挿話36 オルギスの場合

 オルギスは月明かりの下、整然とした街の中を歩いていた。

 ブラッドガルドの討伐と豊作。そして宵闇迷宮と続いたお祭り騒ぎも一段落し、街の中は沈黙に包まれていた。

 かつてブラッドガルドがカインとの『会談』のために作り上げたという都市は、奇妙な作りをしていた。外見だけなら城壁都市を思わせ、中のほうも一見すればごくふつうの城壁都市だ。だがひとたび大通りから中へ入れば、意味の無い扉や通路、どこにも繋がっていない階段、どこからたどり着けるのかわからない建物、そもそもが扉の無いように見える建物など、複雑な作りが牙を剥く。

 果たして魔導機関の地図があったとして、まともに機能するかどうかわからない。まさに迷宮城だ。しかも精巧な地図を作る魔道具とほぼ同時に作られたことを考えれば、魔人は地図が何を意味するか理解していたのだ。


 ――……だが、迷宮としても、異質な作りだ。


 当然だ。

 そもそもここは会談の為に作ったわけではない。現代のウィンチェスター・ミステリー・ハウスと、何故かウェストミンスター寺院をもとに作り上げた城なのである。自分の力を誇示し、見せつけるのと同時に、単なる趣味の一環であり、且つ宵闇の魔女を当惑させて愉悦に浸る――端的に言ってしまえば瑠璃の反応を見て面白がる為だけに作った城だ。


 そんなことはつゆほども思わず、オルギスは指定された場所へ向かっていた。大通りから奥へ入り、ベーカー通りと呼ばれる通りへ進む。道に設置された街頭が、魔力の灯りで道を照らしている。老人が大事そうに酒瓶を抱えている横を通り過ぎる。

 指定された場所はすぐだったが、指示は膨大だった。扉に221Bと書かれた家を通り過ぎて、二つ隣の建物の前で止まる。地下に続く階段を降りると、扉を開けて中に入る。カーペットの敷かれた通路を、右手側の一番奥の扉の前まで。足元でひとつだけ飛び出た石壁を蹴ると、カチリと音がして扉が開いた。

 鼻を鳴らして、部屋の中に入る。指示はまだ続いていた。膝をついて暖炉の鉄扉を開けると、向こう側に続いている通路があった。思わず目を見開き、四つん這いになりながら通路を進んだ。ずいぶんと念入りな迷路だ。


 ――……これはもう、地図がどうの、という話ではないな。


 これでは普通のスパイなら入り込むのは不可能だ。そういう次元の話じゃない。暖炉から出たあとに一階へ上がると、管理人らしき男がちらりとオルギスを見てから視線を戻した。驚いたが、いつもの事なのだろう。軽く頭を下げてから、壁に掛けられた三つ目の絵画を斜めにすると、壁が回転して隣の建物に移った。オルギスは既に翻弄されていた。

 女主人が料理をしている脇の階段を登り、気が付けば、いつの間にか221Bと書かれた建物の二階にたどり着いていた。ここが指定の部屋だった。

 開けると、雑然と物が散乱していた。誰かが住んでいるようでもある。奥にある暖炉の前には小さなテーブルが置かれ、それを挟んでソファが二つ。上品だが、見た事もない様式の部屋だった。


 ――なんだ。この、部屋は?


 簡潔に言うならば、シャーロック・ホームズの映画を見たブラッドガルドが遊びで作った部屋だ。映画でのヴィクトリア調の様子に興味を示したのがキッカケだが、瑠璃が予想外に喜んでしまった自分を呪い、それを見てニタリとほくそ笑んだ部屋である。

 ソファのひとつに座った人影が立ち上がり、声をあげた。


「……お久しぶりです、オルギス隊長」

 その人影――カインは敢えてそう言った。慇懃に頭を下げる。

「招待を受けていただき、ありがとうございます」

「……ああ」

 顔をあげたカインの手が差し出される。一瞬の間があり、オルギスは近寄ってその手を取った。お互いの手をしっかりと握り、視線が交錯する。


「どうぞ、座ってください」


 カインはソファを薦めると、自分はテーブルのティーポットで紅茶を淹れ始めた。その様子を眺めながら、オルギスはソファに座った。


「ここまで来るのにずいぶんとお手間だったでしょう。申し訳ありませんでした」

「これも奴の仕業か?」

「そうです。使いづらいったらありませんよ」


 苦笑いをしながら、カインはオルギスのほうへティーカップを滑らせる。


「なら、この部屋の装飾は誰が?」

「それもブラッドガルドです」

「……理解に苦しむ」

「僕もです」


 カインは素っ気なく言ってから、カップの中の紅茶を飲んだ。息を吐くと、僅かに目を伏せる。


「本当にお久しぶりです。オルギス隊長」

「オルギスでいい。もう調査団は解散しているし……、その、いまは……。……貴方のほうが……」

「じゃあ、今はお互いに名前で呼ぶことにしましょう。今だけは」

「……わかった」


 オルギスは頷き、目の前のティーカップを手に取った。華やかな香りが、沈んだ心を僅かに浮き立たせてくれた。喉を潤すように口にすると、すっとした味わいが心地良く気持ちを切り替えさせてくれる。

 オルギスははやる気持ちをおさえて、テーブルにカップを置いてから言った。


「それで、いったい何がどうなったんだ。きみにいったいなにがあったんだ?」

「ブラッドガルドの気まぐれで助かったようなものです。それは事実として変わりません」


 そこから一旦間を置いて、カインは続ける。


「……彼はあの時、宵闇の魔女を探していました」


 その名を出すと、オルギスの瞳がぴくりと反応した。


「探していたというか、待っていたというか……いえ、ともかく魔女がやって来るかどうかに気を取られていたんです。だから僕の生死なんてどうでも良かった。僕のことなど、魔女が来るまでの暇潰しでしかなかった」

「信じられん……あ、いや……」


 いままでリクと話し合ったことで、魔女が実際は魔力の無い人間であることは知っている。そんなものにブラッドガルドが固執したのは、魔力の器が無いことで、中に魔力を隠しても気が付かれずにいられる、都合のいい存在だったからではないかと思ったのだ。

 オルギスはそう口にすると、カインは苦笑した。


「なるほど」

「きみは違うと?」

「おそらくご本人に問いただせば、迷いなく『そのとおり』と答えるでしょうね」


 つい呆れたような口調になってしまったカインに、オルギスは目を瞬かせた。


「彼はご自分が思う以上に魔女を――お名前をご存じで?――ルリさんの事を気に入っているのだと思いますよ」

「何故そう思う?」

「……なんというべきか。ひとつ言えるのは、彼女はブラッドガルドを……、僕らと同じような意味では恐れなかったんでしょうね」


 オルギスは思い返した。

 暫定的に宵闇の魔女とされているルリという人間は、リクと同じ所からやってきたのだと。それはつまり、リクと同じ世界からやってきた。なれの果てとはいえ、神殺しへの抗えないほどの拒否感を持たず、この世界の生き物が否応なく持ってしまう、根源的な恐怖に支配されない。

 オルギスはカインがどこまで知っているかがわからずに、ひとまず慎重に言葉を選んだ。


「つまりその――例えば、リクのように?」

「え? ああ、そうですね。だと思います。ただ、『勇者』とは別のアプローチをしただけだと」

「勇者とは……別の……」


 それが可能だったというのだろうか。


「……ただそれも、彼が勇者に敗れ、どうしようもなく弱体化しなければ叶わなかったことだと思います。地を這うほどに矮小化させられなければ、魔力の無い人間なんてその場で吹き飛ばされていたことでしょう」


 カインは紅茶を一口飲んでから続ける。


「だいたい一度ぶっ飛ばされないと絶対話を聞かないタイプだったでしょう、あの人」


 その物言いに、オルギスは思わず吹き出しかけた。


「……まあ、そうだな」

「僕だって、そりゃあ女神様を恨んだことだってありますよ」

「セラフ様が勇者を選んだこと、か?」

「ええ。でも、他の誰も傷つけない為に、敢えて一人の勇者を選んだことは、正解だったんでしょう。ブラッドガルドに対抗できる精神性を考えれば当然です。……その点で言えば、最初から僕では無理だったんですよ。僕は背負った荷物をどうにか下ろすことだけに精一杯でしたから」

「カイン、きみは……」

「だから今は、これで良かったと思っているんですよ」


 そう言って、手に持っていたティーカップをテーブルに置いた。


「僕はただ、偶然と幸運に恵まれただけの王です」

「……」


 オルギスは、ここまでの経験がずいぶんとカインを変えたのだと理解した。

 実際、それほどカインの事を知っていたわけではない。けれども、調査団と過ごした間にはこれほど目立った人間ではなかった。オルギスがフォローして導くことはあっても、それは騎士としての経験の浅さからくるものだった。

 聖騎士としても立派になっただろうにと思う。しかし反面、これで良かったのだと思い直した。きっと聖騎士になっていては得られなかったものを、カインは死の淵で得たのだ。


「ところで、今度は僕がおたずねする番です」


 カインは鋭い目をした。


「それはきっとあなたも同じだと思います。僕もあなたも、お互いに聞きたいのはこんなことではないですよね」

「……ああ」


 オルギスは今度こそ力強く頷いた。


「そのブラッドガルドと出会う前。……調査団から離れた僕は、二人の人間とともに行動していました」

「ああ。……私の記憶通りだ。ブラッドガルドの攻撃から逃げた私たちは二つに分かれ、いなくなったのはちょうど三人……」


 二人の視線が交錯する。

 本当の話はここから始まるのだと予感していた。

 隣の建物で管理人のふりをしていた近衛騎士が、ちらりと視線を絵画の向こう側へと向ける。一階で女主人のふりをしていた亜人は、料理をしながらも警戒を怠らずにいた。外の階段の下では、老人が酒に酔ったふりをしながら人通りが無いかを確かめていた。


「オルギス。……僕の死はいったい、誰に、どのように報告されたのですか」

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