74-7話 迷宮・戦闘・さぐりあい

 海竜の迷宮。

 その迷宮は海上にあり。

 海域そのものにして、入り口は無く、出口も無い。


 それは海という領域に存在するダンジョン・迷宮の中でも、『魔の海域』『魔域』などと呼ばれる、とある海の一帯そのものである。地図上で見ると巨大な三角形を形作っている。大陸、特にグライフ公国とドゥーラの島の中間地点にあるが、二つの国からすれば回避可能なものである。だが、大陸の大部分とを死の山に隔たれ、海路を主要としているマドラスにとっては、この存在は自分たちを阻むもの。長らく遠回りを強いられたマドラスにとって、この迷宮の攻略はなんとしてでも成し遂げねばならぬものだった。


 ゆえに、その攻略は主に海賊達に託されていた。

 その偉業を成し遂げようと、主に貴族の血を引く者が船に乗った。時に海の呪いに、時に海の魔物達に邪魔をされながら、迷宮へと挑み、そして海の藻屑と消えていった。


 世界に存在する迷宮のうち、ブラッドガルドの迷宮こそが最悪と呼ばれるのは、その過酷さと強大な主ゆえである。しかし海竜の迷宮もまた、『迷宮』の名を冠するほどにひけをとらない。なにしろそこは、船の墓場でもあるのだから。


 そして海賊船『蒼海の宝石号』も、いま、海竜の迷宮へ挑もうとしていた。


「魔物だあああ!!」


 甲板に勢いよく上がってきた魚のような魔物に一気に向かっていく海賊たち。


「魔物だーーー!!」


 彼らによって狩られた魔魚が解体場に続々と持ち込まれていく。


「魔物だ!!?!?!?」


 そして気が付いた時には魔物だったものは素材の塊になっている。


「すごい!! 早い!!」


 瑠璃は素材の塊を仕分けしながら驚愕する。

 その脇でも、フランクや鑑定眼を持つ海賊たちによって、魔物はあっという間に骨と牙に分類されていく。

 他の船への砲撃をしたり追いかけたりはあったが、直接的な戦闘は見た事がなかった。それもあって、この強さは瑠璃には驚きだった。しかしその強さも当然だ。彼らは海賊である。またの名を海の冒険者。その真の強さは、直接的な戦闘にある。

 彼らの真価は敵船へと乗り込んだ際の戦闘能力と、金品を強奪した後の撤退の素早さにあるのだ。


 そんな瑠璃たちの目の前に、新たな素材の基が放り投げられてくる。


「またきた!!!」

「おら、叫んでねーで手ェ動かせ!!」


 この海では、収集した素材がいつ何に使えるかわからない。人間にとって不要なものでも、小さな島の亜人たちにとっては必要なものである可能性もある。はたまた、こっちの島では必要なものが、あっちの島では敵意を向けられる事にもなりえる。

 それに、いましがた収集したこれらの物品も、荷物を圧迫するようになれば重要度の低いものから処分されていく。だからこそ今後の選択のためにも必要な作業なのだ。より良い宝のために。


「ひゃっほおおおお!! また来たぜえええ!!」

「なんかハイになってない!? 大丈夫!!?」

「放っとけ!! こっちはこっちで大変なんだ!!」


 魔物の洗礼に、もはや船の上はちょっとした大騒動が巻き起こっていた。


「まったく。そこかしこから魔魚が乗ってこようとしやがる」


 フランクは途中からぶちぶちと文句を言いつつ、頭を掻いた。


「ああ。この魔物の量は異常だな」

「やっぱり異常なの?」

「そりゃお前、ここに来るまで魔物に会ったか?」


 その問いに、瑠璃は数秒考える。


「……ないね。亜人はいたけど……」

「そうだろ。魔物がいることもあるけど、そりゃあこの広い海じゃ稀だ。だからこの状況は異常なんだよ」

「迷宮に入ったことの証明でもあるな」

「なるほど?」

「……だが、食材になりそうなものはいねぇな」


 横から太い腕が伸び、瑠璃の捌こうとしていた魚を奪い取る。

 瑠璃の体ほどある巨大な体に、巨大な目玉の飛び出た、あちこちから骨の出ている魔魚である。それを軽々と持ち上げて、しげしげと眺める。


「コック長!」

「このあたりでコレか……。この迷宮、一筋縄じゃいかねぇかもしれねぇな」


 その言葉に、解体班の海賊たちが無言のまま同意した。


 しばらくすると最初の魔物の襲来は一段落したらしく、船の上は落ち着きを取り戻した。その僅かな間に、記録班と呼ばれる者たちが、いまの戦闘で目立った活躍をした者たちを記録していた。幸いなことに四肢を失った者はいなかったが、その怪我の細部まで記録された。これは戦闘班だけでなく、解体作業をしていた瑠璃たちや後ろで動いていた者たちまでしっかりと記録されていた。


「私のまで記録するの?」


 瑠璃が尋ねると、記録班の女海賊が頷いた。なんでも、これらが後々の報酬や福利厚生に関わってくるのだという。普段でも記録はつけているものの、特にこういった迷宮内ではしっかりやっておくのが定石なのだという。そうすることで船乗りの減少を防ぐのが目的だと女は語った。

 それから、食事も班ごとに手が空いた時にとることになっていた。これも普段の航海とは違っていた。島や大陸の迷宮とは違って、海上迷宮ではいつ何が起こるかわからない。だからこそ交代で休息をとったり、海の監視に回ったりということが必要になるらしい。

 それに、コック長が渋い顔をしていたのを皆見ていたらしい。普段は皆が避けるような固形食糧も誰も何も言わずに口にしていた。


 バルバロッサが干し肉を歯で噛みちぎりながら、甲板を歩く。

 その目線の先にはパウロ副船長が、望遠鏡をのぞき見ていた。


「何か面白いものでも見えるか」

「向こうの船も侵入したようだ」

「クリストファーか。何してる?」

「さっきまで魚と戯れてた」


 バルバロッサが片手を差し出した。パウロが僅かにその手を見てから、望遠鏡を渡す。片目で遠くの船を見ると、なるほど確かに今は静かなようだった。バルバロッサは鼻で笑ってから望遠鏡を返す。

 パウロは望遠鏡を受け取りつつ、肩を竦めながら尋ねた。


「まだ海域に入ったばかりでこれだ。どう思う?」

「面白いじゃあないか」


 笑うバルバロッサに、パウロはため息をついた。


「そう言うとは思ってた。――どこへ?」

「いまはもうひとり、面白そうなのがいるからね」


 パウロが目線を向けると、その先には瑠璃がバケツを持って走り回っていた。その眼前から、魚の群れが跳び上がってくるところだった。

 その後始末をバルバロッサに任せて、パウロは再び望遠鏡で向こうを見た。







「ヴァーーーっ!!?」


 瑠璃が奇声をあげて慄いたその瞬間、目の前を刃が一閃した。

 バルバロッサの髪がぶわりと広がり、踊るように次々と空を飛ぶ魚を真っ二つに切り裂いていく。彼女がくるっとターンして甲板に降り立った時には、その周囲にびたびたと魚たちが落ちた。真っ二つになった上と下が、びちびちと跳ねて絶命する。


「ひえっ」


 思わず悲鳴をあげた瑠璃を、バルバロッサが振り返る。


「ほら、ぼさっとしてんじゃないよ新入り」


 にやっと笑うと、剣についた血と海水とを振り払う。甲板に赤い色の水滴が落ちた。


「あ、ありが……」


 続けざまに、バルバロッサの背後から巨大な青白いウツボの口が飛び出してきた。瑠璃の口が開いたままになる。ただのウツボではなかった。なにしろ数メートルはありそうな巨躯が、人間というより船目がけて飛び出してきたのだ。青白い皮膚に、黒い点々の模様のある表皮は、竜というにはグロテスクすぎる。

 海賊たちの視線が集まった一瞬の間に、ウツボの顔面に幾重もの白い線が縦横無尽に走った。

 それがバルバロッサの刃が走った跡なのだと気が付く前に、ウツボの巨大な頭がばらばらになった。ぼたぼたと甲板に破片が落ちて、残りの半身が海の中に落ちていく。血が海面に漂ったのを見るやいなや、海賊たちが船のスピードをあげた。血が広がればもっと恐ろしいものがやってくるのは、迷宮の外だろうが中だろうが変わらない。


「あ~、もったいないねえ」

「すごい!! 早い!! 強い!!」

「あっははは!そりゃダテに海賊やってないからねぇ!!」


 サッと剣についた血を拭い、腰に収める。


「ところで新人」

「は……。なんですか」

「この迷宮はブラッドガルドの迷宮と比べてどうだ?」


 あっさりと聞かれたせいか、瑠璃は最初その問いを呑み込むことができなかった。


「えっ……いやあれはジョークの類……」

「類じゃあ、ないだろ?」


 バルバロッサはにっこりと笑いながら瑠璃の肩を抱いた。悪戯っぽい眼がにいっと笑う。大きな胸が瑠璃の頭の横に来ると、同じ女性なのに――同じ女性だからこそ、まじまじと見そうになってしまった。それ以上にがっしりと腕で掴まれ、あきらかに逃がすつもりはないことを物語っている。


「ちょうどいい。いちど、アンタと話してみたかったんだ」

「と、言われましても」


 瑠璃は困惑する。


「質問はさっきしたじゃないか。ブラッドガルドの迷宮と比べてどうかって」

「ど……どうって言われても、めっちゃ魔物が積極的というか。私の時は、詳しい人と行ってたから……できるだけ回避できてたけど……」

「ふうん?」

「ええと、勇者がブラッドガルドの迷宮を攻略して、その情報が出回ったというか。いまはどうなのかわからないけど……」

「ああ! そういえばそんなこともあったねえ」


 ぽん、とバルバロッサが手を打つ。

 瑠璃の首が腕に巻き付けられ、窒息寸前になりかけた。


「まったく、アタシたちがここを突破できないでいるあいだに、最高の栄誉を勇者にかっ攫われるなんてねえ。あっははは!」

「は……はあ。そうですね」

「ま、とにかく情報があるってのはいいことだ。いまはともかく?」

「うーん……。いまはどうなってるんだろう……」


 正直、ブラッドガルドの迷宮もそれはそれで色々と変化している。そもそもが宵闇の迷宮と化した時点で、道筋はかなり変わったらしい。更にブラッドガルドの手に迷宮が戻っているから、いまはどうなっているのか定かではない。


「いまがどうか、は問題じゃないんだよ、ルリ」

「……とゆーと?」

「道筋がわかりきってて、魔物が回避できる――それが重要なんだ」


 瑠璃はその言葉に、ひとつ瞬きをした。


「この海竜迷宮の厄介なところは、魔物どもが回避できないことがあるってところだよ。見てみな」


 いましがた離れた場所を示される。

 頭の無いウツボが、サメに捕食されるところだった。がぶりと牙がウツボの体に噛みつく様は、まるで現実感が無い。安全なところだからというのもあるが、どことなく迫力さえ感じる。

 おお、と瑠璃が感嘆の声を出しかけたとき、水面に出ていたサメの頭が突如持ち上がった。


「ふぁっ!?」


 海面から突如としてサメを持ち上げたのは、青い肌のドラゴンのような生物だった。海面から持ち上げられたサメは、ドラゴンの牙に咥えられてなすすべもなくぐったりと横たわっていた。どうやら血に誘われてきたらしい。現代のように、血に誘われるのはサメばかりではないようだった。

 それはイルカのような尻尾だか足ヒレだかわからないものを振りながら、一気に海面の中に戻っていった。水しぶきをあげて、血の一滴すらそこに残さず、僅かな泡ばかりを残して、海面が静かになっていく。


「うわ……」


 その凄まじい光景に、瑠璃は言葉を無くす。

 バルバロッサはというと、引き気味の瑠璃をよそに爆笑していた。


「ああいうのがごろごろいるんだ。もちろん、大陸のダンジョンや迷宮でだってああいうことは起こりうるだろ。だけど、ここではその比じゃあない。ここでの足は船そのものだからな」


 コツコツと足で船の甲板を叩く。


「魚の一匹一匹は大したことなくても、回避できないうえに船に乗ってこられちゃあ、相手するしかない。もちろん、その後で逃走できれば御の字だ。ただ、そういう細かいところで消耗する。過酷さで言えばブラッドガルドの迷宮以上さ」

「……ええと、つまり?」

「戦闘で役立たずならさっさと隠れておけってことだよ!」

「あいたっ!!」


 ばしばしと背中を叩かれ、瑠璃は悲鳴をあげた。


「よおーし、わかったら行っていいぞー」

「ううう」


 背中がじんじんと痛むなか、わけがわからないまま解放された瑠璃は、二重の意味でほっとしていた。


 その瑠璃が自分の仕事に戻ったのを見ると、バルバロッサは視線を動かして目当てに人物へ向けた。


「おーい、フランクぅ」

「はいっ!」


 呼び止められたフランクが、びしぃっ、と敬礼する。


「ちょうどよかった。アンタにもちょっと聞きたいことがあったんだ」

「はっ、なんなりと!」


 呼び止められたことに意気込んで頬を染める。

 その頭が、バルバロッサの手によってがしっと掴まれた。


「えっ」

「――アンタ、あの新入りのことで隠し事してるだろう?」


 にっこりと笑いつつも、声を潜めるバルバロッサ。その眼は笑っていなかった。

 それに気が付いたフランクの顔から、ざぁっと血の気が引いていった。

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