56-16話 ブレイク・タイム

 瑠璃が部屋に入った瞬間、ぎろりとした視線が射抜いた。


「……遅い」


 不機嫌な声が出迎えた。瑠璃は特に反応もなく、瞬きをしてから扉を閉める。


 あれから、ブラッドガルドは微妙に機嫌が悪かった。

 機嫌が悪い理由はわかっている。単にお腹が空いているだけだ。……というと語弊があるが、そこに関してはおおむね間違ってはいない。そもそも空腹を感じるほどには回復しているらしい。本当に死に瀕していたときはそれすら感じなかったようだから。

 つまるところ、いつもと同じだった。

 瑠璃はやや呆れた顔で、手に持ったトレイをテーブルに置きつつ、座布団に座る。


「ブラッド君さあ……。復活したんだから普通に自分で食べればいいんじゃないの?」


 それこそお菓子に拘る必要は無いと思う。

 律儀に待っているくらいなら、そのへんで何か口にしてくれたほうがまだマシなんじゃないか、と思う。だが、ブラッドガルドは刺すような目で瑠璃を見返す。


「どこかの誰かが我が迷宮を滅茶苦茶にしてくれたからな……忘れたとは言わせんぞ……」


 バラのように棘のある言葉と視線だ。


「私には記憶が無いんだけど……」


 だから睨まれても困る。







 あの日。

 ブラッドガルドと再会したあとのこと。無造作に引き剥がされた瑠璃は、起き上がったブラッドガルドにつまみあげられ、猫のように椅子に座らされた。相変わらず扱いが雑だが、だいたいいつもこんなものだ。


「……さて、迷宮の主よ」

「いや迷宮の主はそっちだけど!?」

「……。今はまだ、貴様が迷宮の主だ」

「……なに言ってんの? あたまだいじょうぶ?」


 瑠璃はけっこう本気で心配したのだが、ブラッドガルドは完全に冷めた目をした。


「……。ひとまずは我の魔力を返してもらうぞ。それで迷宮も安定するだろう」

「あたまだいじょうぶ?」


 瑠璃はもう一度同じことを言った。

 ブラッドガルドも今度は無視を決め込んだらしく、おもむろに瑠璃の前に手を翳した。


「動くなよ」

「お、おう?」


 ブラッドガルドの手が、勢いよく瑠璃の中に物理的に入った。


「えっ」


 といっても実際は瑠璃の胸の前に空間の穴のようなものがあり、そこに手を突っ込んでいるような格好だ。瑠璃から見れば、自分の目の前でブラッドガルドの手が消えている。


「ほぎゃああああ!?」

「喚くな、うるさい」

「手が!!!」


 しばらく鞄の底でもあさるような感覚でその謎空間を探ると、しばらくしてブラッドガルドが手を引き抜いた。


「あったぞ」

「えっ、ブラッド君の魔力!?」


 ブラッドガルドが引っ張り出したのは、黒地に赤い文様が描かれたそこそこ大きい石のようなものだった。赤い文様は鈍く光っている。印象としてはブラッドストーンに似ている。あるいは、瑠璃の印象では冷えてやや固まりかけた溶岩のようだと思った。

 だがそれよりも。


「取り方雑じゃない!!?!?」

「黙れ」







 ……とまあ、ひと悶着あってから、ようやく落ち着いて話ができる状態にまで回復した。

 もっとも、そのあとは瑠璃は現代に戻って色々と確認したりして、ばたばたとしていた。

 とっくに年が明けていた上に二ヶ月以上経っていて愕然としたり。

 たちの悪いインフルで入院していた――ということになったのはいいが、期末テストを後で受けさせられたり。

 とにかく、元の生活に戻るのにしばらく掛かった。

 その間、ブラッドガルドにはとりあえずチョコチップクッキーの箱を投げておいたので、それも機嫌を損ねた原因だろう。とはいえブラッドガルドにも原因はあると思っていたので、素知らぬ顔で通した。


 そしてブラッドガルドによると――瑠璃は眠っている間、迷宮の主になっていたというのだ。


 そのうえ迷宮が暴走した挙げ句、世界に禍が広がるところだったらしい。

 禍といっても、凡人が普通に想像するような闇だの暗黒だのではない。世界は浄化によって滅びかけた。浄化という名の世界に対する回復魔法が止まらなくなった結果、世界の時間がはやまわしされたというのだ。回復魔法とは即ち、自然治癒力を速める魔法だ。ゆえの、禍だ。

 やがて作物が一日で出来るほどに時間は加速し、日々続く豊作に人々は喜ぶ。それこそが緩やかな歓喜の死であると、ブラッドガルドは表現した。


 まったく記憶に無いしそもそも説明の意味がわからない。


「そんなこと言われてもさあ」


 とりあえずトレイの上のカップをテーブルに乗せると、そのうちのひとつをブラッドガルドのほうへ押しやる。


「……ほら、なんかチョコ工場? とかもまだ残ってるんじゃなかった?」


 そう言うと、ブラッドガルドはますます眉間に皺を寄せた。


「あれは貴様の深層から作り出されたものだ。残すにはまず空間ごと隔離し、維持し直し、少しずつ我の魔力で代替して満たさねば、いずれ朽ちる」


 瑠璃は頬を掻いた。なにがなんだか、だ。

 仕方なく、話を変えることにする。


「……だいたいブラッド君を倒したのは陸でしょ? なんで私が迷宮の主になってたの?」

「そこから理解していなかったのか」


 呆れたような目で見られる。そんな筋合いは無い。


 迷宮の主というのは、簡単に言えば負ければ交代という形だ。

 たいていは魔物や魔人によってなされることが多いが、その頻度は極度に低い。人間がなることも稀だ。そもそも迷宮はダンジョンに比べて膨大な魔力が必要で、そこらの人間がおいそれとなれるものではない。

 倒せるのは限られた人間であるからこそ、前例はない。

 ブラッドガルドの迷宮となれば尚更だ。


「奴の前に、我は貴様に負けていたが」

「負けてたって、ゲームじゃん」


 瑠璃はいまいちピンとこない顔で言った。

 ただ、あの瞬間だけは、敗北イコール死ではなかったのだ。ブラッドガルドもまた最期だと思ったからこそ、負けを認めた瞬間に迷宮の権利が譲り渡された。もちろん、自らの迷宮を易々と勇者や女神に明け渡すのも気に食わなかった――というのもあるにはある。だがあそこで瑠璃が負ければ、また運命は違っていたのだ。


 しかし当の瑠璃には迷宮を譲られた記憶も、逆に譲った記憶も無い。

 やったことといえば、ブラッドガルドに続いて言葉を言わされただけだ。


 ――私、萩野瑠璃は、ブラッドガルドに迷宮主たる権利を譲渡する。


 ……というような内容だ。言わされた瞬間に、ものすごい衝撃のようなものが走ったかと思えば――あたりに灯りがつき、いつもの部屋が戻ってきた。いままでどこにあったのか、お茶会部屋にあったはずの物はすべて揃っていて、

 ただしブラッドガルドはしばらく何か操作するように腕を動かしたり目を閉じたり、途中で苛ついていたりしたが。


「あの小僧の時だってチェス勝負だっただろうが。範囲が多少広がった程度でなにを驚く」

「ええ……」


 そう言われても納得できないものはできない。

 多少とはいったい。

 そもそもブラッドガルドの考える範囲が広すぎる。


「それに、我が死んでいたといっても半分だ」

「半分死ぬってなに?」


 それは「死にかけてる状態」とは違うのか。

 もはや宇宙をバックにしたような、理解できない顔になる瑠璃。


「核は貴様に引き渡してやっただろう」

「私にくれたやつ核なの!?」


 核というわりには、けっこう雑に取り返された気がするのだが。


「……せっかく迷宮に加えて魔力の核も残してやったというのに。女神どころか勇者まで倒さんとは」

「んなこといわれても」


 目の前で幼馴染みと友達が殺し合いをするのを見させられた身にもなってほしい。


「しかし、おかげで貴様は助かったようなものなのだ。本来なら貴様の命を取るところを、隷従という形で捧げることで赦してやったというのに。寛大な処置に感謝するがいい」


 瑠璃は部屋の隅に積み上げられた地域情報誌を見る。

 日付はごく最近のものである。

 なにが変わったのかさっぱりだ。いまのところ、お菓子の催促と興味のある場所をこれみよがしに提示されることしかされてない。そして、瑠璃はその大半を気が付かないふりをして無視し続けている。


 ――あんまり変わってなくない……?


 変わってない気がする。

 だが瑠璃が何か言う前に、ブラッドガルドの手がぬっと伸びた。瑠璃の側にあった箱を掴む。箱をずずっと近くまで引き寄せると、白い箱の中身を開けた。

 おもむろにチョコレートトリュフを取り出すと、指先がつまんで口の中に入れた。


「それに、貴様よりも問題なのは人間どもだ」


 食べる様子をじっと見てから、瑠璃は続ける。


「なんかしたっけ? 迷宮潜ってただけじゃない?」

「……よくも我のいない隙に、神の実を好き勝手してくれたものだ……!」

「あっ、そっち?」


 カカオがこっちの世界で勝手に生えた(と、瑠璃は思っている)のも驚きだが、それが有効活用されていたのも驚きだ。もはや当の瑠璃ですらついていけず、考えるのを放棄した。

 といっても魔法生物たちの楽しみ的に活用されていたのだが、自分が死んでいる間に人間が堂々と手にしていたのが気に食わないらしい。


 確かにカカオからチョコレートを作る方法、みたいなものをどこかで見た記憶はある。けれども詳細は忘れてしまっているし、説明しろと言われても無理だ。


 ブラッドガルドは三個目のトリュフに手を伸ばして、口の中に放り込んだ。


「……ところでブラッド君……」


 不意に瑠璃は手を合わせ、尋ねる。


「それ、おいしい?」


 ブラッドガルドは普段のように答えようとして、口を開きかけて、はたと気が付いた。


 チョコレートを食べようとしているのにわざわざ尋ねる理由がわからない。

 そう思うと、瑠璃のわくわくと期待するような目が、普段となにか違った気がした。

 目の前の箱をもう一度見る。


 どこの製品なのかわからない白い箱。

 通常ならあるはずの、賞味期限のシールがない。

 自分が零したわけでもないのに、僅かに外箱に付着したようなココアパウダー。

 ひとつひとつの大きさの違うトリュフ。

 そしてもう一度、瑠璃のわくわくと期待するような目。


 ここから導き出されるのはひとつ。


「………………」


 ブラッドガルドはただ視線を外し、黙り込んだ。


「なんで黙るの!?」

「…………うるさい、不味いわ」

「嘘つけよ!!?」


 季節はまだ冬。

 十四日もとっくに過ぎて、既に二月も終わりにさしかかろうとしていた。

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