74-4話 予感・航路・魚人の島

 翌朝。


「おい起きろ新入りィ!!」

「んがっ!?」


 フランクにたたき起こされた瑠璃は、混乱の極地にあった。


「おらっ、シャキッとしろ!」


 ここが船の上だということを思い出すと、昨日のことが夢ではなかったと再確認した。何故扉を開けたら下が海だったのか、いま思い出してもよくわからない。仕方なく起き上がる。下っ端の寝室の更に隅っこという変なところで縮こまって眠っていたせいか、完全に体は固まってしまっていた。腰を伸ばしてなんとか起き上がる。


「先輩、朝っぱらから元気だな~~……」


 船の揺れもあったせいか、興奮で最初はまったく眠れなかった。疲れもあって途中から気絶するように眠ったが、それでも満足に眠れたとは言いがたい。


「おい、後輩……」


 フランクはきょろきょろと周囲を気にしてから瑠璃にこそこそと尋ねる。


「それより、レモンのケーキは一人で食ってはないよな?」

「めっちゃ気に入ってるじゃん……」

「うるさいな!? お前が勿体ないって言うから……!」

「ああ、うん。ちゃんと残ってるよ」

「そうかそうか!! ならいい」


 フランクは答えを聞くと、上機嫌でスキップするように先を行ってしまった。


「どうした小僧。機嫌がいいな」

「まあな!!」


 その後ろ姿を見ながら、瑠璃はスッと肩の辺りを手で抑えた。肩口からヨナルが威嚇していたのをなだめておいた。どうもケーキをとられたのを根に持っているらしい。すっかり他人事のようになだめている瑠璃の手を、『きさまも同罪だ』と言いたげに噛んだ。


 ――……これはちょっと、節約する必要があるかもなあ。


 もちろんレモンヨーグルトケーキは生ものだから、ここで消費しておかないと逆にもったいない。ブラッドガルドの口に入るかどうかではなく、ここで腐らせてしまうほうが勿体ないと思ったのだ。


 他のものはヨナルの中に保管してあるおかげで、かろうじて冷蔵庫保管できている。賞味期限内なら大丈夫だ。

 チョコレート系のお菓子は、箱があと四つ。

 クッキーアソートは缶入りが一つ。

 ハチミツ漬けレモンが二つ。そのうちのひとつは開封済みだ。

 それからソーダが二つ。


 意外にあるように見えて、意外に無い、という微妙なライン。前回、ヴァルカニアまで赴いた時は完璧な準備をしていったものの、今回はものの見事に食べ物しか持っていない。そもそもそれまで屋内だったので靴すら無い。だが、ここがどのあたりなのかわからない以上、ひとまずこの生活を続けるしかない。


 ――……よしっ!


 瑠璃は両頬を叩くと、気持ちを切り替えることにした。ここでうだうだしていても仕方が無いのだ。そのままフランクの後を追った。


 それから三日目ともなるとロープの結び方を学び、彼らが連絡用に使う最低限の信号を教えてもらった。


 四日目になると、通りすがった商船に大砲を放ち、一触即発の事態が起きた。事を交える前に商船が逃げ去っていってくれたおかげで難を逃れた。

 彼らからすると、こっちの航路を侵略しているから――というのが見解らしい。まわりの海賊たちは舌打ちをしていたが、なんとか最悪の事態は避けられたことに瑠璃はホッとしていた。

 代わりに、釣った魚のさばき方と内臓の処理の仕方をフランクに教わることになったが、これが生臭くてしょうがなかった。いままでにないくらい嫌な顔をする瑠璃を見て、フランクはにやにやしながらやらせるだけだ。


 その様子をそれとなく眺めながら、バルバロッサは隣に立つ男に尋ねた。


「あれの様子はどうだ? 副船長」

「まあ……びっくりするほど馴染んでるが、特に変わった様子は無いな。たまに地図をのぞき見ているようだが、その程度だ」


 副船長、と呼ばれている男が首を傾げる。


「本当にただの漂流者だったのかもしれんが……。それにしたって、船長も船長だ。何も聞かずにこの船に乗せるなんて……」

「アタシの鼻はよく利くんだ。アンタも知ってるだろう?」


 にやりと笑う。


「あれはとんでもないものの予感がするんだ。お楽しみは後にとっておくものさ」


 そこで、がたーん、と音がして魚の内臓が入った桶がひっくり返った。


「あー!! 内臓が!! 内臓がこぼれたぁあ!!!」

「おい~、気をつけろよ新入り~!!」

「フランク! お前もサボるな!!」

「うわっ!!」


 途端に巻き起こった騒動に、副船長はなんともいえない表情をする。


「……そうか?」

「そうだよ」


 ただ騒がしいのが増えただけに見える。瑠璃の様子を見て爆笑しているバルバロッサを見ると、それ以上は何も言わなかった。


 五日目になると、向こうのほうに小さな島が見えた。船はそこにまっすぐ向かっていた。


「ようし、上陸するぞ!」


 バルバロッサの一声で、他の者たちは上陸の準備をはじめた。船がつき、錨をおろすと、桟橋をかけて次から次へと下船していく。ほとんどが原生林に覆われた島だ。そのせいで全景は見えないが、それほど大きな島ではなさそうだ。


「人間はいないから、逃げようとしても無駄だぞ」

「うっ」


 近くにいた海賊に釘を刺されつつ、瑠璃は首を傾げた。


「……ん? 『人間は』いない?」


 それなら無人島、という言い方になるはずだ。こちらの世界にそういう言い方が無いのかとも思ったが、それにしたって妙な物言いだ。

 すると、岩場の影からひたひたと何かがやってきた。それぞれ青い肌や赤い肌をしているが、体の作りは同じ人々だ。二本足で立ち、体はつやつやとした鱗に覆われている。頭には髪の毛ではなく魚のヒレのようなものがいくつも飛び出していて、背中にまで通じている。半魚人だとひとめでわかる姿をしていた。

 呆気にとられていると、バルバロッサが前に出た。


「ヤーハー」


 両手をあげて挨拶めいた事をする。半魚人たちも同じやりとりをしているから、通じてはいるらしい。それから副船長と、他に二人が護衛としてついていった。

 その間、瑠璃を含めた他の海賊たちは待機という形になった。


「先輩。あのひとたちは?」

「マーマンだよ。ここは海の女神のお膝元だからな」

「いや繋がりが全然わかんないんだけど。海の女神様の眷属ってこと?」


 瑠璃が首を傾げると、別のほうから声が聞こえた。


「俺たちにゃあ眷属に見えるが、奴らに言わせると信仰者だと」


 ぞろぞろと、海賊たちが寄ってくる。

 どうも彼らもこの時間を持て余しているらしかった。まわりを見ると、他の海賊たちも思い思いに過ごしているようだ。瑠璃は改めて目の前の海賊たちを見上げた。


「信仰者って?」

「ああ。奴らはエルフどもと一緒で、古い精霊信仰なのさ。知ってるか? この世界を四人の精霊だか、神だかが作ったっていう古い話だ」

「あ、ああ、うん」


 知りすぎるほど知っている。


「あれの水の魚だかなんだか、とにかくそういう女神を信仰してるのさ。奴らからすると、人間も風の女神の信仰者らしいからな」

「……あ~~」


 なんとなく言いたいことがわかってくる。


「ここにいる亜人はマーマンだけなの?」

「いや。たまに人魚が来たりしてるぜ。奴らは仲良くしておいてソンはねぇぞ。海賊やるなら尚更だ。船を転覆させるような奴もいるがな。それから、ほら、あっちも見てみろ」

「あっち?」


 指さされた方向の岩場を見ると、岩場の上に何か小さなものが数匹集まって話しているようだった。細くて干からびたような体に、長い尻尾に細い手足。


「なんかエイの干物みたいなのがいる!!!?」


 要するにジェニー・ハニバー……もといエイの干物のような姿をした魚人が数匹集まって動いていた。なかなかにシュールな光景だ。


「あいつらは言葉は通じねえが、なんもしてこねぇな。正直なんなのか俺達にもわかんねぇ」

「いや見た目のインパクトがすごい」


 それしか言えない。


「しかし新入り、おまえ亜人は平気そうだな? いいとこのボンボンかと思ったが」

「マーマンも見たことが無かったってだけで……特に怖いとか嫌いとかは無いよ」

「ほー。フランクなんぞ最初に見た時は大声あげて腰抜かしやがったがなあ」

「おいっ! 驚いただけだろ、話を盛るなっ!!」


 怒り出すフランクに苦笑する瑠璃。


「だいたい、トムだってドワーフみてぇなもんだろ!」

「お? それは俺がずんぐりむっくりだって言いてぇのか? ああん?」

「ちょっと~~、こんなとこで喧嘩しないで!」

「なんだ、やんのか新入り!」

「なんでこっちに矛先向けんの!?」


 ぎゃははは、と周りの海賊たちがやりとりに笑う。


「ま、俺達だって、海の信仰者だって意味じゃ奴らと変わりねぇな」

「俺達の国は海とともにあるからな」


 うんうん、と海賊達が頷く。


「国? この船、私掠船なの?」


 それとなく探るように尋ねる。

 私掠船は、国から敵国の船を襲ったり荷物を奪うことを許された民間船のことだ。大航海時代あたりから現れた制度で、航路の拡大によって海軍ではカバーしきれなくなったところを補うために始められた。ただし、やっていることはほとんど海賊だ。私掠船から本物の海賊になる者もいたという。私掠船だからという主張が他の国にも通じるかどうかも別問題である。

 現在においては、海賊と私掠船はほぼ同一のものとして語られている。


「私掠船!? はははっ! あんな気取り屋どもと一緒にされてたまるかってんだ!」


 爆笑しているところを見るに、どうやら機嫌は損ねずに済んだらしい。


「私掠船だの抜かしてたのはグライフ公国とか向こうの国だろ? 海賊だって認めればいいのになあ」

「その点マドラスは違うぜ! マドラス国は、昔ッから海の国だからな。死の山脈のおかげで」

「え……おう? どういうこと?」

「なんだ、知らねぇのか新入り」

「そもそもこの船がどこの船なのかからサッパリだよ」

「お前、わかってなかったのか!?」


 驚くフランクをよそに、ひひひ、と海賊の一人が笑った。


「そうか、じゃあマドラスの船だってわかって良かったな」

「全然わからないよりはマシだね」


 相変わらずそれ以外はまったくわからなかったが、なんとかマシになった。


「ところで、死の山脈ってなに?」

「マドラスと公国との間にあるロードレール山脈のことさ。バカ高くてバカ寒いあの岩山だ。知らねぇってんなら今知ったな。俺達は死の山脈って呼んでる。あれのおかげで公国に侵略されずに済んでるが、代わりに、公国より向こうの国に行くには航路を使うしかねぇからなあ」

「特に、あのへんは動きがあったからな。船長もできれば航路を開拓しておきたいんだろ」

「あのへんって?」

「さすがにそれは知らないとは言わせねぇぞ。ヴァルカニアに決まってるだろ」

「えっ」


 そこでようやく知っている国の名前が出てきたので、瑠璃は思わず戸惑った。その戸惑いは、ごくあたりまえのものとして受け止められたらしい。海賊たちはその反応に特に何も示さなかった。

 それよりも、向こうのほうから足音が近づいてきた気配に、海賊たちは次々と振り返った。


「話がついたぞ。運び込め!」


 バルバロッサの一言に、男たちは答えた。

 こちらの船から運び込んだのは巨大な亀の甲羅だった。いくつかのパーツに分かれている――というより、割れている。


「なにこの……なに?」

「鉄亀の甲羅さ。こっちじゃ二束三文にもならねぇが、奴らにとっては重要なんだよ」


 私掠船ではない、海賊だ――と彼らは言ったが、取引や交易のような事も行っているらしい。航路を使う上での重要な拠点や、昔から取引のある亜人たちとでは、略奪行為には走らないようだ。更に話を聞くと、海の厄介なモンスター討伐なども引き受けているらしい。航路の開拓にも携わっているところからも、一口で海賊といっても意味は様々なものがあるらしい。

 海で活動する非公式の冒険者――と言っても良さそうだった。

 搬出が終わる頃には、バルバロッサがほくほくしながら宝箱のようなものを手にしていたので、やはり何らかの取引が行われたのだろう。


 今日はここで夕食をとることになり、瑠璃たちは準備に追われた。新鮮な魚が手に入ったことで、料理は多岐にわたった。さすがにいつものように取り合うことはなく、料理は順当に瑠璃のところまで回ってきた。変に行儀が良くなるのもどうなのかと思ったが、島での食事は基本的にこんなものらしい。


 ――あ、美味しい。


 瑠璃が魚のスープを飲んでいると、近くにひたひたと何か近づいてくる気配がした。背後の岩場をなんとなしに振り返ると、エイの干物のような目とばっちり目があった。


「うおっ」


 さすがに見た目で驚く。

 いったい何事かと思っていると、ジェニー・ハニバーたちはじいっと瑠璃を見つめている。それから自分たちの言葉でなにかきゃらきゃらと話だす。そこへ、岩場に落ちた瑠璃の影に目玉が三つ出現した。どうやらカメラアイが代わる代わる見に来ているようで、まばたきをするたびに目玉の出現位置が変わる。ジェニー・ハニバーたちがカメラアイの瞳を見つめたあと、また自分たちの言葉でなにかきゃらきゃらと話し出す。そしてカメラアイはまばたきをする。


 ――……ぜ……ぜんぜんわからん……。


 これほど意図がつかめないこともない。

 意味の無い行動だったと言われても、そうですか、で納得してしまいそうだ。しかもカメラアイたちも基本的に言葉が通じるわけではない。言葉のわからないもの同士がお互いに見つめ合って何か会話のようなものをかわしている――わかることといえばそれだけだ。


「お? なんだ、そいつらが寄ってくるなんざ珍しいな」

「新入り、好かれたか?」

「結婚するか?」

「しないよ」


 そこはきっぱり真顔で否定しておく。

 副船長が無言でその様子を眺めていたが、誰もそれに気が付かなかった。


「おい! あれ!」


 誰かが慌てたような声をあげた。その声に、周囲の海賊たちが一斉に海の方向を見る。そこには、一隻の船があった。


「あの船は!」


 海賊たちが、男も女もなくピリピリと張り詰めた空気を醸し出す。


「な、なに? 敵襲?」


 それにしては空気が変だ。


「敵ではねぇんだけどよ」


 フランクがどうにも言葉を濁したそのときだ。向こうの船の船長と思しき若い男が、ダァン、と船首に片足を乗せた。

 遠くからだが、茶色の髪と、自信に満ちあふれた美しい顔の男が見える。真っ白な色に金縁が施されたマントを羽織り、そのマントが風でばたばたと揺れている。まだ少し離れたところにいるというのに、物凄く目立つ。


「久しいな! バルバロッサ・バルボア嬢!」

「何の用だ! クソガキ!」


 バルバロッサは腕を組み、仁王立ちで叫び返す。


「相変わらずつれないなあ! はっはっは!」

「用がないなら帰れ」

「用ならあるさ! 大事な用がな!!」


 瑠璃はぽかんとしたまま彼を見つめる。一人で盛り上がる男と、ピリピリする海賊たちとのテンションの差で風邪を引きそうだ。


「バルバロッサ嬢――僕と、海賊の掟に従って勝負をしようじゃないか」


 バルバロッサの目線が鋭くなる。


「そして僕が勝った暁には!! 僕と結婚してもらうぞ!!!」

「……は?」


 瑠璃は完全に思考停止して、頭の上に大きな「?」マークを浮かべた。

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