65話 きみと対戦しよう

 さあどうしたものか、とアズラーンは考えていた。

 すぐさまブラッドガルドを追おうとしたものの、その扉はぴくりとも動かなかった。魔力で探ろうとしても、ノブすら動かない。


 ――……なんだ、この扉?


 扉としての見た目もそうだが、施された契約に関してもずいぶんと古めかしい方法が使われていた。つまり、魔力ではなく血による契約である。血で契約しようなど、いまどき古すぎる。それどころか、血など使っても本来は魔力が覆い被さって、結局魔力を使ったほうが早いということになる。しかしこれは、そもそもが強い。まるでそれしか方法の無い人間が、究極の個人契約をしたようなものだ。

 だがこの世界で、魔力の無い存在など、果たしているのかどうか。


 アズラーンは何度か解錠を試みたものの、結局のところは開ける方法すら無かった。お手上げだ。ひとつため息をついたあと、扉から戻り、どうすべきかと腰に手を当てた。

 ともかくこの暗い部屋だけはどうにもならなかった。空間の真ん中で板のような何かに足がぶつかり、思わず下を見る。手で触れると、低いところに板のようなものがあった。アズラーンはしばらく触れたあとにそこに座り込んだ。足を組み、ブラッドガルドが部屋から出てくるのをしばし待つことにしたのだ。


 短い間か、長い間になるかわからない――。しかし、彼にとってその時間はあっという間だった。

 それから扉の先からブラッドガルドが現れるまで、約数時間。







 それより少し前。

 テーブルにはピザの空き箱が二個、積み上げられていた。開けられて中身の減っているものが二個。そしてまだ手を付けられていないものが更に二個、まだ控えている。そしてバスケットにはまだ大量のポテト。その隅で、影から出ている黒い影蛇たちが数匹、互いに取り合いながらもしゃもしゃとピザを呑み込もうとしていた。


「……いや……あのさあ」

「……なんだ」


 ブラッドガルドはピザを咀嚼した後に言った。マンションの一室というごくありふれた一般家庭の居間のソファを陣取った彼は、尊大に足を組み、テーブルに置かれたピザを咀嚼していた。

 しかしブラッドガルドの両手に握られているのは水色のコントローラーであり、その目線はテレビに映る映像を向いていた。映像では、ブラッドガルドの操る青色髪のキャラクターが、ポップに表示された街を走り回っている。インクをまき散らして陣地を広げつつ、取り合いをするゲームである。

 というのも、影から伸びた影蛇たちの中で、ひとつだけが腕のように蠢いていた。影蛇と同じように真っ黒で、影のようだ。その真っ黒な腕がピザを手にして、まるで自分の腕のように動いては口にピザやジュースを運んでいる。

 瑠璃はソファの下で座り込みつつ、黒い腕の動きをちらっと見た。


「その魔法の腕みたいなやつ私も欲しい」

「無理だ。諦めろ」

「……」


 瑠璃の目が一瞬、気色ばんだかと思うと、そのまま視線を自分のキャラクターに戻した。赤色髪のキャラクターが手に持った武器の中からインクを発射し、青色髪のキャラを死角から奇襲する。


「きさまッ……!!」

「おーし」


 相手チームにいたブラッドガルドを倒して速攻離脱する瑠璃。

 対してブラッドガルドは、思わず声をあげたことに自分で苛ついていた。憮然としながら陣地中央で復活するのを見つつ、黒い手がコーラを運ぶ。ストローから口を離すと、新しい噛み跡がついていた。


「でも、ホントにあの人ほっといていいの?」

「貴様もいい加減しつこいな」


 中身の無くなったコーラを、黒い手が戻す。

 その近くで、影蛇たちがピザを咀嚼しきり、新しい箱を開けようとしていた。


「さっきも言っただろうが。あれはただの自宅警備員だ」

「それどこまで本気なのかぜんぜんわかんないんだけど……」

「半分くらいは本気だ」

「それ半分はジョークってことでしょ」


 だいたい、それを言うならブラッドガルドのほうがよっぽど自宅警備員ではないか、と瑠璃は思う。

 ほとんど迷宮の自分の部屋に引きこもっているし、行くといつもいる。そして迷宮は広大な自宅扱いだ。いくら迷宮に勝手に住み着いた何かがいるとはいえ、それなりに踏破されないようにしていたようだ。


 ――あれ。それ考えると迷宮のボス全員、自宅警備員では……?


「貴様、いま碌なことを考えてないだろう」

「そんなことはないよ、たぶん!」


 かなりどうでもいいことを考えていたが、そこは貫く。


「でも、尋ねてきてたってことはブラッド君の知り合いでしょ。友達いたんだね」

「誰が友達だ殺すぞ」

「じゃあ何?」

「大した奴ではない。言ってしまえば鳥女と同じようなものだ」

「それ大した奴じゃない?」


 鳥女が女神セラフのことであるなら、要はブラッドガルドとも同じ。つまり、世界を作った精霊の一種だと言っているに等しい。


「ねえそれ大した奴じゃない???」


 瑠璃の視線は完全にゲーム画面からブラッドガルドへと向けられていた。

 その隙をつき、青色髪のキャラクターが瑠璃の赤色髪のキャラクターを素早く狙撃した。


「んああああ!!」


 瑠璃が叫ぶと、ふっ、と隣で鼻で笑う声がした。

 とはいえ赤色組の善戦により、瑠璃は勝利をおさめることができた。最後のほうは復活してスタート地点をうろつくことになったので、完全にオンラインの仲間のお陰だ。チャットが無い代わりに、スタンプの「ありがとう」を押しておく。

 瑠璃は一旦コントローラーを置くと、テーブルの上のメロンソーダに口をつけた。喉を潤してから、改めて言う。


「ほんと何しに来たんだろう……怖いんだけど……」

「何しに起きてきたか知らんが、今まで引きこもって世界に溶けていたのが出てきただけだろう」

「ほんと大した事では!!?!?」


 ブラッドガルドは自分自身の執着心で。

 セラフは人々の祈りで。


 それなら、既に世界に溶けていた精霊は何をもってして出てきたのだろう。

 瑠璃はツッコミを入れつつも、やや不安感を拭い去れなかった。ずず、とメロンソーダをもういちど飲んでいると、影蛇の一匹がそれに気付いたのか近くに寄ってきた。視線をやると、口の端っこにピザの欠片がついていた。ピザについていた紙ナプキンを一枚とって、小さなそれを取り払ってやる。

 その頭を指先で撫でてから、小さく笑った。


 ――まあ、私が考えてもしょうがない……のかな?


「……よし。とりあえずブラッド君が帰ったときにまだ居たら、ちゃんと来た理由とか聞いてね。開けるの私なんだから」

「……考えておこう」


 次のオンラインマッチの開始を待ちつつ言う素っ気ない態度に、あ、これ駄目だな、と瑠璃は思った。







 そして現在――。


 扉から自分の世界へと舞い戻ったブラッドガルドは、目の前のアズラーンを見下ろして口を開いた。


「まだいたのか……、泥人形が」

「そりゃ待つだろうよ」


 アズラーンは座ったまま肩を竦めた。

 あれからどれほどの時間が経ったのかはわからなかったが、少なくとも迷宮を下るよりはよっぽど早いと思った。そして、ブラッドガルドが会った時よりまだマシな精神状態であることに、冷や汗と安堵を同時に感じた。


「いい加減この暗闇を解いてくれるといいんだけどね」

「……確かに、貴様がいま乗っているのはテーブルだしな」

「ここテーブルなのか!!?」


 若干ショックを受けて勢いよく立ち上がる。


「弱った。僕はこれでも自分の気配に配慮してだね……、カイン君と話すために王の奴隷になったりしたんだよ? ……いやそもそもなんでこんなところにテーブル?」

「いいから帰れ。殺すぞ」


 その物言いに、やや感動したようにアズラーンが見返す。


「……ブラッドガルド。きみ、ほんとにちょっと丸くなって……」


 今度こそ、ぎろりとした視線がアズラーンを射抜いた。


「はー……ともかく君も落ち着いたようだし、まずひとつ聞かせてくれ」

「……」

「ずいぶんと古めかしいやり方の契約じゃないか。僕ですら忘れ去って久しい方法だ」


 ぴくりとブラッドガルドの片目が動いた。

 おそらく扉が開かなかったことを言っているのだ――というのはすぐに理解できた。


「まあ、そんなことはいいんだ。魔女のやり方にどうこう言おうってわけじゃない。別にそういう魔女がいてもいいと思う。ただ、きみがずいぶんと気に入っていると思ってね――」


 ブラッドガルドの目線が鋭くなったことに、アズラーンは再び肩を竦めた。


「それに、外になにがあるかも僕は見たんだぜ。シバルバーの空にあらわれた小さな光だよ。星のきらめきのようで、僕は嫌いじゃない」

「なるほど。宵闇迷宮が残した最悪の装飾だな」

「最悪か。それで、……きみは魔女となにをしていた?」


 アズラーンの問いに、ブラッドガルドはしばし無言になったあと、意味ありげに笑った。


「なに。ただの遊びだ」


 突然、その気配がぶわりと広がる。


「……上で何をしていたか。知りたいか?」

「……上、だって?」


 その言葉に、アズラーンは反応した。


 ――扉の向こうは地上に通じているというのか。いや、それにしたって……。


 そんなアズラーンを見ながら、ブラッドガルドは続けた。


「そうだ。……上だ」


 あるのは確かに地上だ。異世界のだが。


「適当な都市を選び」


 ランダムなステージを選び。


「互いに魔力を飛ばしあい、陣地を広げ合い――」


 インクを飛ばして陣地を取り合い。


「そうして、陣地を広く取ったほうが……。あとは、わかるな」


 勝ちである。

 何も間違ったことは言っていない。

 だがそれは、別にこの世界での出来事ではない。しかも現代の――異世界の――ゲームということまでは、アズラーンには理解できなかった。間違ってはいないが、正しい事も言っていないので尚更だ。


「そうだな。貴様がいま、守護する土地のように――といったほうがいいか?」

「……!」


 アズラーンはすぐさま険しい顔をすると、ブラッドガルドから一歩離れた。


「……いったい地上に何をした?」

「自分の目で確認すればどうだ。それくらいの時間は……」

「……そうか。じゃあ、見たあとにしよう。それくらいの時間はくれるんだろ?」

「ああ」


 ブラッドガルドが口の端を上げて言うと、アズラーンは険しい顔のまま踵を返した。


「また来る」


 その一言を残すと、土に溶けるようにしてその姿を消した。ブラッドガルドはしばらくその気配を探ったが、それは上へ上へと一気にのぼっているようだった。その気配もだんだん小さくなり、追えなくなってしまったが。


 ――……よし。面倒なのは帰ったな。


 起こっていないことを探すことほど難しいこともあるまい。

 これでしばらくは来ないだろう、とブラッドガルドは部屋の中の闇を取り払った。まるで布が落ちるように、ばさりと暗い闇が地面に落ちる。

 やや暗いその部屋は、いつものお茶会部屋だった。

 地面を這いずり、闇の残りがすべてブラッドガルドの影の中へと吸い込まれていく。


 真ん中にあるテーブルは、ぶつけたのか少しだけ傾いている。ブラッドガルドの影から出現した影蛇が、おもむろに斜めになったテーブルを咥えて直す。そのあいだに、ブラッドガルドは壁際の棚に近づいた。雑誌や小さなフィギュアの置かれた棚へゲーム機を戻すと、ようやく静かになった空間で、ブラッドガルドは一息ついたのだった。

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