69話 フレンチトーストを食べよう

 瑠璃がいつもの調子で扉を開けたとき、ブラッドガルドはやや目を見開いたあとに、眩しげに目を細めた。眉間に皺を寄せる。それは純粋な驚きからだった。夜に来ることはあれど、朝っぱらからやってくることはあまり無い。時計の無い部屋だが、まだ前回の献上品から二十四時間が経っていない事だけはわかる。

 同時に、その瞳から嫌な予感をひしひしと感じ取っていた。


「ブ・ラ・ッ・ド・くーん?」


 そしてその嫌な予感は当たっていた。

 そもそもが普段来ないような時間の来訪、ねだるような声色、異様にニコニコした笑顔――。


「暇? いま暇だよね?」

「……貴様の時間感覚は死んでいるのか?」

「いや死んでないし、どういう意味? 今から遅めの朝ご飯なんだけど。一緒に食べない?」

「帰れ」


 即答だった。

 すかさず部屋の中に突撃し、ブラッドガルドの腕を引っ張る瑠璃。


「そんなこと言わずに!」

「知らん。帰れ」


 速攻でブラッドガルドの目に呆れの色が混じった。


「ぐぎぎぎ」


 腕を引っ張っても一歩も動かないどころか、そもそも腕が動かない。


「なに!? お尻に根でも生えてんのかこの引きこもり!!」

「我は植物ではないが」

「そうじゃなくてね!?」


 そういう意味ではない。


「ね~。一緒に食べようよ~」


 今度は背後から肩に抱きついて、前後に揺らす。

 ブラッドガルドは鬱陶しそうな顔で、虫でも払うように手を払う。


「夕方のお菓子もちゃんとあるから~」

「黙れ鬱陶しい。離れろ」

「あと私のまで冷めるから早く来て欲しい」

「……」


 それは誘っているのではなく決定事項というのだ、とブラッドガルドは思った。


「あと多分はじめて出すやつだと思う!」

「……」

「チョコレートもかけてある!」

「…………」

「このまま一日喚いててもいいんだぞ!」

「地獄か」


 いい加減面倒になったのか、呆れたように視線を逸らす。

 だがその瞬間、不意にブラッドガルドは天井に視線を向けた。

 後ろでまだぎゃあぎゃあと喚いている瑠璃を無視して、天井をじっと見つめる。いまはまだ天井になにも無い。しかし、その向こうからの気配には眉間に皺を寄せた。


 ブラッドガルドの頭の中で、今の状況が天秤にかけられた。

 天秤の片一方には、阿呆なほど笑顔の瑠璃が乗っている。そのもう片方に、天井からやってくるものを乗せる。天秤は何度かゆらゆらと揺れたあと、驚くほど均衡を保った。どっちもどっちだ。天秤の上の瑠璃がガンガンと天秤の皿の上でジャンプして、自分のほうを傾けようとしている。だがそんなことでは天秤は揺るがない。

 そのとき、天秤の上にいた瑠璃に天啓が降りた。ハッとして、ガサゴソと懐を探る。テテーン、という効果音が聞こえてきそうな勢いで、チョコレートを掲げる。その途端に、天秤は一気に瑠璃に比重が傾いた。勢いで、もう片方に乗っていたものが弾き飛ばされた。

 結論は出た。

 ブラッドガルドは無言のまま、指先でくるりと円を描いた。その影の中から蛇の形をしたものが地面を這っていく。それが壁の中に消えてしまうと、背中に張り付いた瑠璃をそのままにして立ち上がった。


「お?」


 途中で両腕を離し、地面に降り立つ。


「そこまで言うならいいだろう。妙なものを出したら殺すぞ」

「……それよりさっきさあ、ものすごい失礼なこと考えてなかった?」

「いいや」


 しれっとそう言うと、ブラッドガルドはさっさと扉をくぐり抜けたのである。







「というわけで、私の手作りフレンチトーストだよ!」


 キッチンに面したテーブルに置かれたフレンチトーストを、笑顔で見せる瑠璃。


「……」


 反対に、苦虫をかみつぶしまくった顔で瑠璃を見るブラッドガルド。


「なんで毎度嫌そうな顔すんの!?」

「まず日差しが暑い」

「そこ!!?」

「大体朝から呼ぶな、鬱陶しい」

「結局来た人に言われたくないなあ」


 ブラッドガルドは無言で、空中で窓に向けて指を動かす。見えない指でつままれたように、カーテンが音を立ててしまった。たちまち暗くなる。


「やめろカーテンを閉めるな!」


 瑠璃は自らカーテンを開けに行く。

 ブラッドガルドはそれを見もせずに、勝手にテーブルへと向かった。そして椅子にどっかと座り、足を組む。

 瑠璃が戻ってくる頃には、じろりと視線を向ける。


「それで、貴様の魂胆は何だ」

「え~。別に一緒に朝ご飯食べたいな~って」

「そのこころは?」

「フレンチトースト食べたい」

「ふん」


 テーブルを挟んで向かい側に座るのを待って、ブラッドガルドは再び口を開いた。


「……それで。フレンチというからにはフランスの菓子か?」

「えっ、多分そうなんじゃない?」


 ブラッドガルドがフレンチトーストに手を。

 そして瑠璃は近くに置いてあったスマホを手にした。

 つまんだフレンチトーストをまじまじと見ている間に、検索はあっという間に終わった。


「ごめんちがった」

「……」


 スマホを置いて、とりあえずナイフとフォークに手を伸ばす。


「そもそもこれは何だ。何がどうなっているんだ。パンか?」

「えーっとね。すごく簡単に言うと、卵と牛乳と砂糖を混ぜた液に、食パンを漬けて焼いたやつ、かな」


 瑠璃はよく焼かれたトーストにナイフで切り込んだ。よく染みこませたとはいえ、素人の作ったものであるフレンチトーストは、お世辞にも柔らかいとは言えない。それでもフォークで抑えて切った欠片を、口に運んだ。

 よく焼かれた食パンからは、香ばしさと一緒にバターの味がした。これでもかとかけられた蜂蜜の甘さが、舌によく絡む。よく染みこんだ卵とミルクは、噛むごとにじゅわりと香り立っていく。

 はじめて作ったにしては上々だ。

 しかし、ブラッドガルドにとっては圧倒的なマイナス評価点だった。味も、チョコレートを使ったことも悪くはない。だが瑠璃が作ったというその一点のみにおいてマイナスを振り切り、地の底まで評価は落ちる。そういうものだ。


「ん~。良くない!? はじめて作ったにしては良くない!?」

「……」

「で、どう?」


 わくわくと目を輝かせて訪ねる瑠璃に、ブラッドガルドは眉間に皺を寄せただけだった。

 ブラッドガルドのそれは蜂蜜の代わりに、溶かしたチョコレートがかけられていた。ついでにチョコペンで描かれたニコニコマークも入っていたが、そこは真っ先に塗りつぶされたらしい。まだ手をつけていない場所なのに、ぐしゃぐしゃにされている。


「…………そんなことより、フランスが関係無いという話はどうなったんだ」

「も~。すぐ話逸らす!」

「ふん」

「私みたいに……っていうか、フレンチってついてるからフランスの、って思ってる人はほとんどだと思うけど。ぜんぜん関係無いらしいよ」


 瑠璃はスマホの画面をスクロールさせる。


「一番有力というか、有名なのは一七二四年にアメリカで作られた説かなぁ。酒屋さんの店主だったジョーゼフ・フレンチって人が、自分の名前をつけたっていう」

「名付けタイプか……」

「あとは、もともと『ジャーマントースト』って呼んでたけど、第一次世界大戦でアメリカとドイツが敵同士になったせいで、『ジャーマン』を『フレンチ』に変えて呼び始めたって説だね」

「……まあ、諸説あるのはいつものことだな」


 ブラッドガルドは指先についたチョコレートを舐めとりながら言う。


「そもそも作り方というか、調理法だけ見ればローマ帝国の時代からあるらしいんだよ。そのころは『アリテル・ドゥルキア(もうひとつの甘い料理)』って呼ばれたり、中世ヨーロッパだと『スッペ・ドラーテ(黄金のスープ)』とか、十四世紀のドイツだと『アルメ・リッター(貧乏騎士)』なんて呼び名もあるみたい」


 転じて、クリームを使った贅沢なものには『金持ち騎士』と名付けられたものまであるようだ。ここまでくるともはや大喜利に近いものを瑠璃は感じる。


「フランスではどうなんだ」

「えーっと、『パン・ペルデュ』かな。これは失われたパンとか捨てるはずのパンって意味だね。フランスパンって大体硬いパンなんだけど、それを液に浸すことで柔らかく生き返らせるって意味でそういう名前になったみたい」

「なんだ、食パンではないのか」

「そもそも食パンって、日本で四角とか山形のやつをそう呼んでるだけだから……」


 これもまた美術のデッサンを消す用の消しパンに対して食用だから食パンと名付けられたとか。はたまた、明治初期に外国人が主食としているパン、つまり主食用パンということで食パンと呼ばれ始めたとか。眉唾と都市伝説の間を行き来するような話に事欠かない。


「とにかく、食パンを使ってるのは日本のフレンチトーストかな。そもそもトーストっていうのが食パン焼いたやつのこといったりするし」


 言いながら、瑠璃は再びフレンチトーストの欠片を口に運んだ。

 蜂蜜の暴力的な甘さが広がり、背徳的な味を楽しむ。それを見ながら、ブラッドガルドは目の前に積まれたフレンチトーストを大口で次々に片付けていった。


 そんな、ある種の冒涜的な食事が終わったあと。

 すっかり形跡を片付けてしまったあとに、瑠璃は宣言した。


「よし、今日休みだからゲームでもしよう!」


 目を輝かせて言う瑠璃に、ブラッドガルドは相変わらず面倒臭そうな顔をした。


「一人でやっていろ。それよりパソコンを貸せ。映画でも見る」

「いいけど、ホラーはやめてね」

「……」

「なんで黙るの?」

「別に貴様はゲームでもしていれば良かろう。それとピザでもとれ。口直しをする」

「そっかあ。絶対取らないからな」


 言いつつ、自室のドアを開ける。

 ゲーム機はいつものお茶会部屋に置いてあるのだ。ブラッドガルドが時々触るのもあるし、瑠璃もそこに置いておくのが定番になってしまった。

 まっすぐにお茶会部屋に続く鏡の扉を開ける。


 そこでは巨大な黒い影蛇が、口から誰かの下半身を咥えているところだった。

 唐突すぎて、衝撃的な顔をして固まる。

 影蛇はそんな瑠璃と目が合うと、むぐむぐと口を動かした。下半身はそれに対抗するように、ばたばたと動く。


「ヴァアアアアア!!!?」


 あまりのことに奇声を発する瑠璃。

 その後ろから、のっそりとブラッドガルドが覗き込んだ。


「……ふむ。罠に掛かったようだな」

「なにしてんだ!!?!?!?」


 あきらかに犯人である魔人に叫ぶ。

 お前だ、と指で差す必要すら無い。


「見てみろ小娘、あの哀れで滑稽な姿を。いまのうちに尻でも蹴っておけ、我が許す」

「やだよ怖い!!!!」

「そうか。なら我が貴様の分も蹴っておいてやろう」

「いやそうじゃなくて!! まず……、誰!?」


 相変わらずバタバタと抵抗の意志を見せる足に引きながら、瑠璃はなんとか状況を理解しようと試みた。

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