70話 カヌレを食べよう(前)

 突如現れた炎は渦を巻き、森の木々の間を正確に縫っていった。チリッ、と僅かな音がして、右側の枝に焦げ目を付ける。それだけだった。炎はブンブンと飛び回る巨大な蜂へと降り注いだ。大蜂は避けきることができずに火に巻かれていく。その強靱な鎧を持ってしても、羽を焼かれてはひとたまりもなかった。たちまち、地面へと叩きつけられる。

 兵士の一人が、いましがた魔法を放った女へ声をあげた。


「おいやめろバカ魔女! 森だぞ此処!」

「あら。だって私の得意技は炎だもの。聞いてなかった?」

「誰だよコイツこっちの部隊に入れたの!」


 悪びれもしない魔術師の女に、兵士たちは喚く。


「うるせーぞ野郎共ォ!」


 そこに、今度は勇ましい女の声が轟いた。

 頭から真っ二つに切断された大蜂が、左右に分かれて地面に転がった。後ろで短髪の女が大剣を振り回し、的確に大蜂を仕留めていく。


「巻き込まれたくなきゃひっこんでろ!」

「なんでこの部隊の女は蛮族が多いんだよ!!」

「ええい!! ともかく続けェ!!」


 大蜂――通常の蜂よりも巨大なそれは、いわゆるモンスターの類だ。体の大きさだけ見ても人間の上半身ほどあり、羽を広げれば更にその倍をいく。尾に当然のようにある針は細い剣のようであり、神経毒を持つ。黒い足はかぎ爪のように鋭利で、その体を守る表皮は鎧の如く頑丈だ。実際、大蜂の鎧とも呼ばれ、装備の素材となる事がある。

 その体に見合わず蜂蜜を作ることがあり、なかなかに素材が美味しいモンスターだ。だがひとたび巣を作れば、他の虫を駆逐し、本来のミツバチを追い出してしまう。冒険者にとっては美味しい敵だが、一般市民にとっては厄介者だ。特に町や村の近くに巣を作ればたまったものではない。

 兵士たちはそんなモンスターと対峙し、森から駆逐すべく剣を振るい、魔法をふるっていた。


「いや、あの……」


 そんな蛮族部隊の中でひとり、巨大な盾を持たされ、その後ろに隠れる人間がいた。その人間――瑠璃は引きつりながら尋ねる。


「なんで私ここにいんの?」


 心からの疑問だった。







 時間は二時間ほど前に遡る。


「これでいいかな?」


 瑠璃が紙袋を差し出すと、三人の男達が中を覗き込んだ。中身は真っ白な布の手袋がいくつも入っている。男の一人が一組取り出すと、僅かに目を輝かせてから手にはめた。


「おお、こりゃいいな!」

「どうだ?」

「いいぞ。縫製もしっかりしてらァ」


 瑠璃たちがいるのは、森に近い少し開けた場所だった。いくつも木箱が並べられていて、ときおり小さなミツバチが飛び立っていく。

 かつて瑠璃は、蜂蜜の採取用に手袋を譲ったことがあった。その時ほど頑丈なものではないが、安物でいいから布の手袋が無いかと聞かれたのだ。当時に比べれば、ずいぶんと施設は大きくなっている。かつては森に探しに行っていた蜂蜜も、いまではこうしてミツバチの集団を木箱で管理できるまでになっていた。


「こんなの一体誰が作ったんだ?」

「えっ!? わ、私は買っただけだからちょっとわかんないなあ!」


 まさか違う世界で作られましたとは言えない。


「そんなことより、養蜂やるのに布の手袋で良かったの? 普通に刺されるでしょ」


 男達もそれほど疑問ではなかったのか、その質問に答えてくれる。


「ああ、そりゃあこのままじゃあな」

「虫除けのハーブを煎じて、布に染みこませるんだ。それだけでもずいぶん違うんだぜ」

「俺も半信半疑だったけど、見事に刺されなくなったからな」

「へー! 虫除けのハーブってどんなの?」

「ひとつじゃないんだ。いくつかあるのを調合するらしいぞ。いま、森のほうでも採取をしてるところだ。見ていくか?」

「おー。見る見る!」


 瑠璃が声をあげたところで、突然ガサッと茂みが揺れた。

 全員が振り向いたそのとき、男が大慌てで飛び出してきた。手は大きく空中を掻き、体のあちこちに葉と傷をつけ、ハーブ入れの籠を振り回している。広場に出て目が合ったところで、その場にいた全員に緊張が走った。後ろで作業をしていた男達も含めて、目がぎろりと鋭くなる。


「何があった」

「た、た、大変だ! 来るぞぉ!」

「いったい何が……」


 言いかけた時、男を追ってそいつが現れた。

 ブーン、という不快な音を振りまきながら、茂みの中から巨大な蜂が出現した。それはただ大きいというわけではない。それこそ一メートルはありそうな大きさだ。


「んびゃあああ!?」


 突如出現した巨大な蜂に、ぞわぞわと悪寒が這い上がった。


「逃げろ嬢ちゃん! こいつは大物だ!!」


 養蜂家から兵士の顔になった男達が、それぞれ近くにあったスコップや棒を手にする。瑠璃は近くにあった木箱の裏に隠れて、様子をうかがった。

 巨大な蜂は興奮状態にあるようで、剣のような針の尻をうごうごと蠢かしていた。あきらかに虫のものとは思えない脚が、ぐわりと開いた。一番近くにいた男が、剣のようにスコップを構えた。ガチィン、と金属音がして、虫の脚とスコップとがかちあう。ギリギリと追い返そうと力をこめる。蜂の口元がきしきしと動くと、やがて羽音をさせて離れる。

 そこへ、棒を持った男が横から勢いよく突進した。


「はぁっ!!」


 気合いの咆哮とともに、蜂の鎧をまっすぐに突く。

 途端に蜂は吹っ飛ばされ、背後にあった木へとぶち当たった。

 トドメとばかりにスコップを振り上げたが、それよりも前に蜂はすぐさま威嚇するように羽を打ち鳴らした。口元の動きはなおさら速くなっていく。男達は一度体勢を立て直すように武器を構え、じりじりと空中の蜂を見つめる。

 緊張が走った。

 蜂はびくびくと尾の針を出したり入れたり繰り返してから、勢いよく降下してきた。男達が一斉にあたりへ飛び退く。誰もいない空間に蜂が針を突き刺した。

 そこへ、背後から跳び上がった男が棒を振り上げる。一気に蜂の頭へ棒をたたき落とす。脳しんとうを起こしたように蜂はふらふらと飛んだ。その頭へもう一撃。スコップが渾身の一発をたたき落とした。

 今度こそ、致命傷になった。

 瑠璃の近くへドサッと落ちる。


「ひえっ」


 まだ筋肉が生きているのか、ひくひくと何度も尾から針を刺す動作を繰り返している。

 瑠璃は木箱の裏から顔を出して、地面で横たわるそれを眺めた。


「し……死んだの?」


 一仕事終えた男達は、まだ油断せずにあたりを警戒している。


「……ああ。多分な」

「こりゃ報告しないとだな」

「カイン様がここに来てるらしいから、直接報告することになるかもな」

「行くぞ嬢ちゃん、早く追っ手がこないうちに離れよう」

「う、うん。ありがとう」


 こうして、そこにいた人間は――亜人も含めて――すべてが一旦移動することになった。


 カインは養蜂場のほうが騒がしいのを知って、すぐにすっ飛んできた。

 村の小さな広場に運び込まれた巨大な虫の死体を見て、カインは唸った。


「……大蜂ですね」

「大蜂?」


 瑠璃が尋ねると、カインが向き直る。


「魔物の一種です。見た目や生態こそ巨大な蜂ですが、凶暴性はその比じゃないですね。魔力もありますし。だからこそ魔物であるともいえます。普段は森の奥に巣を作ることが多いんですが……。困りましたね。どうやらずいぶんと近くに巣くったようです」

「一匹二匹じゃ、まだ気が付かないことも多いからなぁ……」


 男達の一人が頭を掻く。普段は養蜂家として仕事をしている彼らも、有事の際には兵士として駆り立てられる。

 そしていまが、その有事だ。

 じっさい、現場には奇妙な緊張感が漂っていた。

 だが現場に漂っている緊張感は、魔物が巣くったという事実だけではない。そこにいるたった一人の魔人が原因だった。

 ブラッドガルドはあきらかにどうでもいいという顔で、事の成り行きから目を逸らしていた。


「彼らは普通のミツバチも駆逐してしまいますからね。養蜂場の近くにあるのはまずいでしょう」

「大蜂も蜂蜜が採れるが、なんせ冒険者じゃないとな……」

「ええ……。採れるの? ミツバチの類なの、あれ?」


 さすがに瑠璃からすればミツバチよりもスズメバチに近い生き物だ。


「特に蜜蝋が多くてな。よく冒険者ギルドで採取依頼が出てるらしいぞ。ほら、蝋燭とか作るだろう」

「蝋燭?」

「蜜蝋だよ、巣の」

「あっ。蝋ってそういう……!?」

「他に何すんだよ」

「ほら、お菓子に使うとか」

「お菓子、ですか?」


 カインが尋ねる。


「カヌレっていうお菓子があって。焼く時に外側に塗ってカリカリにするんだって。まだ食べたことないけど」

「へえ。それは珍しいですね。ここでも作れますかね?」

「型が特徴的だから、それが無いとダメなんじゃないかなあ」


 瑠璃がそう言うと、背後で闇が動いた。


「……小僧……」


 地の底から響くような声。カインと瑠璃以外の全員が戦慄に身を縮ませた。硬直した人々はだらだらと汗を垂らし、その先を見れないでいた。

 ブラッドガルドはおもむろに瑠璃の首根っこをひっつかみ、カインの目の前に差し出した。

 お互いに目が合う形になり、わけがわからないまま瞬きをする二人。


「こいつを貸してやろう」

「は?」

「えっ?」


 カインも瑠璃も、意味がわからないまま聞き返す。


「その蜜蝋とやらを持って帰って来い」


 ――こいつ話聞いてたな!?


 瑠璃は、ブラッドガルドが『カヌレ』なる未知の単語に惹かれただけだ、ということを理解した。







 そういうわけで、瑠璃は気付けば大蜂討伐班の中に突っ込まれていた。

 そして森の中で絶賛交戦中な討伐班の兵士達を、後ろから見ているというわけだ。


 ――いやそもそも気になるなら帰って買ってくれば良くない!?


 作って食べるにしたって瑠璃のはどうせ散々な評価を貰うだけだし、型が無いとカヌレにはならない。

 正直、役に立つか立たないかでいえば毛ほども役に立たない。当然だ。瑠璃には魔力も無ければ武力があるわけではない。そのへんの町人や一般人と同レベルなのだ。ということは、これは完全にブラッドガルドの気まぐれであり、瑠璃を使って愉しんでおこうという余興だ。

 事情を知らない数人の兵士が不思議そうな顔をしていたが、瑠璃はそれどころではなかった。


 とはいえ、カインがそれを了承したのは謎だった。

 そもそも、貸してやるとはどういう意味なのか。


 瑠璃は目の前で繰り広げられる戦いにまったく手だしできぬまま、盾の後ろで縮こまっているしかなかった。


「巣が近いらしいな。女王がいるかもしれんぞ」

「じょ、女王ってなに……?」


 後ろから瑠璃が尋ねる。


「女王は、女王さ。蜂の巣の女王。たいていは同じ姿をしてるが、たまに魔人がいるからねえ」

「魔人なの!?」

「人に近い形ってだけだよ」


 そんなことを言いながら奥へと進んでいく。


「人に……って」

「思考のほうは全然違う。そもそも魔人自体が色々だから、一概には言えないんだ。ブラッドガルドだって魔人の類だけど、他とは違うだろ」

「……た、たぶん?」


 正直、ブラッドガルド以外の魔人をほとんど知らないのである。

 少なくとも、人型の魔物をそう呼んでいるというだけで、それが神であろうが蜂だろうが人の形さえしていれば魔人と呼ばれてしまうらしい。


「ああ、ほら。ちょうどあんな感じの」

「あんな感じの?」

「そう。あんな……感じの……」


 説明しかけた兵士の女の声が、次第に尻すぼみになった。

 あんな感じとか一番ダメな奴じゃないか、という瑠璃の心の中のツッコミは、まさしく現実となってそこに鎮座していた。


「嘘だろ。魔人のお出ましだ……!」


 暗い森の中で、大蜂たちの目が怪しく光った。

 いくつもの視線が討伐班を取り囲む。


 女王は、ほっそりとした体躯をしていた。まさに人間態といった風体で、すらりとした脚が地面に向かって伸びている。その尻からはうごうごと蠢く黄と黒のまだらが続いていて、その先にはかぎ爪のような針が生えている。

 頭から生えた触覚は太く、まるで髪の毛のように左右に流れていた。脚と同じように細い腕が杖を持つ。巨大な目は虫のようで、ぎょろりと兵士を見ている。人に似た口元がニタリと笑った。 


 討伐班の兵士たちは、それぞれ武器を構えて供えた。

 周囲に視線を巡らし、ぽたりと汗が流れていく。


 魔人はきゃらきゃらと甲高い声をあげると、スッと杖を掲げた。


「……来るぞ!」


 その言葉と同時に、周囲にいた蜂が一斉に襲いかかった。

 魔術師の女が詠唱に集中している間に大剣が振り回され、蜂を斬り殺していく。だがそれでもいかんせん数が多い。


「くそっ、集中しろ!」


 なんとか詠唱が完成するまで持ちこたえないといけなかった。

 兵士たちはあっという間に大蜂に囲まれていた。


 魔人は嗤っているようだった。木のうろに玉座のように腰掛け、脚を組んで様子を眺めている。数にものを言わせた攻撃に、兵士達は僅かに汗を垂らした。それをまた、楽しげに、嗤いながら見ているのだ。

 だが、ふと気が付いた。

 武器を振り回す兵士たちに混じって、こそこそと戦いもせずに盾の後ろに隠れているものがいる。何をしに来たのかよくわからないモノが。


 魔人は顎に人差し指を当てると、杖を再び動かした。何匹かがそれに反応し、瑠璃のほうへと軌道を変えた。


「そっちいったぞ!」

「ああ!?」

「わかって――ああ、くそっ! どんだけいるんだ!」


 虫を払いのけ、切りつけ、打ち落とし、針から身を守っている間に、蜂たちはまっすぐに瑠璃へと迫る。

 瑠璃は気付いて、すぐに背後へと逃げだそうとする。

 カチィン、と一匹の針が盾に当たり、金属的な音があがった。


「うわっ!」


 慌てて盾でガードするが、蜂たちはそれをも愉しんでいるのか、何度も盾へと突進を繰り返した。瑠璃の盾の扱い方が上手いわけではなく、蜂に弄ばれているのだ。


「う、うそでしょ。なんでこっちに……!」


 後ろに逃げ道を探すが、そこも蜂に覆われている。

 きょろきょろとあたりを見回すが、すぐに隠れられそうな場所が無い。焦ったまま、パニックになる。

 そのときだった。

 一匹が盾の上へと跳び上がり、盾を乗り越えて瑠璃へと突進してきたのだ。


「うあーー!?」


 半泣きになった瑠璃の目の前に、巨大な針が迫った。

 その瞬間、瑠璃の影から立ち上った黒いものが、勢いよく蜂の頭をかっ攫っていった。チッと音を立てて蜂の頭はもげ、残った半身がコントロールを失って地面に落ちた。


「よ……」


 口の中の蜂の頭がすっかり無くなって喉奥へ押し込まれる。


「ヨナル君~~」


 その巨大な影蛇の胴体にわっと抱きつく。

 兵士達に、蜂はダメで蛇はいいのかよ、という空気が一瞬流れかけた。

 ヨナルは真顔でゆらゆらと左右に揺らされた。だがその頭だけはしっかりと前を見据えていて、じっと女王を睨めつける。


 僅かにヨナルがあぎとを開く。

 女王はあからさまに怯んだようだった。目の前にいる相手が何者であるか知ったのだ。甲高い声できゃらきゃらと何か言ったあと、憤慨するようにギリギリと歯ぎしりをした。人に似た口元は悔しげに歪んでいる。


 それを契機に、兵士たちは動揺して怯んだ蜂を押し戻し始めた。

 大剣が近くの蜂を斬り殺して、ようやく膠着状態に戻ってきた。見ると、女王の怯えに引っ張られて、蜂たちの間でも動揺が広がっていた。


「……切り札は最後に出るもんだな……」


 兵士の一人がぎろりと女王を睨む。

 完全に体勢を立て直す。背後では魔術が完成した女が嗤っている。


「こっから出ていってもらうからな……!」

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