挿話36 異世界にマヨネーズを!

「う~~~~ん……」


 報告書を前に、リクは呻いた。


「……予想外に現代のものが入り込んでるな~~……」

「そうなの?」


 アンジェリカは報告書のうちの一枚を手にとり、目を通す。


 バッセンブルグ王都、冒険者ギルド本部。

 リクはそこで、宵闇迷宮からもたらされた技術や情報の確認をしていた。

 冒険者を通して本部に報告された宵闇迷宮での『発見物』は、膨大な資料として蓄積していた。本来、新たな迷宮やダンジョンでも発見されない限りはこんな事にはならない。それにしたってここまでの膨大な資料群が出来上がるのは例を見ない。

 宵闇迷宮が攻略されてしばらく経ってなおその情報の精査は収拾がつかず、最終的にリクに泣きついたのである。


「魔物なんかは迷宮特有のものってことで処理できるけどな。ほとんどは瑠璃の想像力から勝手に生まれたものだし」


 宵闇迷宮にいた魔物はほとんどが魔法生物だ。

 迷宮だろうがダンジョンだろうが、そこから生まれる魔法生物は基本的に主の性質に左右される。例えば主が氷の魔物であるなら、氷のゴーレムが。炎の魔獣であるなら、炎の姿をした魔物が現れる。

 しかし宵闇迷宮はその種類がかなり多い。階層ごとにも傾向が違っていて、冒険者達はそのたびに苦戦を強いられた。

 リクはブルーベリー色の巨大な人型魔物について書かれた報告書を、胡乱な目で見つめた。ぱらりと報告書をめくると、ホッケーマスクを被った大男。夢の中に侵入してくる爪の長い火傷男に、廃屋に入った瞬間からブリッジ状態で襲いかかってくる女。最後の女なんか、荒事に慣れた冒険者でさえあまりのことに卒倒して運ばれてくるほどだったという。

 すべてリアルに起きたら冗談ではないが、ここで読むと冗談の極地のような報告だ。


「じゃあ、リクの世界では別にサメが空中を泳いでいたり、頭が急に三個ぐらい増えたり、下半身がクラーケンだったりしないのね?」

「しねぇし、どこから出てきた発想なんだよ一体……」


 サメは海にしかいないし、頭はたいてい一つだし、サメの下半身はサメだ。


「システム面は……まあ、ブラッドガルドが魔導機関なんてものを作っちまったからなぁ……。単にそれっぽく魔力で動かしてるものもあったみたいだし、このへんも問題は少ないか」


 多少関係があるといえば下水と上水のシステムだろう。

 ブラッドガルドが作ったヴァルカニアの時計塔城も下水上水があるらしく、リアルな技術としてはそこが最先端だ。

 迷宮内においては、トイレの設置場所や風呂といったものが多少現代ナイズされていた。衛生面でもかなり気を配られ、宿ひとつとっても上流階級めいた作りになっており、冒険者達の感覚を麻痺させるのに充分だった。


「じゃあ、あとはやっぱり日常生活品。そういう所がいちばん目につくもの」


 特に石けんは女性人気が高く、しかも迷宮内で普通に売られているということで一瞬にして在庫が切れていた。研究が進められる前にひとつ残らず貴族の女性達がほぼ買い占めたとか、普段は迷宮など嫌っている貴族の女性達までもが素性を隠して依頼した、なんて話まで出てくるほどだ。


「……リカ……、お前、瑠璃に向こうの石けん頼んだだろ……」

「なっ、なんのことかしら!?」


 素っ頓狂な声をあげて目を逸らすアンジェリカ。

 しかも瑠璃は「石けんくらいならそっちの世界にもあるしね!」という軽いノリでオーケーするせいで、もはや闇取引の領域に来ている。


「あ、そうそう! 日用品よりも、こっちのほうがもっと身近なんじゃないかしら!?」

「お前な~~……」


 誤魔化すように報告書の一枚を出すアンジェリカに、リクは微妙な視線を向けた。

 しぶしぶとその報告書に目を落とす。


「……ふうん。まあ、これだよなあ」

「ほら、こっちなんか複数も報告書が来てる。やっぱり食べ物関係は衝撃的だったから」


 サンドイッチやホットドッグ。ポップコーンにチュロス。そしてマヨネーズといった、未知の料理や調味料の類は、特に冒険者の目を引いた。

 亜人の集落どころか、高級レストランですら見たことのないものが、これほどごく自然に、当たり前のように存在しているという事実。本来は干し肉だの現地調達が多い迷宮の中で――これほど多岐にわたった料理を見たのは、皆はじめてだったのだ。







 その頃――。

 ヴァルカニアの酒場で、冒険者達が声をあげていた。


「おおおおっ! さすがヴァルカニアの酒場!」


 目の前に置かれたハンバーガーと揚げ芋のセットは、ハロウィン・タウンのものと遜色なかった。


「ほー。ハロウィン・タウンにあったやつほどじゃねぇけど、再現度は高ぇな」


 同じパーティの冒険者がまじまじと皿に盛られたハンバーガーを眺めたあと、揚げ芋――つまりはフライドポテトをひとつ口に入れた。たっぷりとまぶした塩が舌を刺激する。体力を使う冒険者にとっては、ありがたいことこの上なかった。


 宵闇迷宮第二階層では、冒険者たちは度肝を抜かれた。ゴーストやアンデッドたちが蔓延る迷宮そのものに驚いたわけではない。それらの魔法生物の中で、中立を保つ者がいたことだ。

 迷宮にはときおり、亜人と呼ばれる中立の魔物がいるが、それらはあくまで敵対しない種族や個体。魔法生物がわざわざ中立に立つことはない。彼らは仮装した冒険者達を仲間として認識し、迎え入れた。そういうルールのもとに町は成り立っていたのだ。これは驚くべき事態だった。

 しかし何より驚いたのは、見た事も無いものが、まるでごく普通に存在するかのように扱われていることだった。


 たとえば目の前のハンバーガーなる料理――。

 柔らかめだがしっかりしたパンを二つに切り、じっくりと焼かれた牛肉のパテ、カリカリに仕上げたベーコン、シャキシャキとしたレタスをはさみ、チーズを乗せて、マヨネーズと粒マスタードで作ったソースが染みこんでいく。


「そもそも野菜を生で喰うってのもはじめてでさあ。意外にシャキッとしてて、パンに合うな~って」

「俺はソースだな。美味すぎてもう地上に帰れねぇかと思った」

「しかも惜しげもなく白パンで挟んでくるあたり、もう理解を超えてるよな」


 新しいものに関しては、冒険者のほうが受け入れるのが早かった。冒険者は時に、冒険地で調達した食材や、現場での適応能力を必要とされる。それが冒険者の資質にも影響するのだ。


「バッセンブルグにもなあ。置いてくれる所はあるけど、頭が硬いんだよなー」

「あそこの『馬宿亭』もそうだろ。あそこのマスター、サンドイッチを作ってくれって言われてブチ切れたって話だぞ」


 本来、迷宮で名物料理など存在しない。あっても隠れ住んだ亜人の料理がほとんどで、とりたてて珍しいものでもない。

 しかし宵闇迷宮は違った。

 貴族や一般人の中ではその反応は真っ二つに分かれた。

 迷宮から持ち出されたものを非難する者。迷宮での料理を認めない者。逆に調理法を研究する者。

 しかし、それらの現代から持ち込まれた料理――その中でも、サンドイッチやハンバーガーといった片手で食べるのに適した料理は、食いつくものが多かった。


 冒険者のひとりがバーガーに手を伸ばし、大きな口を開けて端から噛みついた。もごもごと口を動かした後に目を見開く。


「味のほうもなかなか再現度が……っていうかこれマヨネーズじゃないか!?」

「えっ、嘘だろ」

「多分そうじゃないか?」


 食べかけのハンバーガーを見せると、そこには真っ白な調味料がたっぷりとのせられていた。


「マジか? 迷宮から持ち込まれた奴か?」

「そんなのこんな所で出していいわけないだろ!? 貴重すぎるだろ!」


 別の冒険者が、別のハンバーガーのパンズを持ち上げる。

 マヨネーズと粒マスタードを混ぜたソースに、じゅるりと唾を呑み込んだ。


「マヨネーズといえばよ、白花通りの貴族様の話聞いたか?」

「なんだよ。なんかあったのか?」

「マヨネーズを作らせようとしたんだよ。結構無理言ってシェフに作らせたんだと」

「へえ。それで、出来たのか?」

「いやいや。それがさあ――。そいつ、元々は迷宮なんてって下に見てたんだと。でも、この騒ぎでさすがに無視できなかったんだろうなあ。偶々他の貴族が手に入れたマヨネーズにはまっちまったんだと。でも迷宮の調味料に負けたなんて思いたくないし、かといって冒険者や亜人から情報を聞くなんてプライドが許さない。それで、断片的な情報だけでシェフに作らせたらしいぞ」

「……マヨネーズってさあ」


 確か作るのに生の卵を使用するという話だ。

 どう作るのか、まだよくわかっていない代物だ。そもそもどうして迷宮内では無事だったのかもわかっていない。


「生の卵を使うなんて、シェフも耳を疑った。無謀に過ぎる。だけど絶対に作れとお達しして、それからシェフが三人も交代するはめになった」

「地獄か?」


 何が起きたかは想像に難くない。

 断片的な情報だけで、わけのわからない調味料を作らされるシェフの気持ちと、その後の惨状は想像するだに恐ろしい。


「そいつ自体も最終的に自分で作り出して、見事に地獄を見たらしいぞ」

「バカなのか?」

「もしかして、白花通りに治癒師が駆け込んだのってそれだったのかな……」


 そもそも料理のプロでもなさそうな貴族が適当に作ってどうにかなるわけはない――というのは、宵闇迷宮での料理を味わった冒険者たちが共通で抱いた思いだった。


「お待たせしました」


 店員と思しき亜人が残りのハンバーガーを運んでくる。


「おっ、きたきた」

「なあお前、そういえばマヨネーズの作り方とか知ってるか!?」


 にやっと笑いながら、冒険者が店員の亜人に尋ねる。


「知ってるっすよ」

「だよな~。知ってるはずが……」

「知ってんのか!?」


 あまりのことに切り替えが出来ないまま聞き逃すところだった。

 そのまま続けて尋ねようとすると、後ろからヌッと影が落ちた。尋ねた冒険者パーティを押しのけるように、太い手が亜人の胸ぐらを掴んだ。


「おい! マヨなんとかについててめぇの知ってる秘密、全部話せ!」


 別の冒険者パーティだった。

 どうやら件の調味料について調べていたらしく、貴重な情報源を横取りしようという腹づもりらしい。


「ちょ、ちょっと待てよ!」

「こいつには俺たちが先に声をかけてたんだぜ。冒険者なら順番くらい守れよ」

「知らんな。俺たちだって用はあるんだ。さっさと失せろ!」


 いまだ足りない情報を集めるために、こうして冒険者を雇う貴族は絶えなかった。特に貴族たちは迷宮で見つかった物珍しい美食や小物類を、こそこそと収拾していた。特に迷宮を見下していた貴族ほどその傾向は顕著で、こうしてルール違反を犯すような冒険者にも金をばらまく。


「なにをっ……」

「やるか?」


 一触即発。

 たまたま酒場に居合わせた住人たちが遠巻きにする。店の奥からは、なんだなんだ、とばかりに別の店員たちも顔を出してきた。

 にらみ合いが最高潮に達したそのとき。


「あの~……」


 亜人店員がおずおずと声をあげた。


「マヨネーズなら特に秘密でもなんでもないじゃないっすか?」


 その言葉に、冒険者達は黙った。


「え……」


 じゃあなんだいまの茶番は、という困惑した空気が流れる。


「えっ……秘密じゃないのか?」

「別にマヨネーズの製造法について口止めとかされてないっすから……」

「されてないの!? なんで!?」

「とりあえず下ろしてもらっていいっすかね」


 太腕の冒険者はグッと眉を顰めた。だが、周囲からじっとりと見られていることに気が付くと舌打ちをしながら亜人の首を離した。


「なんか有用な情報は共有しましょう、とかいう偉い人のお達しなんすよ」


 少しだけ落ち着いた空気になったのを悟ってから、亜人の店員は話し出す。


「なっ……、え、じゃあ……それじゃあ……ええと、とりあえずどうすんだよ? 生卵とか毒あるだろ」

「あそこの人たちは卵黄を攪拌して湯煎にかけてたっすね。それで、ロクジュードで三分半以上……って言ってたっすけど」

「カクハンとかユセンとか何だよ!? なんの武器だ!? 魔術か!?」

「ちょっとお前黙ってろ!」


 料理用語を知らない仲間を引っ込めて続きを促す。


「酢の量も少なすぎると、サッキンがうまくいかねぇって」

「さ……サッキン?」

「酢と塩の力で、生卵の毒が自然浄化されるらしいんすよ。そういうの、殺菌っていうんですって。ただ、作ってすぐに冷やしちまうと毒に利かねぇとかで。酢の量も少なすぎると浄化がうまくいかねぇとか、色々あるみてぇですね」

「お、おおお……」


 これは情報として売れると踏んだ冒険者たちは、一気に引き込まれた。


「それにしても、この国でよく作れたな……」

「この国、北の方にかなりでかいりんご園がありますからね。そこで酒も作ってるらしいんで、酢も作ってるんじゃないですかい」

「しかし、マヨネーズに詳しいな」

「元は迷宮に居たんですよ、俺。ハロウィン・タウンで雇われてたのを声かけてもらったんで」


 亜人の待遇も良い、とのことなので、迷宮がブラッドガルドの手に戻ってからは此方へ来たのだという。


「それじゃ俺、仕事に戻っていいっすか?」

「え、あ、ああ……」


 冒険者たちはぽかんとしたままその背を見送る。

 カウンターの中では、亜人ではなさそうな人間が「なんだったんだ」とか「大丈夫か」とか声をかけていたのが見えた。


「……なあ。この国、本当に新興国家なんだよな?」


 ヴァルカニアは一筋縄ではいかないかもしれない――。

 あらゆる意味で、冒険者たちはそれを悟った。

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