ヴァルカニアの長い夜(2)

 ヴァルカニア、時計塔城中枢。

 円卓会議の部屋に集められた情報は、すぐさまカインと中枢の者たちによって精査されていた。


「西、数名が突破したぞ!」

「何人かが戦闘を引き受けている最中に、後ろから突破されたようですね。部隊内部にも誘導だか陽動だかの要員がいたようですね」

「こっちも戦闘要員を全員出せるわけじゃねぇからな。仕方ない。東はどうだ?」

「うーっす。東のほうは最初に一人捕縛しちまったんで。あとは四人を別々に捕獲して、人数が減ったところを一網打尽ですね」

「よくやった。残りは中央だけか」

「はいよ。こっちも東と同じく、こそこそやってやがった。やっぱり城を目指してる」

「侵入者の部隊はこれで全部か?」


 一瞬、間があった。


「……いや。おそらく……、それとは完全に別に、侵入者が……いる」


 コチルの言葉に、全員が頷いた。


「わかるか?」

「二人か……三人いるかどうかはわからないが、気配がする」


 亜人の――獣人の――鋭敏な感覚への信頼というのは、誰もが持っていた。


 ヴァルカニアが独立して以来の一大事。

 そう言えば聞こえは良いが、全員が緊張とともにあった。当然、いままでだって訓練はしてきた。だが、これはある種の初いくさともいうべきものだ。しかも、初めてだというのは一人や二人ではない。全員がそうだ。

 もちろんこれまでに戦闘経験がある者はたくさんいるが、これは一対一のものではない。城の防衛ということも入っている。

 緊張感は必要だが、硬直していては意味がない。


「弱いところは今後の改善点ですね。報告は滞りなくお願いします」


 カインがそう言うと、ふっと全員から奇妙な硬直が取れた。

 グレックが隣で微かに笑うと、カインは咳払いしながら視線を外した。

 そのときだ。扉がバンと開き、顔を紅潮させた魔術師の女がひとり入ってきた。足早に部屋の中へ入ってくると、壁に掲げられた大きな水晶の薄い板を示した。


「陛下! モニターをご覧下さい!」


 そう言うと、水晶板にパッと魔力が通った。


「拡大します」


 親指と人差し指。合わせたそれをゆっくりと開く。いわゆる現代のスマートフォンとまったく同じ操作をすると、水晶板に映った映像がズームインした。おお、と周囲から感心したような声が漏れる。


「……これは……すごい」

「この操作の詳細については、敵をやっつけてからにしましょう。ここです、ここを見てください――侵入者です」


 言われずとも、全員が驚きとともにそれを見ていた。

 裏口から侵入した二人がはっきりと映っている。彼らは裏手側の城壁をよじ登って侵入し、僅かな裏庭に降り立ったのだ。

 そこから城側を伺っているところだった。

 どうやら正面から入り込んだ三つの部隊は、それ自体が陽動であるらしい。すべては、この二人が入り込むためのものと考えていいのかもしれなかった。だが、残念ながらいまのこの国では、どこかに人員を割けばどこかが不足してしまう。圧倒的な人材不足に悩まされているのだ。

 人数に比べて城がでかすぎる、というちぐはぐさが生んだ問題でもある。


 グレックは、カインがその二人の侵入者をじっと見ているのに気が付いた。

 その表情には、どこか驚いたような色があった。モニターの性能ではなく、純粋に侵入者を見つめているのだ。


「……カイン?」


 思わず声をかけると、カインははっとしたように我に返った。

 少しだけ戸惑ったように、その場に視線をゆっくりと戻す。


「……おそらく、敵の目標は、僕ですね」


 それは当然と言えば当然だろう。それは予想されていたことではあった。

 だが、あまりにカインが沈痛な面持ちをしていたので、誰も何も言わなかった。沈黙があたりを支配した。魔術師の女がちらちらと周囲を見たあと、口を開いた。


「陛下。いまここで言うのもどうかと思いますが、魔導機関は今後の戦い方を確実に変えるでしょう」

「……わかっていますよ」


 カインは立ち上がった。


「でも経費についてものちほど」


 そう言うと、椅子にかけてあったマントを手にとって、肩に引っかけた。


「陛下」

「陛下!」


 この国は、体裁だけは整っている。城がある。家がある。ルールがある。食材もいまのところはなんとかなっている。だが、国としての人員は圧倒的に足りない。村としてならまだ良かった。

 だが、人員が足りないのは向こうも同じなのだとしたら――。

 この城には国民にも一部しか知らない道がある。張り巡らされた道が。

 カインは目を閉じ、しばらく考え込むように黙り込んだ後、キッと前を向いた。


「……みなさん。少しだけ、僕に付き合ってもらえますか」







 正門の前で動く影を見つけると、兵士たちは声をあげた。


「こっちにも居たぞぉっ!」

「来やがったな、盗賊どもぉ!」


 さすがにそこで気が付くと思わなかったのか、侵入者たちはぎょっとしたように顔をあげた。だが、すぐさま自分の腰に手をやると、剣を抜き去って構えた。兵士たちもまた槍を構え、迎撃の準備に入る。


 正門の前で戦闘が繰り広げられようとしていたちょうどその頃、城の裏手側から侵入する影があった。


「やっぱり人手不足みたいだな」

「こんなバカでかい城なんだ、手が届かないのは当たり前だな」


 カーテンの閉じられた窓を選んで、小さな宝石で傷をつける。


「陽動の必要はあったと思うか?」

「……結果的に必要だ。窓の性質だけは良いらしい。……さすが、ブラッドガルド謹製だ」


 顔を顰めた後、何度か宝石で傷を付け直した。まだ時間はある。盗賊団が他の目を引きつけている。だが、同時に寒気のするような一言に、侵入者のひとり――少年は睨むようにもう一人を見た。

 何度目かの挑戦でようやく窓を外すと、二人は中に入り込んだ。

 城内に人は少ないようだった。というより、軽い混乱状態にあるようだった。城内には一般人もいるらしかった。というより、人数が少ないためか職人たちが城に入り込んで作業をしているようだ。彼らを安全なところへ逃がしているらしい。

 二人は誰もいない廊下を悠々と歩いて、目的地へと向かっていった。


 盗賊たちが表で陽動をしているのは、ひとえに城内の完璧な地図を作ることができなかったことにある。

 とはいえ、表で盗賊たちが兵士を引きつけている間に背後から乗り込む、という作戦はこれで成功したようなものだ。あとはカインのところまでたどり着けば、用事は済む。あとは自分達がどうなろうとどうでも良かった。

 こそこそと周囲を伺いつつ進んでいると、突然大声が響いた。


「さあ陛下は上へ! 俺は職人たちをなんとかする!」


 二人は物陰からその様子をじっと眺める。


「わかりました」


 カインの声がした。

 少年は一瞬ぎくりとしたものの、そのまま覗き込んだ。カインは階段のような場所を上がっていった。反対に、騎士は近くにあった豪奢な扉の中へ声をあげているところだった。


「よう、爺さん! こっちだ、さあ早く!」


 騎士は豪奢な部屋の中で隠れていたと思しき老人へ声をかけていた。中は奥の壁に金色の装飾のついた大きめの鏡がひとつと、ソファがひとつあるきりの、質素なのかどうなのかちぐはぐな部屋だった。

 どうやら人手が足りない、というのは本当らしい。それどころか家具も足りないようだ。

 近衛騎士がカインについていかずに人命救助に走るなど、国民思いで涙が出そうだった。だが、その優しさはときに命取りだ。


「なんだ? 上に何かあるのか?」

「あっちはおそらく時計塔だな。そこでやり過ごそうってか」

「上に何かあるんじゃないのか。魔人の武器とかな」


 冗談めいた言葉に、少年はつまらなそうな視線を送った。


「それならそれでいいさ」


 それだけ言い残すと、少年は素早く身を隠してカインを追った。







 カインは、長い長い階段を急いで駆け上がっていた。

 日々の鍛錬だけは欠かさずやっているとはいえ、時計塔はひどく高い。こんな時だけ、時計塔を作った職人――ではなく、魔人を呪いたくなる。巨大な螺旋階段が続く時計塔は、外で見るのとは違ってずいぶんと遠いところにある。まるで空中庭園だ。実際のところは、時計のところだけは巨大な空間になっているので、そう言っても差し支えないだろう。だが、そこに向かうまでが大変だった。

 時計塔の調査と管理を請け負う老人の苦労を思うが、いまは逃げるのが先だ。

 途中から息が乱れに乱れ、肩があがり、どうしようもなくなってくる。だがこんなところで疲れていては、この先がどうしようもできなくなる。


「ああっ……くそ、長いっ……!」


 巨大な広間に到達したカインは、忌々しげに呟いた。

 まだこの先がある。カインは広間を突っ切って、続きの階段へと抜けた。その後ろを、入れ違うように二人の追っ手が抜けてくる。


「くそっ、なんだこの時計塔は……!」

「……あっちだ!」


 足音が聞こえるほうへと少年が向かう。


「おい、待てって……」


 もう一人が追いかけようとしたそのとき。突然、背後から足音がした。

 慌てて振り向く。じっと見つめると、開いた部屋の扉から鎧を着た亜人がひとり、出てくるところだった。


「……お前、どこから……? いや、そんなことはどうでもいいか」


 亜人ならば、きっと足が速かったのだろう。

 自分たちを見つけて追いかけてきたに違いない。


「おい、お前は先に行け」

「ああ」


 少年を先に行かせ、もう一人は剣を抜いた。

 亜人はそれでも構わなかったらしく、巨大な斧を軽々と肩に引っかけながら近づいてくる。


「亜人か。この国ではよっぽど人手が足りないらしいな」

「……亜人じゃない、獣人のコチルだ」


 コチルはそう続けた。


「ヴァルカニア王直属騎士団、獣人部隊部隊長コチル・ジルヴァー。おまえはここまでだ……。参る」

「ふん。苗字を貰った恩義か? 気取りやがってっ……!」


 二人は武器を構えたまま、しばし見つめ合った。その視線が一瞬交錯した次の瞬間には、一気に距離を詰めていた。時計塔内部に金属音が響き渡り、戦闘の開始の合図を告げた。







「はーっ、はーっ……」


 たどり着いたそこは、時計塔の内部最上階だった。

 巨大な空間の奥には、時計部分を動かす巨大な歯車がゆっくりと動いていた。その歯車を囲むように、後ろの壁に向かって階段がつけられている。そこがちょうど文字盤の部分へと出られるようになっていた。何度見ても凄まじい景色だ。

 カインは壁に続く階段の近くまで歩くと、二、三段のぼってから腰を下ろした。体は熱く、汗がじんわりと吹き出ていた。それから呼吸を整え、いまにも跳ね上がりそうな心臓を落ち着けた。


 部屋の片隅にある扉に目をやる。扉の上には、上半分だけの時計のようなものがあった。半月の真ん中下に付けられた矢印は、一番左側を指している。カインは視線を逸らすと、何度か呼吸を整えた。


 深呼吸をくりかえし、ようやく息が整ってきた頃。下に続いている階段から、静かに足音がし始めた。カインの視線がそちらへ向く。

 影が動き、この空間へと向かってくる。やがてその影は実体を持って、ゆっくりと最上階にたどり着いた。カインはおもむろに立ち上がり、不遜な侵入者へと視線を向けた。


「さすがに嘘だろと思ってたんだがなあ」


 少年はおもむろに、頭を隠したフードを取り払った。

 ぐしゃぐしゃになった髪の毛に手をやり、払いのける。


「いったいお前はどうしちまったんだ、カイン?」

「……セス」


 少年は――セスはゆっくりと、カインに近づいてきた。


「どうやらお前は幸運を手にしたらしいな。でも、どうした? ……逃げて、静かに暮らしてりゃあこんなことにはならなかった」

「……」

「その結果がこれだ。教会は混乱ってもんじゃねぇ。そのお陰で俺は殺されずに済んだんだけどさ」

「セス……」

「まあ、そういうわけだ」


 セスは近づいてくると、腰にあったナイフを抜いた。


「あのときは仕留め損なったが、次はこうはいかねぇ」

「……」

「……死ね、カイン!」


 セスが飛びつこうと、その足を一歩踏み出した。


「うっ!?」


 後ろからの唐突な一撃が、セスを襲った。

 予想外の一撃に、前にもんどりうったセスは、思わず怯んだ。

 それが運の尽きだった。獣人隊の操る狼が二匹飛びかかると、ますます形勢が乱れた。


「な……なっ……!?」

「大人しくしろっ!」


 騎士が叫んで、あっという間に取り押さえる。

 背後にあった豪奢な扉が開いていた。部屋の中はカーペットに、壁には金の装飾がついた鏡。そして柔らかそうなソファと、落ち着いた空間が広がっている。

 どこかで見たような部屋だ。特に、この時計塔に上がる前に見た部屋とまったく同じ構造をしている。


「お……お前!? いつからここに……!?」


 確かにカインと別れたのを確認した。

 すぐやってくるには早すぎだ。亜人ならともかく、人間がここに追いついてきて――しかも息切れひとつしていないというのは意味がわからない。


「あとの奴らは一階下のコチルんとこに行かせたぞ」

「そうですか。ありがとうございます」


 カインはそれだけ言うと、わけがわからないという顔をしているセスを見た。


「……それは、『昇降機』と言いましてね」


 かつん、とその足音が近づく。


「正式名称を、魔導昇降機というんです」


 『魔導』とついたその言葉の意味するところを、セスはいまいち理解しきれなかった。理解したくなかった。


「あの方が、復活早々わざわざここで作りやがった……いえ、もとい、魔導機関の最新作です」


 その言葉に、セスの顔色が目に見えて変わった。

 カインの苦々しい砕けた口調ではない。

 魔導機関のことだ。

 いまや世界を揺るがす新たな技術にして、いまだ人間の手のうちに無い技術。そんなこの世界において魔導機関を一番理解し、新作を手がけることができるものはただひとり。


「魔導機関車が大地と並行に動くものであるのなら、これは垂直に動くもの……。あなたがたが、ただの部屋だと思い込んだそれは……。一階から最上階まで上下することができる部屋なのです。面白いでしょう?」


 カインはにこりと笑った。


「実際、僕より早く到着してたんですよ。笑いますよね。僕はこんなに苦労してのぼってきたのに!」


 つまるところ、カインがわざわざ階段を使って上まで誘導したあと、騎士団は昇降機なるものを使って悠々と上まで登ってきたのだ。カインを狙っていた二人は、まんまと標的でありながら囮となったカインに引っかかったのだ。自分たちは一歩も歩くことなく悠々と移動してきた騎士団は、体力をひとつも消耗することなくここまでやってきて挟み撃ちにした。一人でも取り逃せば二度とは使えない戦法だが、それでも実行したのはここでしか使えないからだ。

 セスの目が大きく丸まり、カインのその姿を見た。

 カインはその目をしっかりと見返した。

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