56-10話 ソロ冒険者・クロウ(後)
迷宮での一番最初の記憶――。
目を開けたとき、そこにいたのは多くの冒険者達だった。
何が起きたのか一瞬わからなかったが、間違いなく現実だ。
たとえるなら、不意に起きたときに記憶の接続がうまくいかないような感覚で、少し混乱した。
――……ああ、そうだった。
ややパニック気味になった頭をなんとか持ち直して、現状を確認する。ここは迷宮のはじまりの場所で、何人かの冒険者が自分と同じように座って地図を確認していたり、あるいは早く奥へと進もうとしている。
誰も自分を気に掛けることはない。
自分はソロ冒険者のクロウで、この迷宮を踏破するためにきた。
そう思い出す。
いや、思い出したというのは少しおかしい。そう定められたのだから。迷宮があり、そこを管理する者がいるなら、当然のようにそこを攻略する者がいる。
クロウは自分の装備を確認する。布でできた服に、肩当てとひとつになった胸当て、そして自分を覆うマント。剣が一振り。そして自分の魔力は――隠されていた。
そうしてクロウは、奥に足を踏み入れた。
第一階層は、何もなかった。純粋な迷路といったらそれまでだ。木と石で壁が補強されただけの簡素で無意味な迷宮。膨大な魔石があると言われていたが、そのほとんどが収穫されきっていた。噂された巨大な魔石は真相がわからないままだ。
とはいえ、他の冒険者たちもまあ所詮は噂だと割り切っているようだ。
昔の面影を残した第一階層。現れる魔法生物。倒して魔石が無ければ首を振る。さりとて誰かの死体があるようなことはなく、あさるものもなにも無い。冒険者は昔の地図と見比べて、ときおり違う道を見つけては慎重に進んでいく。
さながらチュートリアル。いわゆる操作練習。
これはゲームなのだから当たり前だ。
ステータスこそ存在しないが、迷宮はゲームそのものだ。
シナリオが用意され、ナビというゲームマスターがいて、クロウというプレイヤーがいる。それが迷宮が作り上げたものだ。そしてそれに従うのが使い魔の道理だ。
――そして第二階層からが本番。
そう思っていた。
あのイベントを実際にやるまでは。
収集物を集めるために、ルゼルという名の冒険者をリーダーとするパーティと手を組んだ後のこと。そもそもイベント内容をこなすために、どうすれば効率が良いのか調べるのは当然のことだった。一人でも当然やったし、他のソロ冒険者と手を組んだこともあった。
ルゼルたちと別れたあとで、ナビが現れた。
『では、頑張ってくださいね! 冒険者さん!』
「……」
クロウは少しだけ眉間に皺を寄せたあと、踵を返した。
そして――、歩きだそうとして止めた。
勢いよく振り返る。
「おい待て小娘」
思わず声をかける。
どうしてそう言ってしまったのかわからない。
「……お前、なにをしてる」
『……はい~?』
目の前のナビだけが振り返り、クロウに反応した。他の水晶板のナビは、とっくに接続が切られている。
クロウは手に持った袋を見せつけながら続けた。
「こんなものを集めて、なにをしようと言うんだ」
『いや~、よくわかんないですね~』
目どころか顔ごと逸らす。
その顔は絶対知っている。
「この魔法生物の核……。小さいうえに、迷宮の魔力でコーティングしてあるが……俺の目は誤魔化せん。……ブラッドガルドの魔力だろう?」
『……んふふ!』
ナビは笑った。
『まあ、多いですからね! あっても不思議じゃないでしょう?』
それだっていくらなんでも、だ。
勇者に敗れ、粉々になって、世界にとけた命。
本来、正常な浄化がなされていれば、ブラッドガルドのバラバラになった命――すなわち魔力は、世界に均等に溶けていた。そうしてやがては人々の中に入り込んで、土や水のように自然なものとして扱えるようになっていたはず。なれのはてとはいえ、神が世界に溶けるとはそういうことだ。
だが急激な浄化によって、実際はその多くが迷宮付近で滞留した。大海に落とされるはずの砂糖は、コップの水の中に強制的に引き込まれた。
誰も気づけなかった。
どこにあっても本来は問題はない。
迷宮によって促進された浄化は悪いことではなかったし、副次的効果としての時季外れの豊穣も悪いことではない。ただし大地の時間が早まるという危険に対して、女神の目はまんまと其方を向いた。
その僅かな時間稼ぎの間に、散らばった魔力は迷宮と結びつけられ、魔法生物の核として利用された。だが、それが再びかき集められているとなれば話は違ってくる。
「『イベント』の真意は……、餌で釣った冒険者どもにこれを集めさせることか? ……こんなものを集めてなんになる」
クロウは自分と正反対の、もうひとりの使い魔を睨んだ。
眉間に皺を寄せ、我知らず袋を強く握りしめる。
「こんなものを集めても……砂糖水のように結晶化するわけじゃないんだぞ」
クリスタルシュガーのように。
散った命が、元に戻るわけではない。
『クロウ君』
そう呼ばれると、妙な違和感が走った。
『それでも、必要なんですよ』
「あ?」
『まあとにかくシバルバーまで来てくださいよ! クロウ君がいないと魔法使えないんで!』
「流れるようにネタバレをするな。何を考えてる。……そもそも、俺達は使い魔だ。役割以上のことをする必要はない」
ゲームマスターのナビ。プレイヤーのクロウ。
ゲームオーバーになれば最初からやり直し。
ルール違反をすれば出禁。
そして見事クリアすれば――、二周目ができる。
それが宵闇迷宮のルールだ。
『うむ! そのとおりですなー』
「だったら、なぜこんなものをと聞いてる」
『先に進んで、他の階層の構成を見ればねー。なんとなーく、私たちにはわかるはずなんですよ! この迷宮は確かに、主さまの願いがバラバラに影響してます。そもそもがゲームがしたいとか、映画が見たいとか、チョコレートが食べたいとか……。でも、これって全部……』
「だからGMがネタバレをするな」
『主さまが、ブラッドガルドと一緒にやりたいこと』
「……。おい、まさかお前……」
――本気でブラッドガルドを呼び戻そうっていうのか……!?
「それをやったら主が死ぬだろ!?」
ブラッドガルドは腐っても火の龍の欠片。もう一度呼び戻すつもりなら――その生命の炎と引き換えだ。かつて太陽を求めた人間に、その命を要求したように。
――女神でさえ、聖女という信仰の象徴が、自身の自由を捧げてようやく呼び出したものだというのに!
――あれでいて本物なのだ、女神は! 専属契約を交わした人間どもが、風の鳥の存在を解釈し直した幻像のくせに……! 矮小で小うるさい、頭の足りぬくせに忌々しいほどの本物が……!
――……い、いや……。俺は何を考えてる……?
突然沸き起こってきたふつふつとした恨みのようなものに驚きながら、顔をあげる。
「……確かに、膨大な信仰の代わりに、ブラッドガルドの一部を用意すれば可能だろう。だがそれは同時に、主の死を意味するんだぞ。それを……」
『……本当に?』
目が見開く。
尋ねられ、クロウはどういうわけか返事に詰まった。「ああ」と一言強く頷けば良かっただけの話なのだ。
ナビはといえば、そんな返答は無かったかのように続けた。
『まあとにかく来てくださいよ! こっちは用意して待ってるんで!』
「おい!」
『たまーに魔法生物向けに、ナビちゃんねるラジオで近況報告するんで聞いてくださいね~!』
わけのわからないことを言って通信は途絶えた。
――……なぜだ。それもまた、主の性質なのか。自らの役目の放棄……。
――いや違う。これは放棄ではなく、おそらく、定められた運命への……。
――……そこまでして、なにを……。
何かを思い出しそうで、くらくらとした。
クロウは首を振った。いつまでもナビの消えた水晶板の前で突っ立っているわけにもいかず、踵を返して歩き出すしかなかった。
*
そして現在。
クロウは第四階層の岩塩採掘場で、ギルド員と、そのリーダーらしきパーシバル・ベクターから――全力で逃げていた。
「あいつ! どこに行った!?」
生き生きとパーシバル・ベクターなるギルド員が追ってくる。
暗く、天井の灯りだけがぽつぽつと周囲を照らす岩塩採掘場は、ある意味天然のダンジョンだ。
中で採掘をしていた冒険者や、中立型の魔法生物――つまりは採掘場のオークやゴブリン型の亜人がときおり驚いたような顔で見ていく。
「ちょっと! アンタなにやってんです!」
咄嗟につれてきたゴブリンが喚く。
「うるさい黙ってろ。こういうゲームなんだから仕方ないだろう」
人を殺せない――というのがこれほどネックになるとは思わなかった。
とんでもないルールだ。だが、それゆえにこの迷宮はゲームなのである。
後ろからはパーシバル・ベクターの声が反響している。
「逃げたということは、やっぱりお前はスパイか! それとも使い魔か!? さあ、観念しろ!」
なんであんなに生き生きとしているんだ、とクロウは頭を悩ませた。
「まったく、あの人にも困ったもんだ」
「仕方ないさ。成果をあげればあのポストにいられるからな」
「もっとギルド役員に近い貴族はたくさんいるだろうからなあ」
対して、ギルド員はこそこそと陰口をたたいていた。
「……でも本当にあのクロウとかいう冒険者が、使い魔かなにかだったら……」
「馬鹿な。自分の迷宮を攻略する使い魔がどこの世界にいるんだ?」
「あっても迷宮を乗っ取りにきた魔人か使い魔がいいとこだろ」
それが予想に反して自分の迷宮を攻略する使い魔がここにいる、とは言えない。
使い魔とわかってしまっても困るのだが。
少なくともこの魔力の封印は、ある意味で主の性質を受け継いだものだ。要は魔力が無い、認識できないという状態を擬似的に再現したものなのだから。
クロウはときおり置いてあるバケツや樽を転がし、派手な音を立てながら狭い鉱山の中を走り続けた。
「な……、なにやってんです?」
「いいから黙ってろ。舌を噛むぞ」
このままではついて来いと言わんばかりだ。驚きながらクロウを避ける鉱夫を横目で見つつ、周囲の地形やダンジョンの構造を確認していく。
――ここだ!
クロウはある曲がり角まで来ると、唐突に足を止めた。
近くにいた鉱夫ゴブリンが、間抜けな声をあげながらクロウを見上げる。しばらく目が合ったが、それでも間の抜けた表情でぽかんとしていた。
クロウは少しだけ口の端をあげる。
背後ではバタバタと騒がしい音が近づいてくる。
「待てクロウっ! 逃がさんぞおっ!」
クロウは音を確認しながら、やがてすうっと息を吸った。
「こっちだっ!」
唐突にそう叫ぶと、目の前の鉱夫ゴブリンをひっつかんだ。
「ふああっ?」
突然掴まれた鉱夫ゴブリンは、意味がわからないまま放り出され、パーシバル・ベクターの前に躍り出た。
「うわっ、うわあああ~」
「どけぇっ! 邪魔をするなあっ!」
パーシバルの剣が勢いよく一閃した。
その瞬間、ズバンと音がして魔力が飛び散った。
「う、うあ……」
鉱夫ゴブリンは切り裂かれたところを見下ろしつつ、がくりと膝をつく。そうしてがたがたと震えながら、たいていの魔法生物がそうであるように、少しずつ消滅していったのだ。
「ちっ……。クロウ! そこだな!?」
パーシバル・ベクターが笑いながら曲がり道を曲がろうとする。
だがその返事が来る前に、ブーッ、ブーッ、と突然その場に音が轟いた。
『中立的魔法生物(NPC)への積極的な敵対行動を確認しました~。一発レッドカードですね~!』
「使い魔か! ちょうどいい、お前も姿を現せ!」
「待ってくださいパーシバル殿! これは……」
それからはあっという間だった。
パーシバル・ベクターの額に大きく『出禁』とハートマークつきで書かれたかと思うと、その下に魔法陣が出現した。なにか喚こうとしたものの、その姿はあっという間に消えてしまった。外に転送されてしまったのだ。
あとに残されたギルド員はぽかんとした表情で突っ立っていたが、ハッと気が付くと慌てて周囲を探し始めた。
「ぱ、パーシバル殿!?」
「なんだ!? どこに消えた!?」
「お、おそらく今のは外に……!」
そしてクロウは連れてきたゴブリンをひっつかむと、その間にすばやくギルド員たちから離れていった。
「よし」
「よし、じゃないが!?」
真顔で一仕事終えた感を出すクロウと、思わず言ってしまうゴブリン。
「何やってんですかアンタ!?」
「あの性格からして手を出すと思ったが、こううまくいくとはな」
「いやそこじゃなくてですねえ!?」
『クロウ君もギリギリの行為なので、次やったら出禁ですね』
「ほらもおおお!! イエローカード喰らってるうう!!」
「は? 俺は唯一のプレイヤーだろうが殺すぞ」
「アンタはルールに一番縛られてる立場でしょうがあ!!」
クロウは何度か体をほぐすように首を鳴らすと、もう一度ゴブリンを見下ろした。
「そんなことはどうでもいい。さて、……第五階層へはどうしたらいいのか教えてもらうぞ」
「……アンタやっぱり……」
ゴブリンは何か言いかけてやめた。
はーっ、とため息をつくと、ようやく気を取り直すことができたのだった。
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