56-4話 ここが変だよ宵闇迷宮

「……ここは、危険だわ」


 アンジェリカの言葉に、他の女冒険者たちが一斉に頷いた。


「アタシたちもそう思う」

「同じく」

「ここは本当に、危険です……」


 ここに集った女冒険者はみな、意見が一致していた。


「どう思う? アンタ。いいところのお嬢ちゃんだったって聞いたぞ」

「……そうね。負けずとも劣らず……いいえ、それどころじゃないわ。むしろここは……、そう……」


 アンジェリカが目を伏せると、みなごくりと注目する。


「最高だわ……っ!」


 アンジェリカは現状に屈しながらも高らかに宣言した。その豊満な胸が湯をかきわけて揺れた。


 ここはナイトメア・タウンの宿にある大浴場。

 耳慣れぬ言葉だったが、その意味するところは湯浴み場だ。湯浴み場のある宿屋など、本来は冒険者向けではない。

 街として構成されているとはいえ、迷宮の中で湯浴みができるとはこれ幸い。どんなものかと見に来たが最後。宿屋どころか、それ以上に贅沢な空間だったのである。


 男女別の風呂。広い脱衣所。清潔なタオルに大きな鏡と櫛。

 輪をかけて広い浴場には専用の洗い場。湯と水と分けられた浴槽。

 そして、無造作に置かれた石けんこそが最後の罠だった。


 見違えるほど汚れの落ちた体。僅かに甘いバニラミルクの芳醇な香り。それが湯浴みの後もふわっと香るとなれば、かなりの高級品であるのは明白だ。最初は盗んでいく不届き者まで出たが、浴場を出ればそこそこの値段で売っている。もうこれだけで宝として存在してもいいくらいなのに。

 あまりに危険が過ぎた。


 ここに来てからまだ三日か四日しか絶っていないというのに、女性冒険者の心をこれだけで掴んだ。


「私たち、戻れるのかしら……。普通の宿に……っ!!」

「戻れないかもしれない……」

「ああぁぁ~~、気持ちいいれすぅぅ~~」

「駄目だ……、生活水準が上がってしまう……。石けんめ……っ!」


 浴場。

 それは、女性冒険者たちを籠絡する罠だったのである――。







 一方。

 ナイトメア・タウンの酒場は、いまや様々な情報がやりとりされるまでになった。

 最初のほうこそ傷薬は大丈夫なものなのか、なにから出来たものなのか……と訝しげな意見が交わされていたものの、二日も経てば情報は様変わりした。


 証の交換はどこそこに行けばいいとか、どうも証の交換は個人で判断されているらしい、という注意事項へと変わっていったのだ。たとえばグループでやってもいいが、毎回同じ者が交換しないといけない。そのおかげで思わぬ足止めを喰らったパーティもいた。パシリに使っていたメンバーを途中で追い出した結果、イチからやり直しだとか、パーティ内同士で言い争いになって分裂したとかいう話まであった。

 そしてそんなイザコザを肴に、酒を飲む。

 街の酒場と変わらぬ日常はすぐに生まれた。

 中には他のパーティやソロ冒険者を襲って証を奪おう、という不埒な輩まで出てきたらしく、注意喚起まで行われていた。誰かがギルドに報告した手配書まで酒場に張られているのだから、これはもう普通に街として機能しつつある。


 ――なんつーかホントに、ゲームじみてきたな……。


 異世界のギルドで見た光景なのに、何故かゲーム性を感じる。きっとこのわけのわからない討伐イベントのせいだろうか。といいつつも、調査といいながら自分たちもしっかり討伐イベントに参加してしまっているのだが。


 ――浄化の暴走具合といい、瑠璃が『やりたいゲーム』と『楽しい季節のイベント』がごっちゃになってるんだろうが……。


 とはいえ、気になるのはやはり第三階層からだ。その先にあるものがこことは違っているから、いまも閉められているのだろうか。

 そんなことを考えていると、酒場に誰かが入ってきた。


「はぁぁ……」


 アンジェリカとナンシー、シャルロットの三人が、息を吐きながら酒場に入ってくる。酒場にいたリクを見つけると、軽く手を振って近づいてきた。


「よう、三人とも」


 声をかけると、アンジェリカが口を開いた。


「どう? 何か情報はあった?」

「ルゼルたちが魔石まで貰ったってさ。もう一個貰うために二周目も始めたらしい」

「本物だったの?」

「本物でした」


 声に振り向くと、オルギスが後ろから近づいてきた。今し方酒場に帰ってきたのだ。


「あら、オルギス。どこ行ってたの?」

「交換所です。ルゼルさんたちが自慢していたので、魔石を確かめに」

「さっき、あそこにナビが現れてな。業務連絡してったんだよ」


 酒場に設置された水晶板に、ナビが出現したのは少し前のことだ。

 ピンポンパンポーン、とリクにとっては耳慣れた音が聞こえ、水晶板に魔力が通った。


『はーい。ナビの業務連絡でーす!』


 そんな言葉とともに現れたナビは、相変わらずの空気感をしていた。


「おお。ナビ!」

「おっ、ナビちゃ~ん」


 主の使い魔なのにもはや扱いは軽い。

 当然、警戒している冒険者もいることはいるが、それ以上だ。


『えっとですね。本イベントにおきまして、冒険者の剣士ルゼル御一行様がなんと! はじめて報酬全達成されました~! オメデトー! オメデトー!』


 最後は裏声になりながら、ぱくぱくとヘビ君ぬいぐるみの口を動かしたのだ。

 こうなるともう、件のルゼルのもとには多くの冒険者が魔石を一目見ようと集まった。もともと交換所にいた冒険者以上に、外にも殺到して真偽を確かめようとしたのだ。

 オルギスもそれに紛れて、実物を見ようとしたのだ。


「おいっ、魔石は本物なのか!?」

「本当に貰えたのか?」

「おおっ、本物だぜ!」


 あちこちから発せられる声に、ルゼル本人が石を翳す。

 高品質であることを示す透明感ある輝きが光った。


「お、おい、こりゃあ……」


 オルギスもまた、目を丸くした。

 本物の魔石だった。

 そんなものを、報酬とはいえポンと渡すとは。しかし、三百体もの魔物を倒したのならあり得ないでもない。ハイリスク・ハイリターン。見事に合致している。

 これまで、イベントなど邪道、と先に進むパーティもいた。だが、その道程で倒した鬼瓜大王と、落とした証に関しては、「引き換えないともったいない」という認識になっていた。このイベントという名の依頼は相当美味しいものである――とほとんどの冒険者が認識しはじめていた。


「交換所のあたりは混んでると思って、迂回してきたからな」


 ナンシーの言葉にオルギスが頷いた。


「そもそも魔石までいかずとも、砂糖や塩が手に入るというだけで破格ですしね」

「銅貨や銀貨が手に入ることもあるしな」


 リクは頷いてから、アンジェリカに視線を戻す。


「それよりアンジェリカは? さっきなんか落ち込んでたみたいだけど。なんかわかったのか?」

「ああ、それは気にしないで。ちょっと買いたいものが売り切れてただけ」


 アンジェリカが肩を竦めた。代わりにナンシーが続ける。


「この街で売っている石けんが、かなり高品質でな。もう貴族からの入手依頼も出たんだ。加えてみんな買うものだから」

「みなさん石けんに夢中なんですよ」

「ああ……」


 現代の基準をもとに作られた石けんなら、破格の性能にもなる。


「いまどう考えても貴族より冒険者のほうが綺麗だしいい匂いしてるからな」

「というか、迷宮にあるものを買うっていうのもおかしな話なんですけど……」

「もう街として機能していますからね……」


 そう認めるオルギスも、微妙な面持ちをしている。

 もはや誰も何も疑問を持っていない。


「部屋に便ツボ無いのが不便だって言ってた奴だって、もうなんか慣れてきてたしな……」

「自分で回収を頼まなくていいっていう手間が消えるからね」


 完全に基準が現代日本なのだ。

 トイレが完全個室だったり、宿屋に大浴場があったり、手洗い場があったり、ベッドにはマットレスや布団が揃っていたり。便利と思えるものが揃っている。異世界とは合わずに不自然なものがあったり、迷宮の再現度では間に合わないところもあるが、そうしたちぐはぐさが受け入れられているのはひとえに「迷宮だから」という感覚のお陰だ。


「いや、まあ……なんというか……」


 変な空気が五人を包む。


「……浴場はいいわよね」

「……そうですね」

「装備の修復屋まであるし」

「迷宮にあるのって、たいてい中立的な亜人の集落か、冒険者が作った休憩所くらいですからね……」


 沈黙。

 この環境に慣れてしまうのは、非常にまずい。

 だけど、妙に快適なのだ。

 実際、やり手の商会なんかは若手の商人を送り込んで、建物のひとつを店として借りたまであるらしい。第二階層の、特にナイトメア・タウンの快適さが群を抜いている。

 沈黙が続く。

 リクが沈黙に耐えかねたそのときだった。


『ずるい!!!!!』

「えっ」


 急に声を荒げたセラフに、全員が上を向く。


『私だってお湯とミルクの香りのする石けんで体洗いたい!!!!』

「セラフって体洗う必要あるの?」

『無いです!!!! けど!!! 入りたいんです!!!』

「人のいない時間に入ってきなよ」


 完全に駄々っ子状態になるセラフを横目で見つつ、リクは尋ねる。


「ああいうの見て聖騎士としてどう思うんだ、オルギス……?」

「わたしは構いませんが、他の神官様にはちょっとお見せできないですね」

「駄女神じゃねぇか……」


 はあ、と息を吐くリク。


 ――しかし、冒険者をどうしたいんだコレ……?


 いまのところ、悪い事にはなっていない。

 むしろ得をすることばかりだ。


「……迷宮は主の性質によって姿を変える、でしたっけ」

「あっ!? そ、そうだっけ」


 突然その話を出してきたオルギスに、リクはやや焦りながら答えた。


「いまの迷宮も、魔女の性質や願望を反映しているのですよね。リクはこれをどう思います?」

「……それは」


 この迷宮は、「作られた」感じが拭い去れない。

 リスクに対してきちんとリターンが用意されていることや、いくら第二階層とはいえ快適な空間が用意されていること。もっともこれはベースに現代日本やゲームが入るから、という理由はつく。

 この現状に対して不快感を覚えている冒険者もいる。きっとなんだかよくわからない、手の平の上で踊らされているような感覚になるのだろう。

 ゲームはあくまでゲーム。現実とは違うのだ。

 リクが言いよどんでいると、ピンポンパンポーン、と既に異世界人にとっても耳慣れた音がした。


『はーい! 本日二度目の業務連絡でーす!』


 唐突に明るい声が響く。

 水晶板にナビの姿が映し出された。


「……ナビ……!」


 瑠璃によく似た、けれども瑠璃ではない使い魔だ。

 その使い魔ですら、やりたいことをやっているだけ感が拭えない。


『依頼の報酬を魔石まで達成したパーティが出現しましたので~。第三・第四階層を一気に解放したいと思いまーす!』


 緊張と期待が走った。


『イベントを続けるも良し! 他のパーティより先んじて進むも良し!』


 その言葉が意味するところを、おそらくほとんどの冒険者が理解した。

 出てきたナビをにやにやと見ていた冒険者でさえ、その意味に気が付くと体を起こした。


『では、頑張ってくださいね! 冒険者様方!』


 ナビは相変わらずにこやかに、そう言ってから通信を切った。







「ありがとう、助かったよ」


 ルゼルは人好きのするような笑みで、茶髪の冒険者に袋を差し出した。


「今回の入手分を人数で割った数だったよな?」


 それを受け取ったのはクロウだった。中には『鬼瓜の証』がいくつか入っている。それを取り出して個数を数える。


「契約とはいえ二周目も認められたし、少しばかり惜しいがな! はははは!」

「ブローズ」


 ルゼルは苦笑いしつつも仲間をたしなめる。

 クロウはその様子を無視して数えきると、視線を戻した。


「……確かに。契約分だな」

「しかし、他のパーティに飛び入り参加か。案外、そっちのほうが効率が良かったりしてな」

「さあ。オレはソロだからそう見えるだけじゃないか」


 素っ気ないクロウに、ルゼルはほんの少し鼻白んだ。

 腕は良くとも、この性格ではどことも合うまい――その言葉をもう少しで口にしてしまうところだった。


「ま、何かあったらまた頼むよ。次の階層でもイベントがあればいいな?」

「そうだな」

「じゃあな」


 ルゼル一行は、契約は果たしたとばかりに連れだって酒場へと足を向けた。もはや勝手知ったる街中を歩くような足取りだ。そんな一行を見送ってから、クロウは反対側へと足を向けた。

 建物の壁を、オバケの影が現れる。じろりと見ると、にやにやと笑ってどこかへと行ってしまった。雑草の生えた石畳の通路では、スケルトンが見えない動物を散歩させながらごく普通に歩いていく。彼らは本来のスケルトンではない。街中の住人として迷宮に設定された魔法生物なのだ。奇妙な感覚がする。

 ため息をついたところで、ピンポンパンポーン、という音が響いた。はたと気付いて横を見る。掲示板として使われていた水晶板の表示が唐突にゆがみ、そこにナビが出現した。


『はーい! 本日二度目の業務連絡でーす!』


 周りには誰もいない。クロウ一人だけだ。


『依頼の報酬を魔石まで達成したパーティが出現しましたので~。第三・第四階層を一気に解放したいと思いまーす!』


 クロウは目の前の掲示板に現れたナビの姿を見ていた。

 こうして一人だけで見ていると、自分をまっすぐ見ているような感覚になる。


『イベントを続けるも良し! 他のパーティより先んじて進むも良し!』


 煽るような言葉に、クロウは手にした袋を見る。


『では、頑張ってくださいね! 冒険者さん!』

「……」


 クロウは少しだけ眉間に皺を寄せたあと、踵を返した。

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