62話 チョコの食べ比べをしよう(4)ウィスキー編

「わりとシンプルなやつとして売ってるイメージなんだよねえ」


 入ってきて早々、瑠璃の唐突なぼやき。

 ブラッドガルドはそれに慣れきっていて、はじめはその声に反応しなかった。ただ、ちらりと視線をやったものの、すぐに視線は手元に戻った。その手元にある本――もとい雑誌を捲る手は止まらない。

 瑠璃も瑠璃で気にしないまま、テーブルの向かい側に座る。がさがさとビニール袋をテーブルに置くと、お茶の準備をし始めながら続けた。


「そーいうわけで、今日は基本に立ち返って、チョコレートボンボンにしてみたんだけど」

「……」


 ブラッドガルドの赤黒い瞳が勢いよく瑠璃を見た。地獄の底の深淵の闇から現れたような三白眼の蛇眼が瑠璃を見つめ続け、たっぷり十秒ほどの沈黙があった。


「待ってたでしょ? チョコ」

「待ってない」


 即答。

 さっきの沈黙は何だったんだと思うような即答。


「……ブラッド君、チョコ好きでしょ」

「そういうわけではない」


 ブラッドガルドはゆっくりと、視線を雑誌へと戻していく。


「……貴様がいくつか勘違いしているうちのひとつは――……」


 ばさりと、雑誌を閉じる。

 ぬるりと闇から出てきた影蛇のうちの一匹が、テーブルに投げ捨てられた雑誌を咥えて棚のほうへと返しに行った。

 ブラッドガルドはその様子をちらりとも見ずに、テーブルに肘をついて手を組む。


「我は必要に駆られている中で、魔力を回復するに最適なものを選んでいるに過ぎん……」

「はあ」

「故に、もしも貴様が我がチョコレートを好んでいると思っているならば、それは貴様がそう思い込んでいるだけで――」

「おう……」


 淡々と喋り続けるブラッドガルドに対して、瑠璃はやや気圧されたようにそう呟いただけだった。もはや「あっハイ」以外に何も言うべきことがない。


 ――見てわかるぐらいテンション上がってるけど。


 あきれかえったというべきか、もはや突っ込む気も起きなかったのか、瑠璃はそれを口に出すような気になれなかった。


「ところで、そろそろ開けていい?」

「……あ?」


 相変わらず淡々と、真顔でぼやき続けていたブラッドガルドは、眉間に皺を寄せながら瑠璃を見た。まだ何かいい足りないようだ。


「……貴様がどうしても献上したいというなら」

「はいはい。献上しますよ」


 瑠璃は適当に応えて箱を手に取り、包装紙の端に指先を引っ掛けた。紙を剥がすと、現れた箱を開ける。瓶型の、酒瓶が印刷された銀紙に包まれたチョコレートが、上と下の二段で並んでいた。

 プラスチックの穴に嵌って鎮座するチョコレートを、ひとつずつ外して皿の上に並べていく。すべて並べ終わるのを待たずに、ブラッドガルドの指先が伸びた。チョコレートをひとつ奪い去った手は、印刷された酒瓶を眺めるように転がされてから銀紙を破った。


「今日のはねー、ウィスキーが入ってるやつ!」

「……ウィスキー?」

「あんまり私の家の中では見かけないんだけどね」


 瑠璃はそう思い込んでいた。

 基本的に常備してあるのはビール缶だし、チューハイやカクテルも缶が多い。あとはよく見かけるものといえばワインだ。ブランデーは父がプレゼントで貰ったりということはあるが、そもそもまだ酒の飲めない瑠璃は、同じ茶色系統の瓶では区別があまりついていない。

 とはいえウィスキーという酒があることだけは知識として知っていたし、くわえて、ウィスキーボンボンなるものがひとつの種類であるかのように存在するのも知っていた。


 ブラッドガルドはもういちど酒瓶型のチョコレートをまじまじと見た。

 瑠璃が箱を片付ける頃には、ブラッドガルドはチョコレートを口に入れ、舌の上で転がしていた。


「どう?」

「……チョコは、ビターチョコレートだな……」

「あ、ビターなんだ」

「砂糖で一度くるんであるせいで、直接的な甘さと歯応えがある……。悪くは無いが、ウィスキーとやらの味と混ざるのは頂けない……。肝心のウィスキーだが、熱があって悪く無い……。人間どももたまにはマシなものを作る……。そのくせ後味はさわやかだ……」

「……う、うん……好みはあるよね……」


 ――めっちゃテンション上がってるじゃん……。


 ひとつも理解できないまま、瑠璃は自分の口の中にウィスキーボンボンを入れる。チョコレートのビターな味わいのあとに、しゃくり、という砂糖が崩れる感触がした。その向こうからじんわりと中身のウィスキーが蕩け出た。舌に熱いものがあふれだし、舌の上をチョコレートのビターな味わいとともに転がっていく。


 ――さわやかって何だろう……。


 比べようが無い瑠璃にはまだ理解が及ばない。

 もはや瑠璃は考えないことにして、片手をスマホに伸ばした。


「ウィスキーは呼び方が色々変わってるみたいだけど、語源は『生命の水』だって言われてるよ」

「ほう。生命の水とは、また」


 ずいぶんと大きく出たものだ、と言いたげだ。


「もともとは中世の錬金術師の人たちが、醸造酒……いわゆるワインとかを蒸留する技術を生み出したんたのがはじまりだって。アルコールの高いお酒が燃えるようだったから、不老不死の水、つまり生命の水って呼んだのが始まりみたい。本当かどうかはともかく、最初は薬用目的だったみたいだね」

「ふむ」

「そもそも蒸留技術がいつから出来てるかって、結構諸説あるみたいなんだけど、この話からすると出来たのはこのへん、って思って良さそうかな」


 瑠璃は首を傾いで、他の説が無いかをスマホで検索する。


「他にも俗説としては、修道院から酒樽を発見した兵士が矢のように飛んで帰る、って意味がウィスキーに近い語源としてあるみたい」

「由来として強いのはやはり前者か」

「そうだね。だいたいどこのサイト見ても、『生命の水』説を書いてるとこが多いかなあ。見た瞬間に『へーっ』てなりやすいし」


 瑠璃はスマホをタップしながら言う。


「てか、ブラッド君は錬金術ってわかるの?」

「貴様はわかるのか?」

「……金を、作る……?」


 瑠璃はぎこちない声で言う。


「なるほど。やることはだいたい同じらしい……。……で、なければ理解できる言語で聞こえはしないか」

「それってこの扉に掛かってるっていう魔法?」


 瑠璃が扉のことを口にしたせいか、ブラッドガルドは一瞬その瞳を射抜くように見た。正しくは扉にかかっているわけではなく、召喚魔法を基とした封印に、歪みが生じたことで顕現した想定外のものである。たまたまそこに扉つきの鏡が置かれたことで、ただの歪みはまさしく世界を繋ぐ扉になってしまったわけだが。


「まあ、そうだな」

「便利ではあるけどね~」


 本来、瑠璃はその扉を塞ぐことを条件にお菓子を持ってきていたのだ。しかし瑠璃はここまでしても扉が元に戻っていないことに何も言わず、これといった反応をすることもなかった。


「そもそもお酒って百薬の長とかもいうけど……。ブラッド君とこはどうなの?」


 瑠璃がそう尋ねると、ブラッドガルドは息を吐いてから言った。


「神聖なものと見なされている」

「お、やっぱそうなんだ。キリストの血もワインだっていうしね」

「……我の皮を剥ぐ際にも使ったからな」

「あっ」


 完全に地雷を踏んだ感があった。

 しかし当のブラッドガルド本人はチョコレートを口にしているせいか機嫌は良いらしく、表情も崩れなければ威圧感も出なかった。


「えー……じゃあ、ブラッド君はそれについてどう思ってるわけ……?」

「ふん。今更だ」

「じゃあ、お酒を薬代わりに使うとかは無いの?」

「……そんなことはない」


 ブラッドガルドは一度コップに手を伸ばして、紅茶を啜った。


「酒に、薬草の類を入れて治療薬として使う――という手法は、おそらくいまでも見られるだろうな」

「それって、滋養強壮とかじゃなくて?」

「それもあるが、病の治療から媚薬まで様々だ」

「そこまでいくと、もう比喩とかじゃなくて薬なんだね」

「それはいいが、続きはないのか」


 自分の話などどうでもいいと言わんばかりに、ブラッドガルドは続きを急かす。


「んーとね。ウィスキーって結構、材料によって名前が変わったり、産地によっても変わるんだよ」

「ほう」

「大麦麦芽を原料にするのはモルト・ウィスキーとか。トウモロコシや小麦の穀物を主原料にするのはグレーン・ウィスキーとかね。他にもその二つのブレンドとか、ライ麦とか……」


 穀物のあたりで一瞬、ブラッドガルドの目がきらりと光ったが、瑠璃は考えないことにした。


「で、産地によって違うのは原材料とか製法が違うからだね。世界の五大ウィスキーっていわれるものがあって、スコッチ・アイリッシュ・アメリカン・カナディアン・ジャパニーズ。ただこれは日本が言ってることだけど。有名なのはスコッチ・ウィスキーかな。これはスコットランドで作られてるやつ」

「スコットランド……確かイギリスだったか?」

「うん。まあブラッド君がこっちの地理に詳しくなりつつあるのはさておいて」


 もはやいつも通りのことなので、ツッコミはするが気にも留めない。


「スコットランドって、イングランドと合併したときに蒸留所にかなり不公平な重税が課せられて、ほとんど廃業か、そうでなきゃ密造するようになってったんだって。その関係で、樽で長期保管することになって、それで樽の香りや風味がついて、いまみたいな琥珀色になったらしいよ。それ以来、樽での熟成っていう工程が追加されたみたいよ」

「最後の工程は副次的に出来たものか」

「他にも、フランスだと病害虫のせいでブドウがやられちゃって、ワインやブランデーの代用品として主流のひとつになったりね」


 ふむ、とブラッドガルドは一旦そこで相槌を打った。


「……その製法が違うというが、どう違うんだ」

「う~ん……そこまではちょっとわかんないけど……。そもそもウィスキーの定義って国によって違うらしいんだよね。基本的には穀類が原料で、発酵させて蒸留したあと、樽の中で熟成したもののことをいうみたいなんだけど。海外のウィスキーはだいぶこの定義が厳しいけど、日本のウィスキーは他の国に比べて緩いらしいから、外国ではウィスキーって名乗れないお酒も、日本でウィスキーの名前で流通させてるってのもあるらしいね」


 ブラッドガルドは視線だけで続きを促す。


「日本にも入ってきたのは黒船来航のあたりなんだけど、日本産が作られるようになっても、輸入品に香料をくわえた粗悪品しかなかったみたい。そこで、鳥井信治郎と竹鶴政孝って人たちが奮闘した。この二人はそれぞれサントリーとニッカウヰスキーっていう、かなり有名所の創始者だね」

「サントリーとはどこかで聞いたことがあるな」

「私はここの会社がもとはウィスキーから入ったってことに驚きなんだけど」


 普通のソフトドリンクの印象のほうが強いからだ。


「だけど、ウィスキーそのものって、そんなにお菓子に使うイメージないなあ」

「チョコレートに今現在使っているだろうが」

「いやほら、ラムレーズンとかはよく聞くけどさ」


 瑠璃はスマホで検索をかける。


「あーでもやっぱりバニラアイスにかけたり……とか、プリンに入れたりとかはあるみたい」

「あるではないか」

「……まあ、うん」

「……あるではないか?」

「なんで二度聞いたの」


 思わず尋ねる瑠璃。


「でも、こういうのって探すの大変なんだよねえ。そういうの食べようと思ったら私が作るしかないんだけど……」

「チッ」

「その頑なさはどこから来てるんだよ」


 舌打ちだけだったが、自分の手作りを即刻拒否されたのだけはわかる。

 瑠璃がお菓子の皿に手を伸ばすと、それよりも先に最後のひとつをかっ攫われた。あっ、という目で瑠璃がブラッドガルドを見上げたが、当の魔人は悪びれることなくチョコレートの銀紙を開けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る