74-5話 貴族・求婚・海上迷宮

「誰あの人?」


 茫然としたというか、呆気にとられたというか。そんな瑠璃に、海賊達は苦々しさを隠しもせずに答えた。


「ありゃあ、エルナン家の坊ちゃんだ」

「エルナン家?」

「ああ。クリストファー・C・エルナン。エルナン侯爵家の次男で、マドラスじゃ指折りの貴族様さ」

「侯爵……って結構偉い人じゃない!? なんでそんな人がこんなところに?」


 海賊たちは肩を竦める。


「そりゃあ、マドラスじゃ海を制する者が偉いのさ」

「エルナン家の功績は、迷宮戦争まで遡るしな」


 迷宮戦争は、ブラッドガルドの迷宮拡大を発端に起こった世界を巻き込んだ戦争だ。地上に侵出した迷宮によっていくつかの小国が滅んだ後、放棄された土地と迷宮資源を求めて各国の精鋭が迷宮に集った。ブラッドガルドを倒し、大地を人間の手に取り戻す――という名目だったが、当時のヴァルカニア第二王子ヤバルが他国の者に暗殺されたのを切っ掛けに、僅かな小競り合いはやがて対国家間の大戦争へと走り出していった。

 そしてそんな迷宮戦争には、マドラスも無関係ではなかった。

 マドラスはかねてからグライフ公国と膠着状態にあった。理由は様々だが、大きな理由の一つに宗教的な対立もあった。既に聖教として女神セラフ信仰が存在していたグライフと違い、マドラスは海とともにあった。しかも周辺の小島に生息する海の亜人や、水の魚――即ち海の女神チェルシィリアを信仰する少数民族とも交流を持ち、マドラスには海の女神信仰が自然と根付いた。

 べつだん対立していない二柱だが、古い神話が忘れ去られた現代の人間レベルではそうはいかなくなっていた。そのうえ同じ女神であるということも災いした。

 繰り返される小競り合いと緊張は、迷宮戦争をキッカケに爆発。マドラスはこの時とばかりに海側から侵略し、北側の海だけでなく、南側の海からも挟み込んだ。向こう側に地の利があるならこちらは海の利とばかりに、グライフもヴァルカニアも迷宮資源も手に入れようと一斉に攻撃を仕掛けたのだ。


 その中で活躍したうちのひとつがエルナン家――ということらしかった。


 だが、迷宮戦争後に蔓延した呪い――黒き病は確実にマドラスにも忍び寄った。撤退を余儀なくされた艦隊だったが、自国の船に火を投げ込まれるような事態になった。結局、迷宮戦争は敗者しか生まなかったのだ。どこもかしこも疲弊しただけで終わり、いまがある。

 だがそんな中でも、エルナン家のように後世まで名家として残った貴族もいる。


「は~、だからあんな……なんというか……」


 瑠璃は視線をクリストファーに向ける。


「海の宝石たるきみを手に入れられることができれば、どれほどの宝を積んだって構わないんだよ、僕は!」

「宝だけ置いて帰れ」


 どれほどバルバロッサに睨まれても、聞いているこっちが恥ずかしくなるような甘い台詞を吐く。あまりに直接的な求婚に、瑠璃は困惑していた。

 しかもクリストファーが何か言うたびにポーズを決める上、いちいちキラキラして眩しい。何かの魔力でも纏っているのではないかと思うくらいである。そのたびに向こうの乗組員が、クリストファーが落ちないようにはらはらしていたので、そこだけは同情を禁じ得ない。

 最初のうちはけんか腰だった海賊達も、次第に呆れと「早く終わらねーかな」といわんばかりに死んだ目になっていく。横を見ると、既にフランクも聞き飽きているのか欠伸をかみ殺している。


「これいつまで続くの?」

「船長がぶち切れるまでだろーな」

「そろそろ船長が大砲をぶっ放す頃だろ」

「それはそれで凄いな……」


 もはや力業だ。

 しかもこれがだいたいの「いつもの流れ」というやつらしく、皆慣れたものだ。


「……で、だ。なんでそんな奴が船長に突っかかってくるかっていうと――」


 海賊がクリストファーを指さす。


「僕はね。きみのような、強く美しい女が、バルボア家のような弱小貴族にいつまでも居るのが我慢ならないんだ! レモン農家のまねごとをしてるようなところにね。きみが本当に海賊たりえるなら、いつまでも意地を張っていないで、僕の所へ来ればもっと輝ける!」

「そのつもりは無いと、何度言ったらわかるんだ」

「建前と言ってくれないかな! 何度も言うが、きみは、僕の花嫁に相応しい」


 瑠璃は瞬きをした。


 ――船長も貴族だったんだ……。


 海賊行為が認められている国なら、それもそうかもしれない、と思った。それでもクリストファーの言葉からして、侯爵家と比べるとだいぶ下位の貴族だろう。それなのに、クリストファーの求婚を突っぱねられるくらいのふてぶてしさと豪胆さがあるらしい。それが許されているのも、海賊としての腕の良さなのだろうか。それともクリストファーの惚れた弱みというやつなのか。

 どちらにせよ、バルバロッサはひとつため息をつくと、腕をすいっと動かした。


「よーし、ピサロ副船長。大砲の用意だ。あのアホに一発ぶち込んでやれ」

「了解、船長」

「おっと! いつまでもそういうわけにはいかん!」

「ああ?」

「さっき言っただろう! 海賊の掟に従い、勝負を申し込むと!」


 全員の動きがぴくりと止まった。

 ほんの少しだけ、「本気だったのか……」と言いたげな空気が流れたが、それもこれも普段のクリストファーの言動ゆえなのだろう。


「坊ちゃん、本気だったんですか?」


 向こうの部下にまで同じことを言われている。


「本気だ馬鹿者!! 僕を誰だと思ってる!?」


 クリストファーはそう叫ぶと、勢いよくバルバロッサを指さした。


「ドゥーラの島と大陸の中間にある『魔の海域』――あそこをどちらが先に抜けられるか、勝負といこうじゃないか!」

「な――」


 海賊達がいきり立つのがわかった。


「魔の海域だと!?」

「お前! 頭イカレたんじゃねぇのか!?」

「いくらなんでもそりゃあ!」


 ――え、な、なに急に?


 今度こそ「いつもの流れ」なんてものじゃなく、怒りが入り交じった奇妙な緊張感が走った。とはいえ瑠璃が幾ら疎いといっても、『魔の海域』なんて名前を付けられているんだから並大抵の場所ではないことはわかる。

 海賊達の罵声はやまなかったが、それは想定内というようにクリストファーは動じなかった。それどころか、向こうの部下達は騒いでいない。これはもう向こうの船にとっては決定事項なのだろう。


「ゴールはもちろん、ヴァルカニアに続く海岸だ。いい加減この鬱屈を突破しようじゃあないか?」

「ヴァルカニアだと……。お前、最初からそのつもりで……?」

「勿論だ!! 僕らはあの海域を越える! 越えてみせる!」


 ドン、とクリストファーが船を叩く。


「魔力嵐の出現以降、海の迷宮と化したあの場所を――僕らは攻略する!」


 今度こそ、バルバロッサの目が大きく見開いた。


「海の迷宮……!?」


 瑠璃も別の意味で驚いていた。その様子を見ながら、海賊達は呟くように言った。


「……マドラスで海賊が認められてる最大の理由はそれだよ」


 そして、迷宮戦争当時、マドラスが撤退を余儀なくされた理由でもあった。

 それはヴァルカニアを中心とした魔力嵐の副作用だ。魔力嵐によって近くの海域は影響を受け、ドゥーラとヴァルカニアを結ぶ海流はめちゃくちゃになった。そのせいか、海の上でありながらダンジョン化した箇所がいくつか存在するのだ。

 しかもそれは悪いことに、マドラスが大陸へ向かうのに重要な航路上に出現してしまったのだ。島国であるドゥーラと大陸は縦に行き来ができるため、ダンジョンを避けることができた。だが、マドラスは違った。横に突っ切らなければならないため、大きく影響を受けたのだ。


 マドラスが他国へ行くには、海を排除すれば死の山脈を越えるしかない。山を越えるか、海を越えるか――マドラスが選んだのは、海の冒険者たる海賊として力を付けることだった。ダンジョンと化した海を攻略することを選んだのだ。


「僕はね、バルバロッサ! キミにチャンスをあげようっていうんだ。最後の海域を渡るのは僕が先さ」

「……」

「迷宮戦争以来、あの海域を塞がれてしまった鬱屈をぶち壊すチャンスだ」

「おい、キザ野郎! あの海域はただのダンジョンじゃねぇ! 迷宮だぞ!」


 横から海賊たちが抗議の声をあげたが、やはりクリストファーは動じていなかった。


「勿論返事はすぐにとは言わない。けれど……、バルバロッサ。きみがノーと言っても、僕らは行く。きみならわかるはずだ。この海の忌々しいダンジョンを二つも攻略したきみなら。鬱屈したあの迷宮を攻略することで何が起こるか」


 バルバロッサは、珍しく黙り込んでいた。その瞳からは何も読み取ることができない。


「……船長」


 ピサロ副船長が声をかけたが、彼女はそれでも沈黙を貫いた。


「三日後だ。三日後、僕らはあの迷宮の前に立つだろう」

「……クリストファー、お前……」

「そのときを楽しみにしているよ、バルバロッサ!」


 クリストファーは踵を返すと、船の奥へと歩いていった。


「さあ野郎共! 寄り道は終わりだ!」

「おうっ!」


 あれでも船長として一応信頼はされているらしい。船はあっという間に踵を返し、小島から離れていった。周囲の海賊達は茫然としたままその様子を見送り、誰ひとりとして大砲を撃とうともしなかった。それほどまでに衝撃だったに違いない。


「嵐のような奴だったね」

「あー……」


 フランクも頭を掻き、どうしたものかとばかりに言葉を失っていた。


「どうするんですかい、船長」

「……」


 ピサロ副船長の言葉にも、しばし沈黙を貫く。

 そんな様子を見ながら、瑠璃は迷宮のことを考えていた。


 ――……迷宮かあ……。


 まさか海がそんなことになっているとは思わなかった。

 そもそも海上がダンジョンや迷宮になっている、と言われてもイメージが湧かない。ダンジョンということはモンスターもいると思われるが、果たしてそれだけなのだろうか。


 ――というか、ブラッド君に代わって謝りたいくらい魔力嵐で色んな事起きてる……!!


 そんなことをしても無駄なのだが、思わずそう思ってしまうくらいには色々起きすぎている。

 攻略されたダンジョンもあるという話だから、きっとこれまでにも航路は開けていたのだろう。だが、最大の難所が残っているのだ。ヴァルカニアに向かうだけでどうしてこんなに――とは思っていたのだが、ともすれば死の山脈以上の難所がそこにあるのだ。


 だが、海を根城にする民として。

 海とともにある国として。

 そしてなにより海賊として。


 これを目指さずにいられようか。

 瑠璃は、海賊達の瞳にふつふつと炎が灯るのを見た。それは期待であり、高揚であった。バルバロッサがどんな選択を下すのか、まったく疑ってもいない目だった。純粋で、心躍る危険に突っ込んでいくのを期待する勇猛さをなんとか抑え込んでいるようなものだ。


「……三日後、とあいつは言ったな?」

「はい」

「そうか」


 バルバロッサが振り向くと、海賊たちはもはや笑みを抑えきれなかった。


「先を越されるようなヘマをする乗組員は、この船にはいないはずだ。そうだな?」


 各々が、小さく返事をする。


「――総員、三日後に向けて準備を整えろ。これより、我らは魔の海域――『海竜の迷宮』を攻略する!」


 号令が下され、海賊たちの怒号のような雄叫びが響いた。

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