番外編︰君が眠る所を見ない【12万PV御礼】

 ブラッドガルドは、暗い部屋でひとり佇んでいた。

 無言のまま、古びた……もとい、古びた加工をされた扉を見下ろす。少しばかり力をこめると、僅かな引っ掛かりから明るい光が差し込んだ。


「……ふむ……」


 また鏡を開けっぱなしにしたらしい。昨日、父親だか母親だかが早く帰ってくるからと急いで出て行ったのだ。そのときから気付いてはいたが、特に何も言うことはなかった。そして、ようやく向こう側に人間がいない時間帯になったというわけだ。

 とはいえ、開けっ放し、というのも語弊がある。どうも鏡についている扉そのものか、蝶番かに問題があるらしい。普通に使っている分には大丈夫だが、急いで閉じたりするときっちり閉まらないことがあるようだ。外から見ると閉まっているようにも見えるくらいで、本来は気にしないレベルだろう。家具としてはおおむね問題が無い。しかし、封印の扉としては問題がおおありだ。


 ――……このほうが都合は良いな。


 だから敢えて瑠璃に言う必要は無い、と思っていた。瑠璃がたまにこうしてうっかりやらかす間に、ブラッドガルドは彼女の部屋へと入り込み、そこらへんにある書物やテレビ、新聞といった媒体から、文字、文化、世界情勢といった現代という場所の情報を入れていた。さすがに食い物を漁ったり、風呂に入ったりといった真似は出来ないが、情報を喰らうくらいは文句の言いようも無いだろう。『扉』を通ればお互いの耳から入ってくる言葉は自動翻訳されるとはいえ、文章に関しては魔術に手抜かりがある。偶然の歪みが扉という実体によって固定されているようなものなので、むしろ耳から入る言葉が通じるだけでも儲けものなのだが。

 しかし瑠璃がときおり見せるスマホの文章や内容で、掴みさえ理解できれば、ある程度類推することはできる。

 この世界がいったい『何』なのか、知らねばならなかった。


 部屋の中へ滑るように移動する。相変わらずこちら側の部屋は明るくて不快だった。本があり、当然のように紙があり、そして柔らかな布と衣服と、よくわからない形の人形がある部屋は、いったいどういう階級なのかも判断がつかない。

 扉を抜けると、ごく一般的なマンションの居間が現れる。何度か来ている部屋だが、瑠璃がいないだけで酷く静かだ。というより、マンションそのものが静かなのである。住民たちはみな仕事に出かけているようだ。


 今日は読めるだろうかと、テーブルの上に置きっぱなしになった雑誌を手に取る。まるで風景を写し取ったような絵――写真――が満載のその雑誌は、いつ見ても不可思議だった。

 そこに書かれた小さな文字を読むのにも一苦労だ。自動翻訳されているときは便利だと思ったが、まさかここまで言語形態が違うとは思わなかった。だが最近では僅かなひらがなと、漢字のいくつかを理解するようになってきていた。いっそ自動翻訳を自分で切ってみれば、理解が進むのかもしれない。


 別の本棚にあったいくつかの本も調べてみたが、読めそうなものは見つからなかった。そもそも漢字、カタカナ、ひらがなといった三つの文字を組み合わせて読む言語形態は、ただでさえ面倒な解明が余計に進みにくかったのである。

 書物や新聞とにらみ合う作業を進め、気が付けば二、三時間が経っていた。


 思わず一息つく。目元をおさえ、ため息をついたとき、僅かな違和感がブラッドガルドを襲った。

 目眩のような倦怠感が、体を支配する。


 ――……う……。

 ――……こ、れは……。


 ただでさえ消耗しているところに、僅かばかりの疲労という一要素が加わったことで、意識が遠くなりかける。眠りに落ちかけていたのだ。


 ――……しまった……。


 ぞっとする。魔力不足や空腹どころではない。

 目元に手をやったまま、唇を噛む。


 ――……いまは、何時だ……。小娘が帰るまで……。一時間、いや……。


 眠っては駄目だ。ここで眠ったら、何もかもが破綻してしまう。


 ――……眠れば。


 眠れば、無防備になる、等と――。


 そんな事を認めるわけにはいかなかった。自分のプライドが許さない。だが、だからこそ徹底的に眠りに落ちるのを避けてきたのだ。本来ブラッドガルドに眠りは必要無いが、激しく消耗している今は、何かのきっかけで眠ってしまわないとも限らない。それをこんなところで――。


 ――……ここは異世界だ。迷宮を踏破される……わけでは……。


 ぐ、と瞼が落ちかける。指先の感覚がもう無い。力の抜けた指先を、自分の太ももに突き刺そうとする。だがそれよりも、瞼の落ちるのが早かった。







 瑠璃は無言のまま、ソファで目を閉じているブラッドガルドを見つめた。

 高慢に足を組み、腕を組んだまま。瑠璃は下から覗き込む。その目はしっかり閉じられている。


「……寝ている」


 見ればわかることを口で言う。

 ひらひらと手を振ってみたが、寝ているようだった。


 ――まーたこっちの世界に来てると思えば。


 いい加減扉をしっかり閉めないといけない。瑠璃は決意を新たにしつつも、これは珍しいものを見た、と思った。なにしろブラッドガルドが寝ているところなどあまり見たことがない。あまりというより、無いのだ。


 ――たぶん、私のいないとこで寝てるんだろうけど。


 それは別にいいのだが。


 ――なんでいつもこっちで寝るんだ……?


 扉の向こうにいった時は寝てないくせに、こっちの世界でぐっすり寝ているというのもおかしな話だ。

 とはいえ瑠璃の気配にも起きないあたり、ずいぶんと疲労はたまっていたと思われた。前なんか、肩に手を掛けようとした瞬間に目を開けていたからだ。まだ触ろうとはしていないが、ここまでじっと無防備に気配を晒して見続けて起きないとなると、このままにしておいたほうが良さそうだ。

 瑠璃はきょろきょろとあたりを見回したあとで、テーブルの上にひとまずお菓子を置いた。そろそろとブラッドガルドから離れ、抜き足差し足で自分の部屋へと向かう。それから同じようにこそこそと着替えを済ませて戻ってくると、手に持った毛布をブラッドガルドの膝に広げた。

 まだ起きない。


「ってかここで寝られると私の居場所がないんだけど」


 しょうがなく、テーブルを動かしてソファの下の空間にすっぽりと納まる。

 あ、ここいいかも、と思いながら、持ってきたスマホを手にした。







 目を開ける。勢いよく目だけで窓の外を見ると、既に夕暮れ時がやって来ていた。

 現状を理解した瞬間に、跳ねるようにソファの背から飛び起きる。


 ――……小娘は。


 視線を動かして横を見た瞬間、冷や水を垂らされたような気分になった。体中の血液が一気に下がったような気分の悪さ。全身のざわつき。空っぽの胃の中から何かがこみあげてきそうになる。嘔吐ではなく自己嫌悪と苛立ちだ。そこに一瞬の焦りが、一気に襲いかかってきた。

 なにしろすぐ隣で、瑠璃がソファに突っ伏して目を閉じていたのだから。

 その手の近くにはスマホがあって、いわゆる寝落ちの格好だった。


 すぐさま自分の魔力や体に異常が無いかを確かめる。何も無くなっているものは無い。まだ生きている。瑠璃の頭を掴もうと瞬間的に手を伸ばし、その途中で思い直した。

 いまにも長い爪の先が、瑠璃の頭を掴んでひねり潰す直前のことだった。


 ――……いや……、待て。


 いまだ混乱した頭をしっかりと起こしてから、平常心をなんとか取り戻す。


「無能の役立たずに何か出来るはずが無い……」


 自分に言い聞かせるようにそう呟く。

 息を整えると、なんとか現状の正しい把握につとめた。


 ――……いや……、そんな頭も無いか。


 ここにいるのは魔力も無い、役立たずの小娘一人。何かをしよう、などという頭も無いのだろう。だから目の前の魔人に対しても無防備な姿を晒せるのだと納得する。

 血管の浮いた指先から力が抜け、ソファの上に落ちる。役立たずの小娘風情に焦りを感じてしまった自分が情けない。というより、笑いぐさだった。息が整っていくごとに、バカバカしい、という感情が沸き起こってきた。いったい何を焦っていたというのか。

 すっかり落ち着きを取り戻したころに、膝の上の毛布に気が付いた。


 鼻を鳴らすと、毛布を退けて向こうへと追いやった。手元にあった本に手を伸ばしてテーブルに放り投げたあとに、瑠璃の頭を掴んでから言った。


「起きろ。寝るな、小娘」


 やがて、んああ、という気の抜けた声をともに、瑠璃の瞳が開かれた。








――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 いつもありがとうございます。

 ブラッドガルドは寝ると無防備になるのが嫌なので寝ませんが、唯一瑠璃の自宅でだけは寝ます。

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