56-11話 庭園でお菓子を

「……これって……」


 数時間ほど前のこと。第五階層に入り込んだリクはあんぐりと口を開けていた。

 甘ったるいにおいが鼻をくすぐっていく。アンジェリカをはじめとしたパーティメンバーも同じだった。

 あんぐりと口を開け、あるいはその奇妙な光景に言葉を失っていた。


「ここ……工場って話じゃなかった?」

「大きな作業場のようなものだと思っていましたが……」


 ――これ……、映画……だよな!? い、いや、似てるような似てないようなだけど……!

 ――むしろなんでここだけ別枠なんだよ!?


 どれだけツッコミいれてもツッコミきれなかった。







 第五階層の入り口は、第四階層のジャングルから外れた小さな町の中にあった。町のコンセプトはおそらく、少し文明化された原住民といったところ。居るのはゴブリンやオーク風の魔法生物で、いわゆる亜人として配置された魔物たちだ。


 併設された作業場では、第四階層じゅうから収穫されたカカオポッドが積まれていた。ピコピコハンマーのようなふざけたハンマーで割られた(しかも割るたびにピコピコいうので、本当にふざけている)カカオは、あっという間にカカオパルプとカカオ豆に分けられる。豆は発酵や乾燥作業のほうへ回され、残ったカカオパルプは、町で魔物に人気のジュースとして振る舞われていた。

 まさかこんなところで堂々と神の実が加工されているとは誰も思うまい。

 ライチのような甘酸っぱい味のジュースを飲みながら、クロウはその様子を眺めていた。


 ――……。


 なにかが物足りないような気がしたのは、きっと迷宮産のせいだろう、と自分を納得させた。これが本物のカカオパルプのジュースの味なのかどうか、よくわからなかったからだ。


 ともかくそんな彼らの憩いの地で、ひとつだけある西洋風の建物が、工場と併設された主の館――という『設定』がなされていた。ひときわ屈強なオークが二人並ぶ門は、第五階層に行く資格ありと認識されないと通してくれなかった。

 しかしこの館というのがくせもので、外観も内部も館そのもの。だがその実態はダンジョンというしろものだ。なんと敵性の魔法生物が現れ、ほくほくと気軽に入り込んだ冒険者を一網打尽にするのである。


 ――まあ、ここで落ちるような奴らはそれまでか。


 実際何人か脱落して、装備を整え直していそうだ。

 クロウはさっさとダンジョンを通り抜けて、第五階層へと向かうことにした。

 こういうときは、奥へ奥へと進めば自然と次の階層へ行けるものだと理解していた。そして実際、第五階層は階段を降りた先に存在していたのである。

 勢いよく扉を開けると、やや明るい空間が広がっていた。

 きっとこの先にチョコレート工場がある、とクロウはあたりをつけた。


 ――チョコレート工場……が……。


 おそらく他の冒険者が工場と聞いても、いいとこ砂糖や塩の作業場を想像していただろう。

 あるいはワインの製造所のような内装が延々と続いているような。


 だがその予想はことごとく外れた。


 高い天井は夜空を模しているらしく、きらきらとした星々が煌めいていた。地上には歩きやすいレンガの道が敷き詰められ、風が静かに吹いている。英国庭園のように整備された地の中央には噴水があり、その向こうに館が見えた。

 ただの庭園ではない。

 木々の合間を縫って、地面に刺さっているのはキャンディスティック。見たこともない花は砂糖菓子でできていた。乳白色のミルクの川が流れ、煉瓦の塀はよく見ればクッキーで出来ていた。不意に置かれた巨大なソファらしきものはフィナンシェか何かで出来ているらしい。

 あまりに通常の迷宮とはかけ離れた発想に、意識が遠くなりかける。


 ――……なん、だ、これは……。


 ぴきり、と頭痛がした。

 その頭痛が怒りなのか呆れなのか、自分でもよくわからない。

 これでは庭園だ。

 工場という言葉の意味からまず問いただしたい。


 その辺から生えている宝石のようなものをぱきりと割ってみる。あきらかに宝石ではない割り心地と、透明感のある内部。口の中に入れると、どう考えても琥珀糖だった。

 その琥珀糖を手にしたまま先に進む。カメラアイに似た魔法生物――というより、真っ黒なトリュフの塊に二つ目があるような謎の生き物が、カメラアイと一緒にわらわらとどこかへと向かっていた。


「……とにかく、これは、もう……こういうものとして考えるしかないな……」


 糖分で頭痛をおさえつつ、彼らについていこうとする。

 むしろ彼らについていくことで、本当のチョコレート工場に到達できるかもしれない。後ろをついていっても、特に撒かれるようなことはなかった。正しい攻略方法というやつなのだろう。

 だがそのとき、ガサリと音がした。敵性魔物の気配だ。


「……っ」


 剣を抜きがてら対峙した瞬間、思わずビクッと肩が跳ねた。なにしろ、コーンつきアイスクリームのような魔物が(しかもご丁寧に目は二つついている)目の前で浮かんでいたからである。

 頭痛が酷くなってきたが、敵は敵である。


 剣で一閃して薙ぎ払うと、ドシャッという音を響かせてアイスクリームに一撃が叩き込まれた。その一発でふざけた形の魔物をのしてやる。アイスクリームはでろんと溶けながら、他の魔法生物のように小さな粒となって蒸発していった。

 顔が引きつりそうだった。ここまでいろいろな形の魔法生物には出会ったが、これほどふざけた形のものはまだ見ていない。剣を戻して、ハッとして後ろを振り返る。後を追っていた使い魔たちがいない。撒かれたというよりは、あまりのことに茫然としすぎて見失ったのだ。


「……チッ」


 舌打ちだけして、ひとまず先に進むことにした。

 花の舞い散る庭園を歩く。

 光る蝶がひらひらと舞い降りて、宝石のような琥珀糖にとまって蜜を吸う。クロウは所在のわからない不機嫌さがどこかからたちのぼってくるのを感じた。

 確かに周囲は綺麗だ。

 砂糖のふんだんに使われた菓子があちこちにあり、食い放題で、富んだ国でも泣いて喜ぶものがここにはたくさんある。

 けれども、それだけだ。

 この光景は冒険者の目を眩ませるだけのものだ。

 ここには決定的な何かが欠けている。


 無言のまま進み続けると、少し離れたところに白い柱に緑色の屋根のガーデンガゼボがあった。足を向ける。特にこれといった目的もなく、ただ単に何があるのかと覗き込んだクロウは、僅かに睨むように目を細めた。

 ガゼボの中央にはテーブルが一つと椅子が二つ。テーブルにはちょうど二人分のお茶の用意がしてあった。そのカップに見覚えがある。自分が見たというよりは、誰かの記憶の底にあるような感覚だった。いままでのなんでもアリ感に対して、ここだけはシンプルだった。

 そして、たったいままでゲームが行われていたらしいチェス盤がむなしく広げられていた。


 ――……。この、試合は……。


 途中の状態だが、なんとなくわかる。


 ――これは、……見覚えが、ある? ……主と、ブラッドガルドの……。最後の……。


 確か、このすぐ後でブラッドガルドが負けを認めたのだ。

 どれかを動かしてみようとしたものの、チェス盤もチェスもどれもぴったりと固定されたように動かなかった。


 ――迷宮の壁のようなものか。となると、これはこのまま固定されているのか。……確か、この後にこのコマをこっちへ……。


 どうせ動かないだろうと指先で触れた瞬間、ぐらりとチェスが動いた。

 目を見開いた。しかし、すぐ近くで動くものの気配を感じ、すぐに手を離して視線を向けた。

 テーブルを挟んだ二脚の椅子。その片方に、小さな蛇が乗り上げていた。どこからか迷い込んだらしく、魔法生物ではなかった。生命の兆しがある。クロウの存在に気が付くと、素早くどこかに行ってしまった。

 その尻尾の先を見ていたとき、ぬっ、とその後ろから影が落ちた。

 振り向くと、人型を模した見た目の巨大な綿菓子、という相変わらずふざけた形の魔法生物が大きな手を振り上げていた。


 勢いに任せて抜剣し、そのまま横に薙ぐ。相手がたたらを踏んだ瞬間に踏み込んで跳躍し、頭を蹴りつけた。向こう側へ倒す直前になって足が突っ込むのではないかと思ったが、杞憂だった。巨大な綿菓子はそのままバランスを崩して、ずうん、と音を立ててひっくり返った。

 地面に着地すると、すぐさま綿菓子に走る。いまにも起き上がりそうな綿菓子の胸元を足で固定すると、両手で構えた剣を一気に胸に突きつけた。


 剣で胸の中をまさぐると、やがてカチッと剣に当たるものがあった。核だ。勢いよく手を突っ込み、それを引き出してやる。きらりと光ったのは、大きなコンペイトウのような形の核だった。


「おおおおお……おお……おおお」


 綿菓子は呻くような声をあげた。そして、さらさらとバラバラになっていった。他の魔法生物と同じように。

 それが最後まで消えるのを見届けてから、クロウは剣をしまった。


「……む」


 そうして顔をあげた時に、使い魔の姿が視界に入った。目で追うと、どうやらガゼボの向こうにも道があるようだった。庭園を区切る生け垣の中に、ひとつだけ鉄製の扉がある。小さく開かれたそこへ、使い魔たちがてこてこと入っていった。クロウは急いで後を追うと、無言で鉄製の扉を見上げた。どうしたものかと考えあぐねていると、足元で他の使い魔たちが早く行けとばかりにせっついてきた。息を吐いて、おもむろに押し開ける。その向こうからは、蒸気がしゅうしゅうとあがる音が聞こえてきた。


「……なるほど。ここが工場か……」


 こうしてクロウは、ようやく工場らしい場所へとたどり着いたのである。

 ゴールドとも真鍮ともとれる色の太いパイプがあちこちに繋がれている。ただしこれはイメージ上の蒸気機関なのか、コポコポと緑色に光る液体が入った硝子ケースがいくつも装着されていたり、あきらかに用途を成していない装飾のような部分があったりした。


 ――このあたりは魔導機関……? そうか、パイプの代わりに魔力で繋げてやれば……。……ああ、いや……。


 クロウは首を振った。

 奥のほうへと向かうと、パイプの終着点があった。

 パイプを通って滝のように落ちているのは蒸気でも水でもなかった。どろどろとしたチョコレートだ。それが、川のように建物の中の小さな庭園の中を流れていく。使い魔たちはその川から手に載せたカップにチョコレートドリンクをすくい、わらわらと集って議論しているようだった。クロウはしゃがみこみ、ルビーチョコの選別方法について議論している(と思われる)使い魔たちを眺めた。


「……寄越せ」


 ひとこと言うと、使い魔はびくっと驚きながらクロウを見た。カップとクロウを交互に眺めていたが、おずおずとカップに入ったものを渡してきた。受け取る。白いカップでとっぷりと揺れるチョコレートドリンクを眺めてから、口を付ける。

 チョコレートドリンクは甘く濃厚だったが、後味はさっぱりとして不思議な気分になった。カメラアイがぴょんぴょんと跳ねながら掲げたマシュマロをひとつ手に取ると、ぷにぷにとした食感のそれを無言のまま口に入れた。


「貴様ら、ブラッドガルドの使い魔だろう。迷宮の主に従っていて良いのか」


 問いかけに、カメラアイはお互いを見てハッとしたようだった。

 慌てるようにわたわたとそのへんを歩き回る。


「俺に取り繕ってもどうにもならんぞ」


 マシュマロをチョコレートドリンクに沈めて、コーティングしたものを口にする。

 味のほうは悪くはない。

 どこか懐かしくさえある。しかし――やはり何かが足りないと、意識の奥から誰かが語りかけてきた。


「……」


 もう一口、チョコレートドリンクを飲んでから考える。果たして自分の出した答えを、ブラッドガルドも選択するのだろうかと。


 ――……まあ、ともあれ。勇者に映画じゃないと気付かれてないといいが。


 クロウは立ち上がった。おそらくここのどこかに、勇者がいると踏んで。







『ぎゃーーー!?』


 女神の悲鳴が轟いた。

 その胸元からは剣の切っ先が覗いている。


「……このあたりから妙な魔力を感じたような気がしたんだが……」


 女神の胸元を剣で切り裂きつつ、クロウはあえて女神からは逸れたところを見る。何度かスカスカと剣を上下させてやる。


『やめっ……、ちょっ……、ホントやめなさい!!?!!!?』


 直接触れられるのだけは避けておく。

 そうなれば誤魔化しは効かない。


「……なあ、あいつ本当に見えてない……んだよな?」

「たぶん」


 呆れたような、なんとも言えないような空気が流れた。

 二度目はやりすぎたかとも思ったが、とりあえずは気付いてないふりをする。

 ここまで仲間に呆れられながら本物である女神に苛つきすらする。


「……クロウ。とりあえず剣を下ろしてくれ」

「なんだ、勇者じゃないか」


 わざとらしく今気付いたような声をあげる。

 仕方なく、本当に仕方なく剣を下ろすと、女神は自発的に離れた。


「お前もここまでたどり着いたのか?」

「ああ。……俺が一番乗りかと思ったが、違ったようだな」


 適当なことを言って話を合わせる。

 ここにきて、女神も勇者もひとまずは心配しなくていいだろうとあたりをつけていた。しかしむしろ脅威は魔術師のほうだ。アンジェリカだけは妙に読めなくなっていた。

 アンジェリカはクロウをちらっとだけ見ると、何も言わなかった。


 魔力のことも突っ込んできたのだから、なにか一言あってもいいだろうに。


「ところでクロウは、ここ、なんだと思う?」


 急に勇者に尋ねられて、一瞬で思考を引き戻す。


「なんだと言われてもな」


 チョコレート工場だろ、と言いたいのを我慢して、極力表情を変えないまま言う。


「わからん」


 この世界にカカオは無かったのだから。


「第五階層自体を見れば、菓子でも食いたかったのか、とは思うな。飴だのクッキーだの。たまによくわからないものが生成されているが。工場そのものは――よくわからんな、どろどろしたものは見たが……」


 そこであえて言葉を切って、リクを見る。


「お前は知っているのか?」


 挑むような目で続ける。リクは首を振った。


「……いや、俺も大したことはまだだ」


 お互いの腹を探り合うような視線が交わった。

 緊張感が張り詰めて、一瞬誰もが無言になった。

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