挿話40 とある奴隷の場合

 キッチンはもはや戦争といっても良かった。

 調理師たちが時に顔を顰め、時に真面目に、時に顔を明るくさせて没頭する中、その周囲をキッチン周り専門の使用人が忙しく走り回る。普段であれば調理中でもやや和やかな空気さえ漂うキッチンは、戦場と化していた。

 そんなキッチンの入り口には、三人のメイドたちがひょっこりと顔を出していた。


「やっばいなー。一番忙しそうな時に来ちゃった」

「えっ、じゃあプリンは?」

「私たちのぶんまであるかどうか……」

「えー、だってプリン作るんでしょ!?」


 こそこそと左右から顔を出すその前で、急に使用人の一人が足を止めた。三人をちらっと見てから言う。


「いまそんな場合じゃないんだよ、あっち行ってろよ」


 あっハイ、とそれぞれ声をあげて、三人はすごすごと引き下がった。

 キッチンに蔓延する熱量から下がると、やや涼しくなったように感じた。


「でも、なんで今日こんなに忙しいの?」

「えっ。アンタ、知らずにここに来てたの?」

「そりゃあ、いつもは残ったものが貰えるけどね。この騒ぎだとちょっと無理かもねえ」


 うんうん、と頷く。


「だって、プリンが食べられるっていうから……!」

「いま、他の国から王様が来てるのよ。その歓迎の宴で出す食事を用意してるの。プリンもそこで出すって聞いたのよ」

「そうだったんだ!? というか、どこの王様?」

「砂漠王ザフィル様ですよ」


 その声に、三人は今度こそびくっと背を正した。そろそろと後ろを振り向くと、そこに立っている人物に慌てて控える。


「この大陸の東の果ての国です。そこには北側に草原、南側に広大な砂漠がありましてね。その砂漠側の国を治めているのが、砂漠王ザフィル様です」

「陛下!」

「す、すみません。あたしたちそんなつもりじゃ……」

「いいんですよ。休める時は休んでおいてください」


 そう言って笑うカインに、三人はやや後ろめたい気持ちで視線を逸らす。そのうちの一人が、おそるおそる挙手する。


「あ……あの。陛下。砂漠ってなんですか?」

「そうですね……。ニワトリ小屋の砂地はわかりますか? 砂浴びをしている……」

「は、はい。わかります!」

「ああいう砂地が地平線まで延々と続いてるというところです」

「ええっ。そ、それって、植物とか育つんですか!?」

「慢性的に水不足だそうですが、適応した植物はあるようです。生息する魔物も特有のものが多くて、それが実質的な資源にもなっているようですね。ワームの肉は食料にもなりますし、サソリ型と言われる巨大な魔物の外殻も鎧の素材とされています。こちらの方とは環境が根本から違うので、珍しいものが多いですね」

「へえー!」


 メイドたちは感心したように頷いていた。


「普段はなかなかこちらの問題に首を突っ込んでくるような方ではないと聞くのですが……、この国への来訪を希望しましてね」

「へえ……」

「それじゃあ、僕はこのあたりで。皆さんももう少ししたら忙しくなると思うので、宜しくお願いしますね。あとで皆さんのプリンも用意しておきますよ」

「プリン!」

「はい!」


 カインはその返事ににっこりと笑うと、キッチンの中に入っていった。


「大変そうだなあ」

「この国の王様に向かってアンタ……」


 一人が呆れた様子で言うが、もう一人はどこか安堵した表情を見せた。


「でも、本当に大変よね。最近いろいろ忙しかったし。ほら、ちょっと前なんて盗賊騒動もあったでしょ」

「あー。あれってどうなったんだっけ?」

「あの件はもう、あとは勇者に任せて終わりにするってさ」

「勇者様? なんで勇者様?」

「あー、えーっとそれは~……なんでだろ?」

「知らないのか……」


 三人はそう言い合いつつ、いまだ多忙を極めるキッチンから離れていった。







 カインが扉の前へと歩いていくと、扉の両側にいた兵士が敬礼をした。

 その歩みを止めぬように、手を素早く扉にかける。扉が開けられると、明るい光が差していた。扉の向こうにいた二人の男のうち、円卓に腰掛けていた中年の男が、思わずというように立ち上がった。男は少しばかり小太りで、浅黒い肌をしていた。肌によく似合う白く流れる貫頭衣を着て、腰にはしっかりと帯が巻かれている。肩からは王家の紋章が金糸で装飾がされた袈裟。頭には羽根のついたターバンを巻き、革で作られたがっしりとした靴を履いている。


「やあ! これはこれは! 貴方が噂の少年王カイン殿ですな!」


 やや興奮気味に、片言の混じった言葉で、男は両手を合わせる砂漠流の挨拶をした。


「既にこちらにいらっしゃったとは。遅くなって申し訳ありません」

「いやいや、私が無理を言ったのです! カイン殿、どうかひとめお逢いしたかった」

「こちらこそ。会えて光栄です、砂漠王ザフィル殿。ようこそヴァルカニアへ」


 二人は堅く握手をし、お互いを見た。


「改めてようこそ、ヴァルカニアへ。よくおいでくださいました」

「わたしの来訪をお許しいただき、本当にありがとう。ずいぶんと小さな手だ。いまだにあの悪魔から土地を取り返したなど、信じられない……」


 そうは言いながらも、ザフィルはやや興奮しているのが見てとれた。

 手を離すと、部屋の中を見回しながら言う。


「この城もそうだ……ああ、いや! スミマセン。信じていないわけではなかったのだが、ここに来るまではどうにも……」

「いえ、それも当然のことでしょう。お気になさらず」

「ああ、だが、この土地が人間の元に戻ったこと、そして何より貴方のもとに戻ったことを、心より感謝と祝福を……」

「ありがたきお言葉。どうぞ、お掛けになってください」


 二人は円卓の席にそれぞれ座ると、改めて挨拶を交わした。


「改めて、来訪の許しを感謝する。カイン殿」

「こちらこそ来訪を感謝します、ザフィル殿。僕は若輩者ゆえ、ご教授願いたいほどです」


 王たちの会話は、ひとまず来訪の理由といった軽いものから進んでいった。その場で聞いていた者たちは、互いに礼を尽くしつつも、そのほとんどが差し障りの無い話をしていると感じ取れただろう。

 お互いにそれとなく相手を探るような、奇妙な緊張感があった。

 ザフィルもこの機会に、新参にして異色の、そして若輩であるカインを王としてそれとなく教育することで、この西側諸国で取引をしやすくしようという狙いはあったのだろう。なにしろ東国の王たち――砂漠と、その北側の草原王――は、ほとんど西側諸国へと手を出してこなかった。

 それというのも、それぞれ独自の文化とともに魔物も多く、特に砂漠側は過酷な土地を何日もかけて抜けなければならない。それを抜けてやって来ることそのものが珍しいことなのだ。それゆえ二つの国はそれぞれが独立した形態を保ち、西側諸国とは必要最低限の付き合いしかしてこなかった。

 だがこうして現実にやってきているということは、カインという新たな王になんらかの可能性を見いだしたのだろう。


 だがカインの警護をしている兵士たちは、話の内容や国同士の探り合いよりも、ザフィルの後ろでずっと控えている男が気になっていた。

 彼はずいぶんと見目麗しかった。黒髪は美しく流れ、真っ白な貫頭衣は足首まである。腰で結わえた麻色の紐にはビーズで装飾されていて、その足にも細い革バンドの靴を履いている。王に比べてやや見劣りするとはいえ、側に控えていても遜色ない格好をさせられている。


「後で食事をご用意しておりますよ。もちろん、ブラッドガルドとの会談でもお出しした例の菓子も」

「おお! それは素晴らしい。小麦粉を使わぬという至上の冷菓子の存在は、気になっていたのです!」


 プリンができた最初のキッカケを思えば、菓子としては創造以上の出世だろう。まさかプリンもここまで名が売れるとは思ってもいなかったに違いない。


「そうだ――アズ、会話を許可しよう」


 ザフィルはアズと呼ばれた背後の男へと声をかけた。


「アズはどう思う? ブラッドガルドをもてなした菓子の存在を……。あ、いや」


 ザフィルは言ってから、もういちどカインへ視線を戻す。


「これは失礼した。彼は私の奴隷でしてね。側近をつとめる高等奴隷なのだが、この国では奴隷に話をさせるのは許可されて……許可されておるのかな」


 その言葉に、驚いたのはカインではなかった。

 この姿で奴隷と言われても、いまいちピンと来ない者たちもいただろう。

 じっさい、彼が奴隷と紹介されたうえに、彼自身のその物腰に一番驚いたのは、背後の兵士たちだった。驚きのまま目を見開く。


「ここでは大丈夫です。お恥ずかしい限りですが、最近の西側諸国では、奴隷の本来の扱いを知らぬ者が増えておりまして……。僕もできれば、彼の話が聞きたいと思っていますよ」

「そうでしたか……。では改めて、アズはどう思う?」

「はい、我が王。わたくしめも初めてお目にかかるものばかりで驚いております。失礼ながら、わたくしめも、ここに来るまでは半信半疑で御座いました」


 アズはあくまで控え目に、しかし言葉を選んでいるようだった。


「あの最悪の王、ブラッドガルドさえ動かしたという冷菓子も、眉唾ではないものと確信しております」


 その言葉に満足したのか、ザフィルは頷いた。


「そうだ、カイン殿……」


 その言葉に、やや緊張が走ったのをカインは見た。


「先程の話だが、奴隷制度のことなら、このアズが私よりも詳しいでしょう。教育を受けた本人なのですからな。どうですか、彼と話をしてみるというのは」

「アズさんと……?」

「どうだろう。貴殿が良ければ、の話だが……。私も、この西側諸国で奴隷制度が正しく使われることを望んでいるのだ。主君を楽しませるような教養も無い者がこちら側に入ってくるのは、私としても憂慮すべき事だからね」

「そうですね。では、お願いしても?」

「おお、それは良かった。それではアズ、くれぐれもカイン殿に失礼の無いように」

「御意。畏まりました、我が王」


 相変わらずアズの態度は慇懃であり、教育されつくした優秀な執事のようだった。そこには一点の曇りもなかった。







 会談を終えたザフィルが先に用意された部屋に戻ると、中に控えていた高等奴隷が無言で近寄った。彼もまたターバンはしておらず、髪は流れるまま、アズと同じような格好をしている。


「……オルファ、オルファや。会話を許可する」


 やや顔を青白くさせながら、ザフィルはそう言った。

 オルファと呼ばれた青年は、同じように血の気の引いた顔をしながら、ザフィルの肩の袈裟を外した。


「……わたしに、おかしな所はなかったな。あのかたを、カイン殿に会わせるのに……奴隷に話をさせるのは、おかしなことではないな」

「はい、恐れながら我が王。我が国では稀にあることです。教養高い奴隷なれば。我が王にはなにも……なにも落ち度は無かったと」

「そうか。そうであるな。ならば良い……」


 ザフィルから流れ出る汗を、オルファは拭う。


「我が王。……後はあのかたの思うままに任せましょう。悪い事にはならぬはずです」

「わかっている。わかっているさ、オルファ……」







 カインはアズを中庭に案内しながら、その話に聞き入っていた。

 特に東の果ての国で行われている奴隷への教育について。東の国では、主人に仕えるための礼儀や。特に見た目が良いものは、議論や意見を交わせる教養が重宝される。その見た目を保持するために、奴隷同士の結婚も慎重に吟味されるし、主人が面倒を見る。そして仕えている奴隷が多いほど、自分の力や教養も誇示できるのだ。

 とはいえ奴隷から発展した仕事というのはあって、民衆を楽しませるための専門の物語師というものまでいる、という話を、カインは興味深く聞いていた。


「できれば、この国の元奴隷達と話してくれるとありがたいんです。この国ではきちんと奴隷たちを扱おうという話が出ているので」

「わたくしめでよろしければ。我が王の許可さえ降りれば、すぐにでもできましょう」


 アズはにこりと笑った。

 この近辺の国にあっては珍しい黒髪が、陽の光に照らされて濡れたように見える。木漏れ日の下で佇む姿は、きっとこの周辺の国で『彼は奴隷だ』と言っても信じられないだろう。

 そもそもが、ザフィルの連れてきた高等奴隷のほとんどがそうした者たちで固められている。中には自分を買って独立する者がいる、という話も、彼らを見ていると納得できるのである。

 しかし、アズはまた別格と言えた。


 確かに、アズの話は面白かった。

 高等奴隷は教養が重視されるというが、そう言われるだけはあると思った。こちらが理解できない話は噛み砕いて説明し、わからないことはたとえ話でやってくれる。むろん文化的な差はあるものの、不用意なことは言わず、不快になることはない。

 だが、カインはその中でアズに違和感を覚えるようになっていた。

 高等奴隷がどうこうという話でなく、どことなく人間離れした違和感があったのである。


「そうだ、カイン様――。ひとつおたずねしてもよろしいでしょうか」

「はい。なんでしょう? 僕にお答えできることなら、なんでも」

「カイン様は、……ブラッドガルドをどう思う?」


 アズの目が一瞬でカインを射抜いた。


「……どう、思う?」

「――っ」


 カインの背にぞわりとした戦慄が走った。

 あたりはまだ明るいというのに、自分とアズの二人だけが違う空間に放り込まれたような、遠い感覚になる。周囲には兵士もいるはずなのに、まるで自分だけが時間が止まったみたいだ。


 ――これは……。


 ただの人間ではない。

 かといって、ただの魔物でもない。

 この世界の人間にとって、抗うことのできぬものだ。直感的にそう理解してしまった。


 ――この気配……この魔力……! これが似ているとするならば……。


 カインの頭の片隅に、翼を生やした女の姿が去来する。そしてなにより、その炎を奪われた闇の王の姿が。

 瞬間、カインはぞっとした。


「あまり構えないでほしいな。こうして入り込んだのは、きみを騙したり、傷つけるつもりじゃないんだ。僕はただ、現在のブラッドガルドについて率直なきみの意見が知りたいだけさ」

「ぐ……」

「あのどうしようもないほどに聞き分けのない男が、どうしてこんな気まぐれを起こしたのか……」


 まるで懐かしむような口調で、アズは言った。


「もういちど言うけど、心配することはないさ。ただ、ブラッドガルドと直接やりあったきみに、聞きたかったんだ。あの男のいまの印象をね」


 逆らってはダメだ、という思いが去来する。


「……やはり、噂の……宵闇の魔女が関係しているのかな」

「……そう、ですね……」


 だから、思っていることを素直に口にすることにした。


「……ブラッド公は……あのかたは、もう少し素直になられたほうが、僕達としてはありがたいですね……」

「うん。……うん?」


 アズの頭にひとつ、ハテナマークが浮かんだ気がした。

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