66話 草餅を食べよう

「ブラッド君てさあ、なんでいつも服黒いの?」


 瑠璃はブラッドガルドを見上げながら言った。


「……変えてほしいなら今すぐ変えるが?」

「いやここでは止めて」


 往来のド真ん中で衣服がぬるぬる動いて……というかばさばさ動いて色も姿も変えたら、騒ぎどころではない。


「遠慮するな」


 そうブラッドガルドが言ったところで信号機が青に変わり、歩き出す。建物の影から日の当たる場所へと出ると、眉間に皺が寄った。

 ここは現代の日本。

 ブラッドガルドにとっての異世界。


「眩しい」

「もう春だからね~」

「何故歩きで行かねばならんのだ」

「近いからだよ。ほら、あそこにちょっと見えてるでしょ」


 そういう意味ではない、とブラッドガルドは言おうとしてやめた。

 暖かな日差しの中、顔を顰めるブラッドガルドを連れて、瑠璃は目的地に向かっていた。







 大通りの橋から一歩川沿いへと入ると、ピンク色の花が川を挟んで立ち並んでいた。桜並木は満開にはまだ早いが、見事なまでに花をつけている。休日ということもあってか、人通りがそこそこある。


 瑠璃に何か思惑があったわけではない。特になんの理由もなく「春だから花見しようぜ!!」という勢いだけで連れてきていた。本当に春だから花見がしたかっただけで、それ以外はすべて吹っ飛んだのである。

 対するブラッドガルドも打算があったわけではなく、むしろ若干面倒ささえ感じていた。なにが悲しくて、わざわざ人間の多い地域に、自分の姿を偽りつつ、しかも眩しい中出歩かないといけないのか。

 そうしたブラッドガルドの無言のうちの主張は全て無視され、「じゃあ明日ね!」という一言で全てが決定されてしまった。僅かに引きつり、ピリピリとした空気を隠しもしない主に、使い魔たちは何も言うことができなかった。


 そういうわけで、二人は他の花見客の間を歩いていたのである。


「……暑い」


 不機嫌の極みのような声で、ブラッドガルドは言った。

 天候としてはそれほど暑くはなかった。確かに日差しは明るいが、風もあって日陰に入ると涼しいくらいだ。単なる瑠璃への嫌味である。だが、当の嫌味を言われた本人はそれにまったく気付いていなかった。


「サングラスでも作れば?」

「……サングラス……?」

「眼鏡なんだけど、日光を遮断できるやつ」

「わからん」

「あー。一回見てみないと作れない系?」


 確かに服や姿形とは違って、サングラスは一度かけてみないとどんなものかはわかりにくいだろう。


「それより、何が楽しくて花など見るんだ」

「綺麗だから。あと春だから」

「さっぱりわからん」


 確かに桜は――これだけの木々が花をつけているのは珍しい。それを見にやってくるということは、この世界の人間にその行為が根付いているということなのだろう。そう結論付ける。

 だが、ふと鼻をついた匂いに視線を巡らせる。

 花のかぐわしい匂いとは違う。むしろソースや油の匂いだ。立ち止まって見つめると、花などそっちのけで屋台に集っている人間たちが見えた。よく見ると、花どころか焼きそばやたこ焼きに夢中の人間どもがそこかしこにいる。ブラッドガルドは思わず呆れ気味に目を細めた。


「……」

「うん?」


 ブラッドガルドの視線の先を見ると、ずらりと並んだ屋台があった。

 瑠璃は両手を伸ばし、つま先を伸ばして、ブラッドガルドの両頬を掴むと、勢いよくグリッと顔を頭ごと前へ戻させた。


「……」

「ほら、他の人の邪魔だから行くよ」


 明るい空の下でひとり、暗いものを背負い、異様な魔力を立ち上らせて瑠璃を睨むブラッドガルドに、当の瑠璃はまったくの悪意ゼロで言い放った。

 そんな彼の腕を掴むと、ぐいと引っ張って歩き出した。仕方なく、それに引っ張られるように歩き出す。桜並木はまだ続いているようだった。


 一定間隔で生えた――というより植えられた桜は、妙に秩序だって見えた。それはブラッドガルドにとってはやや不自然にさえ見える。そもそも木とは、森は、混沌としているようにみえて、森なりの自然の秩序がある。しかしここは、人間の秩序にあわせられているからだ。それは小さな嫌悪感というか、違和感にも等しいものだ。

 そんなところにわざわざやってきて喜んでいる瑠璃を見ると、これまたため息のひとつも出てくる。息をついたことで、他のことはどうでもよくなってきていた。


「……で? どこまで行くんだ」

「おう。この先に橋が二つあるんだけどね」


 瑠璃曰く、たいていの人はどちらかの橋を渡って折り返し、元の道に戻るらしかった。その間も屋台がいくつか出ているようだが、瑠璃はオススメがあると言って聞かなかった。そのあとで道に戻ってお昼にしよう、ということだった。


「なんだ、オススメというのは」

「それはもうちょっと行けばわかるよ~。ブラッド君も気に入ると思う!」

「ふん」


 ブラッドガルドは鼻を鳴らした。


「裏切るなよ」

「わかってるよ!」


 そうして仕方なく、ブラッドガルドは瑠璃に引っ張られながら桜並木を歩いた。できるだけ木によって隠された、日差しのないところを歩く。ピンク色の花はときおりちらりと落ちてきて、ひらひらと力無くコンクリートの地面に伏せる。

 ブラッドガルドがたわむれに地面に視線を向けると、小さな魔力がぱん、と地面を蹴った。とたんにピンク色が舞い上がり、小さなつむじ風のようなものができては消えた。おお、と後ろから驚いた人間共の声がする。

 気が付けば、自分たちの周りからは自然と人間の数が減っていた。少なくともこれで歩きやすくなった。


 ――……まあ、こんなものか。


 あまり派手にやるのも、魔力の無駄遣いだ。

 さっぱり気が付いていない瑠璃を見ながら、相変わらずその感知能力の無さにいっそ感服する。

 こうして無駄に歩くなら、もっと静かなところのほうがいいような気がした。


 しかし和風の建物にたどり着いた頃には、既にブラッドガルドは(主に人の多さで)グロッキーになりかけていた。道は整備されているが、それほど大きくないので、実際より人が多いような気がしたのだ。

 瑠璃はそれに気付いているのかいないのか、ブラッドガルドに待っているように言うと、和風の建物の中へとするすると入っていった。


 瑠璃が中に入ると、小さな和菓子屋のカウンターはだいぶ繁盛していた。ついでにペットボトルのお茶も売り出しているらしく、それだけを買っていく客もいた。


 ――えーと。お花見団子……。


 人の頭の間から目をこらしたが、それらしいものは見当たらない。瑠璃はカウンターに近づくと、店員へと声をかけた。


「あの、お花見団子って」

「すみません、花見団子はいま切らしていて。次は二時からになっちゃうんです」


 和服を着た女性は忙しそうにそう言った。既に何度か言っている台詞なのだろう。


「二時って……」


 今何時だろう、と時間を見る。ちょうど十一時半。


 ――……うーん。どっかのカフェに入ってもいいんだけど……。


 ちらっと外を見ると、ブラッドガルドは川沿いのベンチで座り込んだままだった。

 それから視線を戻して、置いてある和菓子へ目を走らせる。

 ふと、視界の端に『国産ヨモギ使用』と書かれたうたい文句が入った。


「あ、じゃあこっちのこしあん三つと、つぶあん一つもらえますか?」

「はーい」


 そういうわけで、瑠璃は草餅を手にして店を出たのだった。代金を払って出てくるまでの僅かな間に、ブラッドガルドはベンチに座り込んだまま下を向いていた。まるで仕事をクビになって落ち込むアルバイトのような出で立ちである。


「うーん。どこかで見た光景」


 完全にグロッキーになっている様は、前にも見たような気がした。主に遊園地で、人に酔っていた時と同じだった。


「大丈夫? ほらお茶」


 一緒に買ってきたペットボトルのお茶を差し出す。


「……人間どもが多い……」

「そんな人間界に出てきた魔王みたいなセリフ吐くなよ」

「……」


 細かい事を除けば、ほぼいま貴様が言ったとおりなんだが、というツッコミは声にはならなかった。


「あとほら。元気出しなよ。くさもち買ってきたから」

「草……?」


 ブラッドガルドは目の前に出された緑色の餅の入ったパックをしげしげと見つめた。


「ブラッド君のは中身こしあんだから大丈夫だよ」


 瑠璃は言うが早いか、自分も隣に座り込む。


「あ、私のはつぶあんだけどね!」


 そう言うと、四個入りパックを開けて「つぶ」と書かれたところの草餅を持っていった。そして、残りをブラッドガルドに渡す。しかし、ブラッドガルドはすぐに手は付けず、緑色の餅をしげしげといろいろな方向から眺めていた。


「……餅、だが……。この色に、この……葉か? 独特の香りがするな」

「ヨモギの葉だよ」

「ヨモギ……?」

「えーと。食べられる草っていうか、薬効のある和製ハーブっていうか」

「薬草の一種ということか?」

「そうそれ!」


 瑠璃にとってはヨモギは単なる食べられる草の一種だ。

 それこそこうして草餅として利用するほかにも、汁物の具や天ぷらにするなど用途は様々。

 しかし、薬効と見てもかなり優秀だ。漢方としても使われ、止血や下痢止め、貧血などにも効果がある。精油に関しても発汗作用や解熱作用があり、はたまた部位によっては入浴剤としても効果がある。火照りのある人には使えないという制約はあるものの、冷え性に良く、灸として使うもぐさもヨモギから作られるものだ。アイヌでも風邪の際に蒸気を吸引させたという。

 そのほかにも月経痛や生理不順などへの効果から、女性の守護神として、属名はギリシャ神話の女神アルテミスからとられている。

 その多くの薬効から、『ハーブの女王』とも呼ばれる薬草なのだ。


 ――……ふむ。


 ブラッドガルドは餅に混じった草をある程度観察した。

 確かに効能としてはかなり上のほうだろう。もしかするとどこかに咲いているか、別の名前で存在している可能性も高い。無くとも、持っていけばそのへんで芽を出す可能性は高い、と思っていた。

 ちなみにブラッドガルドに外来種という発想はみじんも無かった。


「……で、なんだこれは」

「何って?」

「説明は無いのか」

「えっ。嘘でしょ。ここまで来て説明させるの……」

「貴様がわけのわからんものを持ってきたのが悪い」

「え~~……」


 瑠璃からは抗議が入る。


「説明せねばそこの和菓子屋が沈むことになるが」

「ねえそれどこまで本気なの」


 草餅を一口、口にしながら瑠璃は聞く。

 ふわっと強いヨモギの味と、つぶあんの甘い味が口の中に広がった。少し堅めの餅を、柔らかなアンコが逆に包んだようだった。


「あ、甘くて美味しい。食べなよ」

「貴様」

「わかったからとりあえず食べててよ」


 瑠璃は適当にひらひらと手を振った。


「昔はゴギョウっていう、別の薬草が使われてたらしいよ。ハハコグサともいうみたいだね」

「ほう。そっちは何だ」

「えーと、春の七草のひとつだね。もともとは、お餅のつなぎに使ってたみたいだけど。こっちも薬草のひとつではあるよ」


 瑠璃は言いながら、片手でスマホを操作する。


「もともと、中国の風習でね。『上巳の節句』の日に、ゴギョウを混ぜた餅を食べるってのがあったみたい」

「ジョウシノセック……?」

「んっとね~」


 瑠璃はかいつまんで説明した。

 節句はもともと中国の陰陽五行説を由来として、日本に合わせて取り入れた歴だ。日本の年中行事を行う季節の節目のことであり、かつては宮中行事であったものの、江戸時代には庶民に広がり、幕府によって公的な行事と定められた。現在では五節句と呼ばれるものが残っている。七草がゆを食べる七草の節句や、端午の節句として残っている。


「で、草の香りは悪いものを祓う、つまり穢れを祓って厄除けになる意味で食べてたんだって。それも日本に受け継がれたみたいよ」

「何故貴様は、我にそんなものばかり食わせる?」

「ブラッド君べつに悪くなくない?」

「は?」


 ブラッドガルドからすれば、「は?」もいいところだ。異世界の人間からしても同じ反応だろう。


「というか、普通に食べてるしなあ」

「この程度で祓おうなどと片腹痛いわ」

「それに上巳の節句の『巳』って、蛇だし」

「……そういうことを言っているわけではない」


 ブラッドガルドの影を通って、膝の上にぬるっと出てきた小さな影蛇に、ちょっとちぎった草餅をあげる瑠璃。前を通る人々は自分たちのことや花見に夢中で、蛇の存在など気付きもしなかった。ただ、目の前を通った小さな子供が、視線が近いために不思議そうな目でちらっと見ていっただけだった。

 自分が食べているのに使い魔にやっても意味は無いぞ、とブラッドガルドは思ったが、面倒なので言わないでおいた。


「ハハコグサからヨモギに変わった理由はよくわかんないかな。ハハコグサだと母と子をついて合わせるみたいで縁起が悪い、みたいな説があるみたいだけど、今でもハハコグサを使う所はあるみたいだし。ここにも書いてあるけど、手に入りやすさとか、あとはヨモギのほうが香りが強いのもあるんじゃないかな」

「ほう」

「あと、上巳の節句も今でも残っててね。いまでいう桃の節句とかひな祭りっていう、三月三日に女の子の健康を願う行事に変わったんだよ。ただ、そうなると時期柄ヨモギが手に入りにくくて、いわゆるひな菓子からは外れていったんじゃないかって。そのかわり、春あたりのお菓子になった感じはするね」


 瑠璃がそう言い切ってブラッドガルドを見ると、既に三個目の草餅の包装を解いているところだった。


「ん~。お花見団子が良かったけど、草餅もいいよね~」

「……花見団子?」

「そうそう。棒に刺さってるやつ。今度は食べれるといいよね」

「ふん。こんな人間共の多いところ、二度と御免だ」


 不機嫌そうに草餅を頬張るブラッドガルドに、瑠璃は笑いかける。


「大丈夫。桜の名所って此処だけじゃないから!」

「……」


 じろりとブラッドガルドが横を睨んだが、瑠璃はまったく動じていなかった。

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