閑話10

 ビリッとした張り詰めた空気が、国中に響き渡った。そのとき、グレックは食堂に向かって城の廊下を歩いているところだった。


 ――奴が来たのか?


 一瞬、あたりに目をやる。こういう事はいまでもたまにあることだった。

 廊下の隅で突然の緊迫した空気に固まっている兵士たちの肩を軽く叩く。はっとしたように、兵士たちがグレックを見た。戸惑いと恐怖の視線の中に、自分への尊敬の念が含まれていることに気付くと、面映ゆいものを感じた。気が付かないふりをして、また歩き出す。


 ――今度はいったい何をするつもりだ。


 迷宮の主、ブラッドガルドの襲来。

 かつて迷宮に組み込まれていた土地が返還されてなお、ブラッドガルドは襲来する。襲来、と言っているのは、その言葉が一番しっくり来るからだ。別に闘いに来るわけではなく、壮大な暇を潰すためにやってくる。気まぐれなのだ。

 理由は様々だが、このヴァルカニアの王城たる時計塔城もブラッドガルドの元・作品だ。


 外面的には、ブラッドガルドが土地を返却する際の『話し合い』の場として、自分に似合う城を作った、ということになっている。迷宮のような城だが、他にそれらしい城が無いので、そのまま利用している――ということになっている。外面というのは必要だ。

 名前のとおり目立つのは外の時計塔。中身のほうはウィンチェスター・ミステリー・ハウスという幽霊屋敷をもとに作られた城塞だ。小さな町を兼ねた作りだが、意味の無い通路や階段、一部屋にも満たない空間があり、頻繁に中を行き来する者でないと一度では地図も書ききれない。天然の要塞なのである。


 グレックは気配が強いほうへと向かうと、奇しくも自分の目指していた食堂だということに気が付いた。


 食堂の入り口からひょいと中を覗くと、普段ならば何人かが食事をしている風景が映るはずだった。ところが今日は、みな奥のほうを覗きこんでいる。

 途端、足元から一気に恐怖と緊張が駆け上がってくる。何度体験しても慣れない。


 ――……ここか。


 だが何故、食堂に。

 グレックはごくりと生唾を呑み込んでから、意を決して踏み込んだ。ひとつ咳払いをしてから、なんでもないように歩き出した。


「なんだなんだ。どうした?」


 人が集まっているほうへと声をかける。

 みな、僅かに震えながら固まっている。


「おーい。腹減ったんだが? 何してんだ」

「あっ……だ、だ、団長どの……!」

「なんかトラブルか?」

「お、お、王様が、王さまと」

「王様? カイン様がどうした」

「ち、ちがう。ちがうんです。王様と、王様が」

「王様と王様……?」


 これはもう埒が明かねえ、と思ったグレックは、震える肩を軽く叩いて道を空けさせた。キッチンに顔を出そうとした瞬間、その扉の上から何か落ちてくるのに気が付いた。スライム状の黒くねっとりとしたものだった。

 一瞬、眉を顰める。

 だが、すぐに目の前を見た。

 そこには確かにカインがいた。だがその前には、腕組みをして突っ立つブラッドガルドがいた。二人の視線の先には鍋があり、油の跳ねる音が響いている。


「いや……。マジで何やってんだアンタら」


 グレックは思わず素で突っ込んでしまった。







「毎度毎度、なにしに来てんだあのオッサンは?」


 グレックが呆れ半分、安堵半分のため息をつきつつ言った。

 ブラッドガルドが帰ったあと、食堂ではカインを囲んで何人かが集まっていた。そのほとんどが元・村人たちだったのは、ブラッドガルドと接近してなお動けるのが、土地を取り戻したのに関与した人々だけだったからだ。

 グレックを見ながらティキが腰に手を当てて言う。


「オッサンがオッサンって言うのって、変な感じじゃないか?」

「そうだなあ。ブラッドガルドは、あれはもうああいう生き物だからなあ」

「見た目的にはグレックのほうがオッサンだよネー!」

「お前らなあ!」


 グレックが殴りかかる仕草をすると、ココは慌てて手を振ってみせた。


「わー! 冗談だっテ!」

「あんたたち、静かにしなっ。カイン様の前だっていうのに!」


 全員がその声に背を正した。

 声をあげたのは、ふとっちょのメイドだった。調理担当の中年の女で、彼女もこの国が村だった時からの住人である。横ではコチルが、「つきあってられない」というように呆れた目で遠くのほうを見ていた。

 カインは苦笑するように少しだけ笑った。

 ごほん、とグレックは咳払いをする。


「それで、カイン――カイン王。あの迷宮の主はいったい何をしに来たんです?」


 グレックが尋ねると、カインは少しだけ息を吐いてから、メイドたちに目配せした。彼女が出したのは、皿に入れられた二種類の――なんらかの料理だった。いましがた仕上がったばかりのようで、湯気が出ている。ひとつは厚くカットされた芋を油で揚げた、ほくほくとした揚げ芋だ。

 だがもうひとつのほうは、まるで枯れ葉のようだった。


「……まあ、これです」


 全員がその二つを交互に見る。


「こっちは揚げ芋だろ。この間の二度目の収穫祭でも出たやつだ」

「おう。塩が効いてて美味かったな」

「ええ、その通りです。揚げた岩芋ですよ。あのかたはジャガイモ、と言っていましたが」


 カインは頷いたあと、もうひとつの枯れ葉のような揚げ芋を示す。


「どちらも揚げ芋には違いありません。ただ、こちらは普通に切るのではなく、薄くスライスしたあとに揚げたものです。食感も感触もだいぶ違います」


 その場に集まった家臣たちは、互いに顔を見合わせたあと、おもむろに手を出した。食感も感触も違う、というだけあって、確かにただの揚げ芋――いわゆるフライドポテト――とはまったく違っている。


「パリパリする」

「食感はいいな」

「あまり食べた気はしないけどねえ」

「そうでもない。油が効いているぶん、腹もちは良さそうだ」

「ブラッドガルドは菓子だって言ってたけどな」

「油は何を使ってるんダ?」

「ヤシ油と牛脂の混ぜ物だってよ」

「またわざわざ高価なモンを使うなあ」


 それぞれが感想を口にするのを、カインもまた薄い揚げ芋――つまりはポテトチップスを口にして眺めていた。

 たっぷりとかけられた塩が効いている。ブラッドガルドはこれを『菓子の一種』と言ったが、パリパリとした食感はこれまで食べた『菓子』とは印象がずいぶんと違っていた。単体で食べるには少々心許ない気もするが、サンドイッチ等と組み合わせればずいぶんと楽しめることだろう。


「ってか普通に美味ぇな」


 グレックが言うと、皆頷いた。

 悪くはない――好き嫌いこそあれど、おおむね好評だった。そもそもが油で揚げた料理や、塩をふんだんに使った味付けは物珍しさもあったらしい。


「これはいいかもしれんな」

「ネー、結構好きだヨ」

「確かに、飽きないね」

「これなら、岩芋の生産を増やしてもいいんじゃないか?」


 それぞれがまた思ったことを口にする。グレックはそれらの感想をカインとともにひととおり無言で聞いたあと、再び前を向いた。


「……ってことで、今回は普通に俺たちの利になるものだった――そういうことでよろしいんでしょうかね」


 グレックはカインに視線を向けて尋ねる。

 当のカインは、噛んでいたポテトチップスを呑み込んでから口を開く。


「……どうでしょうね」

「なに?」

「そもそもじゃがいも――岩芋は、連作障害が起きますからね」

「れんさくしょうがいって? なんだっけ?」


 ティキが眉を顰める。


「簡単に言えば、精霊の枯渇です。岩芋は冷たい土地でも多くの実ができますが、土の魔力を消費しやすいんです。ですから、複数の作物を交代で植えないと、土の魔力が枯渇していきます」


 そこまで言うと、兵士の一人が片手をあげた。


「あ、俺、知ってる……じゃなくて、知ってます。ちょっと前は農地のほうで作業してたんで。交代でやる輪作ってやつをしないと、精霊に飽きられるんですよね?」

「そのとおり」


 カインは頷いた。


「いま、彼がおっしゃってくれたように、結果的に精霊に『飽きられる』という状態になります」


 そこまで言うと、カインは一旦言葉を切ってから続けた。


「確かに岩芋は、農民たちのパンにも等しい実です。けれどその事実のみに目を奪われてしまっては、いざという時にとんでもないことになる。もしも岩芋に病が発生したら? 輪作せねばならない、ということを忘れてしまったら? ……僕たちはそのときこそ、路頭に迷うことになるでしょう」


 ごくり、と誰とも無く唾を飲んだ。

 単純に生産を増やせばいい、という話ではない。

 そのうえ、ボスを倒せば終わり――という迷宮探査とは違うのだ。ブラッドガルドが持ってきたのは、最初の一滴だ。それをどうするかは、あとは人間達の動き次第なのである。


「……相手は迷宮の主――ともすればそれよりも最悪な何かです。便利さ、美味しさ、有利さという餌を垂らして……、あとはもう僕らの使い方次第ですね」

「使い方次第……な」


 グレックが息を吐きながら、イスの背にもたれかかった。

 その脳裏には、ブラッドガルドが作り上げた魔導機関車があった。


「棒きれひとつとっても、道標になることもあれば、相手を殺す武器にもなる。そういうことです。……とはいえ、料理がひとつ増えたのは単純に喜んでおきましょう」


 カインはそう言葉を締めた。

 それで、この件についてはすべて片付いた。誰も文句を言うこともなく。


 だが文句は無かったものの、グレックは首を傾げつつカインを見た。全員が同じことを思っていた。代表して、一番最初に口を開く。


「……しかし、カインお前……」

「はい?」

「あんなに農作業だけはヘタクソなのにな」

「ナー」

「言えてるねえ……」


 いつの間にか寄ってきていた他のメイドや兵士たちもがうなずき合う。


「ひ、人には、得意不得意があるんですよ!」


 国民たちの態度は不敬ではあったものの、カインは言い返す言葉を持たなかった。







 そのころ、浅黒い肌の青年は、馬車を守る兵士たちに一言、二言話しかけてから馬車に戻った。兵士たちはやや緊張感と恐怖で怯えが見られていたが、なんとか納まったようだった。

 黒髪を晒したままの青年は奴隷の衣服を着ていたが、真っ白で装飾の無い貫頭衣は足首まであり、奴隷のものとしてはずいぶんと綺麗で裾が長いものだった。その足にも、細い革バンドのようなものが巻かれた――現代でいうグラディエーターサンダルのような――靴を履いていて、腰で結わえた麻色の紐には、ビーズが数個嵌められている。青年が戻った馬車も、赤と金に彩られた王族用の豪奢なものだ。そんな彼に誰も何も言わないのは、その衣装が王の側仕えを任された高等奴隷のものだからだ。


「何かあったのか」


 王は馬車に戻ってきた青年に言った。

 白く流れる貫頭衣は同じだが、その肩には袈裟がかけられている。頭に巻かれたターバンや、腰に巻かれた帯もしっかりしたものである。靴も革で作られたがっしりとしたもので、やはり奴隷と王族は違う。はっきりとした問いは、おそらく外にまで聞こえていたことだろう。

 しかし王が青年を見る目は、やや不安気な色が見えていた。僅かな怯えを静かな言葉の中に隠している。


「恐れながら。獣か、盗賊でもいたのでしょう。向こうは諦めたようですが」


 青年はそう告げたものの、顔をあげたときには、口に人差し指を立てて静かにするようにと示した。その黒い瞳には鋭さがあった。その眼光に、王と呼ばれた男はギクリとしたように声を潜め、耳をそばだてた。


「……彼が、地上に来ていた……」


 その一言に、王の目は見開いた。


「なんと……」

「シッ」


 青年に言われると、王は慌てて気を取り直した。


「……では、ヴァルカニアに向かうに問題はなさそうか」

「ええ。しばらくすれば出発できるでしょう」


 青年は頷き、僅かな間に反転していた上下関係は衣服通りのものに戻った。

 問答はそれだけで終わった。

 遙か東国の砂漠からヴァルカニアに向かう王の一団は、こうしてまた動き出したのであった。

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