71話 かしわもちを食べよう
リクとの会談を終えたあと、瑠璃は日常に戻っていた。
相変わらず現実世界、もとい現代日本のほうではリクは最初からいないことになっていた。せめて海外に行ったくらいにしておけばいいのに、とは瑠璃の意見だ。
なにしろ瑠璃からすれば扉ひとつで現代と向こうを行き来できるので、それくらいの感覚でしかない。女神によってその都度召喚されたリクとは根本的に状況が異なるのだ。
ブラッドガルドがなんと言うかはさておき、だが。
「そういうわけで! 今日は柏餅!」
何がそういうわけでなんだ、という目が瑠璃を射抜く。
勇者と会った後だからだろうか。多少ひと仕事終えた感はあったものの、特に変化は見られなかった。ブラッドガルドからすればそれはそれで面白くなかったが、下手に何か言い出すのも面倒臭い。だから何も言わずにおいた。
瑠璃が持ち出してきたのは、葉で何かが包まれた四つ入りのパックだった。それがひとつ、ふたつ、と出てくる。瑠璃がお茶を淹れている間に、ブラッドガルドはおもむろにパックをひとつ手に取った。爪の先でセロテープを破ると、ぱかりと蓋が開いた。
瑠璃の視線が外れている間に、柏餅をひとつ手に取った。まじまじと、大きな葉に包まれた丸い餅を眺める。桜餅とは違い、ぺろりと柏の葉を剥がすことができた。真っ白な円形のものが姿を現す。
そのとき、瑠璃が顔をあげた。
「あ、そっちは!」
声をあげたときには遅かった。
「つぶあん……」
視界に入ったブラッドガルドは、半分ほど柏餅を口に入れたまま動きが止まっていた。通常、甘いものを口にした時とは百八十度反対に、唐突に暗いオーラを放ちはじめる。
――ああ……。
瑠璃の心の中に、言葉にならない「やっちまった」という気持ちがこみあげてくる。
ブラッドガルドは暫く完全に固まっていたものの、しばらくした後にゆっくりと手を口元から離した。どす黒いオーラを纏ったまま、まるで蛇のようにごくりと口の中のものを呑み込む。
ずず……と闇の中から迫ってくる得体の知れない何かのように、瑠璃のほうへ手が差し出される。それをあえて言うなら葛藤と怒り。不協和音。筆舌に尽くしがたい軋轢。瑠璃は何も言わずに、差し出されたあったつぶあんの柏餅を手に取った。
「……次に……やってみろ……。貴様のその脳天気な顔ごと八つ裂きにしてくれる……」
「いや注意くらいは聞いて?」
もう片方の手でお茶を滑らせると、熱めだったにも関わらず一気に飲み干した。
「結局ダメなんだね、つぶあん」
いましがた返ってきたかしわもちを戸惑いもなく口にしつつ、瑠璃は言った。
半分ほど食べられてしまっていたせいか、甘さをおさえたつぶあんがすぐさま口の中に入ってくる。手頃な価格で売られている餅は、少し表面がつるつるしていて、弾力がある。
「……二度はない。殺すぞ」
「お腹空いてそうなのにそれかあー」
えり好みできるような状態ではなさそうだが、それでもつぶあんは駄目だったらしい。ぐっ、とブラッドガルドの喉から、図星を突かれたような悔しげな声があがった。
「単にこしあん派でしょ。ブラッド君の存在だけでこしあん派の戦闘力が死ぬほど上がってるけど」
こしあんつぶあん戦争があったら、確実にこしあん派の勝利が約束されてしまう。これに対抗するにはまず人類最強レベルが必要になるだろう。勇者と女神の一刻も早いつぶあん派参戦が待たれるところだ。
「というか、そっちの世界で物凄いデマが横行してるんだけど、あれどこまでいくの?」
「……何の話だ」
「いや、リクにも聞かれたんだけどさあ」
――なあ。ところで、ブラッドガルドがツブアンって名前の聖なる植物で倒せるって変な噂が流れてるんだが、お前知ってるか……?
――あー。苦手なんだよ、つぶあん。形の残ってる豆が甘いのが駄目っぽくて。別に倒せはしないと思うけど。
――何がどうなってそうなったんだ……。ってかブラッドガルドに何食わせてんだ!?
――大丈夫だよこしあん派ってだけだよ!?
――ちげぇよ!! っというか、あいつこしあん派なのか!!?!?
「――って」
瑠璃はかいつまんでリクとの会話を思い出す。
「……」
その合っているとも間違っているとも言いがたいデマはどこまでいくのかと、ブラッドガルドも呆れた。
「なんかもう、ツブアンが植物の名前になってるし。聖剣よりは元に戻ってるけど」
ツブアンの名前と、ブラッドガルドが苦手という情報だけが一人歩きし、聖なる豆や聖剣、時に聖なる人物にまで姿を変えている。どこまでいくのかはよくわからない。ただ、実際のつぶあんを食べた反応を見るに、間違っているとも言いがたい。ただ苦手な理由が曲解されているだけで。
「……ツブアンはもういい。こしあんを寄越せ」
「はいはい」
瑠璃は近くにあったパックをそのままブラッドガルドのほうへと滑らせた。今度こそこしあん入りのものだ。
「しかし、これは……この間の草餅から草を抜いただけじゃなかろうな」
「そんなことないよ! 柏の葉でくるんであるでしょ!」
「……」
草を抜いて葉でくるんだだけじゃないのか、というツッコミは、こしあんによって阻まれた。
ようやくこしあんのかしわもちにありついたことで、口の中がそれどころではなくなったからだ。
「それにこれは、子供の日に食べるものなの! いわゆる行事菓子ってやつだね。他にも、ちまきとどっちにしようか迷ったんだけどねぇ」
「つべこべ言わず、持って来れば良かっただろうが。……なぜ迷った?」
「どっちも子供の日に食べるものだからだよ。ちまきっていうのは笹の葉でお餅とか葛生地をくるんでい草で縛って蒸したやつなんだけど――こっちのルーツは中国だね。日本だと両方売ってるけど、関東と関西とでどっちが主流か違うらしいよ」
どちらも同じ時期に売り出されるが、関東圏ではかしわもち。関西圏や特に京都ではちまきの方が主流らしい。
「……桜餅のようだな」
「あれは同じ名前で使ってるものが違うって感じだけどね。あと、関東圏で人気の理由もちゃんとあるんだよ」
「ほう」
二個目のかしわもちに手をかけながら、ブラッドガルドは視線を向けた。ちょうど瑠璃が食べ終わったのと同じタイミングだった。
瑠璃はしばらく残りのつぶあんとブラッドガルドを見比べ、そして自分のスマホへと視線を向けた。
かしわもちの起源は、江戸時代の江戸にまで遡る――。
「かしわもちは江戸で作られたのが最初みたいだね。江戸っていうのはいまの東京。だから関東圏」
「作られたから――というのはわかったが、そもそも子供の日とはなんだ」
「ええと、前に節句の話したよね。そのうちのひとつで、端午の節句のことだよ。まあ、別名ってところかな」
節句は中国にルーツを持ち、日本で定着した歴のことだ。もともと年間で多くの節句があったが、その後江戸幕府によって公的行事として五つの節句が定められた。
そのひとつが端午の節句。いまでいう子供の日だ。
「端午の『端』は『はじめ』。午は、十二支のウマのこと。端午はもともと月の最初のウマの日のことだったんだけど、五月五日に定着したみたい」
古代中国ではとくに、陽数と呼ばれる奇数の月と日数が同じ日を、特別な日と考える思想があったという。他の節句でも三月三日や九月九日と、数が並んだ日があるのはその影響もあるのだろう。
「で、この中国の端午の節句に、ちまきを食べたり、菖蒲を厄除けに使う風習があってね。とくに菖蒲は、日本に伝わってからも髪飾りにして宮中で祝い事をしたり、屋根に葺いたりしてたんだって。結構華やかな行事だったらしいよ」
現在でも、菖蒲を風呂に入れて願掛けをしたり、薬効を期待する。
「そのあとで民間に広まって、男の子の節句として定着したんだよ」
「……それがわからんのだが?」
「えーと。当時の江戸って、いわゆる武家社会でね。要はその、騎士の家系みたいな」
「……ああ。そういうことか」
それで理解してもらえたらしい。
「国の中心地で――、軍事を担う者の家系があちこちにあったと」
「そうそう。それに菖蒲って読み方は『尚武』、つまり軍事を重んじる事に通じるからね。言葉遊びじゃないけど、それもあって武家の人たちに人気が出たんだよ」
そんな武家にとってもっとも重要なことは、家の存続。
家の存続のためには、当主であっても問題があれば隠居させたというほどだ。そして、そんな家の存続のために継ぐのは男子の役目。
そんなこともあって、端午の節句は男の子の成長を願う行事になったのではないか。瑠璃はそう続けた。
「……確かに、騎士の家系だな……」
「そっちの騎士の家系ってこんなんなんだ……?」
「詳しいことが知りたければ小僧に聞け」
「ブラッド君、二言目にはソレ出てくるのめんどくさくなってない?」
本人の知らないところでカインに全部丸投げされつつ、なんとなくブラッドガルドの世界のこともわかったところで、話を戻す瑠璃。
剥がされたまま、でろりとパックの蓋で広がっている葉っぱを手に取る。
「で、このかしわもちなんだけど。この葉っぱの名前がかしわなんだよ」
つまんでみせたそれを、ひろひろと揺らす。
「もともと、こういう葉って食べ物を盛るのに適してるらしいんだけどね」
「……見ればわかる」
葉を皿代わりに――というより、皿にする文化としては、ブラッドガルドのほうがまだ身近だ。使いやすいという見当もつく。
「それと、かしわって聖なる木らしいんだよ。神社にお参りするときの『柏手』も、かしわが神聖な木であることから来てるらしいよ」
「……貴様……。貴様という奴は、何故毎回そんなものばかり……」
「しょうがないじゃん、だいたいお菓子ってそういうものなんじゃないの~? ほら、神への供物ってやつ」
「……」
ブラッドガルドは一瞬、その言葉に顔を顰めた。
舌打ちをするのは何とか堪える。
「他にも、餡を餅で包む時の手が柏手に似ててめでたいとかあるんだけど……」
「なんだ、まだあるのか」
「かしわの木って、新芽が出るまで古い葉が落ちないらしくて。そのことを、家系が途切れない、つまり子孫繁栄の願掛けにしたんだよ。特に家系の存続を願う武家社会では、かしわもちはかなり人気になってね」
「……なるほど。それで繋がるわけか」
「そうそう。だから当時は、家々で作って隣近所に配る、みたいなこともしてたらしいよ。当時の錦絵とかにも、皆でわいわい作ってる様子の絵が残ってるみたい」
他にも川柳などになって残っているところからして、行事としてはかなり楽しげだ。
「あとは……そうだな~……。基本的に小豆だと思うんだけど、味噌餡を使ったり、地域によって違うらしいよ。あと、当時は一部の地域だと柏の葉が手に入らないところもあって。そっちはサンキライっていう葉っぱを使ったりしてたみたい。そういうのもあって、イメージが微妙に違ってるみたいだね」
「ふん」
つぶあんでなければ何でも良いだろう、という言葉を、ブラッドガルドは口には出さなかった。代わりに四つ目を手にして、パックをひとつ空にする。
「しかし、今日は五月五日ではないだろう」
ふと思い出したように尋ねる。
「そうなんだけどね。節句のお菓子ではあるけど、初夏っていうか春のお菓子っていう印象が強いから。ちまきは子供の日のものって感じがするけど。当時でも街道で旅人相手に売ってたりしてたらしいから」
「ほう」
「東海道の猿が馬場ってところのが有名らしいけど、……なんか、味のほうは微妙だったみたいよ」
「……それはそれでどうなんだ」
何故こんな話が残っているのかも、正直よくわからなかった。
「でもいま食べたやつは美味しかったでしょ?」
「……」
ブラッドガルドは答えそうになった言葉をすんでのところで止めた。
瑠璃の期待に満ちた目から視線を逸らし、四つ目を口に含んだ。
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