挿話38 ヴァルカニアの長い夜(1)

 最初に異変に気が付いたのは、亜人――もとい獣人たちだった。


 ヴァルカニアでは、特に獣の特徴を持った亜人たちを、宵闇の迷宮で使われた俗称である『獣人』とひとくくりに呼ぶことになっていた。

 『亜人』だと「はぐれ者」や「中立」の意味合いが強いからである。国に仕えることを選んだ亜人たちを、それに変わる言葉が必要だったのだ。


 鼻が効き、気配に敏感な彼らは、ある程度訓練すれば警備兵として充分すぎるほどの働きをしてくれた。特に夜目の利く者たちが多かったので、重宝された。もとから魔力嵐の中の村にいた者たちがほとんどだったが、宵闇の迷宮が閉店――皮肉である――してから何人かが増えた。迷宮調査隊にコチルなど亜人が参加していたこともあったので、そこで知り合った者がほとんどだ。だが、中には冒険者として身を隠して生きていた者もいた。


 ともあれ異変に気が付いた彼らは、すぐさま警戒を呼びかけた。

 その瞬間、パンッという爆発音が響いた。


「敵襲――!」


 かけ声を、賊の雄叫びがかき消した。

 一気に物陰から姿を現した盗賊団は、そのまま集まってきた警備兵に向けて小さな道具のようなものを投げつけた。

 それらは建物を壊すほどの威力は無いようだが、地面に当たった瞬間にパンッという音を立てた。何個も持ち込んだらしく、あちこちで音を鳴らしている。


「くそっ、なんだあの音!?」

「ビビるなよ、人間! ありゃー爆竹だ! 魔物の誘導用だよ! 本来はな!」

「亜人には周知の物体ってか!」

「獣人って呼べよ!」

「危険度は?」

「しょせん音だけだ! だがあんまり近づくなよ!」


 武器を片手に、あっという間に戦闘が始まった。

 槍を持った兵士たちのほうが間合いとしては長いが、ひとたび間合いの中に入られると、ナイフ片手の盗賊団に苦戦した。中には剣を持っている者もいて、槍兵と互角にやりあう者までいたのである。

 あちこちで金属質な音が聞こえ、わあわあと声があがった。


「おうおう、亜人がいっちょまえに鎧なんか着こんでんじゃねぇ!」

「亜人は捕まえとけ! 女子供もな!」


 リーダー格らしき男が指示を出す。

 兵士たちはほとんどはじめての戦闘に四苦八苦していた。


「ともかく応援を呼べ!」

「わかった!」


 獣人の一人が駆けだしていった。盗賊の一人が集団から抜け出し、それを追っていく。


「うっ、く、くそっ!」


 獣人が逃げるように声をあげる。

 仲間の一人が後を追いかけたが、その眼前に剣が差し出された。


「おっと。お前の相手は俺だっ!」

「……っく」


 兵士は槍を構え直し、誰も獣人に加勢することはできず、見送るしかできなかった。


 こうして、ヴァルカニアの長い夜は始まったのである。







「へへへへ……いいところに逃げ込んだな」


 盗賊の一人は、笑いながら獣人が逃げ込んだ路地へと向かった。

 こっちは行き止まりだとわかりきっていた。


 彼ら盗賊団は商隊にまぎれて、ある程度の地図は作成していたのである。そうして、ある程度の道順を把握していた。多少、意味のない階段や不自然な行き止まりが多いことから、これが迷宮街と呼ばれる所以だろうとあたりを付けていた。

 だが、それらはほとんど意味のないもの。

 地図と比較してよくよく見れば、城まではほとんど決まりきった道がある。行き止まりの道に入り込んで迎え撃つこともできるのだろうが、その場合後ろは壁だ。むしろこれは危険にさらす行為なのである。

 いくら最悪の迷宮主の作った街とはいえ、そこはまったく住む者たちに考慮されていない。もちろん、守る者たちにとっても、である。

 こうやって追い詰めれば、簡単にやれると思った。


 案の定、獣人が壁を前にして茫然としているところへと足を踏み入れた。


「へへへ。どうやらまだ地形を覚えてないようだな……」

「あ……」

「恨むなら王様を恨むんだなぁ……!」

「ひっ!」


 声をあげて槍を構える獣人に、男は大きく剣を振りかぶった。

 だが、ドシャッ、と肉を引き裂く音がしたとき、痛みが走ったのは盗賊の背中だった。


「え?」


 その声は盗賊自身のものだった。

 自分はまだ剣を振り下ろしてもいない。あまりの驚きで後ろを振り向くと、いつからやってきたのか、その背後には兵士が二人、ニヤッと笑いながら立っていた。


「ど、どこから……」


 驚いた顔の顎に、きつい一発が入れられた。ウッ、という小さな呻き声とともに、男は地面に倒れ伏した。虫歯になりかかった歯が一、二本折れたらしく、口元から血を垂らしながら、これ以上ないほどのしかめっ面をする。その瞬間、もう一発顔に食らった男は、そのまま頭を打ち付けて意識を失った。


 壁に追い詰められていたはずの獣人は、そんな二人ににやりと笑った。


「助かったよ、ありがとう」

「ああ」


 兵士の男はにやりと笑いながら親指を立てる。もうひとりが倒れ込んだ男を縛り上げ、布袋の中に入れる。

 その隣にあった壁がくるりと開くと、中から中年女が顔を覗かせた。


「ほら、早く入りな」


 ただの壁に見えたところは、回転式の扉だったのだ。意味の無い壁に見せかけた扉は、ただ街を調査しただけでは見つからない。加えてそういう場所には国に近い人間が住み、何かあったときのためにあれこれと世話を焼いたり、民間人のふりをすることがあった。

 もちろん、この隠し扉を利用できる兵士は限られた階級以上の者だけなのだが。

 兵士たちが回転扉から中に入ると、中年女は周囲に眼を配りつつ扉を閉めた。


 三人の兵士は喋りながら、足早に建物の地下へと移動する。


「数は?」

「確認できただけで十人」

「ゴロツキか?」

「いいや。ある程度統率ができてる。それに騒ぎすぎだ。ひょっとすると、いくらか個集団に分かれているのかもしれん」

「なるほど、こっちが騒ぎを起こしている間に別のところから侵入か」

「その可能性は高い。少なくともあと一集団、あるいは二集団くらいあるかもな」


 地下の食料庫の奥へたどり着くと、石壁の中でひとつだけ色の違うものを奥へ押し込む。すると、いままで壁だったところが開き、その向こうに暗い通路が続いていた。

 獣人の男は手を差し出すと、盗賊の入った布袋を受け取った。


「そんじゃ、報告がてらこいつを届けてくるよ」

「ああ。俺たちは応援があるまでこのまま待機してるよ。何かあったら表から行く」

「了解。ヘマすんなよ」

「おう」


 そう言うと夜目の利く獣人を暗い通路に送り出し、兵士たちは扉を閉めた。


「しかしよう」

「なんだ?」

「ああやって連れてかれたら絶対方向感覚狂うよな、この街」

「……だな」







 都市の西側で派手な音がすると、東側に隠れた集団が顔をあげた。


「よし、行くぞ」


 ヴァルカニアの時計塔城に入り込んだ集団は、大きく三手に分かれて行動を開始していた。西側の集団が派手に暴れている間に、中央と東側から別々に侵入する、という手はずだった。

 六人一組の集団は、ほぼ一列になって前と後ろを警戒しつつ進んでいた。


「迷宮城なんて呼び名がついてるらしいがな、所詮作った相手のことだったようだな」


 派手にドンパチやっているのが遠くのほうで聞こえる。

 地図はすっかり頭の中に入っていたし、そうすれば兵士たちがどんな通路を使ってくるかも大方予想がついていた。


「中央さえ突破できれば上々と思ってたがよ、このぶんじゃ俺たちも王城まで行けそうだな」


 なにしろ大方の戦闘は西側で起きていて、こちら側は手薄になっているのは明白だ。あたりには人の気配はまったくない。建物の中でちらちらとたまに火が揺れていることはあるものの、静かに通ればまったく問題はないものだ。


「へっ、全員がこのまま突破できるかもしれないぜ」

「違いねぇ」

「おい、静かにしろ。見つかったら、面倒なことになるんだぞ」


 チームのリーダーがそう苦言を呈すると、わかったよ、と後ろの男たちは従った。

 地図に従って、突き当たりの道を避けていく。というより、行き止まりの道はごく普通に避けられるものだ。王城へ行くまでに問題ない。王城に着いたら、さすがに正面突破は無理がある。

 それに、自分達が直接乗り込むわけではないのだから。


「……待て」


 それでもやはり楽勝と思いかけたそのとき、リーダーが全員を止めた。

 視界の隅に動くものを見つけたのだ。


 ほんの少しだけ気配を消してそっちを注視すると、物陰に隠れるように大きめの犬が伏せているのが見えた。犬はちらりと彼らを見たが、そのまま逃げるようにこそこそとどこかへ行ってしまった。


「……なんだよ、犬か」

「放っておけよ」

「吼えられると厄介だ」


 また緩慢な空気が支配しかけたが、そこはきっちりと進むことにした。

 それにしても、新興国家だからか手薄にもほどがある。それに、あんな犬が闊歩しているようではこの街の整然とした雰囲気とはまったく話にならない。

 ともあれ、当初の目的どおりに男たちは進んでいた。


 だが、男たちは気が付かなかった。

 一番後ろを歩いていた男が、一人いなくなっていることに。六人一組の集団は、いつの間にか五人になっていたのだ。


 その様子を見ていた犬が、とたとたと建物の隙間へと入り込んだ。木々の間に隠れた小さな入り口から中に入り込むと、中で迎え入れた獣人がその頭を撫でた。


「よしよし、なるほどな」

「なんだって?」

「賊は『正規ルート』をまっすぐ王城に向かってるって」


 犬――ではなく、狼の背を撫でてねぎらう獣人。


「どうだ?」

「こっちの報告とも合致してる」


 別所からの報告を受ける兵士が頷いた。


「ほー。亜人が獣と会話できるって話は聞いたことあるけどなあ」


 人間の兵士が感心したように頷く。


「いや、亜人が、じゃないよ。種族によるかな、獣の種類とか性格にもよるし」

「ふぅん。ココとかコチルとかも話せるんかね」

「それって上のひとたちか。どうだろう。魔物相手とか、奴隷出身だとぜんぜん駄目ってこともあるからなぁ」

「そうかー。まあともかく、この戦果も報告しとこうぜ」


 同じように狼を撫でようとして、ガゥッと僅かに抵抗される兵士。


「おおっ」

「ほらほら、遊んでんじゃねぇよ。まだこっちはやることがあるんだから」


 そう言うと、兵士は立ち上がった。


「おーい。さっき一人捕まえたってさ」

「あいよ。よくやった」

「こっちはどうやら別働隊みたいだな。こっそりと捕縛しておこう。……とりあえず、同じように一人ずつ消えてもらおうか」

「怪談みてーだな……」


 兵士はにやっと笑った。そして盗賊の頭の中には無い、この国でカインと共にあると誓った者だけが入れる隠し通路で、待ち構えることにした。







 少し離れたところでは、西側の戦闘をのぞき見している男がいた。顔を隠した男は、じっと戦闘の様子を眺めてから双眼鏡を外した。


「……多少、西側が苦戦しているようだが、おおむね問題ない。新興国家のくせに意外とやるみたいだ。ちょっと兵士が少ないのが気になるけどな」


 顔を隠した男が、まだ年若い少年へと目線を向ける。

 ぎろりと少年から視線が返ると、男は肩を竦めた。


「わかってるよ。俺達を出してくれた礼だ。謝礼分の仕事はするさ」

「ああ」


 少年は頷いただけだった。

 男はもういちど肩を竦めると、そのまま双眼鏡を再び目にした。


 少年はその姿を見てから、くるりと踵を返す。はっとして前を見ると、そこには見慣れた姿の同業者の男がいた。男はちらっと双眼鏡を覗く姿を一瞥してから、少年に視線を戻す。


「あんなのに任せて大丈夫だったのか」

「問題ないと思う」

「……もし、奴らが失敗したらどうする?」

「問題ない。計画はこのまま進める。最悪、俺たちが王城にまで乗り込めればそれでいいんだからな」

「そうか。……必ず仕留めろよ」


 少年が緩慢に相手を見た。


「……わかってる」


 その視線は厳しく、男はそれ以上何も言わなかった。


「……チャンスは一度きりだ。次は殺す……。カイン」

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