挿話35 エルフ達の小さな異変
昼なお薄暗い森に、魔獣の咆哮が響き渡った。
対峙するは一組の冒険者パーティだった。ザザザ、と周囲の茂みが音を立て、魔獣へと鋭く切り込んでいく。
「――おおおおっ!」
魔獣の咆哮にも負けぬ雄叫びをあげて、重戦士の女の大剣が振り下ろされる。魔獣は獅子に似た姿で、大剣をその硬い毛で受け止めた。
「はあっ!」
その隙をついて、剣士が斬りかかる。魔獣の注意が二人の冒険者に向かっている間に、木の上からはキリキリと張り詰めた弓が待機していた。
ちょうどいいタイミングを見計らい、待機した弓師はそこでそのときを待っていた。集中力を高め、小さな音も出さずに魔獣の目を狙う。風が吹き、ローブが僅かに揺れた。
――今だ!
「うっ……?」
突如、クラッと揺れるような感覚に襲われた。
目眩のようなそれは一瞬だったが、ちょうど運の悪いことに、弓をうつ瞬間に訪れてしまった。弓矢は目標を外れ、魔獣の横の地面にビィン、と刺さった。それどころか、体勢を崩した弓師はそのまま地面へと落下したのだ。
「なっ」
魔術師が一瞬弓師のほうを見たが、すぐさま頭を切り替えた。
一撃には失敗したが、魔獣の意識が弓師が落ちたほうへと逸れたのだ。すぐさま魔術を完成させると、勢いよく現れた氷の刃を向かわせた。
「行けッ! 氷嵐の刃!」
きらきらと光る宝石のような氷の刃が、一斉に魔獣へと突き刺さる。いままで剣士たちがつけてきた細かい傷へと入り込み、傷を広げていく。
魔獣が痛みに咆哮をあげ、そこへ一気に二人が迫った。
「うおおおおっ!」
二人の剣が同時に魔獣へと迫り、金属音が森に響き渡った。一瞬、静かになる。その直後、魔獣の首が僅かにずれ、そこから血が吹き出し、どさりと体が沈んだ。魔獣はそれで最後になった。
息をつく暇もなく、剣士は弓師の方へと駆け寄る。
「おい、大丈夫か!」
茂みの中で、ローブを羽織った弓師は小さく呻いた。茂みに助けられたとはいえ、すぐに動けないようだった。
「……だ、大丈夫だ」
そう言って立ち上がろうとしたものの、すぐさま顔を顰めた。
「つうぅっ!」
立ち上がれずに呻いた彼の背を、重戦士の女が支える。
「ほら、無理しなさんな」
「ふん。下手に動くんじゃない。骨が折れているかもしれん」
隣で魔術師の男が近づいてくる。
「治療師を探すか、施療院のような場所があれば一番いいな。近くの町はどこだ?」
「そうだな、この近くっていえば……」
剣士はそこまで言ってから、全員でお互いの顔を見合わせた。
「……ヴァルカニア、か」
*
時計塔城の城下町にある、とある建物――職業ギルド本部。
中の受付では、何人かが忙しく書類とにらめっこしていた。
キィ、と扉が開く。それを合図に、少年と亜人の女が中に入り込んだ。少年はやや貴族めいた小ぎれいな格好で、亜人の女は鎧に身を包んでいる。
「あっ。カイン様! コチル!」
受付嬢がぱっと顔を明るくさせ、二人ににこりと笑った。
その絶妙な不敬さにも、カインは気にせず笑いかける。
「どうです? ギルドのお仕事には慣れてきましたか?」
「はい~。とりあえず気になったところは改善、を心掛けてます!」
この国ではギルドが存在しない。冒険者ギルドもだ。周囲に迷宮があり、小さなダンジョンも存在するこの地では、依頼斡旋所の存在は急務だった。カインは何人かから話を聞きだし、勇者や瑠璃にまで話を聞いていた。それからしばらくして、暫定的に職業ギルドという名の斡旋所を開設したのだ。
今度はコチルが横から尋ねる。
「奴隷達の様子はどうだ」
「そうですねー。皆さん、物覚えは早いです!」
冒険者ギルド代わりだが、いまは試験的に奴隷の運用も行っていた。軽い計算や文字の読み書き、簡単な作法やマナーといった基礎知識を叩き込み、即戦力を作るのだ。これらは一般人や冒険者でも学ぶ事ができる。
労働力となる奴隷をいったん国で引き取って教育した後、人材派遣や買い取りという形で放出するのだ。余所で心を折られた奴隷達は人間並みの生活を保障するだけでカインへの感謝と忠誠心を高め、めきめきと力をつけた。そうでなくとも、ブラッドガルドと対等に接するカインを見れば、自然と畏怖した。少なくともカインに忠誠を誓った方が賢明だと思わせたのだ。
中心となったのはコチルたち獣人――亜人をこの国ではそう呼ぶことにしている――で、こうした実験的な事は今しか出来ないと直談判した結果だ。
「そうか。良かった」
コチルがやや安堵したように息を吐き出した。そこへ、扉が開いて男が一人入ってきた。
「あのう、すいませ……あっ、カイン様!?」
男はカインの存在に気が付くと、慌てたように姿勢を正した。
「どうぞ、お構いなく」
カインは横に避けると、男のために場所を空けた。
男は恐縮しきりで、ちらちらと横を見ながらも受付嬢に視線を向ける。
「あ、えっと……。あのう、カラ施療院の者なのですが……至急、足の速い奴隷を二人ほど手配できませんか? 一日、二日でいいんで」
「カラ施療院ですか?」
その名前に、コチルとカインはお互いの顔を見合わせる。
「どうした。怪我人でも運び込まれたか?」
気になったコチルが声をかける。
「あっ、いえ。そうじゃないんです」
施療院の男は首を振る。
「実はエルフの奴隷が一人居たんですが、怪我しちゃって」
「へえ?」
「あっ、勘違いしないでくださいよ! 怪我は大したことないんです!」
施療院の男は、カインがいる手前、ぶんぶんと両手を振って否定した。
「実は、見張り塔で働いてた同族の……まあ、エルフが運び込まれて、はりきっちゃって。それで、勢い余って……って感じですね。ただ、前に居たところが結構酷かったみたいでね。捨てられるんじゃないかってパニックになっちゃって……」
「あー……」
そもそも奴隷とは単なる雇われ人や労働階級の総称だ。奴隷と呼ばれなくなった職人や人間が増えた昨今では、意味が貶められ、特に西側諸国では正しい扱いができない人間が増えてしまった。奴隷は財産であり、雇ったからには面倒を見ないといけない存在である、という意図がすっかり抜け落ちてしまっている。
奴隷はいったん国の財産としたのも、それが理由だ。
「落ち着いてもらう間だけでいいので、それに代わる人手が欲しくて。急ぎの薬の配達があったんで、それだけ任せたくて」
「あー。エルフは素早いからね」
エルフのイメージは一般に、長寿で不老、耳は長い、儚く美しい種族とされている。木々から生まれ、木々を愛し、基本的に人間から距離を置いている種族だと。
しかし実際のところは、弓矢の扱いに長け、木々の合間をすり抜けるだけの素早さと森を駆け抜ける体力を持っている。町中に溶け込んでいてもその姿を隠して生活していて、ただでさえ少ない絶対数が把握できていない。
「そういえば、見張り塔でかなり重宝されてましたね。何か魔獣が出たという噂は聞かないですが……」
そんなエルフが見張り塔で怪我をしたとなると、よっぽどの事があったと考えるのが普通だ。それであれば、カインに即座に一報が入るはず。
カインは男へと視線を向けると、口を開いた。
「じゃあ、僕も一緒に行きますよ。ちょうど施療院の様子も見ておきたかったので」
「ええぇ!? カイン様!?」
「……私も勿論同行する」
コチルが神妙な顔で言うので、カインは苦笑した。
「ははは、はい! もっ、もちろん! ンンッ! ご案内いたします!」
唐突に一国の主を案内――というより同行することになった男の心境を、受付嬢たちはにやにやしながら見ていた。後から国に入ってきた者たちにとって、まだ年若いカインは掴みにくい存在なのだ。
「じゃあ、こっちで適当に良さそうなの見繕っておくからさ~。先に案内してきなよ~」
「はっ、ハイ! どうぞ、こちらへ!」
「宜しくお願いします」
緊張で声がうわずる男に、「大丈夫かこいつは」という目線を向けるコチル。ギルドを出て行く三人を見送ると、受付嬢は即座に指示を出した。
三人が向かった施療院は、ギルドから少し行った所に存在していた。施療院も現在は国営の施設が運営されているのみだ。村ではこれまで応急処置をできる者が医者代わりを務めていたが、施療院として運営されてからは一線を退いて、助手として働きはじめた。ゆえに、今は新しい医者が院長を務めている。
男は入り口に続く階段を急いで登ると、二人を振り返った。
「いま、先生を呼んできます!」
「ああいえ、お構いなく。彼女も忙しいでしょうから……」
「先生! せんせーい!」
扉を開け放って大声をあげる男に、カインは苦笑する。コチルは隣で呆れたような顔をしていた。
「入りましょうか」
「ああ」
コチルが頷いた時だった。
「おい!」
二人の後ろから、声をかける者たちがいた。二人は振り向き、声の主を確認する。急いで走ってきたような三人は、二人の記憶には無い顔だった。防具をぼろぼろで、いましがた強敵と戦ってきたらしい冒険者パーティがそこにいた。一番先に走ってきたのは、剣士のような男だった。その背後から、ローブを羽織って杖を持った魔術師。そして更にその後ろには鎧を着た大女が突っ立っていた。彼女だけは背中に誰か背負っているようだった。ぐったりとしたローブ姿で、顔は見えない。
「ここは……施療院、だよな?」
「はい、そうです。怪我人ですよね、どうぞお先へ」
剣士の男はその言葉に出鼻をくじかれたらしく、横に退いたカインを目を丸くして見ていた。
「え……あ、ああ……」
なぜか口ごもり、ぐっと拳を握る。
「……どうした」
尋ねたのはコチルだった。剣士の隣で魔術師が顔をあげ、コチルの姿をまじまじと見たあとに口を開いた。
「あ、いや。ここはその、……君のような者でも看てもらえるか?」
魔術師は慎重に言葉を選んだようだった。
「……大丈夫だ。ここは種族で区別などしない。漏らすことも」
「そ、そうか。それなら……治療を頼みたい」
そのとき、玄関先に戻ってきた男が声をあげた。
「お二方とも! どうぞ上がってくださ――」
そこまで言いかけて、冒険者パーティを見つけるとひとつ瞬きをした。
「ちょうど良かった。怪我人がいるようなんです。すぐ治療をお願いします」
「あっ、はっ、はい! わかりました! どうぞこちらへ!」
視察のための案内は怪我人が運び込まれたことで、即座に戦闘態勢へと切り替えられたらしい。医師を呼ぶ叫び声は、今度は別の緊張感を帯びていた。
「すまない」
剣士が一言だけ言ってから、階段を駆け上がった。その後を追って、仲間達が施療院の中へ雪崩れ込んでいく。
そのとき、急いで運び込まれたせいだろうか。コチルからは大女に背負われた者のフードの中身が少しだけふわりとまくられて見えた。そこにあったものに目を留める。
「……カイン様」
「なんです?」
「今の怪我人……。……エルフだったな」
「えっ」
カインは思わず目を丸くした。ただでさえ数の少ないエルフが、同日のうちに三人も運び込まれたとなると、偶然どころか必然を疑ってしまいそうなほどだ。
まるで面白い符号だなと思う前に、カインはなにかいやな予感がした。
――いや、でも……。きっと偶然だ。
「僕らも手伝いましょう」
「はい」
二人は後を追うように、施療院の中へと足を踏み入れたのだった。
施療院の中は戦場そのものだった。
カインとコチルは中に入ったものの出来ることは少なかった。コチルは代わりに、施療院で働いていたエルフに懇々とこの国での奴隷の扱いがどうなっているかを説明した。奴隷という制度はまだ変えぬまま、その扱いだけをきちんとしようという発想は、まだ幼いエルフにとっては理解できないようだった。ただ、コチルが味方についているということは理解したようだ。
対してカインは、邪魔にならぬようにするだけで精一杯だった。せめてということで、外から水を汲んできたり、見張り塔のエルフに水を持っていったり、ばらばらになった資料を片付けるのに徹した。途中でカインに気が付いた施療院のスタッフが悲鳴をあげかけたあたりで、ようやく騒動も一段落したようだった。
コチルとカインは別室に通され、ソファに座った。
「しかし、一日のうちに三人もエルフが怪我をするなんて。なかなか無いことですね」
「ああ。……そうだな」
二人がそんなことを言っていると、扉が勢いよく開いた。
「いいところに気が付いたなァ」
「クレフさん」
カインは施療院の医者の名前を呼んだ。
白衣を染めたような真っ赤な薄手のコートを身に纏い、片眼鏡をした銀の長髪の女だ。現在、この国にただひとりの医者である。異端児として他国から追い出されたものの、腕が良ければ採用するこの国を、彼女は面白がって居着いた経緯がある。
「お疲れ様です」
「だが、急に倒れたりしたわけではないからな。むしろ、奴らの怪我は全員『そのあと』に起きてる」
クレフは軽く手をあげただけで返事として、勝手にしゃべり出した。
不敬極まりないが、それを咎めもしないカインは彼女にとって心地良かった。
「そのあと、とは」
「まず、見張り塔のエルフ。いつも通りに見張り塔から城壁の上に飛び降りようとして、立ちくらみみたいなフワッとした感覚に陥ったらしい。それで急にズルッと滑ったらしくてな。着地はしたものの、足を捻らした」
そう言うと、クレフは指を二本立てる。
「次にうちのアホエルフだ。患者がエルフだってんで張り切って看病してたのはいいが、急にクラッとしたらしくてな。持っていたナイフが落ちた拍子に、指を切りつけた」
「怪我は大したことない、というのはそういうことですか」
「ああ。それよりもわけのわからん事を喚いてたから、とりあえず休養をやったところだ」
「クレフさんは、奴隷に対して特に何も無いんですね」
「奴隷だろうが何だろうが、使えりゃいいんだよ、使えりゃ。使えなけりゃお貴族様だろうが放り出すだけだ」
「なるほど」
カインが頷くのに、クレフは同じように頷いた。指が三本に増える。
「最後に、今運ばれてきた冒険者のエルフだ。聞いたところじゃ……」
「魔獣との戦闘中だった」
声が混じる。剣士の男だった。
「すまない。今の話……ちょっと気になって。他にもエルフが運ばれたって……」
「彼は戦闘での怪我だったんですね」
「いや。魔獣を狙っている時に急にクラッとしたらしいんだ。あいつらしくもない……」
「なんだって?」
「あいつは俺達の仲間なんだよ。調子のいい悪いくらいはわかってるつもりだ。でも、ひょっとして疲れてたのかなと思ってたんだけど……」
その言葉を引き継ぐように、クレフが続ける。
「ちょっとクラッとする、くらいだったら、他の奴だってごく稀に起こる。それが偶々何かの作業中で、うっかり落ちたり膝をついたり……。だがエルフがほぼ似たようなタイミングで、こうも調子を落とすか?」
クレフの言葉に、カインは唸るように考え込んだ。
エルフは、精霊にもっとも近い存在だ。特に四大精霊にもっとも近い。なにしろ、世界樹――四大精霊の力がぶつかる場所にある世界樹から生まれたのが、エルフだと言われている。その真相はともかくとして、エルフが世界樹と関係が深いのは知られている。
「……エルフは、世界樹の影響を受ける、と聞きますが……」
そして表向きには、世界樹はエルフとともにとある女王が保護している。永遠の美とも称される、美しき女王、『氷花の女王』――滅多な事で手を出すような者はいないだろう。
では、他に世界樹に影響があるような事と言えば何だろうか。
いままでどれほどブラッドガルドが大暴れしようが、このような事態は把握されていなかった。表に出てきただけなのか。それとも、それ以上の何かが起きようとしているのか。
土の精霊の出現と、エルフに一瞬起こった不調は果たして偶然だったのか。
カインはちらりと横目を、部屋の隅へと向けた。
そこだけ妙に暗かった。
闇の隙間とも言えるそこから、じいっと目玉が見ているような気がした。蜘蛛の足を生やした、目玉だけの魔物。いまだ多くの者がその存在意義を理解できない使い魔。
――……聞かれている……。
カインはその小さな魔力の向こう側にいる、巨大な影を見た。
しかし、下手にその存在から恩を買うわけにはいかなかった。宵闇の魔女がいれば仲介役になってくれるかもしれないが、そもそもブラッドガルドにエルフを気にする感情があるのかが謎だ。
「……いや、それは、最後の手段にしましょう」
「そうかい」
「お、おい待て。何か思い当たることでもあるのか?」
慌てて尋ねる剣士に、カインは目を向ける。
「まだ判断ができないって事ですよ。ただの偶然の可能性もありますから」
「でも、可能性があるなら俺はやってやりたいんだ! お前はバカだって思うかもしれないけど! あいつは仲間なんだよ!」
「……ひとまず、治療の専念をしたほうがいいと思いますが……。……ですが、もし必要があるのなら、そのときは……」
部屋の中を風が駆け抜け、カインは静かに言った。
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