挿話35 ザカリアスの場合
「あああああああ……。こはああああああ……!」
興奮で奇声を発するザカリアスに、周囲の兵士たちは若干引いていた。その手には書類が数枚。ふるふると震える手は、絶妙な力加減でピンとしたまま形を保っている。傷どころか折れひとつ無い。それが逆に兵士たちをより引かせていた。
「……おい、誰か黙らせろよアレ」
「無理なんじゃないか?」
「あのクソ魔人よりはマシだろ」
結界を張られた施設の中では、兵士たちが宵闇迷宮から『発掘』された物品や資料を検査していた。検査といっても魔力を辿るのが主な仕事だ。他にも毒や呪いの類などを調査し、問題の無いことを確認したら物品ごとに次に回す。
「あ、ああああ……。なんという傑作、あああそれになんという仕打ちを……!!」
興奮が限界に達した。
「どーーーうして宵闇迷宮が潰れたんだああああああああっ!!」
「うるせーぞザカリアス!」
「まだ魔力検査してんだから黙ってろや!!」
「書類返して!!!」
迷宮研究者。
それがザカリアスの肩書きだ。
迷宮の踏破でもなく、魔物の排除でもなく、素材の採取でもなく。迷宮そのものを解き明かそうとするザカリアスは、いわゆる周囲からは変人の類として認識されていた。とはいえ勇者パーティのナンシーが弟子入りしているので、ある程度は優秀なのであろうという姿勢が取られていた。
ザカリアスは、勇者と共にヴァルカニアにやってきた。その後は客として国に残り、ブラッドガルドが作ったという魔導機関の調査をしていた。ヴァルカニアは魔導機関の存在を隠さずに、むしろ魔導機関の調査を許しさえしたのだ。意外であると同時に納得はした。なにしろ人類にとって有用だが、まだ未知の領域が多いのだ。ヴァルカニアも、中立を保つにはそれが一番いいと思ったのだろう。自分が一番乗りになれるのならそれでいい。バッセンブルグに対しても迷宮研究という分野を知らしめるチャンスなのだ。
とはいえ、まだ余裕はあった。ブラッドガルドが倒されたと一報が入ったあと、やや残念そうに首を振っていたのがもはや懐かしい。その頃はまだ、周囲の人間も「ザカリアス殿」「研究者さん」などと呼んでいた。
そこから宵闇迷宮が出現したあとがとんでもなかった。まず続々と入ってくる情報に興奮しすぎて一度気絶。調査団が入って様々なものが持ち帰られてからは二度だ。 無理を言ってナイトメア・タウンまで赴いた際には気絶こそしなかったものの、興奮であちこち見回って迷子になる始末。ザカリアスの興奮度合いはマックスに達し、もはや誰も止められる者はいなくなっていた。
それと同時に、他の兵士たちはザカリアスを呼び捨てにするのに躊躇が無くなっていたのである。
「ああああ……あの素晴らしき宵闇迷宮~~!!」
宵闇の迷宮は、いままでザカリアスが――他の冒険者も含めて――調査したどんな迷宮よりも革新的で、変則的で、突飛で、おかしなことばかりだった。ただでさえ『神の実』と『魔導機関』で作られた地図は、人々の目を欲望で曇らせた。迷宮がブラッドガルドの手に戻ったいま、貴族どころか各国がそれを言外に惜しんでいる。
そもそもナイトメア・タウンだけでも収穫は段違いだ。そもそもが、迷宮の中に中立地帯の街があるというだけで衝撃だ。隠れ住んだ亜人や何らかの理由で中立的な魔物がいるならともかく、迷宮自体がそれらを模した地帯を作るなど理解できない。
――まるで、あるのが当然と言わんばかりだった。
特にザカリアスはサンドだかバーガーだかいうものに感銘を受けた。作業やゲームをしながら手軽に食べられるというのが衝撃的だったのだ。パンに野菜や肉を挟んだ軽食で、パンの種類によって名前が違うというのだからこれまた凝っているとしか言いようが無い。そもそもパンといえば堅かろうが柔らかかろうが、スープに漬けて食べるのが一般的なのである。野菜はそもそも生で食べるのが珍しい。
いまやそうした宵闇迷宮産の『料理』は、貴族達の間でさえ再現されているというのだから笑うしかなかった。普段は迷宮の食物など取り寄せるのは変人か物好きとしてこき下ろしている連中までもが、そんな状態なのである。
「はあああ……これがいったい迷宮全土になればどんなことになっていたかッ……!!」
くわッ、と興奮するザカリアスを、後ろからなんとも言えない目で見つめる者がいた。
「……せめて書類は写しにしてくれませんかね、ザカリアスさん」
やや呆れを含んだ声に、ザカリアスは振り返る。
「おお! これは国王陛下!」
いまだにザカリアスをさん付けで呼んでくれる人間は、いまやこの国のトップだけになりかけている。
カインが施設の中に入ると、背後で警護の兵士が扉を閉めた。
「じゃあこの『紙』一枚ください!!」
「ダメです」
「うおおお!!」
膝から崩れ落ちた。心からの雄叫びだった。
「そんな……そんな……この紙一枚とっても僕にとっては至宝だというのに!!」
「僕たちにとっても至宝なので、ダメです」
言葉は柔らかいが、他ならぬ国王陛下の言葉だ。
そもそもまだ国で紙を作れるほどに余裕が無い。購入する余裕のほうも無いため、瑠璃が持ってきた単なる『紙』と呼ばれる真っ白なコピー紙が使われている。通常通りの紙が使えないために、作り方のまったくわからない真っ白な神秘の紙を使わねばならない状況。まさに本末転倒だ。だが、そうするしかないのである。
「おおおお……。なんと、なんと……」
「とりあえず立ってください……」
四つん這いで震えるザカリアスに――手に持った紙には相変わらず折り目ひとつついていない――カインはここに来て少々引きながら言った。
「うおおお。国王陛下の前でなんたる失態! どうぞお許しをお!」
「構いませんが、大丈夫ですか……?」
頭がかな、と側で聞いていた兵士たちは思った。
ザカリアスは立ち上がりながら、頭を掻いた。
「し、しかし、それも納得できますな! ここに持ち込まれてきた迷宮の……いや、宵闇迷宮の収集物や情報は、もはや至宝どころじゃない。食事ひとつ取ってまで、余すところなく……見た事がないものだ。本当に惜しい。リク殿に殺意すら感じる……」
「そ、そこまで?」
さすがにカインもそうとしか言えない。
「そこまでですよ!! せめてもうちょっと時間があれば……僕に時間と力があればああああっ……!!」
両手を掲げて叫びだしたザカリアスに、警護兵もが引いた目で見た。スイッチが入ったかのように早口になるのを、もはや諦めともつかぬ表情で見ている。
だがカインは、不意にザカリアスの目が鋭くなったのに気が付いた。
「迷宮は巨大化しすぎたダンジョンだ。主となった魔物を魔力の核とし、自らを維持しようとする。それによって、主の欲望、あるいは性質といったものが、迷宮へと染み渡って影響する……」
「ええ。そのようですね……」
「でも宵闇の迷宮はそれにしたって異常だった! 異常! そう、もうそれまでの迷宮の概念をすっかり変えてしまった! まるで大きく殴られたようだった! 垂らされた餌が多すぎて、うっかり誰もがその目を眩ませたんだ! 僕らはそれが巨大な釣り堀のようなものだと気が付かなかった!」
演説をするには不敬にすぎたが、カインはじっとその言葉を聞いていた。
「あそこにあったものがすべて宵闇の魔女から出来たものだと仮定すると、ブラッドガルドがその頭脳と発想を重用したのもうなずけるんだ。なにしろ人々はその奇抜さに目を奪われて、本質から逸れてしまうからね!」
よく回る口は不意に止まると、思い出したかのようにカインを見た。
ゆっくりと向けられた視線を、カインは真っ向から受け止める。この年上の、迷宮研究者を。
「……陛下。あの魔導機関車……、あれも、宵闇の魔女が提供したものなのでは?」
「……」
「確かに実質的に作ったのはブラッドガルドかもしれない。陛下もその場にいらっしゃたのかもしれない。ですが、その発想の元は宵闇の魔女にあったのでは?」
カインはちらりとそこに並ぶものを見た。
かつて使い魔・ナビが映り込んでいた水晶の板。ナビはこれをパネルと呼び、その呼び名がいまは仮の名として――もはや適切な言葉はそれ以外に無く――使われている。一つの場所から、網の目状に繋がった魔力で映像が送られる。双方向性のそれは、カメラアイとほぼ同じ機能だ。パネルは設置型。カメラアイは使い魔の形をした携帯型とも言えよう。その類似性は、カメラアイの本質を理解した者だけが気付くことができる。
カインの返事を待たずして、ザカリアスは再び口を開いた。
「教会側はその手の中にねじ込んでしまったようですが――」
ザカリアスはぐっと拳を握りこむ。
「ブラッドガルドは、自分も、女神セラフも、魔女に負けたのだと言ったそうですね。女神セラフもそれを認めたようだった……」
「……」
「……魔女とは、何者なんです?」
カインは答えることはなかった。
できなかった、というほうが正しい。
宵闇の魔女が何者か。どこからやってきたのか。
カインが押し黙っていると、ザカリアスは姿勢を正した。
「……いや! 国王陛下に不敬でしたな。迷宮のこととなると興奮していけません。なにとぞ、お許しを……」
「……構いませんよ」
カインは頷いた。
ただひとつだけ言えることがあるとするなら。
「彼女は、ブラッドガルドのお気に入りなんですよ」
そしてそれは、良くも悪くも――だ。
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