64話 チョコの食べ比べをしよう(6)日本酒編
瑠璃は最近、気付いていた。
いや、薄々勘付いてはいたものの、長らく考えないようにしていた。
意識化し、言語化し、文字化し、頭の片隅でしっかりと明確にするまでに、あえて考えないようにしていた。
――私……。ブラッド君にこっちの知識を渡しすぎなのでは……!?
そんな物凄く今更なことに――、もういちど言うが、今更気付いていた。完全に今更で残念な頭の持ち主ではあったものの、気付いてしまった以上悩むことは悩む。
それというのも、もともとブラッドガルドが封印された状態だったことにある。要するに、最初こそ二人の間だけで完結していた話だったのだ。それに、違う世界から来ているということを悟られないようにはしていた。その目論みは途中から意味の無いものになったが――そもそも持ってきたお菓子の由来、なんていうたまたまその場で尋ねた事から、まさか全世界に興味を持ってしまうとは思いも寄らなかったのだ。
それに、文字が読めないということを甘く見ていた気がする。気が付けばブラッドガルドは出さなくていい勤勉さと探究心を発揮し、漢字の意味をくみ取り、ひらがなの読みを学習し始めた。
ブラッドガルドは瑠璃の話の節々から知識を取り入れ、実際に乗り込むことで現代日本、ひいては地球という世界を理解しつつある。
この現代の知識について、まだリクや女神から直接クレームが来たわけではない。だがブラッドガルドの魔力やその規模の広さも相俟って、下手をすると文化侵害になりかねない。だいたい、ボードゲームどころか携帯ゲーム機すら自在に操るブラッドガルドを目の前にしたら、二人して目を回してひっくり返ってしまうかもしれない。
「うぬぬぬ……」
瑠璃は部屋のカレンダーにちらっと目をやる。赤い線で囲んだ日付を見た。
――……よし。考えないことにしよう!
とりあえずそうすることにした。
*
「というわけで怒濤のチョコレート食べ比べも今日で最後なんだけど」
「何故だ。まだ我に献上しても罰は当たらんぞ」
「もうそろそろ普通に売ってないからだよ……」
そもそも世間ではバレンタインが過ぎ去った瞬間、今度はホワイトデーに向けて業者が動き出す。あたりはホワイトデー一色で、まだバレンタイン用のチョコレートを食べている、なんていうのは取り残されている感が半端ない。
もちろん通販を利用すれば可能だが、あまり便利に使いすぎてあとあととんでもないことになっても困ってしまう。つまるところ、年がら年中チョコレートになっても困るのだ。
「……まあいい」
「今日のやつはみんなアソートなんだけど、日本酒なのは一緒だよ」
「……日本酒?」
瑠璃の国の名を冠した酒の名に、ブラッドガルドは目を瞬かせた。
テーブルの上に並べられたのは、多種多様だった。箱タイプだったり、小さな木箱に並べたものだったりしたが、どれも複数のチョコレートが入っているものらしい。いろとりどりには違いない。
そして、そのどれもが日本酒だという。
瑠璃が適当はパッケージを再び手に取って解体している間に、ブラッドガルドは残されているうちのひとつを手に取った。中に入っていると思われるチョコレートの――主に酒の名前を――まじまじと見た。酒の名前が違うのは理解できるが、その中には『吟醸』や『大吟醸』といった文字が混ざっている。
「これは……つまり、どういう意味だ。ワインのように産地や種類が違うのか」
「まあだいたいそんなようなものだけど」
箱の中からひとつずつ銀紙に包まれたチョコレートを皿の上に置いていく。ひとつ開けきって横にのけ、残ったものを開けようとした手の前に、チョコレートの箱が突っ返された。『これを開けろ』と言わんばかりの手と顔をしばらく交互に見ると、しぶしぶ手に取って、それを開けた。
そういうわけで、瑠璃がその中身を出している間に、既に出してあったチョコレートが減っていった。すべて出し終わったときには、ブラッドガルドの前に銀紙の山の三合目が置かれていた。
瑠璃は自分が食べる前に、ブラッドガルドがチョコレートを口にするのを眺めた。
どう思っているのかは見た目からではわからないが、手にしたものによって僅かに反応が違った。
「……どう?」
「どう、と言われてもな」
しれっと目線を外しながらブラッドガルドが言う。
「……これなぞは、爽やかだが、やや辛口な味わいがあるな……量は少ないが、それでもわかるピリッとした味わいというか……、先程のフルーティさとはまた違った風味がある……。チョコレートのビターとあわせたのも、納得ではあるな……。決して甘いわけではないが、これはこれで……まあ、認めても良いだろう……」
「いや全然わかんないんだけど」
気に入ってくれたようでなによりだよ、とは言わなかった。
そもそもいま食べたのがどれだよ、という次元になりつつある。
瑠璃は諦めて、スマホに手を取った。
「しかし、日本酒――といったが。なにか特徴でも?」
「日本酒は和酒ともいわれてて、お米が原料になってるやつだね」
「……米が……」
「他のお酒と同じように、酒税法で『日本酒』の定義はとりあえずあるけど、まあそれに類似するやつも多少はね」
「ふむ」
「具体的に日本酒がいつから造られるようになったのかは、わかってないんだけど……稲作、つまり米が作られるようになってからなのは確かだね。日本に稲作が広がる前までは、日本でも狩りや採取で生活してたからね」
その時代も果実酒が造られた跡が見つかっていて、ゆえに、最古の酒は日本酒ではなく果実酒だったと思われる。もっとも、稲作が伝わったのは縄文時代末期のことらしいので、当然といえば当然だ。
最古の酒で有名なものといえば、日本神話における『八塩折之酒』と呼ばれる酒だ。いろいろな木の実を八回醸造したといわれるアルコール度の高い酒で、スサノオがヤマタノオロチと言われる怪物に飲ませて退治したという話なのだが。
「……」
瑠璃はブラッドガルドからスッと目を離した。いくら機嫌がいいとは言っても、おそらく伝えていいことと悪いことがある――そう判断した。
「一応、西日本起源説があって、それが『口噛み酒』って言われるやつ」
「……ああ。噛んで作るものか?」
「そうそう。知ってる?」
口噛み酒は米を口の中で噛んで酒を造るものだ。口で噛むという行為は、唾液に含まれる酵素で糖化させる目的で行われる。酒は当時から神への捧げ物であり、主に神社の巫女がその役割を担っていた。他にも、村人が順番に噛んで吐き出し、発酵したところで全員で飲む、なんてこともあったようだ。
「多少は。エルフどもが昔、嗜好品にしていた、と聞いたことがある。それを口噛み酒とか、口噛みとか呼んでいたと。比較的若い個体が隠れてやっていたようだが」
「へー? やっぱり最初のお酒って感じ?」
「いや。既に果実酒はあったからな。毒の実の一種だったようだから、猫のマタタビのようなものだろう」
「ねえそれ」
お酒じゃなくて、むしろイケないおクスリなんじゃ……という問いはやめておいた。そもそもエルフのイメージが壊れるからやめてほしい。
「えー……まあ、話を戻すとね。日本だけのものでもないし、最近はほぼ一部くらいでしか残ってないけど……今からだと考えられないことだよねえ」
瑠璃は苦笑する。むしろ衛生観念が生まれた現代では、他人の口の中に入れたものが綺麗かどうかは嫌がる人のほうが多いだろう。
「それに、この製法だと今伝わってる日本酒の製法と合わないって話もあるから、作り方のひとつ、くらいに考えておいたほうがいいかもね」
そう言うと、スマホを操作しながら頷く。
「そもそもいまの日本酒の造り方って……えーと……最初は玄米から精米して、次に洗って蒸して、麹を作ってそれを蒸したお米や水と一緒にして酒母っていうお酒のもとを作って……」
ハッとした瑠璃がブラッドガルドを見ると、平然と『続きは?』と言いたげな真顔で、無言のまま見ていた。
複雑な工程ごと喋ってしまったせいで、知識がどうのこうのより『こんな長いなら省略すればよかった』という気持ちのほうが先に立った。
「……えー。それで……えーと……糖化とアルコール発酵を同時にして……発酵したやつを絞ってオリを取って濾過して火入れして……、そういう調合してお酒を調整して完成!」
そこまで言うと、ようやくブラッドガルドが満足したようにぴくりとも表情を動かさないまま頷いた。反対に、瑠璃は息を切らしかけていたのだが。
「えーと……なんの話だっけ?」
「日本酒だ」
「それはわかってるけど。えー……日本ではお米が主食でしょ。稲作が伝わってから日本人はお米と一緒に歩いてきたわけ。だから、日本の歴史においても日本酒はつきものなんだよ」
そう簡単にまとめておく。
「特に最初期は神様への捧げ物だったわけだけど。奈良時代に入ると専門の役所ができて、計画的に行われるようになったみたい。この頃からいわゆる貴族と平民の差が出来て、神事に関わるのも貴族だけになった。そこからまた皆が飲めるようになるまでには、鎌倉時代まで進む必要があるね。庶民があとは明治時代に酒税法が作られて……って流れだね」
「どこも変わらんな。好きに飲めばいいだろうに――作れるのならばな……」
最後の一言だけやや恨みが籠もっていたように思えたが、瑠璃は無視した。
「で、その吟醸とか大吟醸とかだけど」
そう切り出すと、ブラッドガルドの意識はすぐに戻った。
「大とかついてるけど、別にそれはランクとかじゃなくて、単に原料とか製造方法の違いで付けられてる名称だよ。吟醸と大吟醸はお米を磨いたときの割合ってだけで、それがいいとか悪いとかの違いではないね」
「なら、他に製造方法の違いはあるのか」
「うん。全部で八種類かな。純米酒とか、純米吟醸酒とかあるよ」
よくよく見れば、CMなんかでもたまに聞く言葉だ。
「日本でもワインやブランデーを作ろうっていう人はいままでにもいたけど、日本酒も世界で活躍してるよ。いまは海外でも『SAKE』として有名だね」
そこで瑠璃は言葉を切る。
ちらっと皿の中を見てから、スマホに表示された時間を確認する。
最後のアソートチョコレートを解体して、紙皿に乗せる。まだ残っているチョコレートにブラッドガルドが手を伸ばしたのを見てから、瑠璃は言った。
「あっ、そうだブラッド君。私、明日から来ないから」
「は」
*
――……。
このとき、ブラッドガルドの脳内はフル回転していた。
端から見れば表情もぴくりとも変わらないまま、ただ無言で聞いているだけに思える。
――……何故だ。
――我の計画に気が付いた……?
――いや……、小娘がそこまで考えているとは思えん。
なにしろ直前まで完全に調子に乗っていた。チョコレートがある。しかも酒の入ったチョコレートがある。阿呆だが聞き分けの良い下僕が――べらべらと良く回る口でその由来を語り、知的好奇心も満たされていた。もういちど言うが、完全に調子に乗っていた。
だが調子に乗っていたせいで、これまで瑠璃が自分の計画に気が付いたかどうかを完全に把握しきれていなかった。重要なのは、自分が鏡を直す気が無いとか、現代という世界が掌握できるか思案していることが、瑠璃に伝わってしまったかどうかである。もしかすると、知らぬ間に勇者や女神が要らない事を吹き込んだ可能性すらある。
そういった懸念を、指先ひとつ動かさぬまま、ひとつひとつ入念に否定して潰していく。
瑠璃はといえば、ブラッドガルドの前で変わらず話していて、渇いた笑い顔をしたり、苦々しい顔をしたり、かと思えば一転して笑ったり。途中から口を止めて首を傾げたにも関わらず、ブラッドガルドは気付いていなかった。
「……ブラッド君、話聞いてた?」
「……聞いていた」
半分くらいは聞き流していたが、そんなことは問題ではない。
「そっか。んじゃー、そーゆーわけなんで……ほい」
瑠璃は隣に置いてあった、手付かずの袋をドンとテーブルに置いた。
「は」
「これでしばらくもつでしょ」
「あ? ……まあ、そうだが」
「うん。じゃあ。そろそろ行っていい?」
特に引き留める理由もなく、ブラッドガルドは好きにしろと言わんばかりに目線を送った。瑠璃もそれを受け取ると、さっさとその場を片付けて、コップやトレイといったものだけを引き取っていった。
嵐のように去ったのを見ながら、ブラッドガルドは残された袋を見た。
引き寄せて中を見ると、中身はほとんどクッキーやふつうのチョコレートといったお菓子の箱ばかりだった。
――――――――――――――――――――――――――――――――
いつもありがとうございます!
今年もよろしくおねがいします。
去年はカクヨムで10万PVを突破し、感謝の一年でした。
また、「小説家になろう」のほうでも10万PVを突破したので、なろう限定として記念に書きました。もしよろしければこちらもどうぞ。
【10万PV感謝記念】瑠璃が風邪引いてもブラッドガルドは特に何もしないという話
https://ncode.syosetu.com/n8246fn/153/
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます