74-9話 内通・協力・ルート検索

 その船の海賊の一人は、海に向かって一人、集中していた。ひたひたとなにものかが船の側面をのぼり、上がってくる。目を細めると、エイの干物のような姿の亜人が昇ってきている最中だった。


「ご苦労、ご苦労」


 水びたしの干物に声をかけると、エイの干物は片手らしき場所をあげて、ひたひたと近くの樽のほうへと歩いていった。海水の跡を引きずりながら樽の上へとのぼると、ようやく海賊と顔が近くなった。鳴き声にしか聞こえないエイの干物の声に、海賊はふんふんと頷く。時々、へえとかほうとか声をあげた。

 その背後へ、まったく気配を隠さないまま足音が迫った。羊皮紙の巻物で自分の肩を叩きつつ、無警戒なまま近寄る。

 海賊は視線をあげると、にやっと笑いながら振り返った。


「ぼっちゃん。『紺碧の宝石号』がエリア内に戻ってきたようですぜ」

「そうかい。やっぱりな」


 答えたのは、クリストファーだった。

 手に持っていた羊皮紙――地図をばらっと開き、いまの自分たちの位置を確認する。


「必ずこっちに戻ってくると思っていたよ! どのルートを通るにしてもね」

「案外早かったですな」

「スピードはこっちのほうが断然上さ!」


 クリストファーは地図を軽く叩きながら、にやりと笑う。


「しかしまさか向こうの行動が逐一筒抜けとは、思いもしませんでしょうな。なにしろこの船には優秀な魔術師がいますからねえ!」


 けたけたと笑いながら胸を張る男に、横にいた海賊が肩を竦める。


「ドゥーラから逃げ出した奴がよく言うぜ。魔法の師匠とやらが厳しくて、海に逃げて海賊になった奴がな」

「う、うるせぇなあ。おかげでこうやって使い魔を使えてるじゃねぇか!」

「短い間だけな」


 一触即発しかけた二人にクリストファーが豪快に笑う。


「はっはっは! 短期間だろうが僕の役に立つなら何でもいいのさ!」


 その一言で、二人は振り上げた矛を引っ込めざるをえなかった。


「愛しのマイレディだって、まさか僕らが亜人と契約できるなんて思ってもないだろうからね!」

「そうは言いますがね。こんな妙ちきりんな姿の亜人になあ」

「ふん。こいつらはなあ、特に脅威もねぇから亜人って呼ばれてるけど、魔物っつうより精霊に近いんでさあ。そりゃ、使い魔にもなりますよって」

「この見た目でか」


 海賊たちはまじまじと干からびたエイのような精霊を見る。エイの干物は特に興味も無いのか、樽の上に腰掛けてぶらぶらと足を動かしていた。ますます不可解な表情で見返す海賊たち。

 自称魔術師の海賊は、その様子に満足しつつクリストファーに視線を戻した。


「しかし、本当に必要だったんですかい。こっちの方が着実に進んでるっていうのに」

「そりゃあね。把握するだけなら肉眼でも出来る。でも、向こうの協力者とやりとりするにはこれが一番だろ?」


 クリストファーは喉からくっくっと笑い声を漏らす。


 協力者。あるいは内通者とでも言えばいいのだろうか。その人物が接触してきた事は、クリストファーたちにとって予想外の出来事だった。いったい何事かと思ったほどである。

 とはいえ当の人物が語ったことといえば、なんてことはない。バルバロッサの幸福を考えて、クリストファーと手引きをする手伝いがしたい、ということだった。バルバロッサは、レモン農家をやらねば成り立たない下級貴族の更に末端に位置する令嬢だ。彼女が船に乗ることはともかく、彼女の功績がその立ち位置の問題で大きく取り扱われないのは不本意だということだった。クリストファーが本気でバルバロッサを手に入れたいというのなら、その地位向上のためにもバルバロッサに公爵夫人という称号を与えたいというものだった。

 そのために、少なくとも協力を惜しまない――というのが向こうの言い草だった。


 これに対して、クリストファー側はどう捉えたものか考えあぐねた。

 一言でいえば怪しかった。

 これ以上なくめちゃくちゃに怪しかった。

 だが、クリストファーはあろうことかその提案を呑んだのである。


 これが罠であるなら面白い。あるいは、これがバルバロッサを嵌める罠であったとしても、逆に救い出してみせようと豪語したのである。


 そこから、彼らの秘密のやりとりは始まった。

 海賊魔術師である彼が、そのへんでよく見るところの亜人と契約し、使い魔を作る。その使い魔に、それと悟られないように向こうの様子を確認してもらったり、協力者に秘密の報せを貰ったりした。もちろん頻繁にではない。互いに会ってもそれらしい話はしない。


「それに、彼女は必ず追いつくさ。なにしろ――僕の許嫁なんだから!」


 いやアンタの許嫁じゃないだろ、とその場の全員が思ったが、誰も何も言わなかった。


「ふっふっふ。もちろん、それとこれとは話が別だけどね。いくら協力者がいるからって、僕は完全に信用してるわけじゃない。この勝負、僕が勝つ」


 『勝たせてもらう』でも『勝ちたい』でもなく、明確に勝つと宣言したクリストファーに、船員たちはにやにやしながら士気を上げた。


「しかし、直前になってよくわからん人間が増えたって話だったが……、そいつは本当にただの漂流者だったみたいだな」

「そうっすなあ。警戒すべきは使い魔がいるみたいなんで、それくらいでしょうな。協力者からの情報も特に変わってないっすね。ちょっと箱入りっぽい感じの」


 隣で別の海賊が頷く。


「それでほぼ使いっ走りに甘んじてるって話でしたね。脅威ではなさそうですが」

「ふうん。いまのところ、使い魔がいることを隠したいドゥーラの箱入り貴族、というのが可能性のひとつかな」

「それはそれで使えそうですがね」


 海賊が肩を竦めた。

 その可能性が一番高い、と誰もが思っているのだ。


「まあいいさ。いまのうちにマイレディから距離を取るぞ! 最奥にたどり着くにはルートがだいぶ面倒だからね!」


 へい、という声があちこちからして、皆がきびきびと働き始めた。

 それを見つつ、側近の海賊たちがクリストファーを一瞥する。


「しかし船長。うまくいかなかったらどうするつもりなんです」

「主もかなり凶暴みてーですし」

「マイレディを思う気持ちで! なんとかなる!」

「なるほど殴られたいみたいっすね」

「落ち着け。ここで船長を殴っても俺たちがスカッとするけど事態は収拾しねぇ」

「キミたち時々酷いよね?」


 クリストファーはそれだけ言うに留めた。


「まあ、気合い入れていきましょーや。それにこの先、注意が必要なようですぜ」







「おああああ!!」


 その頃。船の上に飛び乗ってくるモンスターの脅威から、瑠璃は逃げ続けていた。

 潮の流れに乗って一気に移動していたのはいいものの、そのせいで船は右側に横から流された。それだけならまだいい。だが、その僅かな混乱のさなかに、瑠璃たち解体班が固まっていたところに魔物が飛び込んできたのだ。


 青緑色の肌をした半魚人の姿に、瑠璃は驚愕とパニックで悲鳴をあげたのである。それを開戦の合図として、他の海賊たちが剣を持って殺到した。瑠璃は巻き込まれないよう樽の後ろへと隠れ、そっと頭だけを覗かせる。

 ゲームに出てくるモンスターのような姿だが、ゲームのグラフィックで見るのと現実で見るのとはやはり違う。それに何より生臭い。ただでさえ船の上で、潮のにおいを常に嗅いでいるのに。

 そして瑠璃はそれ以上に戦う力など皆無である。

 そうなるともう、樽の後ろか部屋の中に飛び込んで隠れているしかやることはない。


 かつてブラッドガルドの迷宮を最奥から入り口まで辿ったように、戦いは任せて引っ込んでいるしかできなかった。何かせめて武器になりそうなもの、と探してはみるものの、近くに投げられそうなものはなかった。

 船の上で大立ち回りを繰り広げる半魚人が、奇声を発しながら近くのほうへと飛ばされてきた。


「うわっ」


 小さく声をあげたせいか、半魚人の目がこっちを見た。目が合う。瑠璃はハッとして、いますぐに逃げられるように立ち上がる準備をした。

 そのときだった。

 海賊のひとりの剣の一閃が目を逸らした半魚人を切り裂いた。フランクの投げたナイフが頭に当たり、更にバランスを崩す。半魚人の体は船の端っこのほうへと追い詰められる。剣がズバッと音を立ててその背中を切ると、踊るようにしてその体は柵を乗り越えた。ぼしゃん、と音がする。


「うっ」


 さすがに痛々しい光景に、瑠璃は呻いた。


「……ふう」


 海賊の男が、ようやく落ち着いたように剣の血を払う。


「す、すごい。強い……」


 だが、素直に称賛する瑠璃に、海賊の男はにやりと笑った。

 戦闘面ではなんの役にも立たないが、この素直さにだけは、海賊たちも悪い気はしなかった。緊急時でないときにも、ナイフを使ってジャグリングをしてみせたりすると、当然のように目を輝かせて褒め称える。そういう意味で瑠璃はそれなりに役に立っていたらしい。


 すべての半魚人が片付くと、フランクが落ちたナイフを回収しはじめた。


「お前、隠れるのだけは得意になってきたな~」

「ダンジョンってそうするしかないじゃん……」

「まだ言ってんのか、それ」


 瑠璃がブラッドガルドの迷宮に入ったことがある――というのは、ある種のジョークであると捉えられていた。


「それにしても、いつまでこんなの続くんだよ~~」

「いつまでって言ってもなあ。そりゃあ最奥にたどり着くまでだろ」


 フランクがおもむろに親指で示したほうを見ると、バルバロッサが床に座り込んだまま、幾人かと協議をしていた。

 戦闘にも参加しないまま、バルバロッサたちの協議は暫く続いていた。

 その目の前には複数の地図があり、どれもこれも小さな矢印が描かれている。


「……次はこのまままっすぐだ。しばらくすれば、左右に小さな島が見えてくるはず。そうすると、左からの海流に乗る」


 まるで迷路の謎解きでもするかのような会話だった。

 事実、そうだった。


 この海上迷宮は海流によって、いくつかの穏やかなエリアに区分けされている。入り口に近い方のエリアは、いくつかの地図によって完成しかかっていた。勿論矢印の方向が間違っているものもあったが、複数の地図によって確認する。そんな作業が進められていた。

 クリストファーの船に追いつくために、全速力で進まなければならない。いまならまだ間に合う。そして、少しでも早くたどり着けるならそっちの方向をとりたい――そういう思いがあってのことらしい。


 瑠璃は自分の周囲に誰もいないのを確認してから、こっそりと尋ねた。


「……ヨナル君は道とかわかる?」


 指先に、ぬるっと小さな黒い蛇が絡む。小さな頭が左右に振られた。


「んー。そうかあ。カメラアイ達はなんか出来ることあるかな……」


 手と樽の間に影を作ると、そこから覗いた目玉たちが顔――というか目を見合わせていた。ちょっと考えるように瞼を閉じさせ、蜘蛛足のふたつを腕組みのように絡ませる。


「きみたちが泳げるなら、先の風景を見てきてもらうとか……」


 カメラアイの目がバッテンになった。

 影がある場所ならまだしも、やはり海水の中は心許ないらしい。


「駄目かー。ヨナル君、上から海流とかわかんない?」


 ヨナルが「さすがにむり」というような目で、指先からじっとりと睨む。

 駄目らしい。


「あれをさあ……せめて回避できないかなって思ってるんだけど」


 瑠璃は広い海へ視線を向けた。

 どこまでも広がる水平線。どこまでも広がる空。

 このあたりはまだ明るい。大丈夫だ。だが、僅かにその明るい空で、動くものがあるのに気付いていた。海賊は皆気付いていたし、瑠璃も気付いていた。まるで雲が中央に向かって巻き込まれるように、かなりのスピードで動いている。

 明らかに進行方向に、あるいは最奥の方向へと向かって存在する真っ黒い雲。ときおりそ黒雲の中で、稲光のような光が走る。音がするほど近くはないが、明確に存在「船は黒雲に向かっている」感。その予感はどうしたって拭えるものではなかった。


 明らかに嵐。

 どう見たってやばい嵐。

 そして徐々に落ちていく太陽の光。


 誰も何も言わなかったが、誰もが気付いている。見た目でわかるやばいもの。


「いや絶対あの中行きたくないんだけど」


 ヨナルとカメラアイたちが目を逸らす。

 それは『フラグ』というものであると、使い魔たちは知っていたのだ。


「――ここだっ!!」


 その途端、バルバロッサの雄叫びにも似た声が轟いた。


「いますぐ船を北北西に向けよ!」


 まさに鶴の一声。

 その声に、一斉に海賊達が動き始めた。てきぱきと船の方向がゆっくりと変えられ、斜めに向かって船が動き出す。

 すると、途中から海賊たちの手によらずとも、船が海流に乗って動き出した。それなりのスピードが出たらしく、皆どこかに手をつけている。


「次のエリアに出たら、今度は北だ。それから東側の海流を通る」

「船長! あの嵐はどうします!?」

「気にするな! 目的地はどうせあの嵐の中だ!!!」


 何人かが、その言葉に一瞬クラッと意識を飛ばしかけた。

 まさかこんなに早くフラグ回収をするとは思わず、瑠璃は死んだ目をした。

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