り掛かった。頭が逆方向へと向いたその隙に、別の海賊が素早く突き刺さったままの剣へと跳び上がると、柄を掴んでぶら下がった。勢いで剣を抜くと、血が噴き出す。


「……いや、ちがうから」


 蛇野郎、にはなんだかイライラするらしく、指先に巻き付いてやや威嚇する影蛇をひとまず宥めておく。


 見張り台の上にいたバルバロッサが跳び上がって斬り掛かると、剣が僅かに鼻をかすめた。下で網を持った海賊たちが飛び降りてきた彼女を受け止め、そして勢いよく反動をつけさせてもういちど跳び上がらせた。


 シーサーペントの視線がぐるっとバルバロッサを捉え、跳び上がってくる彼女目がけてあぎとを開いた。あと少しで口の中へと入ると思われたとき、突然、爆発音が響いた。長い胴体から煙があがり、痛みからか咆哮があがる。


「金の事なんぞ気にするなッ! 大砲、撃てェ!」


 そうはさせまいと足元の砲台に次々にセットされる玉。魔力を纏ったそれは、発射された後から炎を纏う玉になり、シーサーペント目がけて飛んでいった。見事に胴体にぶち当たったそれは、小さな爆発を引き起こして音を立てる。叫んだあぎとが離れる。


「あっははははぁ! 金貨八枚が見事に飛んでいきやがる!」


 経理担当の海賊が爆笑しながら片手で指示を出す。


「……あの人、普段けっこう冷静なのに……」

「……おう……」


 瑠璃とフランクも隠れながらドン引きするほどの勢いに、周囲もやや引いていた。

 視線をそらせたシーサーペント目がけ、バルバロッサはまっすぐに跳躍していた。大きく刃が空間すら斬るように一閃し、とてつもない音が響いた。シーサーペントの片目に亀裂が入り、空すら揺らすような咆哮が響いた。


「行くぞ、野郎どもォ!」

「イエス、マム!」


 海賊たちが次々に剣を構え、跳び上がっていく。

 尻尾が何度も船の底を叩こうとする。そのたびに胴体で小さな爆発が起きた。まだ失われていない目のほうで海賊たちが動いて翻弄しながら、見えなくなった目のほうで攻撃をする。


「来るぞっ! 構えろぉ!」


 誰かの声を合図に、全員が伏せた。その上を、船の上を薙ぐようにシーサーペントの頭が通っていく。


「うわあーっ!」


 逃げ切れなかった海賊がひとり、破壊された柵と一緒に海の上へと放り出される。

 だが、いまは構っている暇はなかった。頭が通り過ぎてすぐさま立ち上がると、あとのことは非戦闘員に任せて、戦闘のできる海賊たちは再びシーサーペントの体力を削り取っていった。

 誰かの一撃が外れると、それを補うように誰かが一撃をくれてやる。船からはギシギシと音がしはじめ、砲台のひとつが削り取られた。悲鳴が轟き、あちこちから声と指示が飛ぶ。


「これで……沈めェエ!!」


 首元に向けて、燃える火の玉が発射された。首元で爆発したそれはシーサーペントの体力を確実に削ったらしい。ふらっ、とその体が揺らぐ。


 それを合図に、バルバロッサが大きく跳躍した。

 シーサーペントの体を駆け上がり、その頭を踏んづけて跳び上がる。血まみれの大蛇が上を向いた。瑠璃も思わずぞっとする。バルバロッサの視線はまっすぐに下を向いていた。大蛇と女海賊の視線が交錯し、小さな点のように落ちていく。

 一閃。

 大きく振り下ろされた剣が、音をも切り裂いた。

 一瞬だけ音がやみ、静寂が支配した。

 直後に、まるで音が戻ったように凄まじい衝撃が耳から脳へと突き抜けた。

 シーサーペントの体が真ん中からずるっとずれたかと思うと、船の上へと船長が飛び降りた。ぴっ、と刃についた血が飛んだ。

 そのとたん、大きな水しぶきをあげてシーサーペントの体が海へ叩きつけられる。巨大なその体が海面で横たわると、しばらく誰もが黙っていた。


「おっしゃぁああ!!」

「船長が首を取ったぞ!!!」


 おおおお、という声が咆哮のように響き渡る。


「見たか、クリストファーのイキリ野郎が!」

「これが船長の力よ!!」


 いまだシーサーペントと戦っているもうひとつの船を威嚇する。


「しょうがないから助けてやりますかね~~、船長?」


 海賊のひとりが肩を竦めつつ言ったが、バルバロッサは不意に何かに気付いたようにあたりを警戒しはじめた。


「……なんだ?」


 下から突如渦が巻いたかと思うと、二匹のシーサーペントを巻き込みはじめた。

 不穏な気配が漂い、あげられた拳が徐々に下がっていく。

 渦は次第に大きくなったかと思うと、海水が中央に向かって吸い寄せられていった。向こうの船と戦っていたシーサーペントが何かに気が付いたように怯え、突如船から離れた。渦は更に勢いを増し、逃げようとしはじめたシーサーペントをも巻き込みはじめる。


「うおおおお!?」

「全員、どこかに掴まれェ!」


 その動揺と警戒はクリストファーのいる船でも起こっていた。


「な……、なんだこいつはっ!?」

「く、クリストファー船長! 下に……下に何かいます!」

「何がいるっていうんだ、こんなところに……!?」


 大きく船が揺れ、海水が中央に向かっていく。

 目の前のシーサーペントの死体もとっくに渦に巻き込まれ、ぐるぐると大きく旋回しながら真ん中へと落ちていく。


「な……なっ……」

「なんだっ……こいつは!?」


 大渦の中央から、そいつは次第に顔を出した。

 円形に並ぶ巨大な牙が、ひくひくと上下しながら蠢いている。牙の中にはぽっかりと開いた巨大な口があり、その向こうには巨大な目がぎょろぎょろと覗いていた。さきほどのシーサーペントの死体があっけなく口のなかへ呑み込まれていく。


「なんてこった……こいつ……伝説の怪物だ……!」

「カリブディスだ!」

「カリブディスってなに!?」


 瑠璃にはそう聞こえていたが、口の動きとは微妙に違っていた。

 カリブディスと明白に翻訳されたということは、現代にも性質の似た怪物がいるということだ。もしかすると退治方法もわかるかもしれない。


 ――って、スマホは家においてあるじゃん!!


 そもそもスマホがあったとして、電波が届くかどうかは別の話だ。

 だが敢えてその魔物に名をつけるなら。カリブディスという名は適任だった。

 カリブディス、あるいはカリュブディスなどとも呼ばれるその怪物は、ギリシャ神話において、ポセイドンとガイアの娘だった。彼女は飽くなき食欲を持ち、極度の肥満体をしていたという。だが神々の牛を盗んで食べたことでゼウスの怒りを買い、怪物に姿を変えられてしまったのだ。そして彼女は一日三度、食事のために海水を飲んでは吐き出す魔物。実際のところは航海上の難所である、大渦巻の擬人化とも呼ばれるそれは、目の前の魔物を現すのに充分だった。


「くそっ! こいつが本当の主か!!」

「退避だ!! 船を動かせェ!!」


 二つの船が大渦から離れる。だが、ただでさえ雨と風で安定しない。下手をすれば巻き込まれそうな大渦は、目の前で大口を開けている。


「うわあああっ!?」


 バキバキという音とともに、どこからともなく悲鳴が響いた。二つの船から何人かが巻き込まれ、渦の中へと落ちていく。


「おわわわわわ!?」


 右に左にと大きく傾く船。立ち上がりかけたフランクの手を、瑠璃が咄嗟に掴んだ。だが、どちらが離してしまったのか、二人の体は大きく揺らされて柵に叩きつけられた。


「う……ぐっ……」


 したたかに体を打ち付けたせいか、すぐには動けなかった。なんとか床を掴んで戻ろうとする。そのときに船が再び大きく揺れ、瑠璃は再び呻いて床に爪を立てた。汚れた爪が赤く染まる。


「くううっ……!」


 それ以上動けない――顔を顰めた瞬間、その体が何者かによって持ち上げられた。掴んでいた指が離れる。顔のそばに感じる柔らかな感触に目を見開くと、バルバロッサに抱えられていた。もう片方にはフランクが抱えられていた。


「あっ、あああありがとう船長~~~!!」


 瑠璃は目をぐるぐる回しながら叫ぶ。


「役に立たないならすっこんでろって言ったろ、新人」

「はっ、はひ!」


 船が安定を取り戻してきたらしく、二人は床に下ろされた。だが、まだ危険が去ったとは言いがたい。あたりは相変わらず大渦で、少しでも中に入れば巻き込まれてしまう。まだ大きく揺れる船を見回すと、すぐ近くの手すりが少しだけ壊れていたらしく、ぞっとする。

 そんな瑠璃をよそに、フランクは一瞬だけ戸惑ったようだった。


「二人とも中に戻れ、私は――」

「……ごめん、船長」

「は?」


 瑠璃の目の前で、あっけなくその背中が押された。

 バルバロッサの視線が、瑠璃たちから海の底へと向けられた一瞬のことだった。バルバロッサは振り返り際に目を見開いたまま、渦の中へと落ちていった。瑠璃の口が一瞬動いたが、それがすべて言葉になる前に、彼女の姿は渦の中へ消えていったのである。


「船長っ!?」

「船長!!」

「はあああああ!? ちょっ……ちょっと何してんの先輩!!?」


 瑠璃がフランクを見ると、やや蒼白な顔で、押し倒した体勢のまま目を見開いている。だが誰かが次の声をかける前に、瑠璃とフランクの間に飛んできたナイフが突き立てられた。


「ヴァアアアア!?」

「良くやった、フランク」


 声のほうを見ると、ナイフを構えたパウロ副船長が立っていた。


「新人。お前も死にたくなければ抵抗するな」

「い、い、いったいなにを……!」


 船の内部の中でも何かが起こっているようだった。

 ぐらっと船が大きく揺れて、バランスを崩した瑠璃は膝をついた。近くに壁があったおかげで、なんとか転がるのは免れる。後ろにあったカンテラが茫洋とあたりを照らしていた。

 視線をあげると、船の内部から出てきた海賊が、再び中へと引っ張り込まれた。中で戦闘が起きているらしい。


「この船はたったいまから俺のものだ。ヴァルカニアへの航路を開くのも、奪うのも、俺の功績だ」







「はああああああ!? 坊ちゃんが落ちたァアアア!?」


 向こうの船では、バルバロッサが落ちた直後にクリストファーが柵に足をかけ、勢いよく渦の中に飛び込んでいった。


「ちょっと!! アンタまで行ってどうすんですかもおおお!!」

「クソがぁああ!!」

「もうほっときましょうよあんなの!!!」


 阿鼻叫喚なのは変わらず、海賊たちは救出準備に入りながら叫んだ。

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