58話 チョコの食べ比べをしよう(2)ブランデー編

 扉を開けると、そこには闇が広がっていた。


「――来たな、小娘……」


 闇の中から、光る二つの目が瑠璃を出迎える。その眼は冷たく、深淵を覗くものを見返した。ぼうっとした薄暗い光だけが、その姿を浮かび上がらせる。組んだ指先までもがいまやくっきりと輪郭を描き、くすんだ赤黒い髪の向こうから瞳が瑠璃を射抜いた。


 ――出迎え方だけは魔王みたいなんだよなあ……。


 惜しむらくはここが魔王の居そうな間でもなんでもない普通サイズの部屋だということである。牢屋のように暗くはあるものの、あたりにあるのはゲームや雑誌。しかもブラッドガルドが座っているのは玉座ではなく座布団で、その前にあるのは折りたたみ式のテーブル。

 当人だけが魔王然としているのだから、アンバランスにもほどがある。

 瑠璃は部屋の中に足を踏み入れつつ、自分の座布団に座った。


「そういえばさあ、カイン君と戦ったり、リクを待ってたあの広い空間あったじゃん。あそこって何なの?」

「急に何の話だ」

「単に気になって」


 あそこに居たほうがまだ魔王っぽいからだよ、とは言えない。


「あれは迷宮の最奥だ」

「そうだったんだ!? でも確かにリクって一直線にあそこに来たね!?」


 前回最奥で戦ったなら、まっすぐあそこに来ても不思議じゃない。


「あそこが迷宮の行き止まりだったんだ?」

「……否。最奥はそのまま迷宮の一番奥、というわけではない」

「そうなの?」

「……多くの場合ではそうだが、迷宮の主を基準にしたものだからな。主が巣や居室にしている場所が最奥と呼ばれる」

「あー……つまりボス部屋かあ」


 ――その理屈だともうこの迷宮の最奥ってここじゃない……?


 少なくとも瑠璃が扉を開けると必ずブラッドガルドがいるこの部屋を、最奥と言わずになんというのだろう。こんな狭くて異世界人からしたら意味不明なものが詰まった部屋が最奥と言われてもどうかと思う。

 リクからしても異世界に自分の世界のものが鎮座しているこの空間は意味不明かもしれないが。


「そういえばリクとも会えてないけど、なんか聞いてたりする? そのう、女神様とか」


 地上に出るには何日も迷宮をのぼっていく必要があるから当然だ。ブラッドガルドも一度カインのところに行ったきり、また魔力の補充のためにここで籠もっている。くわえて女神嫌いも治っていなさそうなのである。

 だがブラッドガルドは、口の端を僅かにあげた。


「――ふっ」


 ――鼻で笑った!?


「何を言い出すかと思えば……。いまは女神などどうでも良い」

「ええっ、なに、どうしたの。すごいじゃん、めっちゃ余裕だ」


 いっそ穏やかとも言えるブラッドガルドの態度に、感動すら覚える瑠璃。


「貴様が隠していたものに比べれば些細な話だ」


 ――いやテンション高いだけだこれ……!


 理由はわかる。

 今日のお菓子がチョコレートボンボンだからだ。

 チョコレートと、前から気になっていた(ブラッドガルドにとっての)異世界の酒という二つの要素がそろえばテンションも高くなる。


 恐るべし、チョコレート。

 恐るべし、チョコレートボンボン。


 瑠璃はそっと、緑色の箱を出した。

 パッケージには、一粒サイズのチョコレートからとろりとした液体が流れ出ているイラストと、その後ろには黄金色の液体の入ったグラスが描かれている。

 瑠璃が次々に箱を出している間に、ブラッドガルドはそのうちの箱のひとつを手に取った。


「しかし貴様……本当にこんなものを何故隠し通せた」

「しょーがないじゃん。ほら、ブラッド君と会ったのって確か去年のこのくらいの時期でしょ」


 そういえば一年経ったんだなと思う。


「……それとこれと何が関係がある?」

「これからの時期は売らないからだよ。ほら、ここ見て。これ、『冬季限定』って書いてあるんだけどね、冬の時期限定の商品ですよってこと」


 瑠璃はパッケージの片隅を指で示す。


「だから今回もほとんどギリギリだよ。いまはバレンタインの時期だから、ボンボンも結構売ってるけど」

「冬だけ……? 何故だ」

「夏場は暑さで溶けてきちゃったりするからだよ。暑いとアルコールが飛んじゃったりするらしいし。風味とかも変わってくるんじゃない?」


 ブラッドガルドはしばし眉を顰めていたが、すぐに理解したようだ。


「……なるほど。我に最高の状態で献上しようという態度……赦す」

「ブラッド君だけじゃないと思うけど、わかってくれたならいいや」


 赦すとか赦されないとかの問題なんだろうかと瑠璃は疑問に思う。


「……シバルバーに暑さなど無いが」

「作ってる側の問題だからね?」


 真面目に突っ込んでしまった。


「とりあえずそれも開けちゃってよ。お皿に入れよう」

「貴様、下僕の分際で我に命令する気か」

「せっかく持ってるんだから開けてよ、私も開けてんだから」


 瑠璃はパッケージを開けて、中の紙ケースに納められたチョコレートの粒を紙皿の上に落とした。一口サイズの粒がところどころひっくり返ったのをできるだけ表に戻す。

 二つ目の箱に手をかけようとしたとき、ブラッドガルドが『開けろ』というように瑠璃に箱を突き返した。


「……」


 そんなところで億劫がるなよ、と思ったが、仕方なくブラッドガルドから返された箱を開ける。

 その間に、紙皿の上に載せたチョコレートに手が伸びた。骨張った手が一粒、チョコレートをつまみあげる。それをしばらく見たあとに、ぱくりと口の中に放り込むのが見えた。


「あっ」と瑠璃は目をあげてから「中身気をつけてね」と続けた。


 中身とはなんだ、と尋ねる前に、チョコレートを噛み砕いたに違いなかった。中からじわりと出てきたブランデー入りのシロップに、ブラッドガルドの動きが止まった。

 無言で動きを止めるブラッドガルドと、無言でそれを見守る瑠璃。

 ブラッドガルドはしばし目を伏せるように味わうと、重々しく呟いた。


「……なるほど。こういう……」

「さすがにそのまま入ってるわけじゃないと思うけどね」


 二つ目の箱を開けると、瑠璃は紙皿の上に広げた。

 それから目の前のチョコレートをひとつぶ、手に取る。自分も口の中に放り込んだ。

 舌の温度でチョコレートがじっとりと溶けて、甘いミルクチョコレートが舌の上を転がる。しかしひとたび甘い味わいに牙を立ててしまうと、ほんのりとした洋酒の香りが駆け抜けた。チョコレートと比べてややビターな味わいが溢れ、内面の本質を露わにする。そのほろ苦くもあるような液体が、やや熱を帯びるようにダイレクトに舌先に広がっていく。

 ちらっとブラッドガルドを見ると、しばらくじっとその味を確かめたあとに、すぐさま手を伸ばしてもう一粒を口に入れていた。

 もう一度ゆっくりと口を動かし、一粒ずつ噛みしめるように手を伸ばす。


 ――途切れる事無く食べてるのに妙に上品……。


 酒の味を確かめているようでもある。

 瑠璃はお茶で酒の味を流し込みつつ、細く骨張った指先が小さなチョコレートをつまみあげるさまをじっと見つめた。

 数個も食べるとひとまずは満足したのか、ブラッドガルドが顔をあげた。


「……で、結局これは何なんだ」

「あー、うん」


 しばらく見とれるようにブラッドガルドを見ていた瑠璃だが、尋ねられると我に返る。


「これに入ってるのはね、ブランデー」

「ほう」

「ブランデーは蒸留酒の一種だね。昨日のラムも蒸留酒の一種だけど、主にフルーツから出来てるものがブランデーだよ」


 それだけ言うと、スマホに手を伸ばした。

 ブラウザを開き、適当に検索をかけたものから


「コニャックとも呼ばれてるけど、コニャックも本来ブランデーの一種。だけど代表みたいなものだからそう呼ばれてることがあるみたい。そのコニャックも、本来はフランスのコニャック地方のぶどうを、特定の厳しい方法で作ったものだけがコニャックを名乗れるらしいよ」

「ほう。……しかしぶどうから? ……ワインとはどう違うんだ」

「ワインは発酵させるものでしょ。さっきも言ったけど、ブランデーは蒸留酒なの。すごい簡単に言うと、ワイン作ったあとに蒸留したものって感じかな」


 ブラッドガルドはもうひとつチョコレートに手を伸ばし、ただ頷いた。


「で、そのコニャック地方のワインを蒸留したものを、オランダ語で『焼いたワイン=ブランデウェイン』がイギリスでブランデーって名前に変わったものだよ」

「……ところで、チョコレートの中身と単体で飲むとではやはり味は違うのか」

「……私にそれ聞く?」

「貴様に期待したのが間違いだったな」


 間違いというより、いくらなんでもわかるわけがない。

 そこは未成年として法律は守る。


「そりゃ多少は違うんじゃない? 単体で飲むとけっこうフルーティっていうけど……。チョコレートじゃそこまで感じるほどじゃないし。これはこれで美味しいけどさ」


 もうひとつぶ手に取ると、口の中に入れる。

 じんわりと広がったビターな味わいが、ミルクチョコレートと合わさって中和されていく。


「あとは結構高級品みたいだから、いいものといえばいいものなんだろうけどね。前にお父さんが何かの記念で貰ってきた気もするし、プレゼントには良いみたい」

「それはまだあるのか?」

「あるんじゃない?」

「……よし、寄越せ」

「さすがにお父さんのやつを勝手に持ってくるわけにはいかないでしょ……」


 瑠璃ははジト目で言いつつ、スマホをタップした。


「それにラムはお菓子に使うってイメージあるけど、ブランデーはどうかなあ」

「いままさに使っているだろうが」

「紅茶とかコーヒーに入れたりはイメージあるかも。あとバニラアイスにかけたり」


 瑠璃が言うと、バニラアイスのあたりでブラッドガルドの動きが止まった。


「……バニラアイスに……、ブランデーを……?」

「うっ」


 これは深く突っ込まれてはいけない気がする。

 これ以上バニラアイス万能説に気が付かれてはいけないのだ。


「あっ、それからね! ブランデーってあの、フルーツから作るって言ったじゃんね!?」

「……バニラアイスに……」

「聞いてる!?」


 無理矢理に話を変えないといけない。


「他で出してる商品でもブランデーとオレンジの組み合わせとかあるよ。当然チョコレートだからね。あとはイチゴとか、カルヴァドスっていうリンゴのブランデーを入れてあったりとかね」

「……色々言いたいことはあるが。貴様が食ったことは?」

「イチゴのがあるよ。私は今日のよりは、イチゴのほうが食べやすいかな」

「ほう」

「高級なアポロみたいで」

「……貴様、もう少しマシな例えは無かったのか……?」


 さすがにこの発言には眉を顰めたらしい。


「だってイチゴチョコってそんな感じするから……!」

「まあ良い。貴様が我に献上すれば良いだけの話だ」

「チョコボンボンをでしょ」


 特にこれといった反論はかえってこなかった。

 チョコレートボンボンであっているらしい。


「でもさ、ブラッド君は平気なんだね」

「あ? いまさらどういう意味だ」

「いや別に。平気なんだなーって思っただけ」


 ブランデーのややダイレクトな味わいも、じんわりと酒が浸透して、舌先が熱を帯びるような感じに慣れない、と言ったほうがいいのかもしれない。瑠璃の父と母でもそれぞれ好みが違うし、完全に好みの問題だ。アルコールが舌にじわりと浸透するような感覚。それが好きだという人もいれば、子供の頃に食べてしまってキツかった、という人間もいるわけだ。直接飲めるようになったらまた違うのかもしれないが。

 冬になって二種類出ると、ラムレーズンのほうが好き、という人間もいるし、ブランデーのほうが好き、という人間もいる。

 ブラッドガルドはその返答を聞くと、そっと手を伸ばした。皿の隅に指先をかけると、静かに引きずっていく。


「なるほど。やはり貴様の舌に期待したのが間違いだったようだ……」

「嬉々として持って行かないでくれる?」


 まるで『仕方ない』とか言いたげな空気を出しながら、皿ごと奪っていくブラッドガルド。


「まあでもいいけどね。あとはあげるから食べなよ」


 瑠璃が言うと、何故かブラッドガルドの動きが止まった。

 その瞳がやや丸く見開き、蛇眼が見つめる。


「どしたの?」

「……貴様、まさかこれで逃げようというつもりではなかろうな……?」

「なんでだよ」

「まあ良い。貴様などいてもいなくても関係は無いが、気分が良い……。特別にここに居ることを赦してやろう。感謝するが良い」

「その謎の上から目線なんなの……」


 機嫌が良いことだけはわかるけど、とは瑠璃は言わなかった。

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