56-2話 迷宮の異変

「魔力が暴走って……どういうことだ!?」

『とにかく! なんか! 物凄い勢いで浄化してるのよ!』

「いや全然わかんねぇ!!」


 完全にパニックになるリクとセラフに呆気にとられつつも、アンジェリカはなんとか我に返った。


「で、でも、それって暴走っていうよりは……、暴走に思えるくらいのスピードで浄化されてるってことじゃないの?」


 あれほどの死体が転がっていたのだ。それが勢いよく浄化されれば、暴走と捉えられてもおかしくない。


「教会でもバッセンブルグでも、セラフ様の加護じゃないかって話でまとまってたくらいだし……」

『ごめんそれは知らない……』

「ま、まあ、そうよね」


 女神本人がパニックになっているのなら、加護説は否定されて当たり前だ。


「でも、そんなに浄化が早いと何か問題でもあるのか?」

『う、うーん……。そうね……、わかりやすく言えば、浄化って回復魔法に近いのよ』

「回復魔法?」

『アンジェリカは回復魔法の原理はわかるわよね?』

「え、ええ。癒し手じゃないから専門ではないけれど……」


 回復魔法で有名なのは怪我の治療だろう。細かい事はさておき、正確に言えば体の回復能力を上げる魔術だ。生き物にはもともと、傷を回復する力が備わっている。いわゆる自然治癒能力と言われるものだ。そこに働きかけて、治癒までの時間を短縮するのが回復魔法だ。

 死者や死の淵にある生き物には効かないのもこのためで、他にも傷だけが治っても、今度は体力が戻るのに時間が掛かれば結局死ぬこともある。


 そんな自然治癒の力に働きかけるということは、連続してかけ続ければ体の処理能力に異常をきたすことがある。


『ですが、通常の範囲内なら、何度か使ったとしても体の処理が追いつかなくなる、なんてことはありません』

「一日に八十杯コーヒーを飲むと死ぬ、みたいなやつだろ」

「コーヒーは知らないけど……飲めるものなの?」

「いや、無理だ」


 リクはきっぱり否定する。


『でも、今のこの状況は違う……。迷宮に満ちている魔力が、延々と大地を浄化させることで、その状況を作り出しかけてる……。しかも浄化が早まってることで、擬似的に時間を早回ししたようになってしまっているのよ』

「あ、もしかして……」


 アンジェリカが声をあげた。


「この季節外れの豊作は、浄化が続くことで大地の時間が早められているってこと?」

『そういうことね』


 セラフは頷いた。


「でも、浄化という意味ではそれだけやらないと無理ってことなんじゃないか?」

『ええ、当然良いことよ。『今』はね』

「今は……か」


 リクは声をあげる。


「つまり、浄化が終わってもなお、この暴走状態が延々と続くと危険だってことだろ」


 いずれ世界そのものに限界が来る。人間たちがついていけなくなる時がくる。植物の循環が早すぎて、生態系が変化してしまう可能性すらある。今は大地だけでも、生物に直接の影響が出る可能性が出てくる。


『迷宮の中はわかるのよ。でも、どうして浄化が起こってるのかも、どうして浄化が既に終わった地域でもまだ続いてるのかもさっぱりわからないのよー!!』


 セラフがお手上げというように声をあげた。

 本当に女神なのかと疑いたくなる言動だが、これでも女神なので始末に負えない。リクは少し考えるようなそぶりを見せた。


「まさか、ブラッドガルドが何か施していったのか……?」

「でも、ブラッドガルドの魔力なんてどこにも感じないわ」


 すぐにアンジェリカが否定した。リクが感知しても同じ結論に至るだろう。


「ということは、主を失った迷宮が暴走してる……ってのがいまの可能性だけど」


 そこまで言って、リクは頭を掻いた。


「ともかくお前が言うのは『止まらなかったら』だろ? 一応、様子を見てみようぜ。なんだったら、もう一度迷宮まで行けばいいんだし」

『そ……、それはそうですが……』


 そのとき、扉がノックされた。


「リク!」


 そのノックの返事を待たずに、仲間たちが雪崩れ込んできた。


「うわっ!? ちょ、ちょっとお前ら……」

「リク~~!!」


 涙目のシャルロットがリクに飛びつき、後ろからナンシーがやや呆れながら歩いてくる。しかし、その表情はやや明るい。

 本当の意味で呆れていたのは、オルギスだけだった。

 しっちゃかめっちゃかにされるリクを見てため息をつきつつ、アンジェリカは違うことを考えていた。


 ――……彼女は……。本当に、帰ったのかしら……?


 ブラッドガルドを庇おうとした『彼女』が、もしまだあの奥底にいたら。

 だが彼女には魔力は無い。迷宮がたまたま奥底にいた彼女を主にしようとしたとしても、核として機能すると思えなかった。それに、ブラッドガルドを倒したのはリクだ。もし迷宮が新たな主として認識するなら、現状の主を倒したリクのほうだろう。


 ――でもこの暴走状態が……。彼女の……魔力が無いゆえに起こっていることだとしたら……?

 ――もしも、何らかの要因で……彼女が迷宮の主だったなら……。


 彼女は、何を願っているのだろう。

 かつての迷宮が古錆びた願いに反応して、空っぽのまま太陽を目指したように。


 アンジェリカはバルコニーの向こうで起きている、喜びに満ちあふれた人々を眺めた。


 それから二日経ち、一週間が経っても、二週間が経とうとしても、浄化がおさまる気配はなかった。それどころか、その頃には朝に植えた種が夕方には実をつけ、更に次の日の朝になるころにはもう再び実をつけている。

 そんな豊作と言うにも非常識なサイクルができあがりつつあった。







 その頃――迷宮では。


「……お……お前、いま……なんて言ったんだ?」


 小競り合いを繰り返していた冒険者も、それを止めていた兵士も、誰もが茫然としていた。

 全員が固唾を呑んで、突如迷宮の入り口に現れた大きな水晶板を見ている。

 そこにはフードをかぶった少女らしき姿があった。


『え? 聞いてなかったんです? 何度聞かれても同じことしか言いませんけど!』


 あまりに場違いな明るい声が響く。

 水晶板はいわゆる、魔術師の使う千里眼の水晶に似たものらしかった。遠くの魔術師とやりとりができるという代物だが、それらは本来球体で、しかもお互いの魔力が無いと通じ合えない。だがこれは平面で、薄い水晶の板で出来ていた。そのうえ一方的にやりとりが行えるらしい。


『じゃあもう一度、最初っからやりますね!』


 ごほん、と水晶板の向こう側の少女が咳払いをする。


『はぁい! 冒険者の皆様! はじめまして!』


 オレンジ色のワンピースに、真っ黒なローブ。ローブはフードがついていて、深くかぶられている。フードとその下の黒髪をおさえるのは、目玉の装飾がついたヘアピンだ。そして目元を隠しても、隠しきれない明るい表情。片手には蛇――ではなく、布がつぎはぎされた、やや間抜けな表情の蛇のハンドパペットを嵌めている。


『ただいまより、この迷宮の運営と皆様のナビゲーターを務めさせていただきます! 使い魔のナビとお呼びください! で、こっちは相棒のヘビ君!』


 ぱくぱくとハンドパペットの口が動く。

 というより、ナビが動かしている。


『ヨロシクー! ヨロシクー!』


 くわえて腹話術であることを隠しもしなかった。裏声はあきらかにナビのものだし、しかもナビが喋っているのは丸わかりだった。


『ヨロ……げっほごほぁっ!! ごはっ!!』


 しかも裏声をやりすぎて咽せている。

 そこでようやく我に返った冒険者が尋ねる。


「ち、違う。そうじゃない。それはわかったんだよ!」

『……はいぃ?』


 そもそも、主の消えた迷宮に新たな主が出現することはよくあることだ。元々の主が他の魔物によって倒されることもあれば、主によっては世代交代がなされることだってある。大地だってこれほど浄化が早いのだ、かっ攫った奴が居てもおかしくない。

 だが重要なのはそこではない。


「ここには何があるって言ったんだ!?」


 その問いに微妙な顔をするナビ。


『はぁん……そうですかあ。知りたいのはまあそれですよね。わかりますよ』


 そう言うと、横に放置してあった水晶板を取り出した。裏側から表側の隅にかけて、革でカバーが施されているものだ。

 画面に見せつけられた肝心の水晶板には、左側には冒険者にとっては見慣れた地図。第一階層の入り口付近の地図があった。青色の点がそこにいる冒険者と兵士の数だけ存在していて、誰かが動くたびに点も動く。右側にはあきらかな書き込みと、


『あなたがた冒険者や魔物の居場所まで丸わかり~! 魔導機関の最高傑作! 自動マッピング機能搭載スマートナビとぉ~!』


 心なしかビシッと背筋を整える。


『我が主によって献上され、死の淵にあったブラッドガルドでさえ復活した神秘の実。口にした者に知恵と力を与える『神の実』――』


 ごくり、と誰かが息を呑んだ。


『まーつまり、ブラッドガルドの遺産があるので我が主は最強なんですよ!』


 パッと顔を明るくさせると、ピースをしながらパカパカとパペットの口を開け閉めする。


 ブラッドガルドがヴァルカニアに作ったという魔導機関車。

 多くの人間は、単純に陸上を高速で移動できる事実のほうに驚くだろう。だがその本質は、『魔石の燃料化』という概念のほうにある。

 いままで魔術師にしか使えなかった魔石の恩恵を、誰もが享受できる。その試供品でもある魔導機関車は、人間社会をすっかり変えてしまうほどのものだ。

 その最高傑作だという”スマートナビ”。魔石の小型化だけでも驚くべきことだが、そこに迷宮の地図が自動で表示され、冒険者と魔物の位置がわかる――革命とも呼べるそれに、冒険者たちは至上の宝を見た。

 だがそれだけではない。


 死の淵にあった怪物を復活させるほどの力。

 そして魔導機関の発明に至った知恵。

 そんな突拍子も無い二物を与えたという『神の実』――。


 噂だけなら誰も信じなかっただろう。

 だが他でもない、ブラッドガルド自身が持って来いと言った『神の実』は、ここにある。封印から復活を果たし、魔導機関を発明し、ヴァルカニアに魔導機関車なる叡智を作り上げたその根源。


 上級兵士の一人が顔を真っ青にして、誰かを使いに行かせようと周囲を見回した。だがそれではダメだということに気が付くと、よろよろとその場から離れて駆けだした。スマートナビ上の地図の青い点が移動し、やがて画面から消えていく。

 ナビはにっこりと笑った。


『さあ冒険者様! ブラッドガルドの迷宮あらため――宵闇迷宮へようこそぉ!』


 冒険者の雄叫びがあがった。

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