68話 オペラを食べよう
「そういうわけで、今度勇者チームのうちの二人と会うことになったんだけど」
「……」
ブラッドガルドは途端に眉間に皺を寄せ、不機嫌の極みのような目で睨み付けた。
「そう露骨に嫌な顔しないでよ~」
「ふん」
意外なことに、ブラッドガルドは不機嫌にはなったもののそれ以上は何も無かった。嫌いではあるが脅威と認識はしなくなったのか、なにがしかの心境の変化があったのは明白だった。
「言っておくけど近い話ではないからね。さすがに明日あさってみたいな話じゃないから」
「どいつもこいつも……」
「いいじゃんべつに。とりあえず私が話すだけだし」
「当たり前だ。貴様が一人いるだけでも五月蠅いのだぞ。これ以上ここに呼び込んでたまるか」
「あー。会談する場所にこの部屋も案にあったんだけど」
「は?」
また不機嫌ゲージが微妙に上がった。
「さすがに王女様にこの空間はどうかと……。あとはカイン君のとこの中庭を貸してもらう感じかな」
「大人しくそっちにしておけ。」
「あとこの部屋見たらリクがぶっ倒れそうなんだよね」
真顔で言う瑠璃。
そもそも危険な迷宮の底に、現代日本のゲーム機だの雑誌だのある部屋があったらぶっ倒れるかもしれない。おまけに、安いものとはいえ怪獣王のフィギュアまで存在する理由は、「映画を見せたから」である。とんでもないものを持ち込んで、しかもとんでもない魔人に教えてしまったという自覚は――ほんのちょっとだけ――ある。封印されている間は暇だろうからと色々と持ち込んだのは事実だが、まさかそれが通常運転になるとは思いもしなかった。
ブラッドガルドはぐるりとそんな部屋を見回してから言った。
「……それはそれで良いかもしれんな……?」
「その嫌がらせは私にも効くんだけど?」
――でも正直なところ……。
数人用のカードゲームもやってみたいんだよな、と瑠璃は思った。プレイ動画で楽しそうな配信者を見ると、やってみたくもなるからだ。瑠璃と、ブラッドガルドと、事情を知っている人間を巻き込むなら、リクとアンジェリカの二人が最適だ。カインも薄々気付いているところはあるかもしれないから、数に入れられるかどうか。
瑠璃がそんなことを妄想していると、ブラッドガルドが口を開いた。
「……で、貴様」
その指先がテーブルの上を指す。
「いつまで箱の中に入れておくつもりだ」
「えっ? ああ、はいはい」
言われて、テーブルの上に置きっぱなしだったケーキの箱を開いた。
「そうそう、それでさ。どんなお菓子を持ってったらいいかなって思って」
「なんだ、そんなところまで考えるのか」
「リクもたまには現代のお菓子とか食べたいかもじゃん。あとは、なんかこう……王女様との会談に良さそうな……なんか……豪華そうなやつって考えたら……」
瑠璃は箱の中からケーキを出した。
「『オペラ』です!」
「……チョコレートケーキではなく、か?」
ブラッドガルドは取り出された、四角い形のチョコレート・ケーキを見ながら言った。
オペラはたいていの場合、長細い形をしている。そうでなければ四角い形だ。瑠璃が買ってきたものは長細い形をしていた。七つの層の一番上には、金粉がちょこんと乗っている。これが重要だ。同じく乗せられた店の名前のカードと、コーヒー豆の形としたチョコレートは店独自のものだ。それらはあってもなくても関係無く、金粉が乗せられているところまでがオペラ本来の形なのである。
瑠璃はオペラを皿の上に乗せると、スプーンと一緒にブラッドガルドの前に滑らせた。
多少の下心がないといえば嘘になる。
ブラッドガルドの機嫌をとるなら、チョコレートが一番だ。しかし、なんでもかんでも持ってこればいいというものではない。その日いちばんの、とびきり美味しいチョコレートでないといけない。
そして、今日いちばんの、とびきり美味しいチョコレートが、このオペラだ。
ブラッドガルドは近くに寄せられたケーキをまじまじと見た。
その断面は綺麗な層になっていた。高さとしてはふつうのケーキとそれほど変わらない。チョコレートだけではなく、コーヒー風味のシロップとバタークリームも使われたそれは、交互に薄く挟み込まれていた。少しだけ大人の香りがする。
瑠璃はさっさとスプーンで角から削り取った。金粉のかかった一番いいところだ。中まで続く断面は、層のままスプーンの上に乗っていた。それを、遠慮なく口へと運ぶ。ぱくりと迎え入れて、舌の上へ。柔らかでしっとりとした感触の中に、コーヒーのほろ苦い味わいと、甘すぎないチョコレートが口の中で広がった。
なるほど確かに大人の味だ。
それからちょいちょいとコーヒー豆の形のチョコレートをつまみあげると、口の中に入れた。ほんの少しだけ甘いチョコレートだ。
「チョコレートだからもうちょっと甘いのかと思ったけど、これはこれでいいね」
「……ふん。まあまあだな」
ブラッドガルドが不機嫌さを隠しもせずに言うと、瑠璃は顔を綻ばせた。
「だらしない顔をしている場合か、貴様は」
「もうちょっと楽しんでからでもいいじゃん~~」
「それと貴様……」
ブラッドガルドは言いかけてから、眉間に皺を寄せた。
それから黙り込むと、つまみあげたオペラをもういちど見つめてから口の中へと入れる。ケーキの食べ方としては大雑把すぎる。だが、その口は何かを確かめるようにゆっくりと動き、目線はしばらく考え込むように何度か瞬いた。
「あー。ひょっとして、コーヒーが気になる?」
「……いや。違う。コーヒー……ではない」
「ちがうの?」
なおも無言で何度か口を動かすブラッドガルド。
瑠璃はしばらく瞬きながら見ていたが、手持ち無沙汰に視線を動かした。隣に置いたスマホに手を伸ばすと、検索をかける。
スマホを弄っている間に、今度はブラッドガルドが顔をあげて瑠璃を見た。
「……おそらく、これは……アーモンドか?」
ブラッドガルドが言うと、瑠璃はなんとも言えない表情で顔をあげた。
「ブラッド君のそのチョコレートに対する嗅覚、なんなの……?」
瑠璃が調べたネットの記事には、オペラの生地にはアーモンドパウダーが使われている、という事が書かれていた。
「オペラの生地ってね、『ビスキュイ・ジョコンド』っていう別立て生地が使われてるんだって」
「ほう」
「アーモンド・パウダーが使われてる生地で、フランス菓子にとっては欠かせない生地みたいだね。生地にコクも生まれるからクリームにも負けないし、弾力があるからシロップを含ませても形が崩れないんだって」
それから画面をスクロールさせて続ける。
「『ジョコンド』っていうのは、名画『モナ・リザ』のモデルになった女性――リザ・デル・ジョコンドに由来してて、彼女みたいに優雅で優しくって意味をこめられたらしいよ」
「なるほど。貴様とは縁遠い言葉だな」
「なるほど。表出ろ」
瑠璃は親指でビッと扉を示しながら言ったが、ブラッドガルドは意にも介さなかった。
「フランス菓子ならオペラという名もフランス語か?」
「このやろう」
ぜんぜん効いてないな、という感想がつい言葉に出ながら、瑠璃は続けた。
「んー……そもそも、アーモンドがイタリアの名産ってことで、アーモンドを使ったお菓子にはイタリアにちなんだ名前をつけられることが多い、ってここに書いてあるね。由来についてもいくつかあって……。まずケーキの考案者だけど、これは二つ説があって」
ひとつは、1955年。ダロワイヨという店の社長だったアンドレ・カヴィヨンという人物が考案した説。
もうひとつは、遡って1920年。クリシーという菓子店で考案された説だ。こちらは、更に当初は名前がオペラではなく、店名と同じ名前だったという話もある。
「あとは、クリシーで原型が生まれて、ダロワイヨで『ガトー・オペラ』が誕生した説だね。ダロワイヨのオーナーの親族が、クリシーから店を譲ってもらったんだって。そのときにクリシーのレシピも手に入った。それをたまたまディナーでダロワイヨのオーナーに出したら、気に入ってそのときに新しくイメージをこめたらしいよ」
「……それを聞くと、その経緯が正しいような気がしてくるな」
「それは私もそう思う」
原型であるクリシーと、新たに生まれたオペラという関係性が、いつの間にか二つに分かれて原案者が二人になってしまったような感覚だ。
「しかしその、新しくイメージを込めたとはどういう意味だ」
「あ~。オペラってね、オペラ座からきてるんだよ」
「オペラ座……? 『オペラ座の怪人』のか?」
「ブラッド君が既にパッとこっちの映画が出てくるとこ、若干怖いんだけど」
もはや取り返しのつかない事になってきているが、話は早い。
「まあ、そうだね。歌劇のオペラだよ。オペラってそもそもイタリア語で、仕事とか作品って意味ね。音楽的作品って意味のオペラ・ミュージカルみたいな言葉が省略されて、オペライコール歌劇になってったんだけど」
オペラ座はいまでこそ歌劇場を指す一般名詞のようになっているが、もとは1875年に完成したガルニエ宮のことを指す。1989年にオペラ・バスティーユが完成するまで、オペラ歌劇の中心地であった場所だ。そして、ケーキの由来となったオペラ座もこのオペラ・ガルニエからきているのだ。
ちなみに、オペラ座の怪人の舞台となったのもこのガルニエ宮。
建設の際、地下水の処遇に困って作られた地下の貯水池が舞台となっているものだ。
「で、そもそもなんでオペラ座に由来してるかっていうと――これまた、色々説があって」
店舗がオペラ座の近くにあったから。
ケーキの構造が、観客席のように層を成しているから。
ケーキの上の金箔が、オペラ座に鎮座するアポロン像の金の琴に由来するから。
「それと、オペラ座に出演していたバレエのプリマにチョコレート好きな人がいて、その人のために考案されたからって話があるね」
「……定期的にそういう由来は出てくるな?」
「まあね……」
それに関しては瑠璃も同意せざるをえない。
「しかし、層も関係しているのか」
「層の数は作り手によって違うらしいから、どうなんだろうなあ。あとなんか、ダロワイヨのケーキはすごい薄いらしいよ」
「どれくらいだ?」
「本家だと2.5センチで、日本のだと2センチ」
ブラッドガルドは瑠璃の指先を見て、いまだ手の内に残るオペラを見た。2センチよりは確実にある。
「……まあ、これで良いな」
「そっか」
薄い代わりに大きいんじゃないかな、という瑠璃の予想は言わないでおいた。
「んで、やっぱどうかな。これ良くない!?」
会談のお菓子に、という意味で瑠璃は尋ねる。
目を輝かせる瑠璃。ブラッドガルドは残ったケーキを全て口の中に入れてしまって、咀嚼してから答えた。
「……貴様、ひとつ忘れているかもしれないが。まだこっちの世界にチョコレートは無いぞ」
「あっ……。せ、説明に困るやつ……!!」
リクとアンジェリカはともかく――カインもまあいいとして――その他の人間に見られたら困る。
「そうだな。やめておいたほうがいい」
「お、おお……。ブラッド君がそこまで助言してくれるの珍しいね?」
「こんなものを女神の信徒どもにくれてやる必要は無いからな」
「さてはそれが本音だな」
瑠璃のツッコミに、ブラッドガルドは何事も無かったかのように指先を舐めた。
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