挿話41 【急募】ドア開けたら友達が魔王ムーブしてたときの正しい声のかけ方

 少し前のこと――。


「……と、いうことです」


 ヴァルカニアに関する報告は、オルギスではなくリクの口から伝えられた。

 ほとんどの人間は、比較的真面目に、というより真剣に聞いていた。

 まだ政治的には距離を置いておきたいことや、立場的に中立を保ちたいこと。そのため教会については将来的にはともかく、まだ考える段階には来ていないこと――などを、それらしく述べた。

 しかし、一部の司祭たちが気にしていたのはそこではなかった。一部の司祭たちは、リクの後ろに立つ女性の視線をまっすぐ見返すことができなかった。


「最後の話は大丈夫なのかね。その、盗賊に入られたというのは」

「ええ、何とかなったそうです。確か、そのときは――」


 リクが振り返ると、全員に緊張が走った。


『はい。偶々、私が個人的に視察していたときに、そんなことになってしまって――。きちんと、お詫び致しました』


 それで一部の司祭たちは蒼白になった。

 少なくとも、カインに関して自分たちがそれとなくやってきたことはお見通しであり、他ならぬ女神に頭を下げさせてしまったのだと思った。実際の意図がどうであれ、そう思わせることに意味がある。そして同時に、


 バッセンブルグにすら強気に出るはずが、この件を蒸し返されてはたまらない。教会内ですら、自分たちが何か言おうものなら、何かのおりに降格させられるかもしれない――監視をつけられたオルギスのように。せめてこそこそと自分の職務を全うするしかなかった。

 これでもう、もはやこの件については口を閉ざすほか無くなったのだ。


 だいたいの事が片付いたあとに、リクとセラフ、そしてオルギスたちは連れだって、高い丘の上に来ていた。


『……本当にリクはそれでいいんですね?』

「いいよ。これで。二言はない」


 リクは頷いた。

 勇者は帰還せず、世界に残ることになった。

 自分がいたほうが事が片付きやすい、と判断してのことだった。女神が一度その身を世界に還すなら、勇者はこの場所に根付いて、次に何かあったときのために待機しておく、というのが建前だ。

 ちなみにアンジェリカにされた壮大な告白について、リクは明確な答えを出していないことになっている。


「緊急時には瑠璃に頼もうと思う。……会ってちゃんと話もしたいし」


 リクは頭を掻きながら言った。


「そうね。私も一度行きたいし」

「……それ、大丈夫なんですか? リカ……」

「大丈夫でしょ」


 アンジェリカのその自信はどこから来るんだ、と全員が思った。


『……それじゃあ、また』

「ああ。おやすみ、セラフ」


 そう言うと、セラフの姿がふわりと揺らいだ。


 かつて、信仰の中心だった聖女の祈りが、形となった姿のセラフは――こうして一度、世界に風となって散っていった。

 勇者とその仲間はそれを見送っていた。







 同じ頃――アズは迷宮に降り立つと、その異変に眉を顰めた。

 かつて宵闇の迷宮とも呼ばれたそこは、再びブラッドガルドの手に戻ったことで、その豊穣と底抜けに明るい異質さを失っていた。しかし再び魔力が満ち始めていて、まだ残っているものは無いかと潜っている冒険者がいるという。なにしろブラッドガルド自身の変化に、セラフが対応したほどだったというのだから。


「……これは……、……どうやら、ずいぶんとご機嫌斜めなようで」


 アズはそう言って周囲を見回した。

 炎であった自分を自ら手放したことで、執着という古い蛇から解き放たれ、一旦は保留されたというのに。今度はいったいどういう風向きか。あたりには瘴気が満ち、あちこちに瘴気のたまった泥が堆積している。


「青翡翠の彼女が見たら、どう思うかな……これは」


 ついつい愚痴を言ってしまうくらいには、衝撃を受けていた。

 迷宮の立地条件は、彼にとってはある程度融通が利いた。


 ――むしろ、セラフのほうがここは耐えられなかっただろうに。


 よくもまあ、人間の願いを受けてこんなところに来たものだ。


 ――……まあ……いいや。『我が王』のためにもさっさと面会だけ済ませておかないと。


 アズは思い直して、さっさと先に進むことにした。ずぶん、と影の中にでも入るように、土の中へ進入する。下の階層の天井に顔を出すと、地下へ地下へと、その言葉通り潜っていった。冒険者どころか、魔物のそれよりも違った意味でだ。

 とはいえ、途中で気分が悪くなる瞬間というのはあって、地下までまっすぐというわけにはいかなかった。しかも地下に行くにつれて瘴気は濃くなり、主の機嫌の悪さを伺わせた。

 以前ですらここまでではなかったはずだ。いったいなにがどうして、土地を返し、自分の炎を手放し、現状を受け入れたはずのブラッドガルドが、ここまで機嫌を悪くできるのか。


 ――……まったく。なにが虚無の王なんだ。


 いままではぴったりな名前だとすら思っていたが、ここまでの劇的な変化にはついていくのがやっとだった。それでもアズは、時に瘴気から身を守り、迷宮の最奥に落ちていった。

 結局、地中の中を探ってもいったいどれほどの時間が経ったのかわからなかった。シバルバーの近くについたころには、あたりはほとんど暗闇に支配されていて、アズですら視界を塞がれかけた。もはやごくふつうの人間どころか、魔物でもここまで潜ってはこれないだろう。どろりとした泥のような感触が常に肌にはりつき、水の底のような、全身を抑えつけられるような心地がした。吐き気がする。


 そんな場所を進んで、ようやくアズはたどり着いた。暗い闇の中に、それはいたのだ。ときおりパリッとした雷のような音が響く。魔力が放たれているのだ。

 頭をあげるように、それはアズを見た。


「……誰だ」


 泥の底から響くような声がした。ブラッドガルド。迷宮の主。

 アズはその目線を受けてもなお、態度を崩さなかった。


「やあ。僕のことを忘れたかい?」

「……アズラーン……」


 ずるり、と泥の塊のようなものが立ちのぼる。

 たちのぼる殺気を隠しもせず、ブラッドガルドが片目を細くする。


「なぜ……、貴様が……ここにいる……」

「それは薄々きみもわかっているんじゃないか?」


 そう言うと、ブラッドガルドは答えなかった。


「ああ、勘違いしないでくれ。僕は別に、君を眠らせにきたとか――そういうことじゃないんだ。僕じゃきみは倒せないしね」


 アズは――アズラーンと呼ばれた彼は、そう続けて肩を竦めさせた。


「僕はね、あれだけ炎に執着した君が、いかにして――その執心を捨てられたのか、不思議だったんだ。どんな心変わりがあったのかとね。だって君は以前からそうだったろ? 怒りに任せて燃えさかり、なにもかも舐め尽くして――灰に還す。そうじゃなかったかい?」

「……」

「なあ、……カウィル」


 アズラーンがそう加えた途端、カッとブラッドガルドの目が見開き、暗い部屋の中で魔力が膨張した。その魔力から逃げるように、アズラーンは一歩引く。


「……二度と、我を……、その名で……呼ぶな」


 ブラッドガルドの体から魔力が迸り、電撃のように周囲に散っていく。


「……っ。大人しくなったと思ったけど、どうやら僕の思い違いだったかい……?」

「泥人形風情が……」


 闇の中から響くような声がすると、その影から蛇の形が立ち上った。ゆっくりと次々に立ち上がる蛇が、あぎとを開いてアズラーンを睨めつける。最後にブラッドガルドの背後からヨナルが立ち上がると、同化するように暗闇から、蛇眼が見開いた。

 ブラッドガルドの指先へ魔力が迸り、それと同時に黒い鱗のようなものがその身を覆う。ゴキゴキと音を立てて首があちこちへ傾けられると、その頬にまで黒い鱗が覆う。


「……その姿は……」


 アズラーンの眼が、睨むように細まった。

 その間にも口が裂け、顔まで覆った髪の毛が魔力で起こった風で揺れると、その口元は既に人のものからはかけ離れていた。黒い鱗に覆われ、とかげか蛇のようにぐっと前に飛び出している。ごきごきと音を立てて背中が盛り上がった。最初、皮膜のない蝙蝠の羽根かと思われたそれは、黒い金属の刃のような、爪のような――巨大な蜘蛛の足のようなものだった。それが一本背中から飛び出ると、空間をひっかくようにぱきぱきと動く。


「……なるほど。そこまでやるのか……。それなら……。僭越ながら、君を抑えさせてもらうよ」

「やってみるがいい、泥人形……」


 濁ったような声が響き、その気配が一気に膨張した。アズラーンは衝撃に目を細めつつも、その姿を見据える。影蛇たちがアズラーンに向けて、今にも飛びかかりそうなほどに殺意を向けていた。闇色の体液を引きながらあぎとを開き、かわるがわるアズラーンを食い尽くさんばかりに威嚇していた。

 最後に、その背後から場違いな明るい光が差した。

 泥の底から響くような声がする。


「この迷宮に来たことを後悔させてやる……、遙かな眠りから覚めたことを未来永劫悔い続けろ……。その身の一片も残さず、呪いとともに世界に還るがいい……。他ならぬ貴様自身の手で大地を腐らせ、濁らせ、有象無象を破壊し尽くす汚泥となるがいい。そして永遠に、その身に刻み込め!」

「ご唱和ください!」

「我の名、を……!?」


 突然の乱入者へ、二人分の視線が向けられた。

 唐突に光の国の巨人を呼ばれそうになったブラッドガルドは、後ろを向いたまま完全に停止していた。あたりに飛び散った魔力でさえその場で停止し、アズラーンに向かっていた影蛇たちも口をあんぐりと開けたまま動きが止まっていた。異様な沈黙が一瞬満ちたあと、飛び散った状態で止まっていた魔力がまっすぐ地面に落ちた。べちょっと音がする。アズラーンが、はっとして落ちた魔力を目で追った。背中から覗いた蜘蛛の足がぽろりと落ちて、がしゃっという音とともに地面に同化する。

 後ろの光の中からは、扉を開ける格好で瑠璃が見ていた。


「おう。なにしてんだ」


 完全に予想外の出来事だった。

 その次の瞬間には、影蛇たちが瑠璃に殺到した。


「おあーっ!? ほんとなに!?」


 すべての影蛇が周囲にまとわりつき、本物かどうかまじまじと確認された。というより、絡みつかれて腰から捕獲される。そのうちの一匹が、目の前に顔を出す。


「ヨナル君じゃん。どうした。みんなお腹減ってる?」


 目の前にきた一匹の頭を両手で掴むと、その巨大な顎を犬のように撫でる。言い当てられたヨナルは小さくあぎとを開くと、遠慮気味にその手に頭をすりつけてから離れた。

 一方、ブラッドガルドはようやく瑠璃へと足を進めた。その指先からはとっくに鱗がこぼれ落ち、裂けた口も竜のように変化した顔も既に元に戻っていた。


「……貴様……。……もう来ないのではなかったのか」


 不機嫌の極みで言うブラッドガルドに、瑠璃は近くの影蛇を撫でつつ言った。


「ん? もう二週間経ってるよ。テストも終わったしね!」


 親指を立てる瑠璃。巻き付いていた影蛇たちが、再び衝撃を受けたような顔をして固まった。ヨナルを含めた使い魔全員が同じ顔で自分の主を見たが、その主はまったく同じタイミングで視線を逸らした。

 だがそれよりも、真顔のまま衝撃を受けていたのが後ろに立つアズラーンだった。はっと我に還る。


 ――もしかして、いまがチャンスなんじゃ……!


 素早く指先を動かそうとしたその瞬間、どぱんと闇が勢いよく立ち上がり、波のように襲いかかった。

 それを見た瑠璃が、あまりの扱いに微妙に引く。


「……小娘」

「んあっ!?」


 ブラッドガルドが視線を戻し、がしっと瑠璃の頭を掴む。腹の虫が空腹を告げた。


「腹が減った、何か寄越せ」

「……きみさあ……」


 呆れ半分で見上げる。


「……っていうか後ろの人について説明は無いの……?」


 現状に対して何も知らないのは瑠璃だけだ。しかも瑠璃からは誰かいることはわかっても、ブラッドガルドの気配がでかすぎて完全に視界の外だった。

 そこでアズラーンははじめて、瑠璃をしっかりと見た。現代の日本という安定した世界で暮らす瑠璃は、この世界の実年齢よりもやや幼く見えた。だがそんなことより、ブラッドガルドを一瞬で鎮めたこの少女が何者なのか、瞬時には判断しかねた。鎮めたというより完全に茫然とさせたの間違いだが、ある意味では間違ってはいない。ブラッドガルドと、宵闇の魔女という言葉から受ける印象は、いまだに実体と乖離し続けているのだ。

 のったりと、ブラッドガルドがアズラーンを見る。殺気は無くなっていた。代わりに、面倒だという視線が貫く。


「……あれは気にするな。ただの自宅警備員だ」

「絶対嘘でしょ!!?」


 衝撃を受ける瑠璃。


「じゃあ勇者だ、勇者」

「ほんと適当すぎない!?」

「奴の事などどうでも良い。行くぞ」

「えっ、ちょ……あー!?」


 瑠璃を捕獲した影蛇が、扉の向こうに瑠璃を連れていく。

 ブラッドガルドが通ると、すぐに扉が閉められた。しん、と空間が静まりかえる。と思った瞬間、また開いた。ブラッドガルドがまた入ってきたかと思うと、空間の片隅に手を伸ばした。闇の中からゲーム機だけをかっ攫って、とっとと部屋のほうに戻る。


「ちょ、ちょっと待ってくれブラッドガルド!」

「ぼさっとするな小娘。貴様はさっさとドミニカピザに電話しろ」

「ねえめっちゃ後ろから呼ばれてるの絶対良くないでしょ!?」

「放っておけ、鬱陶しい」


 ばたん、と扉が再び閉まった。

 そしてこの理解しがたい一連の流れを目の前で見させられたアズラーンは、完全に頭を抱えていた。







 風が吹き荒れたあと、風に紛れた小さな魔力に手を伸ばす女がいた。

 海を見下ろす崖の上で、どこか場違いにも見える青翡翠のロングドレスを着た女は、涼しげだが、どこかまどろむような視線で風の吹いた方角を見た。おもむろに手を伸ばす。


「……だからあなたは、ツメがちょっと甘いの……。……セラフ」


 青い瞳の女は、眠そうな目に似合わず、しっかりと魔力を掴んだ。それから手の中で白く輝く魔力を見つめると、再び視線をどこか遠くへと伸ばした。

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