閑話13

 快晴。

 よく晴れた昼下がり。


 ヴァルカニアには微かに緊張が漂っていた。

 カインに近い近衛兵たちは、比較的静かだった。だが下っ端の兵士達はそわそわと落ち着かずに瞬きを繰り返していた。町に住む一般人もまたどことなくピリピリとした空気を感じ取り、子供たちはどうにか城の中が見えないかと画策していた。


 その時計塔城の中庭。

 あたりには職人によって剪定された木々が、緑豊かに生えそろっている。ライラックに囲まれたレンガ作りの道をまっすぐに歩き、白いバラに囲まれたアーチをくぐり抜け、小さな噴水とベンチがひとつだけ設置されたネコの額ほどの広場までやってくる。その奥にはレンガの壁があり、一見すると行き止まりに見えた。

 アンジェリカはあたりを見回すリクを一瞥してから、レンガの壁の前に立った。

 壁を覆う蔦の向こうに隠された黄色い石に触れると、魔力が溢れた。そこでリクも仕掛けに気付いたらしい。レンガの目地に魔力が通り、黄色い光がジグザグに形を作る。それがやがて扉の形になると、レンガの壁だったところは扉に変わった。そっと向こう側へ押しやると、ガコンと音を立てて扉は両側へ開いていった。


 中には、少し広い空間があった。

 中央にはガゼボがあり、屋根には赤い花のついた蔦が絡まっている。


「お、来た来た」


 ガゼボにいた瑠璃が手を振ると、二人はガゼボに向かって歩き始めた。


「よっ。元気?」

「……あ、ああ。なんとか」


 リクと瑠璃が顔を合わせるのは、あれ以来はじめてだ。

 アンジェリカはリクを見ると、その背中を平手で叩いた。


「いって!」


 瑠璃が小さくニヤッと笑ってから、尋ねる。


「あのさ。これってもしかして、なんか政治的なやつ?」

「い、一応、ヴァルカニアに間に立って貰って、俺と魔女が会談する……って感じかな」

「その設定まだ生きてるんだ……」

「生きてた方が楽だからな」


 魔女の存在は思った以上に広がってしまった。

 当初はトップシークレット扱いだった『魔女』は、迷宮を支配したことで一般レベルにまで周知された。ブラッドガルドの復活を経て、各地で様々な憶測を呼んでいる。だが、その正体についてはヴァルカニアを除けば謎のヴェールに包まれている。


「ところで、ブラッドガルドはいないんだな」

「本当は連れて来ようと思ったんだけど、めちゃくちゃ嫌な顔してたから城の中に置いてきた」


 理由は簡単。

 リクと会うのに加えて、昼間だからだ。

 別に太陽光の下でも普通に歩けているのだが、このコンボが嫌なんだろう。

 だが問題はそこではない。


「……それ、放置してきて本当に大丈夫なのか……?」

「たぶん大丈夫……」


 いまごろ変な施設が増えているかもしれないが、それは運を天に任せるしかない。

 カインに教えてきたカヌレがいい仕事をしてくれることを期待する。


「えー……。とりあえず、どっから話を始めるかなんだけど……」


 瑠璃は困ったように顎をさすりつつ、リクを見て言った。


「とりあえずリク一回殴っていい?」

「急すぎるだろ!? なんでだよ!!?」

「だってブラッド君も一回殴ったし……」


 隣で聞いていたアンジェリカが口を開く。


「……一応聞いておくけど、理由は?」

「幼馴染みと友達が殺し合うところ見させられた身になってみて?」

「そこに当てはまる人物はともかくとして、気持ちはわかるわ」

「そっか。じゃあ」

「えっ? ちょ、ちょっと待っ――」


 リクが言い終わる前に、拳が眼前に迫っていた。

 美しく整備された庭園。そこに鈍い音と悲鳴が響くと同時に、鳥たちが一斉に飛び立った。


 それから三人は円形になったテーブルを挟んで椅子に腰掛けた。


「それで、何の話だっけ?」


 クッキーに手を伸ばしながら瑠璃が尋ねる。リクは顎の下をさすりながら、苦い顔をしつつも答えた。


「お前、いまので普通に満足しただろ……」

「し、してナイヨォ?」

「……そうねぇ……」


 紅茶のカップを手に取り、アンジェリカが顔をあげる。


「ルリ。いま、この世界との扉はどうなっているの?」

「扉? そのまんまだよ。ってか繋がってなかったら私は行き来できてないし」


 瑠璃はいまのところわかっていることをかいつまんで説明する。

 そもそも歪み自体は、瑠璃にはわからなかったこと。扉付きの鏡を置いてしまったことで、歪みに形が与えられてしまったこと。偶然に――(と、瑠璃は前置きしてから)血がついてしまったことで、


「そうか。魔力が無い代わりに、血が強力な専属契約になったのね」

「それ、毎回よくわかんないんだけど」

「血を使うっていうのは古いやり方なのよ。聞いたことはない?」

「うーん。あるような無いような……?」


 瑠璃とアンジェリカが話しているのを横目で見るリク。


「……なんかお前ら、俺のいない間に仲良くなってないか?」

「気のせいではなくて?」


 しれっと答えるアンジェリカ。


「は~……。しかしなあ……ちょっとショックだぞ。俺、呼ばれた直後は結構な覚悟だったんだけどな……」


 突然召喚されて、女神にブラッドガルドなる魔王を倒してくれと言われた後の葛藤と迷い。女神の加護があるとはいえ、倒さなければ現代には帰れない、という覚悟。そしてこの世界に残るという覚悟。

 それを差し置いて、瑠璃がウロウロといとも簡単に世界を越えているという現実が、いまだ信じられなかった。


「お盆とお正月には帰れば? 私は構わないけど」

「お、おう……」


 まだ現実を受け止めきれないリクの代わりに、アンジェリカがまた口を開く。


「そもそも、どうして歪みが生じたのかもよくわからないのよね。魔女の正体がわからなかったとき、うちで魔術編纂に携わった魔術師たちも徹底的に調べ直したっていうのに」

「それはなんか、ごめん」

「必要だったからそれはいいのよ」


 その間に紅茶を飲んで、少しだけ落ち着きを取り戻したリクが顔をあげた。


「可能性のひとつとして、だけど」


 二人の視線が、リクを見る。


「ひょっとすると、世界そのものが均衡を取ろうとしたんじゃないかって話があってさ」

「世界そのもの?」

「ああ。そもそもブラッドガルドとセラフは、大地を挟んで対応関係にあるからな」


 この世界は四人の神によって作られた。

 それは神話であり、事実だ。

 まず土と水の神は世界に溶けて、大地と海になった。


 リクは小さなノートとペンを取り出すと、まず横にひとつ線を引いた。

 その片側に土の塊らしきものと、もう片方には水滴の記号を描く。


「これが大地と海。実際には少し違うけど、球体じゃなくて平たい線、平面だと思ってくれ」

「えっ、なんかここに来て急にそんな世界設定明かされても」

「設定じゃねぇからな!?」


 言うことは言っておいてから、直線の周囲に点線で円を描いていく。直線が、ちょうど円の直径を表しているようにも見える。

 リクはその上側に、風をあらわす記号を書いた。


「大地を挟んだ上が地上。これがセラフのおさめる大気だ。そして地下がブラッドガルドのおさめていた火のあった場所。どうもここの地上とシバルバーは、大地を挟んで重力も反対になってるらしい」

「嘘でしょ!? ぜんぜん気が付かなかったんだけど!?」


 そもそも瑠璃は普段いる場所は球体の内側だとばかり思い込んでいた。

 だが実際は、やや歪曲した――楕円形の大地が中央にあるのだという。少し沈み込んだ外側は海が続いていて、端っこには何があるのかわからない。というより、端っこの部分は荒れに荒れていて、誰も近づくことが出来ないのだという。


 だいたい、ヴァルカニアにはじめて向かった時も、基本的に上に向かっている感覚だった。だが瑠璃は迷宮の中にいるばかりで、シバルバーの大地を踏んだことがない。シバルバーの空を見上げたら、暗いなあ、とか最近星があるなあとかそれくらいだ。


「ええ……っ、ちょっとまってそれ受け止めきれないんだけど……何この新たな設定?」

「新たな設定って言うな、違うから!」

「私からすれば、世界が球体というのも意味がわからないのだけど」

「アンジェリカまで!?」


 ややショックを受ける瑠璃。


「火の神が、炎を独り占めにした――そんな状態なら、俺たちの感覚なら普通、水の神に願いそうなものだろ。だけどここの人達はセラフにどうにかしてくれと願った。これもただ単にセラフが頼みやすいからとか以上に、大地と海が平面の対応関係にあって、地上と地下が垂直方向の対応関係にあるからみたいだな」

「途中で普通に頼みやすいとか言わなかった?」


 そっちが本当の理由じゃないだろうかと疑ってしまう。


「だいたいわかったけど、でもそれ、何か関係あるの?」

「あるわよ」


 冷たいプリンを口にしながら、アンジェリカが言う。


「つまり、四人の神はこの対応関係で均衡を保ってるってことね。光が強くなれば、影も濃くなるみたいに。どこかひとつが突出できないようになってるみたい」

「それって……」


 最初から。

 それこそ、神話とされてしまった本当の最初から。ブラッドガルドには勝ち目がなかったのではないか。


「……ブラッド君が倒されてたら、どうなってたの?」

「それはわからないわ。世界に還っていたかもしれないし……。もしかすると、このダイヤ型の対応表が三角形になってたかも」

「……」

「でも結果的に、ブラッドガルドは炎をなくして闇になった。セラフはその炎を受け取って光になった。新しい秩序に変わったことは確かよ」

「……か、変わったのかなあ……?」


 瑠璃からすれば、ブラッドガルドが変わったとは思えない。

 相変わらず小汚い服を着て、腹を空かせたまま部屋に閉じこもり、どこに入っているのかわからないくらい菓子を食らっていく。その菓子の由来を知りたがり、子供のような好奇心で動き出し、人間が嫌いで、女神も勇者も嫌いだ。


 頭を抱える瑠璃を見て、アンジェリカは何となく、ブラッドガルドが瑠璃をこの期に及んで側に置いている理由をなんとなく察した。神だろうが魔人だろうが瑠璃にとっては特に関係が無いのだ。相手が何であれ対応の変わらない人間というのは、ある意味信用がおけるものなのだろうと推測した。

 そして、ブラッドガルドがその意見を一刀両断するであろうことも。


「ともかく、話を戻すとね」


 アンジェリカは少しだけ紅茶で口を湿らせてから言った。


「セラフがリクを召喚したことで、均衡が少し崩れたんじゃないかしら。だから、ブラッドガルドの側に歪みが現れた。封印にはセラフの力も入っていたしね。本来なら、それは繋がらないまま消えてしまうくらい小さなものだったけど……」


 そこに鏡という形が置かれたことで、ゆがみは本物になった。


「それに、召喚されたのがルリなのもそうね。リクっていう魔力の強い男性に一番近い、魔力の無い女性。これはひとつの対応関係じゃないかって思うの」

「偶然じゃないってことかあ」

「もちろん、これは可能性のひとつよ。本当に誰かが、悪意をもって歪みを作った可能性も残されているから」


 ブラッドガルドに恩を売ろうとした誰か。あるいは何らかの悪意をもって、魔術に穴を開けようとした人間。もしくは、単純に封印の魔術が不完全になってしまった可能性。


「……でもね。もし、そうやって、力のバランスが保たれたとするなら」


 カチャリと、カップがソーサーに置かれる。


「土の神と同時に、きっと水の神が現れている。……そしてそれには、確実に、理由があるのよ」

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