閑話11
なんでこんなことになってるんだろう、と瑠璃は心の底から思った。
景色においては文句は無かった。
時計塔城――即ちヴァルカニア王城の中庭は、緑に溢れた空間が広がっていた。木々や花々が丁寧に植えられ、整えられ、様々な色を魅せている。花の合間には、珍しい色の蝶がひらひらと漂い、静かな空間を作り出している。瑠璃のいる白いガゼボは明るすぎる日差しから守ってくれ、その日差しの向こうでは鳥の声が小さく響いていた。耳に心地良い声だ。目の前のテーブルにはお茶会の基本セットが置かれているが、現代のアフタヌーンティーに負けず劣らず。ケーキが数種類に、マドレーヌやクッキーに似た焼き菓子がふんだんに使われたものだ。
誰もが「お洒落な庭でのお茶会」と聞いて思い浮かべるお茶会そのものである。
では別に相手と気まずいとか、話すことが無いのかというと、そういうことでもない。相手は瑠璃と同性だし、ほぼ同年代だ。見下されているわけでもないし、むしろ対等に扱われているような気さえする。
それなのに。
それなのに、だ。
瑠璃は変な緊張感で、座ったまま微妙に動けないでいた。
目の前でカチャリと陶器のカップがソーサーに置かれ、視線が向けられた。
「……貴女、ふだんブラッドガルドとどんな風に接してるのよ」
「もっと気楽……」
アンジェリカに呆れられつつ、瑠璃はそう答えた。
*
少し前のこと――。
「アンジェリカサンが会いたい?」
瑠璃はほとんど鸚鵡返しに言った。
「……って、誰だっけ?」
「アンジェリカ・フォン・ハイド・ドゥーラ。ドゥーラの王女ですよ」
カインがそう言っても、瑠璃は反応が止まっていた。
「……リクさんの仲間の……」
「ああ!!」
付け加えた言葉でようやく瑠璃は思い出した。
「確か一度会ったことあったね」
「迷宮の中でですか?」
「うん。リクをぶん殴っ……、久々に会った時に一緒にいたよ」
途中まで聞こえた言葉を、カインは聞かなかった事にした。
瑠璃は本来、ヴァルカニアに来たついでに、和紙の製造方法を教えに来ていた。この国では足りないものが多すぎる。紙もそのひとつだった。産業にできないまでも、紙の作り方だけでも何とかわからないかと、カインから瑠璃に打診があったのだ。
そんなことを言われても、瑠璃が紙を作っているわけではない。
カインも下心はあったものの、教えてもらえればラッキー、くらいの軽い気持ちで尋ねていた。技術だけでも国家にとってプラスになる。いまだ羊皮紙の多いこの世界で、紙の製造方法は貴重だ。
ただし、紙ひとつとっても用途によって求められる性質は異なる。先の堅いペンとインクを使う西洋の紙と、柔らかな筆と墨を使う和紙では、紙の性質が異なるのも当然なのだ。
だが、瑠璃はなんとか期待に応えようと、和紙の作り方を持ってきてしまった。西洋の紙に比べれば簡単かも、という軽い気持ちが、これまた簡単に国境どころか世界そのものを越えてしまったのだ。
用途やどこの境を越えたかはさておき、腹芸のできない彼女を見てカインは呆れるのと同時に自戒した。農業の時を考えれば、ちょっと考えればわかっていたことだった。だが、ほんの少しの欲求と気軽さに負けてしまった。あまり彼女にあれこれと尋ねるのは、今後に関わると思ったのだ。ブラッドガルドを介さずにこうした事を不用意におこなって、睨まれても困る。それに、いつ宵闇の魔女のヴェールが剥がされるとも限らない。
菓子だの料理だのはともかく、国益に関わるような問いかけは避けておいたほうが無難だ。
話を戻すと、瑠璃はアンジェリカが会いたがっているという事実を咀嚼した。
「えっ……でもそれは、何しに?」
「それほど悪い話じゃないと思いますよ。一度話してみるのが目的と仰ってましたから」
「んー。私も一度話してみたくはあったから、嫌ってことじゃないんだけど……。なかなか迷宮の底からこっちに来られないから」
「そうですね。だから僕を仲介にしたんでしょうが……」
「もうブラッド君にここへの直送エレベーターとか作ってもらうしか……」
「そういう事言ってると絶対作りませんからね、あのかた……」
その点においては解釈が一致する二人。
「それでまあ、了承さえ頂ければ、すぐにでも連絡を付けたいと」
「それはぜんぜん構わないよ。いつでもいいくらい!」
瑠璃は明るく言う。
「最悪、ヨナル君に頼むし……」
そして、まったく表情を変えないまま言った。
「……そ、そうですか……」
カインはもはや深く突っ込まないことにした。
咳払いをして、話を戻す。
「それじゃあ此方で話を付けておきますね」
「うん。よろしく!」
「おそらく、日付は――」
*
そういうわけで、現在こんなことになっていた。
「お茶会っていってもこんな本格的なものだと思わなくて……!」
「そう? 私からすれば貴女やリクの服装は上質なものだわ。ドレスコードに反してはないわよ」
「まあ、制服だからねコレ……」
適当に制服を着てきただけだが、まさかこれほど本格的にやるものとは思わなかった。
「ところで、リクは今日はいないの?」
「いないわよ。来たがってたけど、今日は私が貴女と個人的に喋ってみたかっただけ」
「……」
瑠璃は思わずアンジェリカを見たまま目を瞬かせた。
「それに、下手に連れてきたら誰かさんが最悪の空気にするでしょ」
「あー……」
勇者が来た途端、空気を最悪にしそうな魔人。
思い当たる節は山ほどある。
「でも、そのうち必ず連れてくるから。そっちの機嫌は何とかしておいてね」
「なんとかなるかなあ……」
女神に比べればまだマシかもしれない、という程度だ。
「セラフも一旦、還ったからね――そこそこ話はできると思うけど。あ、そうそう。セラフが、貴女によろしくと、直接話ができなくてごめんなさいって」
「女神様が? そういえば、なんで還っちゃったの?」
瑠璃もようやくティーカップを持てる程度にまで気を取り直す。
「女神セラフは、ブラッドガルドを倒して欲しいという聖女の願いによって眠りから目覚めたの。だから、その必要がなくなってしまった今、彼女は体を保てなくなりつつあった。一度、聖女を解放する必要があったのよ」
「う、うーん。よくわからない……?」
「とにかく、呼び出された理由が無くなったから、一旦還らないといけなくなったと思ってもらっていいわ」
「そっか。なんかそっちも大変なんだね」
瑠璃は半分思考放棄したが、アンジェリカはそれで良しとした。
焼き菓子をつまんでいる間、どことなく穏やかな時間が流れた。ざあ、と小さな風が吹き込み、アンジェリカの髪が僅かに揺れた。
綺麗な子だな、と瑠璃は思う。
所作やほんの小さな仕草から垣間見える生まれの良さもあるが、純粋に美しい。一枚の絵のようだった。
「ところで……」
「なに?」
「私がリクと婚約した話は聞いた?」
「聞いてないけど!!?!?」
今日イチで慄く瑠璃。
「言わなかったのね、ブラッドガルドは」
「いや……ええ……マジで?」
「ショックだった?」
「ショック……っていうか、衝撃が強くて……」
それはどう違うんだろう、とアンジェリカは思った。
瑠璃は次の言葉を探すように、指先をわきわきと動かす。
「あのね、ええと、私の国って、一般人が高校生で許嫁とか婚約者がいるって、結構珍しいっていうかほとんど無くて!」
「まだ返事は貰ってないけどね」
アンジェリカはにこりと笑った。
「またあいつはそういうことする~~~」
「でも宣言した時はみんな貴女みたいな反応だったわ」
「そんなにビックリだったの? 公式発表とかしたわけじゃないんだ」
「返事は貰ってないって言ったでしょ。ほら、宵闇迷宮が攻略された後に、ブラッドガルドが姿を現したでしょ」
「あー。そんなことしてたね」
「その時に勢いでつい、ね」
「情報量多くないソレ?」
ただでさえ(瑠璃は覚えていないが)宵闇迷宮が攻略され、ブラッドガルドが復活し、パニックに陥っているところに、急にそんなこと言われたら驚きもするだろう。
「そう? まあ、ブラッドガルドは興味無かったのかもしれないわね」
「勇者の動向に興味なさ過ぎじゃない……?」
それはそれでどうかと思う。
「興味無いのかなあ。土の神様みたいな人も来てたし、もうちょっとこう、なんかあっても良さそうなものなんだけど」
「……」
アンジェリカの動きがぴたりと止まった。
「ルリ。その……土の神様っていうのは……?」
「ほら、女神様とかブラッド君とおんなじの。ええと、土の神様じゃないの? 女神様のとこには来なかった?」
「……」
こんどはアンジェリカが、信じられないものを見るような目で見た。
そして、目の前にいる同年代の少女がまったく腹芸や駆け引きといったものと縁遠いところにいることを、いやというほど思い知った。
「ルリ」
「なに?」
「……情報が、多いわ」
「少ないけど!!?」
少ないが、アンジェリカにとっては情報量が多すぎるのだ。
世界に溶けているはずの土の精霊が現れたという事実そのものが、膨大な情報として機能している。
その説明をするには、アンジェリカはまだ正しい言葉を持てなかった。
とにかく瑠璃が暴走する前に止めなければならないと誓った。
「……ルリ。ひとまずその話は、誰かにした?」
「してないけど……」
ブラッドガルドに余計なことを吹き込まれる前に話せて良かったと心から思った。
「そう……。とりあえずいまの話は誰彼構わずしないでね」
「いや、しないけど」
「ところでそれ、結局どうなったの……?」
「ブラッド君がちゃんと話して帰ってくれたはずだよ」
アンジェリカは信じなかった。だがこの時もまだ、瑠璃はブラッドガルドがちゃんと説得して帰還してもらったものだと暢気に信じ切っていた。半分くらいは適当に追い返したと思ってはいたが、それでもわけのわからない口車に乗せているとは思ってもみなかった。
まさか当の土の精霊が、そのわけのわからない口車に乗せられて急いで自国に戻ったとは思ってもみなかったのである。
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