74-2話 海賊・下っ端・大仕事

「それで――」


 船の上に引っ張りあげられた瑠璃は、一瞬にしてこの船が商船や貿易船の類ではないと肌で感じ取った。この世界に詳しくなくとも、危険というのは空気でわかるものだ。

 カメラアイたちはとっくに影の中に引っ込んでなりをひそめ、ヨナルも隠れるようにして様子を伺っている。隠れているとはいえ、彼らの存在がわかるだけでもある程度落ち着いていることはできる。


「もういちど聞くぞ。アンタはなんでこんなところにいたんだ」


 船長らしき女が、目の前にしゃがみこんで笑う。

 近くで見るとなかなかの美女だ。同性だというのに思わず凝視してしまいそうな豊満で美しい胸が、近くでばるんと揺れる。女神セラフに匹敵する大きさだ。


「……えー。その……」


 瑠璃が言いよどんでいると、女の指先がクイッと顎に当てられた。僅かに顎があげられ、視線がぶつかる。その動作があまりに自然で、赤面してしまいそうになった。これほど「おっぱいのついたイケメン」という言葉がしっくり来る人間もそうそういないだろう。


「それとも何かい、言えないのかい」

「い……いやあ、知り合いにお菓子を届ける途中で、急に転移魔法みたいなのでこんなところに飛ばされちゃって……。できれば陸に届けてもらえると嬉しいな~、なんて……」


 何も間違ってはいないし、嘘ではない。

 だがめちゃくちゃに怪しい。

 自分だってそう思う。

 こんなむちゃくちゃな話があるわけない。


「ふーん?」


 やや物言いたげな瞳が目を離さない。

 目をまじまじと見られたあと、不意に女が手を離して後ろを向いた。


「アンタ、どう思う?」


 女は後ろにいた男たちの中の一人を指名する。


「どうせ、どこかから逃げ出した奴隷じゃないっすか。そうでなきゃ、こんなとこを漂ってない」

「そうかい。アンタの目が節穴だってことはよくわかったよ」


 男がぎくりとしたのと同時に、瑠璃は別の意味でぎくりとした。

 ヨナルやカメラアイを通じてブラッドガルドの魔力に気が付かれていたなら、それはそれで危ない気がしたのだ。


 ――そういえばさっき、『変な魔力』って……!


 いったいどういう人物なら、魔力を感知できるのか瑠璃にはわからない。もしここでブラッドガルドの関係者だとばれてしまったら、何が起きるのか想像もつかなかった。ブラッドガルド本人はともかくとして、自分なんかあっさり何とかなってしまう。戦えるわけがないし、どこに連れて行かれるかわかったものじゃない。


 女の手が再び瑠璃に近づいた。思わずぎゅっと目を瞑る。女の手が瑠璃のTシャツを掴んだ。何をされるのか覚悟を決めていたが、それ以上何もされなかった。不思議に思って目を開けると、女は瑠璃の服を掴んだまま、その手触りを確かめていた。まじまじと眺め、裏返して縫製を確認する。


「この服――こう見えて、予想外にいい品だ。違うかい?」

「え!? あっ」


 そっちか――。

 今の瑠璃はTシャツにデニムのショートパンツという、ラフな格好だ。そのうえびしょびしょだし、そもそもほとんど何の準備もないままここに来た。しかも海に落ちた。だが、おそらくこちら側の世界の人間にとっては布も縫製も上等な品なのだ。しかもショートパンツにはボタンに金属が使われている。

 反応が遅れたが、ホッとする。

 少なくとも魔力で何かばれたわけではなさそうだ。


「ま、まあ……そうですね」

「誤魔化しても無駄ってことさ。いいところのお嬢ちゃんには違いないってことだ。それもとびきり箱入りのね」


 そういうことになるらしい。


「おうい、フランク! フランクはいるか!」

「はいっ、ここに!」


 呼ばれて出てきたのは、まだ瑠璃よりも年下に見える少年だった。


「フランク。今からお前がこいつの教育係だ。せいぜいこき使ってやれ」

「本当ですかっ! やったあ!」

「え?」


 瑠璃は状況がわからずに、困惑する。


「アタシの事は今後船長か、バルバロッサ様と呼びな、新入り。アンタ、名前は?」

「る、ルリ……です」

「ようし!」


 女が――もとい、バルバロッサが踵を返す。


「アンタたち! 持ち場に戻りな!!」

「イエス・マム!」

「ええええ?」


 まさに鶴の一声だった。

 瑠璃はいまだ混乱の中にありながら、あちこちに散っていく大人たちを見ていた。


「ちょ、ちょっと!」

「お前はこっちだ、新入り」


 そしてバルバロッサに何か言う前に、少年の手によってずりずりとどこかへ引きずられていった。

 それからほどなくして、瑠璃はいかにも海賊の下っ端というような格好にさせられていた。物置のような部屋で渇いたシャツとズボンを貸されただけなのだが、いかにもそれらしくなってしまっている。髪の毛は適当にそのへんにあった布で乾かしたあと、ひとまずバンダナを巻いて動きやすくした。それがまた海賊っぽさを加速させているのだ。

 少年はそれを見ると満足したのか、ひとつ頷いた。


「俺の名前はフランクだ。これからフランク様か、兄貴と呼べ」


 少年、もといフランクは胸を張ってそう言った。

 フランクは見たところ十三歳かそこらで、焦げ茶の髪がバンダナの下から僅かに見えた。服は瑠璃に貸し与えられたものと大差ないが、大人用のシャツとズボンの裾をめくりあげて着ていた。肌は浅黒く、日焼けもあるがもともとそういう色のようだった。


「じゃあ、先輩は?」

「先輩? 先輩か。……まあいいだろう」

「うーん。すごい誰かと仲良くなれそう」


 ヴァルカニアにいた少年をひとり、思い出す。


「なんだ、そりゃ?」

「いや、こっちの話」

「じゃあ、まずはこれだ」


 瑠璃はデッキブラシを押しつけられると、あっという間に甲板へと連れ去られた。拒否権は皆無である。甲板には多くの船員たちが働いていたが、もうすでに自分に注目しているような者はいなかった。あの船長もいない。何もかも説明が足りないまま、自分はここの下っ端にされてしまったらしい。


「ほら、ちゃっちゃとやれよ、新入り!」

「うぬぐぐぐ……や、やってやろうじゃん……!」

「返事はサーかアイアイサーだ!」

「あ……アイアイサー!」


 折れそうなほどデッキブラシを握りしめて言った。

 翻訳がどうなっているかはわからないが、とりあえず通じているから大丈夫だろう。

 ゴシゴシとブラシで甲板の汚れをこする。


「そうじゃねぇよ、下手だなー。もっと腰入れろ!」


 時々フランクに揶揄されつつ、瑠璃はぎりぎりと歯ぎしりしつつ、デッキブラシを動かした。


「おう、フランク。さっそく兄貴面じゃねぇか」


 などと言ってくるものがいたが、構っている余裕はなかった。

 ときおり、ちらっと周囲を確認して、この船がいったい何で、どこへ向かっていて、そもそもここが海のどのあたりなのかを確認しようとする。だがすべて無駄に終わった。ここが船の上だという以外まったくわからない。

 なにしろ掃除が終わったあとは次々とフランクに連れ回されたからだ。次は船内の片付け、洗濯物の回収、そして洗濯と、ありとあらゆる「船を動かす以外の仕事」を体験させられたのだ。気が付いたときにはそれどころではなかったのである。


「ふううう……」


 洗濯物といっても、現代のように洗濯機があるわけではない。それどころか、衛生面という言葉すら知らないような者たちが、汚しに汚しまくった洗濯物を大量に手で洗わなければならない状況だ。

 終わった時には腰に来ていた。

 だが、それは洗濯が終わっただけで、仕事が終わったわけではない。


「終わったか? 新入り。じゃあ、次はこっちだ」

「ま、まだあんの!? ちょっとその前にひとつ聞かせてよ!?」

「なんだよ!?」

「この船のことだよ!!!」


 キレ気味に言うと、フランクは呆れたように答えた。


「あー? この船はな、『蒼海の宝石』号。あのバルバロッサ・バルボア様が船長をつとめる、海賊船だ!」


 ――やっぱ海賊船だったァ!?


 大方の予想はついていたが、はっきり言われるともはやどうにもならない。


「バルバロッサ様はな、凄いんだぞ。めちゃくちゃに強いお方で、あの海の悪魔、シーサーペントと二回も遭遇して、二回とも逃げ切ったんだ」

「海の悪魔……」

「わかるか!? 海のドラゴンだよ!」

「そ、それはわかるけど」


 瑠璃はとりあえず頷いておく。

 とりあえずドラゴンだという事さえわかれば充分だ。


「それに、この船は海に愛されてるからな」

「愛されてる?」

「ああ。この船は海の呪いを受けない。バルバロッサ様のおかげでな。知ってるだろ? あの恐ろしい呪いを」


 と言われても、こっちの世界の海の呪いなんて知ったことじゃない。


「お前、バルバロッサ様はお前のこと運が悪いって言ったけどな。お前は運がいいほうなんだぞ。ここじゃ、誰も歯が取れたり、血が噴き出したり、古傷が開いたり、骨が折れたりしないんだからな」


 フランクは瑠璃の胸元を指先で突きながらいった。

 そこまできてようやく瑠璃は合点がいった。


 壊血病。


 海で起こる最大の病といえばそれだ。いましがたフランクが言ったことにも当てはまる。瑠璃も詳しく知っているわけではないが、大航海時代に新大陸を目指し、長距離航海をはじめた船乗りたちを苦しめた病だ。

 そもそも壊血病は、簡単にいえばビタミンC不足のために起こる病気だ。新鮮な野菜や果物が不足するために、様々な症状が出始める。体だけでなく心にもダメージを負い、やがて死に至る。


 つまりここには、壊血病を予防するものがあるか、あるいはそれを予防する魔術的なものがあるかのどちらかだ。両方かもしれない。壊血病にかからなかった船は、頻繁に港に寄って新鮮な野菜や果物を仕入れていたというから、この船もそうした航路をとっている可能性もある。

 ということは、そこを狙って船を下りることもできるかもしれないのだ。


 そもそも、いつまでもここでこき使われていても困るし、そのつもりもない。

 瑠璃がそこまで考えたところで、その腕ががっしりと掴まれた。


「ん?」


 自分の腕を掴むフランクを見下ろす。


「これでわかっただろ。さっさと次行くぞ! 次!」

「んあああああ!?!!?」


 瑠璃の叫びがドップラー効果をともない、船の中に消えていった。


 こうしてまた連れ回された瑠璃は、ほとんど目を回していた。途中から何をしていたのかまったく覚えておらず、もはやヘトヘトになり果てていた。


「ようし、ここが最後の戦場だぞ、新人」

「さ……最後って」


 連れてこられた所を見ると、妙な緊張感が漂っていた。

 フランクが戦場と言ったドアを開くと、怒鳴り声と罵声とが飛び交っていた。なるほど確かにこれは戦場だった。

 部屋の中ではシェフ代わりの海賊の男が忙しく鍋をふるっていて、あたりは汚れた鍋や皿が散乱している。床は割れた皿がそのまま残っていて、破片があちこちに落ちている。


 ――戦場っていうか、ここは……。


「おうなんだ、フランク! さては盗み食いに来やがったか!? ぶっ飛ばすぞ!」

「違ぇよ! 新人教育だよ! 今日見ただろ、こいつ!」

「はぁん! ご苦労なこって!」


 男はそれだけ言うと、また料理に視線を戻した。


「先輩、盗み食いしてるのか……」

「だから違うって言ってんだろ! ぶん殴るぞ!」


 キレ気味に叫ばれる。というより、叫ばないとほとんど声が消えてしまって聞こえない。だからこそひっそりと言ったのに聞こえているとは、ひどい地獄耳だ。


「とりあえずここの料理を片っ端から皿の上に載せるんだ。そしたら、食堂に運ぶ。やることは簡単だろ?」

「それはわかったけど、食堂はどこよ」

「場所は俺が案内してやる。ひとまず、ここにあるのを片付けるぞ。両手に持てるだけ料理を持て!」

「あ、あいあいさー!」


 瑠璃は言われた通りに料理を持つと、フランクの後を追って部屋から飛び出た。

 簡単というわりには食堂にたどり着くまでには時間がかかり、更に戻ったと思えばさっき以上に料理が増えていた。

 何十人、いや既に百人を超えているかもしれない乗組員が、一斉に食事をとるのだ。戦場もいいところだし、その裏方たるキッチンはそれ以上の戦場だった。何度も往復した頃には、今日何度目かの目が回るような忙しさを体験していた。体の痛みはとっくに感じなくなっていたので、限界は既に超していたらしい。

 それでもしばらくすると料理が減ってきて、やがて調理を担当していた海賊たちもぞろぞろと食堂へと向かい始めた。ようやく一区切りついた頃には、食堂には瑠璃とフランクだけになっていた。


「新入りはここで適当に残り物を食っとけ。で、あとは片付けだ」

「先輩は?」

「俺は食堂だ。もう下っ端じゃないからな!」


 言うが早いか、踵を返して走り出すフランク。


「ひゃっほー! 食堂に行けるぅぅ!」


 諸手をあげてそう叫ぶと、あっと言うまにキッチンから走り去っていった。後に残された瑠璃は、その様子をぽかんとした顔で見ているしかなかった。

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