番外編:現代日本ツアー(家編)【14万PV御礼】 

「だからさ~……」


 現代日本。

 ごく普通の一般的なマンション。2LDK。

 その一般的な住民である瑠璃が、じとっとした表情で見下ろす先。何の変哲も無いリビングの、特にそのへんのものと代わり映えないソファ。


 そこを陣取っているのは、異世界の迷宮の主だ。

 閉じていた目はすぐに開き、瑠璃を見返す。


「なんでうちのソファで寝るんだよ! 向こうにベッド作って寝ればいいじゃん!?」

「何を言っている。我は寝てなどいない」

「いや絶対寝てたって!」


 持ってきていたコップをテーブルに置きつつ、瑠璃は断言する。

 眠いならわざわざ現代日本で寝ないで自分の部屋にベッドでも作ればいいのに――というのが瑠璃の主張だが、その都度寝ていないと主張するブラッドガルドとはいまだ平行線のままである。


「もー……。そういうカンジだと、ジュースより水のほうがいいんじゃない?」


 瑠璃は腰をあげると、再びキッチンへと舞い戻った。

 まだキッチンにあったコップを手にして、浄水器のレバーを「浄水」にあわせる。蛇口のほうのシングルレバーを上にあげると、コップの中を水で満たしていった。半分ほど溜まったところで、不意に暗くなったことに気付いた。


「おい」

「うわっ、びっくりした!?」


 さっきまでソファでふんぞり返っていたのに、急に後ろに立っていると驚きもする。


「どこから出したそれは」

「えっ、普通に水道水……。というか、ちゃんと浄水器もついてるけど!」


 驚きで水を止めるタイミングを逃し、だばだばとコップの中が水で満たされていく。慌ててシングルレバーを下ろすと、水も止まった。

 瑠璃を軽く押しのけるようにして、いましがた瑠璃が触っていたキッチン用のシングルレバーを軽く手にした。


「それ、上にあげるやつ」


 瑠璃の説明を耳にすると、すぐさまその通りにした。水道水が蛇口から浄水器を通って出てくるのを見ながら、今度は水を止める。それからもういちどレバーをあげて水を出して、止める。


 ――なにこいつ……。


 思わずそう思ってしまうくらいに、急にどうした、と言わざるをえない。ブラッドガルドはそうやって何度か水を出したり止めたりしたあと、不意に踵を返して廊下に出た。

 瑠璃は戸惑いながら、水の入ったコップを置いて後を追う。


「ど、どうしたの?」


 声をかける。

 ブラッドガルドは廊下に並ぶ扉をまじまじと見てから、自分を追ってきた瑠璃を見返した。


「そうだ……」

「何?」

「此処にあるものは何だ……」

「何って言われても、トイレとかお風呂とかだよ」

「……。なるほど。それで?」

「え?」


 まるで説明しろと言わんばかりの態度に、瑠璃は一瞬、ピンと来なかった。だがだんだんその意味を理解しはじめると、ますます困惑しはじめた。


「な……なぜに?」

「知らんからだ」

「ええ……とりあえず玄関からいく?」







「そういうわけで、まずここが玄関」


 ――いや何やってんだろ、私……。


 まさか何度もリビングに乗り込んできている相手に、改めて家の中を案内するはめになるとは思わなかった。そもそも玄関から来ているわけではないから当たり前なのだが。


「……改めて見ると狭い小屋だな」

「悪かったな!?」


 マンションではあるが、これでも2LDKはある。親子三人暮らしなら充分だ。子供の頃から住んでいるから不便を感じたこともない。田舎の祖父母の家は平屋建てだが、それはそれだ。


「玄関で靴を脱ぐのが日本流だね。海外だとベッドに入る時以外は靴ってところが多いけど」

「……ああ、それでか」


 ブラッドガルドは玄関先に置かれた靴を見ながら言う。


「貴様、牢に来る時は靴を携帯してきていたな」

「ブラッド君は常に素足だけどね……」


 というか、どこにいようが素足だ。

 これが外に行く時はちゃんと靴になっているのだから不思議だ。


「で、廊下にあがって右側はお父さんとお母さんの寝室だよ。私の部屋よりちょい大きめかな」


 ベッドが二つおかれている他は何も無いので、入り口から見るだけに留める。


「で、左側にいくつか扉があるでしょ。まずこっち側がトイレ」

「……。こんな小屋のような家で、トイレが個室なのか?」

「どういう発想なのそれ!?」


 瑠璃がトイレのドアに手をかけると、一瞬ブラッドガルドは眉間に皺を寄せた。何か言う前に扉が開かれる。だが、綺麗に清掃された一般的な個室を見ると、いささか拍子抜けしたように無言のまま突っ立っていた。


「……」

「どしたの」

「……いや。予想外だった」

「なにが?」


 日本とブラッドガルドの世界では、衛生環境というものが根本的に異なる。日本の衛生観念が異常に高いということを除いても、それは如実に異なっている。

 個室のトイレがあるところなど王宮や貴族の館など、限られた場所ばかりだ。


「変わった井戸かと思った」

「やだよこんな井戸」


 どこまで本気なのかがよくわからない。


「しかしこれは……、掃除したばかりか?」

「いや、水流せばだいたいこうなるよ」

「すぐ下を水が通っているわけでもあるまい」

「下水には繋がってるよ。パイプで」


 しゃがみこんで片膝をついてまじまじと見つめたり、後ろの蓋を取ろうとしたり、レバーを動かしたりと想定しうる行動をすべて取るのを、瑠璃はなんとも言えない目で見つめる。


「あの……、その図体で人んちのトイレをまじまじと観察しないでくれる?」


 ブラッドガルドの図体だとトイレが小さく見える。というより、一般的なマンションの個室だからか余計にそう見えた。それ以上に現代のトイレをまじまじと見つめる、ボロボロの服を着て角の生えた魔人の図が異様すぎる。

 結局、最終的にシャワーのボタンをいくつか押し始めようとしたところで改めて止めた。


 一旦はブラッドガルドを引き剥がし、次へ向かう。

 次といっても、あとは物置を除けばお風呂くらいだ。

 扉を開くと、まずは脱衣所が姿を現す。ちょうど目の前の壁にある鏡に映ったブラッドガルドは、ほんの少しだけ目を丸くしていた。


「これは洗面台で、こっちにあるのが洗濯機」


 瑠璃は右手側にある洗濯機に手を置きながら言う。


「ここからも水が出るのか。違いは?」

「違いとか言われても……。うーん……、基本的に出てくる水っていうのは上水道から流れてくるやつだね。飲めたり調理にも使えるやつ」

「浄化の魔術でもかけてあるのか」

「魔術は掛かってないけど、浄水設備はあるよ……。というか、ブラッド君とこは浄化の魔法かかってんの?」

「井戸に浄化の魔術をかけた石を入れる事はある」

「へえ。そうなんだ?」

「……迷宮に勝手に井戸を作ったり浄化の石を投げ込んだりした奴らがいるからな……」


 自分の迷宮に手を付けられたのが気に食わないのか、瑠璃の説明で言うところの「めっちゃキレてる顔」で言うブラッドガルド。

 この話題続けないほうがいいな、ということを一瞬で理解する。


「お、おう……。ひとまず残り説明するけどさ」


 ひとつ咳払いして、左手側にある扉に手をかける。電気をつけながら扉を開いた。


「こっちがお風呂」


 ブラッドガルドはさっさと風呂の中に入り込み、その小部屋をまじまじと見つめた。その背中を、瑠璃は頭からかかとの先までまじまじと見つめる。髪の中に手を突っ込むと、ぼさぼさの髪は痛みきっていた。指で梳くと、絡まった髪で途中で止まる。


「ブラッド君さあ、シャンプーとトリートメントくらい貸してあげるから髪くらい洗えば?」

「ふん。魔力が戻れば多少は何とかなる」

「その魔力はいつ戻るんだよ」


 戻っても絶対に違う事に使っているのはよくわかる。

 そもそも全体的に色が黒いせいで普段は気にならないが、明るい場所で見ると完全に「何かあった人」だ。しかもここは現代日本。頭身も角も人類離れしているとはいえ、ぱっと見の印象は普通ではない。


「まあいいけどさ。最後はキッチンだね」


 瑠璃は意気揚々と脱衣所を後にしたが、ブラッドガルドはしばらく周囲を見ていた。


「つってもここってさっき見たしなあ。ここにあるのって、あとは冷蔵庫と電子レンジとコンロと……意外にあるね」

「コンロ?」

「料理って火使うじゃん」


 言いながら、コンロのスイッチを押す。現れた炎を見ると、ブラッドガルドはそれをしばらく見たあと、おもむろに手を翳した。

 炎が蠢いたかと思うと、あっというまに次々とブラッドガルドの指先に吸い込まれていっているのだ。


「なに人んちの火を勝手に吸収してんだ!?」


 思わず叫ぶ瑠璃。


「いやいままで生きててしたことないツッコミしたけど! マジで何してんの!?」

「もう少しでかい炎は出んのか」

「出ねーよ!! 危ないだろ!! お菓子より実は炎がいい系か!?」

「貴様は阿呆なのか?」

「即答じゃん!」


 遠回しにお菓子を選んだ――と、瑠璃は判断した――ブラッドガルドを引き剥がし、すったもんだの挙げ句、ようやく迷宮の主は満足したらしい。ただ、テーブルに置かれたまますっかりぬるくなったジュースを口にすると、やや微妙な顔を見せていた。


 ちなみに後々――ヴァルカニアの時計塔城を作る際、この上水と下水という発想が技術面において大きく貢献したのだが、別の話である。







 なお、時計塔城、地下下水道。


「なんで下水道までダンジョン状にしたんですかね、あの方は……」


 浄化石で浄化した水を街中に張り巡らせる、上水道という発想に感心していたらこの仕打ちである。下水は設備の整った国や新しい町ならば採用されているので目新しいものではないが、わざわざダンジョン状にされた下水道はスライムの温床となっていた。下水の汚れを消化するスライムは多少いてもむしろ歓迎だが、数が問題だ。


「カイン様ー。隊長ー。Bブロックにもスライムめっちゃ詰まってるんだけど」

「おう、目標は三分の一まで減らしとけ」

「これもう冒険者の方に定期的に依頼出さないと無理ですね……」


 この後、ヴァルカニアでは下水道のスライム退治が定期依頼に加わることになる――。

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