72話 ブラウニーを食べよう

 ブラッドガルドの迷宮――。

 ダンジョンの中でも特に巨大なものの中で、最悪の迷宮主が巣食う迷宮。踏破できた人間はいまだ勇者しか存在せず。そしてその勇者でさえ、現状を知ることができていない。宵闇の魔女が主となったことがキッカケで、ブラッドガルドに主権が戻ってなお、マップや構造が変わってしまったのだ。もっとも、魔女が主だった頃の面影はもはや遠い過去のこと。迷宮は、暗く空虚な、深い闇の底に沈んでいた。

 だがいまだに、冒険者は途絶えていない。


 がしゃがしゃと装備の音をたてるのも気にせず、そのパーティは一匹の岩ゴーレムを追いかけていた。


「いたぞ! あいつだ、取り逃すな!」


 ゴーレムは背後から現れた冒険者パーティに、両手を広げて咆哮した。魔法生物であるゴーレムと冒険者パーティの戦い――それは、他の迷宮やダンジョンでもとりたてて珍しいものではない。主に土で作られることの多いゴーレムは、巨大で且つ強いだけで冒険者にとっては厄介な存在だ。

 だがこいつは違った。

 見た目は他のゴーレムとほとんど同じで、レンガを積み重ねた人型のような姿をしている。強さも他と比べて弱いとも強いとも言いがたい。そこそこ腕の立つ冒険者がパーティを組めば、強敵ではあるものの何とかできないレベルではない。だがひとつだけ。その色はややピンクがかったような半透明の色をしていた。

 ゴーレムの力強いパンチが地面を揺らし、巻き込まれた一人がなんとか受け身をとって転がる――戦闘は熾烈を極め、パーティの方が数が多いにもかかわらず苦戦を強いられた。だが、リーダーの的確な指示や目くらましなどが駆使され、次第にゴーレムを追い詰めていく。


「これでっ! 終わりだああっ!」


 跳び上がり、叫びとともに剣がゴーレムの核を激しく突いた。ぱきんと音がする。巨体を蹴って離れると、地面にしゃがみこんだと同時に背後から大きな音がした。砂埃が舞う。まだパーティの誰も戦闘態勢を崩さない。しかし、暗闇の中でゴーレムの核がぱきんと完全に割れると、繋ぎ合わさっていた箇所が音を立てて崩れた。


「や……やった」


 ふう、と汗を拭う。


「大丈夫か? 回復が必要な奴は?」

「ああ、俺は大丈夫だ」


 後ろでひとまずの無事を確認している間に、今し方倒したひとりがゴーレムの体に近づく。割れた欠片を手にしてまじまじと見ると、汚れを取り払ってからちろりと舐めた。塩辛い味がする。


「おっしゃぁ! やっぱり! こいつが岩塩ゴーレムだ!」

「おおお! やったな!?」


 わっ、と歓声があがる。


「いや~~、宵闇迷宮の後遺症がまさかこんな風に出てくるとはなぁ!」


 耳の早い冒険者の中では、宵闇迷宮の後遺症――あるいは副作用ともいうべきものが存在していると噂されていた。宵闇迷宮だった頃に存在した貴重な素材が、魔力と融合して取り込まれ、魔法生物や魔法結晶として現れることがあるというのだ。

 それは稀に現れることから、仮称としてレアモンスターや単にレアなどと呼ばれている。この岩塩ゴーレムもそうだった。その体はすべて岩塩で出来ていて、倒すことができればかなりの収穫になる。


 一時期宵闇迷宮で大盤振る舞いされた分、多少価値は下がったものの、いまだ充分に金になった。


「ほら、神の実もまだどこかにあるっていうしな」

「知ってるぞ。それが原因の副作用かもしれねーって話だろ?」

「この調子で砂糖も見つかったらいいんだけどなあ。確か砂糖で出来た花が、どこかに咲いてたんだろ?」

「そうそう。そういうのだと楽でいいよなあ」

「倒さなくていいからなー」


 回復を終えたメンバーが、岩塩採取に加勢する。

 ゴーレム一体から採れる岩塩は、かなりの量だった。いくら人数がいても全ては持ち帰ることができず、勿体ないほどだ。しかし放置しておけば、再び迷宮に取り込まれる可能性はある。そうすれば、また魔法生物として現れることだろう。


「そういえばルゼルんとこのパーティは、水飴で出来たスライムとか発見したらしいぞ」

「それ、逆に大丈夫なのか? 色々……」

「透明なスライムなんて初めてで、魔術師が凍らせてギルドに持って帰ったんだと。外側はソーセージの皮みてぇな透明の皮で、そこに核と一緒に水飴が詰まってたって」

「マジか」


 魔法生物というよりは既にトンデモな規格外生物が、戦闘力的な意味でトンデモな規格外迷宮に普通に生息している事実。宵闇迷宮といい、あきらかにブラッドガルドと魔女の思考や感情は逆方向だ。だが共存している。不可解だが現実である。受け入れなければならない。

 ギルド員はひどい頭痛に悩まされていたが、冒険者にとってもはやそんなことどうでも良いレベルである。レアは素材として一級品なのだから。


「あ~~……ホントなんで魔女はブラッドガルドに迷宮還したんだろうなぁ……」


 ほぼ全ての人間を代表する言葉がそこに凝縮していた。

 採取していた仲間がうんうんと頷く。

 塩や砂糖といったものから、スパイスや石けんまで。

 魔女がばらまいたものが出てくる迷宮は、金になるどころではない。


「しかし、この後遺症って何がトリガーなんだろうな」

「うーん……。ブラッドガルドの機嫌とかか?」

「あいつの機嫌が良くなる時って……。……あるのか?」







 その頃、迷宮深層。お茶会部屋では。

 ブラッドガルドがチョコレートを一粒つまみあげ、口の中へと迎え入れた。


「あー! ちょっと! 先に食べないでよ! まだ何があるか見たいのに」

「貴様が遅いのが悪い」


 瑠璃の抗議もなんのその。

 まだ他の袋を開けている瑠璃を尻目に、チョコレートの味を堪能していた。詰め合わせになったプラリネ・チョコレートは、形や色によって中身が違うものだ。どれを食べたいか――くらいは見せてほしい。


「もおおお……チョコレート持ってくるとすぐこれだよ!」


 お茶を淹れつつ憤慨する瑠璃をよそに、素知らぬ顔でもうひとつチョコレートをつまむブラッドガルド。


「ふん。まあいい。この菓子に免じてその態度も大目に見てやろう」

「ほんと上機嫌だな……」


 皿の上にフィナンシェを並べつつ、瑠璃はもはや何も言わないことにした。

 見るからに上機嫌な――他人から見ればよくわからないが――ブラッドガルドは、そろそろ三つ目のチョコレートをつまもうとしていた。


「だが、このチョコレートは何故ひとつしか無い? もうひとつでもあれば貴様がわけのわからない事を喚くこともなかったろうに」

「いやわけはわかるでしょ」


 テーブルの真ん中に皿を滑らせると、


「だってこれ、こっちのフィナンシェとかも合わせて詰め合わせになったやつだからね。チョコレートが入ってるのはなかなか珍しいんだよ」


 買ったのは瑠璃ではない。

 久々にやってきた父親の従兄弟という人物が、来訪がてら置いていったものだ。なんでも結婚して海外に引っ越すのでその挨拶も兼ねて、ということだった。結構な大きさの箱だったので驚いたが、来訪の理由を聞けば頷けた。

 中にチョコレートが入っているのを見た瑠璃は、友達と食べるからといくつか貰った。すぐに食べきれるものでもなかったので、ちょっとくらい多く貰ってもわからないだろうと思ったのだ。


「フィナンシェといえば、それはなんだ。チョコ味か?」


 ブラッドガルドは瑠璃がいましがた手に取ったものを示す。


「こっちは……えー……」


 袋に書かれた英語表記を確認してから、目線を戻す。


「ブラウニーだよ。食べたことあったっけ?」

「……無いな。なんだそれは」

「ブラッド君好きかもね。チョコケーキの一種だからさ」


 瑠璃は同じ包装のものをもうひとつ手に取ると、ブラッドガルドへと差し出した。ブラッドガルドから一瞬、パリッとした魔力が放たれたものの、そのブラウニーを受け取るとすぐにおさまった。

 包装を破ると、四角い形をしたブラウニーが姿を現した。


「ブラウニーって確か……ホントはナッツとかも入ってるんだけど……これは入ってない感じだね?」


 真っ黒なブラウニーは、見てわかるほどにしっとりとしていて、小さくともどっしりとした見た目だ。ずいぶんと濃厚にチョコレートに浸されているらしい。


「……チョコレートケーキだというのは理解したが。ブラウニーとはなんだ」

「お。じゃあ、ちょっと調べるけど」

「早急にな」


 そういうことになった。

 瑠璃はひとまず取り出したブラウニーを口に入れつつ、もう片方の手でスマホに手を伸ばした。

 ブラウニーは見た目も濃厚だが、口に入れても濃厚だった。見た目と味が驚くほどに合致している。じっとりとした塊は重厚感とともに舌の上を転がり、あっという間に口の中を征服してしまった。

 チョコレートの甘い味わいが、口の中の熱でとろけていくようだった。


「うわ、すっごいこれ。これは……お茶がいるかも」

「そうか。なら後はすべて我に献上せよ」

「……そうだったね。ブラッド君はそういう人だったね……」


 基本的にチョコレートならどこまでもイケる人……もとい魔人だったと思い出す。


「えーっと。これは四角型になってるけど、本来は平たく焼いたやつをバー状に切り出したやつってことになってるね。まあ、画像見るとそんなに大差無いね」

「ほう」


 瑠璃はどこかで、長方形型のブラウニーを見たことがある、と付け加えた。それはナッツが上に乗っていた気がする、とも。


「チョコの濃厚さによって変わるらしくて、ファッジっていうキャンディ状だったりクッキーに近かったりするんだって。ナッツが入ったやつもその種類のひとつみたい」

「ほう。それはどこにある?」

「うーん……どこだろ。本場とかかなあ……」

「本場はどこだ?」

「こっちだとアメリカってなってるけど……こっちのサイトだとアメリカとかイギリスってなってるね。最近だとフランスのショコラティエとかにもあるらしいよ。基本的に西洋圏っぽいね」


 瑠璃はそこでお茶を啜ってからスマホ画面をスクロールさせる。


「携帯食とも書かれてるけど……。これ持ってくるのは冒険者の人とかは大変そうだよね~」


 それならいっそ固形のチョコレートを持っていたほうがまだいいだろう。ブラッドガルドがそれをどう思うかは別として。


「はじめて名前が出てくるのは、1896年のボストンの料理学校の教科書だって。そのときは糖蜜のケーキを小さな金型で焼いたやつで、今のとは違ったみたい。そのあと、1906年のレシピでもっと甘口になったみたい。」


「では、それが最初か?」

「んー。これはあくまで名前が出てくるってだけで、由来については説がいくつかあるみたいよ」


 例えばそれは、チョコレートケーキを作ろうとしたのに、ベーキングパウダーを入れ忘れてしまった――という、よくある失敗系由来も存在している。

 また、公に登場した記録として、1892年にパーマーハウスホテルで、弁当のデザートとして作られたのがはじまりとも言われている。万博に参加する女性のために、気軽に食べられるデザートを、ということで考案されたということだ。


「名前に関しては、あとは妖精からとったって話があるね」

「……妖精?」

「そうそう。ブラッド君とこって、ブラウニーって妖精いない?」


 瑠璃はなんの気なしに尋ねた。

 ブラッドガルドはやや視線を彷徨わせて思い当たる節を探っているようだった。


「……どういうものだ?」

「え? ……あ、そっか。言葉が違うのかも」


 自然に言葉が通じているから忘れてしまうが、こちらの言葉が向こうにも同じに聞こえているかはわからないのだ。


「えっとー。こっちではイギリスとかヨーロッパの伝説に出てくる妖精でね。人の家に住み着いて、夜中に家事や仕事をこっそりとやってくれる妖精のことだよ」


 身長は一メートルくらい。茶色のボロい服を着て、茶色の髪や髭に覆われた妖精だ。名前の由来もブラウン、つまり『茶色いやつ』でブラウニーだ。

 人間の仕事を手伝ってくれるいい妖精であり、食べ物を捧げられるなど民間信仰的な側面も持っている。その目的は衣服を手に入れることであり、服をあげると出て行ってしまうとも言われている。食べ物もあからさまに捧げてしまうと怒って出て行くという気難しい一面もある。


「後になるとサンタクロース伝説と合体して、サンタの手伝いをしてるのがブラウニーってことにもなってるね」

「……サンタはともかく、似たような存在はあるかもしれんが……」

「うーん、そっかぁ……。エルフとかドワーフがいるくらいだから、もしかしたらと思ったんだけど……」

「そのブラウニーというのは貴様の所では有名なのか?」


 エルフやドワーフと並べられるくらいだから、と思ったのだろう。

 あまりもうチョコレートに関係はないのに聞いてくるのは、機嫌がいいからだ。


「ファンタジーが題材の小説とかゲームだと使われてるよ。最近だと伝承通りってなかなか無いけど、有名なのはハリー・ポッターっていう児童書で『屋敷しもべ妖精』って訳されて出てきたりね。あとはコミカルな小人族みたいな感じで出てきたり」

「……比較的伝承通りではないのか?」

「あとは敵キャラで登場したりとか」

「敵キャラ……」

「たまにあるよ、そういうこと。ミミックとかも本来の意味は『擬態』なんだけど、ゲームだと宝箱の姿してる方が有名だからね」

「ほう。それらしい名前を付けられる、ということか?」

「そうそう。ミミックなんかは宝箱開けたら戦闘になって襲ってくるとか」

「……ほう。なるほどなぁ?」


 ブラッドガルドはそう言うと、機嫌良さげにチョコレートに手を伸ばした。一粒手に取ると、瑠璃の前へと差し出す。


「よしよし。褒美にこのチョコレートをやろう」

「これ私が持ってきたやつなんだけど」


 とは言いつつ、そのままぱくっとブラッドガルドの指先から食べておく。


「あ、美味しいこれ」

「だろうな」


 ブラッドガルドがチョコレートをもたらすほど満足げな理由に、そのときの瑠璃は気が付かなかった。


 なお、後日――。

 ブラッドガルドの迷宮で、レアモンスターや宝箱に擬態した新たな魔物が現れ、冒険者に混沌をもたらすことになった。それを見た迷宮の主は非常に愉快そうに口の端をあげたという。

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