63話 チョコの食べ比べをしよう(5)梅酒編

「そういえばさあ」


 入ってきた瑠璃が声を発しても、ブラッドガルドはついぞ視線を向けることはなかった。なにしろブラッドガルドは板状になった魔石に指先でなにごとか配置していた。いわゆる現代でいう電気配線やパソコンの基板を作るようなものだ。以前からもときどきやっていて、瑠璃も最初こそ物珍しく見ていたものだ。だがじっさい作り直しや実験も多く、次第に飽きて「できたら見せてよ」という状態になっていた。

 瑠璃もそれに対して特になにも言うことなく、テーブルの反対側に座る。持ってきた袋をテーブルに置くと、お茶の準備をし始めた。


「こうさ、チョコレート製品のページとか、お酒のページとか見てると、お酒とチョコレートの組み合わせを紹介してるとこが多いんだよね」


 ふと顔をあげると、ついさっきまで手元の魔石を弄っていた手が止まり、視線は瑠璃を向いていた。一瞬無言で見つめ合うものの、そのままお茶の準備に戻る。


「あとはたとえば~、このウィスキーにはこのチョコレートが合いますよー、みたいな。あとはお酒だけじゃなくて、コーヒーとか紅茶とかもあるけどね。この製品にはコレがオススメ、っていう」

「……なら、言わせてもらうが」


 不機嫌と苦々しさを混ぜて潰して煮詰めたような声で、ブラッドガルドはゆっくりと言う。


「その話をして、我にいま、現状、何か得があるのか?」

「うーん、無いかなー」

「……」


 悪びれもせずに答える瑠璃に、ブラッドガルドは魔石を持った手を機械的に横へ広げた。


「……まあいい。今日はなんだ」


 魔石をぽとんと床に向けて落とすと、影から出てきた蛇がぱくりと開いたあぎとでキャッチして、影の中へと戻っていく。


「今日は、梅酒入りのやつ!」


 ドン、とピンク色の箱を出す。


「……梅?」

「梅」


 頷く瑠璃。


「……梅というと、あれか」

「そうあれ。ブラッド君がめっちゃ面白い事になってたやつ」

「殺すぞ貴様」


 かつて梅干しを口にしたブラッドガルドが一瞬にして目を見開き、勇者に予想外の攻撃を食らったような表情になったことはさておいて。


「まあ、あれは梅干しっていうか塩漬けにしてあるから酸っぱいんだよ」

「そうか。今度持ってこい。女神に喰わす」

「どういう嫌がらせなのそれ!? と、とにかく梅って場合によってはハチミツ漬けにもするし、そうなるとぜんぜん味が違うんだよ。梅の味は同じだけど、辛いか甘いかでずいぶん印象が違うってことね」


 瑠璃は見せつけていた箱を一旦自分のもとへ戻すと、箱を開けた。

 中にはやはり瓶型に加工されたチョコレートが銀紙に包まれて二段になって入っている。ピンク色の銀紙には『梅酒』と筆で書いたような文字で表記されている。それを次々に取り出すと、皿の上に乗せた。

 だがもうひとつ出してきた箱は、緑色をしていた。同じ梅酒ボンボンだが、出しているところが違うのだ。同じチョコレートが複数無かったので、仕方なく他の製品を買ってきたのである。こちらは丸形で、形状も違うものだった。銀紙も緑色のシンプルなものが使われている。同じ梅酒を使ったチョコレートでも、製品によってこれほど違うのだ。

 緑色の梅酒ボンボンを置き終わる頃には、ブラッドガルドは既にピンク色の銀紙から外したチョコレートを口の中に放り込んでいた。


「梅酒のやつは実をそのまま使ってるっていうか、果実酒の一種みたいなものだよ」

「あれが果実……」

「梅干しの印象から離れなよ」


 一度植え付けてしまった印象を取り払うのはなかなか難しいらしい。

 二個目を手にしつつ、口をまだ僅かに動かすブラッドガルドを横目に――瑠璃はスマホに手をかけた。


「梅自体はもともと中国原産で、日本に入ってきたのは弥生時代とか、遣唐使が持ち込んだとか言われてるね」

「わからん。わかりやすいように言え」


 瑠璃はスマホをテーブルに置き、タップしつつもう片方の手で緑色の梅酒ボンボンを手に取る。


「日本の歴史の初期段階で入ってきてるってこと。そのせいもあってか、春先の風物詩みたいな感じだね。サクラより先で。江戸時代くらいから品種改良もされてて、結構いまは種類があるみたい」


 書いてあることを読みつつ、緑色の銀紙を剥がす。チョコレートを口の中に入れると、ほんのりビターの味がした。少し固めのチョコレートに歯で食い込むと、中に包まれた砂糖が迎え入れる。

 くしゃりと砂糖ごと歯で割ると、中に入った梅酒がじわりと出てくる。わずかに梅の味を感じたが、梅酒の味がどうかまではわからなかった。しかし、どことなく甘くて飲みやすい印象を受けた。それほど熱も感じない。


「梅酒にはまだまだ緑色の、いわゆる青梅って状態のを使うんだけど、生のままだと青酸が含まれてるから、『食べると死ぬ』とか言われてるよ。梅の中の種子も、胃酸で毒を発生することがあるし」

「……ほう?」

「ただ、アルコールとか天日干しとかによって毒性が低下してるから、よっぽど大量に食べたとかいう特殊なケースじゃないと無理だけどね。水を飲み過ぎると死ぬとか、そういうやつ」

「なんだ、貴様が我を殺しに来ているのかと思ったぞ」

「そんなもん売ってるわけないじゃん!?」

「面白いではないか?」


 ニタリと口の端をあげて笑うブラッドガルド。

 反対に、瑠璃はややあきれたように無言になってから、気を取り直す。


「だから青梅を使ったゼリーとか、梅のジャムとかもあるね」

「貴様は何故そっちを先に持ってこなかったんだ」

「……説明する前に食べたじゃん……梅干し」

「そんな前のことは覚えていない」


 覚えてるじゃん、というツッコミをいう気力は無かった。


「そんなことより、梅酒の説明はどうした」

「どこまで話したっけ……、あ、そうそう。梅酒って、梅から作るわけじゃないんだよね。青梅を蒸留酒につけ込んでつくる混成酒類って呼ばれるやつ」


 瑠璃は最初に果実酒の一種と言ったが、それはあくまでわかりやすく告げただけだ。日本の酒税法で定められた『果実酒』の規定からいくと、果実酒ではない。


「最初はどの地点で作られたかはわかってないけど、江戸時代の『本朝食鑑』って本には作り方が載ってるみたいだね。梅酒は砂糖を使うんだけど、それを考えるとだいぶ貴重品かな。その頃から梅の加工はだいぶ定着してたみたい。わりと作ろうと思えば簡単だしね」

「そうなのか?」

「お酒と実と砂糖があればできるからね」


 瑠璃は頷いた。


「梅の時期になると、スーパーとかでも梅酒用の専用の容器とか売り出すし」

「……まあ、酒が既に既製品となるとそうか。酒から造るような奴はいないのか?」

「さすがにそれは……、っていうか、お酒って、すごく簡単に言うと免許を持ってる人しか作っちゃダメなんだよ」


 その発言は予想外だったのか、ブラッドガルドは一瞬片目を細めた。


「貴様は取れんのか」

「個人じゃ無理だよ。会社とかの組織じゃないとだめ。取るとしても規定以上の量を作らないとダメだし」

「ほう」

「そもそもお酒には税金がかかるから、自家製のお酒だと、本来課税されてる税金が入らないでしょ。だから自家製酒はみんな『密造酒』って扱い」

「……貴様に期待するな、ということか」


 それが梅酒のことか、それとも他の酒のことなのかは判断がつかなかったが、その口ぶりからして後者のようだった。


「別に法律とやらを破っても我は構わんが」

「ブラッド君が構っても私は構うんだけど?」

「……貴様が迷宮で作る、という手もあるが」

「私にどこまで求めてんの!?」


 さすがにそこまでして作ろうとは思わない。

 梅酒が家庭で作れるとはいっても、酒を買わねばならない時点で瑠璃には無理だ。せめてブラッドガルドが老人に変身して一緒に買いにいくくらいのことをしなければ解決はしないだろう。

 そもそもヴァルカニアに勝手に林檎酒の醸造所を作った魔人に言われたくない。あの醸造所もいつぞやの豊穣祭りで林檎が実りまくり、忙しく動いているというから驚きである。


「そうか。それなら小僧のところで作るしかないな。貴様が迷宮がおかしなことになるのがそんなに嫌だというのなら仕方がないな」


 あまりの早口に、瑠璃は反論の余地を入れる余裕すら与えられなかった。


 ――ごめんカイン君……!


 いずれにしろブラッドガルドのテンションが上がっているのが原因だと思い至る。


「それで、続きは」

「いや私は言いたいことがいっぱいあるんだけど」


 ブラッドガルドは瑠璃の訴えを無視して、早く続きを言えとばかりに上から睨み付ける。


「えー……とにかく、お酒類に水以外のものを入れるのは、酒類を製造したってみなされるんだよ。まあ、個人で消費するぶんにはいいけど、サングリアなんかもダメだよ。カクテルも直前に混ぜるのはいいけど、作り過ぎちゃったから保管、とか、暇な時に作り置き、とかもダメみたい」

「面倒臭いな」

「それと、梅酒もアルコール度数20%以上のお酒を使わないとダメ、とかね。なんか色々あるんだよ。20%以下だと発酵するための菌が生きてるとかね。そうすると、果実に含まれてる発酵菌が活動しはじめて、醸造酒になっちゃうみたい」


 とはいえアルコールが低ければ低いで、腐敗やカビなどの心配も出てくる。ひとつ問題を解決しようとすれば別の問題も出てくるということなのだろう。


「それに、酒税法も出来た当時は梅酒もダメだったみたいだからね。ただ、梅酒を作る行為は普通に行われてたって話だけど」

「……それが何故許可されたんだ?」

「たぶんもう無理なくらいに作られてたからじゃないかな……。一九六一年に、当時の内閣の広報参与だった人が、酒税法に抵触するような梅酒の記事を寄稿しちゃって、そっから騒動が巻き起こったみたいだけど」


 法律で許可されておらずとも、家庭で梅酒を作るという行為はもはや修正不可能なほど一般的だったのだろう。実際、そこから現実にそぐわないとして酒税法が改正されている。


「……しかし、そこまで浸透しているのなら……、普段からいちいち意識している人間はいるのか? 面倒だろう」


 さすがに辟易したように言う。


「さすがに普段から意識してる人は少ないんじゃないかなぁ。だから普通に作っちゃってる人もいると思うよ。他のお酒でも、うっかりSNSやブログに書いちゃって見つかるとかたまにあるみたい。テレビ番組とかでも、みりんや日本酒で梅酒を作っちゃったり、お客さんに喜んでもらおう、みたいな感じで放送して、後から謝罪する羽目になったりしたことはあるみたいだから」

「……やはり貴様が作……」

「無理」


 ブラッドガルドがすべて言い終わる前に、瑠璃は即座に言い切った。

 ブラッドガルドが微妙な目線で瑠璃を見ていたが、瑠璃はピンク色の梅酒ボンボンをさっさと取った。そしてこの話は終わったとばかりに、その中身を口にしたのである。

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