74-8話 海流・迷宮・滑る床

「あれ? 先輩、どこ行ってたの」


 ふらふらと解体班に戻ってきたフランクに、瑠璃は声をかけた。


「あ~……、なんでもねえよ」


 まるで頭痛でも堪えるかのような顔だった。


「そう? ……はちみつ飲む?」


 こっそりと聞いた瑠璃に、フランクは一瞬目を輝かせた。だがすぐに頭を横に振って、何かを気にするようなそぶりを見せた。


「おいフランク、戻ってきたならさっさとやれ」

「あ、ういーっす」


 返事をして瑠璃の横を通り過ぎたフランクに、瑠璃は首を傾いだ。


 船はいまのところ、問題無く航行を続けていた。

 だが現状、海のどこからモンスターが船に乗り込んでくるかわからない。そのせいか、船内はややピリついた空気があった。せめてシンボルエンカウント制にしてほしいと瑠璃は思った。

 しかし、緊張に晒されてピリついているのは船の末端にいるような下っ端だけで、現場や役職の長を任されるような上位の者たちは、比較的緊張はしていても落ち着いていた。

 とはいえ、迷宮の洗礼が突然のハプニングを生むこともある。


「ああっ、ちくしょうっ。またか!」


 解体班のリーダーが毒付いた。

 船はまっすぐ進んでいたはずが、突然、後ろ側へと押し戻されるように移動し始めたのだ。僅かばかり戻されただけですぐに船は止まったが、その衝撃のせいか、いま解体しようとしている巨大魚の尾がびちびちと跳ねた。海賊たちが巨大魚の頭を抑える。


「おい、コニー! こいつの尾っぽ抑えとけ!」

「へい!」


 コニーと呼ばれた海賊が尾を抑えにいったが、すぐにびちっと跳ねた巨大魚にぶっ飛ばされる。


「めっちゃ元気いいやつだ!」


 瑠璃たちも同じく尾を抑えに行く。

 数人でかかったせいかすぐに大人しくなった。


「それにしても、この船っていまどこに向かってるの?」


 巨大魚の尾を抑えながら、なんとなしに尋ねる。

 頭のほうでは、海賊のひとりが巨大魚の額から生えた角を切り落とそうとしているところだった。ぎこぎこと擦れ合う音がする。


「どこってそりゃあ、ヴァルカニアだろ」

「目的地を忘れたか?」

「そうじゃなくて、なんか変なルート通ってない?」


 この迷宮に入ってからというもの、まっすぐ進んでいたと思ったら突如右側に進んだり、どういうわけか入ってきた方向へと戻っていったりと、じぐざぐと蛇行するように進んでいる。最初のうちはモンスターに気を取られて気が付かなかったが、なにか変な進み方をしている、というのだけはわかった。

 さっきこの魚が暴れた時もそうだった。唐突に船が押し戻されて、バランスが崩れたのだ。


「ああ、そりゃあな」

「ここの海流が特殊なんだよ」

「海流って……、それってここが海上迷宮ってだけじゃなくて?」


 どかっ、と音がした。

 巨大魚からようやく角が切り落とされ、甲板に落ちた。

 今度は鱗を引っぺがす作業に入るらしく、手だけで「ひとまず退け」と指示される。


「むしろここが迷宮だからこそ、じゃねぇかな」

「ここらへんの海流はめちゃくちゃでな。まっすぐ進んだんじゃ、さっきみてぇに突破できずに押し戻されることがある。迷宮の壁みてぇにな。そして船はそれに抵抗できねぇ」


 瑠璃は頷いた。

 風もなかったから、原因があるとするなら海だ。


「ここはな、ある地点に入ると、急に潮の流れに呑み込まれるんだ。どれほど船の進路を保っても、流されちまうんだよ」


 海賊たちは自分の顔ほどもある、丸い硝子のような鱗を手にしながら言う。


「ええ……それ、ずっとなの?」

「いや、ある程度流されると船は止まるぜ」

「そのくせ、反対に潮の流れがまったく無くて、自由に船を動かせるところもある。それこそ迷宮の壁と床だ。わかるか?」


 つまり、海に見えない壁が存在しているのだ。

 モンスターの存在と、壁。それがこの一帯が、迷宮と呼ばれる所以なのだろう。


「でも、海域から運良く追い出されることもあるけどな」

「えっ?」

「下手すると本来行こうとしたルートからは大きく外れちまうがな。そうすると船が迷子になるんだ。そういう場所がいくつもある。前に進もうと思っても突破できないから、方向なんてあってないようなもんだ。迷いこんだら、あっという間に変な方向に流される」

「ま、海流は常に一定に流れてるのだけが救いだな」


 べりいっ、と鱗を剥がして、海賊は言った。

 そのとき、唐突に船に衝撃が走った。


「なんだっ!?」

「来やがった!!」


 その言葉ひとつで、海賊たちが全員臨戦態勢に入った。


「おい、どっかに掴まれ! ここは端っこなんだ!!」

「え!? 端っこ!? なにそれ!?」

「いいから掴まってろ後輩!」


 フランクに服を引っ張られ、瑠璃もそのあたりの壁につかまって自分の体を固定する。するうちに、視界の中に巨大な触腕が現れた。


「でっかあ!?」

「クラーケンだ!!」


 海から現れたそれは、マストに巻き付こうと触腕をぐにゃりと後ろに反らせた。そこへ、火炎瓶のようなものが投げつけられる。ボン、と小さな爆発が起こり、後ろに反った触腕が怯んだ。そこへ、剣を持ったバルバロッサが跳び上がって一閃する。

 凄まじい音がして、触腕の先が海に落ちた。巨大な水しぶきがあがり、船の上に海水が入り込む。


「うわわわ……」

「退避! 退避ー!」


 船の操縦士たちの声が聞こえる。

 勢いよくクラーケンから離れようと、帆を張って風に乗る。もうひとつの触腕が上空から船を叩きつけようとしたが、間一髪で海面を叩かせることに成功した。


「よし! 離れたぞ!」


 だが、安心したのも束の間だった。

 逃げようとした船は、唐突に横方向へと移動しはじめたのだ。


「これは!」

「いかん!! 海流に捕まった!」

「全員、どこかに掴まれぇ!」


 船は潮の流れに逆らえず、更に違う方向へと進んでいった。







 船の操縦を担当していた船員たちは、青い顔をしていた。

 クラーケンに襲われたことでわけのわからない場所へと流され、クリストファーの船も見失ってしまった。そして目の前には、あきらかに船員のいない古い船がある。要は難破船だ。


「せ、船長……本当に、すいませ」


 だがバルバロッサはそれを制した。


 それから、バルバロッサの指揮で、古い船への探索が行われた。

 謝罪は終わった。ならば何か使えるものを探して来いということなのだろう。ただ、瑠璃やフランクといった本来の下っ端は船に渡る必要は無いと言われた。だが代わりに、操縦士の何人かが送り込まれることになった。彼らはごくりと息を呑んだあと、かけられた橋を渡って古い船へと渡っていった。

 最後にバルバロッサが乗り込み、船は静かになった。


「……大丈夫かな」


 瑠璃が見た限りでも、船はずいぶんと古いもののようだった。

 船員の姿はどこにも見当たらない。


「ありゃあ、グライフの船だな。銀狼の印がある」

 とか。

「中には何もなさそうだな」

 とか。

「こりゃ全員逃げ出したか死んでるな」

 とか。


 そんな会話がなされたとおり、もはや船はもぬけの殻らしい。甲板の上に見えた海賊も首を振るのが見えた。誰かが肩を竦め、ぷらぷらと誰かの骨を見せつけてから背後へと放り投げる。瑠璃は思わず手を合わせた。

 しかし、緊張感だけはあった。

 なにしろ、誰もいない船がここにあるということは。


「魔物だあー!」


 向こうの船から声があがり、全員が準備をしはじめた。

 慌てて海賊たちが地下の船室から上がってきた。その後を追って黒い海苔の塊のような手が出てきた。


「なにあれ!?」


 クラーケンから逃げ切ったかと思えば、今度は海苔の塊だ。


「退避だ! 最後尾の奴はわかってるだろうな!」





 最後に橋を渡りかけた探索チームの下っ端が二人、次々に火炎瓶を投げ込んだ。

 船はあっという間に燃え上がり、橋に縋り付こうとした黒い海苔のような塊は炎に飲まれた。下っ端が二人戻ってくると、一気に橋を引いた。甲高い声がして、船にくっついていた人型の未知の魔物が燃えていく。海賊たちは火に巻き込まれないように早々に離れ、遠くから炎上する船を見つめていた。

 探索は無事に終わった。

 だが、これからどうすべきかはまったく見通しが立たなかった。


「ど、どうするんですか船長」


 奇妙な不安が、船内に満ち始めていた。


 梶をとられ、わけのわからない地点まで強制的に流され。

 現在地がわからなくなる恐怖。

 それは迷宮において、混乱を引き起こす最初の前触れだ。


 ところがバルバロッサは笑いながら、海図らしきものを皆の前に向けた。

 海図らしき羊皮紙は何枚かあり、いくつかは破れていたり古びてちぎれていたりした。どれも奇妙な矢印が描かれている。


「こいつを見てみな。さっきの船の中で見つけたのさ」

「……なんです、そりゃあ」

「この矢印は海流の流れですかい」

「ああ、そうさ。この船もずいぶんと苦労したらしい」


 だが、この地図で何故バルバロッサが笑うのか、誰も理解できなかった。

 それどころか。


「こ……この矢印、全部内側に向いてるんですが!?」


 おそらく現在地と思しき場所に、いくつもひっかいたような「✕」の印が描かれている。それを囲むように、周囲の海流が矢印で示されている。それらはすべて、いまいる場所へと入り込む形になっていた。


「このあたりをずっとうろうろしてたみたいだな。そこをさっきのワカメにやられたと」


 誰もが絶望感に打ちひしがれた。

 この海域からもはや出られないのではないか、という恐怖である。

 バルバロッサは素早く視線を巡らせた。彼女側に立っている人間を除き、海図をまじまじと脳天気に見ているのは一人だけだ。

 それは興味と好奇心の入り交じった、いまだ絶望を感じさせない目だった。


 瑠璃が見ているのはこの場所だけではなく、ここに至るまでの矢印だった。『壁』であるはずの海流が矢印で描かれているのは、迷い込んだ時にどちらの方向に進むかの方向だ。だが、それこそ壁を描いてしまえばいいだけの話だ。

 壁であるなら、船が自由に通れる場所を作るようにすべて海流は内側に向かうはずだからだ。だが、そうでない箇所がある。矢印が内側でなく、外側に向けて――まるで別の通路へ向かえる唯一のルートのように描かれている。ここと似たような閉じた箇所でも、必ず別のルートへ向かえる矢印がひとつは存在しているのだ。

 それを示すように、この場所へと向かっている矢印は、同じ方角からでも複数描かれている。まるで少しずつ何かを探るように。


 ――あ、そうか。ギミックなんだ、ここ!


 現代のRPGのダンジョンは、ギミックと呼ばれる仕掛けが施されていることもある。

 たとえばそれは、決まったルートを行かないと道がループしてしまったり、スタート地点に戻されてしまうもの。決まったボタンを押してフラグを立てないと先に進めなかったり、それらのボタンを駆使して開閉する扉を突破するものもある。もちろんそれが罠に繋がることもある。

 罠もそうだが、これらのギミックはダンジョンの内容と紐付けされていることもある。

 炎系のダンジョンなら、特定の床――色が違うとか、そこだけ「溶岩を踏んだ」ことになりダメージを受けたり、氷系のダンジョンなら、氷の床を踏むことで曲がれなくなったり、などだ。ダメージ覚悟で突破して近道をしたり、氷の床を特定のルートで滑ることで取れる宝箱があったりする。

 この海上迷宮もそれと同じなのだ。


 と、なると。 


「船長。もしかして、この海流って……、正解ルートがある?」

「……ほう?」


 バルバロッサはにやりと笑った。


「どういう意味か説明してもらおうか、新人」

「えっ」


 聞いただけなのに、何故か説明するはめになっている。

 海賊たちの視線が痛い。


「ええっと……つまりこれって、迷宮の滑る床みたいなものかなって……」

「アタシにはその滑る床ってのがよくわからんが」

「ううーん。……書くものあります?」


 滑る床のギミックは、たいてい床に矢印が書かれていたりするものだ。氷のダンジョンなら色違いの床で表示されたり、砂漠のダンジョンなら流砂が動いていたりと色々と工夫されている。


 瑠璃は貸してもらった羊皮紙に、四つ角になっている簡易な地図を書く。


「たとえば下のここ。ここをスタート地点として、まっすぐの場所にある宝箱を取りに行こうとした場合。普通なら横の道は無視して歩いていきますよね」

「そうだな」

「でも、この床のタイルに一定方向にしか動けない魔法が仕込まれてたりする。すると、正解の床を踏むとまっすぐ進めるけれど、踏むタイルを間違えるとスタート地点に戻されたり、違う方向に行ってしまう場合がある……あります」

「へえ。迷宮にそんなトラップがあるのか」

「そいつはブラッドガルドの迷宮に?」

「あります」


 無い。

 だが瑠璃は即答した。

 そういうことにしておかないと、まさかゲームの知識です、なんてことは言えない。


「その通りだ!」

「うわっ!?」


 バルバロッサは瑠璃の肩を組むと、その肩をばんばんと叩いた。痛い。


「ここがなぜ『迷宮』と呼ばれるのか、真に理解したようだな! この海域は流れがめちゃくちゃだが、常に一定だ。西に向かって流れている場所は、どれほど海が荒れようと西に向かってしか流れない。前に進もうとしても、反対方向へ潮が流れていれば、船はどうあっても押し戻されてしまう。理不尽な現象だが、それは長い間、この海流が迷宮の『壁』だと考えられていた要因にもなった」


 海賊たちは黙ってそれを一心に聞いていた。


「だが違った――この海流は『壁』でもあるが、いまルリが言ったように、『正解のルート』のある――『動く床』としての側面も持っているんだ」


 海賊たちが目を見張った。


「この海図には足りない箇所がある。矢印がこうもいくつも描かれているのは、おそらく出口を探してひとつずつ突破しようとしたんだろう。とうとう見つけられはしなかったようだが、お陰で範囲を狭めることができる」


 バルバロッサの言っていることを理解したのか、次第にその目に生気が戻り始めた。


「おそらくクリストファーたちもそれに気が付いたんだろう。先人たちが幾度も挑み、敗北を喫し、積み上げてきた地図の中に――突破口がある!」


 重ねられた海図には海流の流れが、矢印でシンプルに描かれていた。

 それは足りない部分もあったが、赤いペンで矢印とともに進むべき道がシルされていた。


 彼らは――マドラスの海賊たちは、それこそゲーム上でマップを把握するような作業を現実でやっていたわけだ。

 だが、上から見下ろすことの出来たり、一歩進めばドットやマス目ごとに進めるゲームと違って、ここは特定の境界の無い現実。それもブラッドガルドの迷宮のように、明確に迷路の形をしているのではない。ここは海の上だ。潮の流れを把握するには膨大な時間が掛かったのだ。それこそ『死んで覚える』ではないが、幾人もの人々の犠牲と冒険によってここまできたのだ。

 それこそ上空からの神の視点とでもいうべきもので、地図などの全体像が把握できる視点を持ってこそだ。

 確実に最奥へと至る道が見えている。


「ということは……!」

「クリストファーの阿呆に遅れをとるな! さあいくぞ野郎ども! 迷宮の最奥へ!!」


 おう、という声が船内中に響き渡った。

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