勇者、宵闇の魔女と相対する(後)
それは、少し前のこと。
瑠璃がはじめて異世界――もとい荒れ地の中に足を踏み入れたあと。現代日本に帰り、少し経った頃のことだった。夏休みも終わった瑠璃は普段通りの生活に戻り、二学期を謳歌していたところだった。
学校からの帰り道、瑠璃は一緒に歩く友人たちにふと尋ねる。
「そういえば今日もだけど、リクいないよね?」
「え? リクって?」
「あ、草薙君のこと」
ついつい昔ながらの呼び名で呼んでしまったが、友人たちには草薙君のほうがわかりやすかったんだろう――と、瑠璃は言い直した。ここ二日か三日ほど学校に来ていなかったのだ。先生も理由を何も言わなかったし、よくあることくらいにしか思わなかった。小学生ではないのだから、休みの理由を伝えたり、プリントを持っていくとかいうこともあまり無かったのだ。
「草薙……? 誰だっけ?」
「瑠璃の言う草薙君ってあれじゃないの、ほら……行方不明の?」
「え?」
今度は瑠璃が聞き返す番だった。
「行方不明って……いつから!? おととい!?」
そもそも幼馴染みなのは親も知っているのだが、何か尋ねられた事もない。さすがにショックを受ける。
「え、瑠璃なに言ってんの?」
「誰だっけ? ホントにわかんないんだけど」
「ああほら、去年からっていうか、一年の時からずっと行方不明の子じゃない?」
「……えっ?」
唐突な言葉に、瑠璃は呆気にとられた。
「い……いやいやいや。よーちゃんは私の相談にも乗ってくれたでしょ?」
「相談って……?」
「えっ、だからほら。バレンタイン前くらいにさ、私がリクに……告白するって……」
本当にそうだったか。声も控えめになった。
猛烈な違和感に襲われ、急に確信が持てなくなってしまう。
「それ、中学の時の話?」
「中学じゃなくて高校入ってからの話」
「ごめん、知らない……」
「えええ? な、なに? からかってるの? だって一緒のクラスだったのに!?」
「そんなわけないでしょ、去年からいないのに」
「というかウチら、草薙君の顔すらわかんないよ」
「なんか……瑠璃、ホントに大丈夫?」
ぐわんと頭が揺らされるような胸騒ぎを覚えた。これで自分の勘違いだったと言えれば良いのだが、そうでもない。少なくとも昨日まで学校にいて、友人達にはバレンタイン前も相談に乗ってもらったというのに。その相手を「知らない」と言われてしまっては混乱もする。
まるで自分一人だけ、違う世界に来てしまったような感覚だった。
友人達は不思議そうに、そして困惑を含んだ訝しげな目で瑠璃を見る。なんだか以前もあったような感覚だ。でもうまく思い出せない。
茫然とする瑠璃の制服を、ちいさく引っ張る感触で我に返った。ハッとして下を見ると、小さな影蛇がスカートの影から此方を見上げていた。
*
「ブラッド君!!」
悲痛な声をあげながら瑠璃がお茶会部屋へと雪崩れ込んできた。
「ブラッド君、大変なんだよ!!」
そんな瑠璃を、ブラッドガルドは冷めた目で見ていた。
「な、なんかおかしいんだよみんな!?」
「なぜそれを我に言う……?」
そのときのブラッドガルドは、また何か変な事を言い出した、くらいにしかとらえていなかった。だから半分聞き流していたし、どうでもよかった。瑠璃が完全にパニック気味にブラッドガルドの服を掴んで揺さぶっても、子猫がパニックで怯えて宙をひっかいているくらいの心持ちでしかなかった。
「い、いるはずの人がいなくなったことになってて、それが」
聞き流し始めたブラッドガルドは、不意に瑠璃へと鋭い視線を流した。わたわたと支離滅裂なことを訴える瑠璃に対して、しばらくその瞳を覗き込む。魔力を確かめるためだ。瑠璃は魔力は無いから意味は無い。しかし今なら――という予感めいたものがあった。
――これは……。
瑠璃にかけられた魔術が揺らいでいた。魔力嵐の中を進むということはあったものの、影響がここまで続いているとも考えにくい。何か揺さぶりをかけられるような出来事があったと考えるのが普通だ。それがいまの惨状なのだろう。このまま外から記憶を刺激してやれば、おそらく魔術は解け、鍵は開けられる。
何故今まで封印を解かなかったかといわれれば、理由はひとつ。いったいいつの、どんな記憶なのかわからない状態で解いても、記憶は引き出しにしまわれたまま。どんな記憶が正しく思い出されたのか、結局思い出すまでわからない。
だからこそ、何らかの揺さぶりをかけられている状態のほうが都合が良かったのだ。
ブラッドガルドはようやく、話を聞こうという気になった。
「意味がわからん。筋立てて言え」
「んええええ……だから~~」
瑠璃が言いたいことはこうだった。
友達の一人が行方不明になった。ちゃんと自分には、数日前まで一緒のクラスに居たり、告白したり、同じ学校生活を送っていた記憶がある。それなのに、他の友人達やクラスメイト、果ては彼の両親に至るまで、「その人物は一年以上前から行方不明だった」と言っている。
……ということを聞き出すのに、三十分近くかかった。
ブラッドガルドがそれを理解した時には、やや疲労感が漂っていた。文句は言わなかったが、目を細めて、呆れといらつきと、自分を落ち着かせようという狭間で葛藤していた複雑な色を見せていた。
「で、まあ……わかった?」
瑠璃がそう言った後、ブラッドガルドはそれはそれは深いため息をついた。
「……小娘。いままで貴様に言っていなかったことがある……」
「なに?」
「貴様に魔術をかけた奴がいる」
余韻も何もなく告げられた一言に、瑠璃は意味をつかみかねる。
「えっ……。まじゅつ? なんで? ブラッド君が?」
「我ではない」
そこははっきりさせておかねばなるまい。
「貴様、現代に戻ったときの事を覚えているか?」
「覚えてるけど……」
「……そいつが戻った時も、おそらく同じ状況だったのだろう」
瑠璃が何か言う前に、ブラッドガルドは続ける。
「半年かそれ以上……ずっと姿を消していた『未成年者』が再び姿を現した。騒ぎにもなるだろうし、どうにか誤魔化さねばならない。通常であれば苦労するだろうが、それがいわゆる『異世界』で『魔術』を習得した者だったら……?」
「ま、待って待って。どういうこと?」
「貴様にかけられたのは記憶改竄の魔術。あの時、我が貴様の家族に施したように――自分がいない間の記憶を上書きし、現状に対して、記憶や感情をもとに矛盾無くつなぎ合わされるもの」
ブラッドガルドの瞳が改めて瑠璃を見る。
「とはいえこの魔術は本来――魔力に干渉するものの応用だ。魅了なんかと同じだな。使用者の限られる最高峰のものだが、直接一人ひとり干渉せずとも良い。こちらの世界の魔力は衰退しているが、残滓はある。当然効く。……だが……」
ちら、とブラッドガルドの視線が瑠璃を見る。
「貴様のように魔力の器ごと無い者は別だ」
瑠璃が自分自身を指さすと、ブラッドガルドは頷いた。
「”そいつ”も焦ったんだろう。貴様には効かんのだからな。”そいつ”にとっても事実を隠したい、比較的近い存在だったのだろう。同郷や家族、そして友人……」
「……」
「……小娘。いなくなった者の名はなんだ」
その問いに、困惑気味に瑠璃はぱくぱくと口を開いたあと、ようやく言葉を吐き出した。
「……く……草薙陸……」
その答えを聞くと、ブラッドガルドは静かに頷いた。
今まで何度か「勇者リク」の名を聞いたこともあっただろうが、大して反応が無かったのも意識に蓋がされていたからだろう。
「こちらの言葉にすればリク・クサナギか」
そう言うと、ブラッドガルドは指先を瑠璃の額に近づけた。
「そいつは……勇者の名だ」
閉ざされた扉の向こうに呼びかけるように。掛けられた鍵が、中から自然と開くように。あるいは、絵画に上から塗られた虚構の絵の具を剥がすように。瑠璃の瞳から光が消えると、遠くのほうを見ながら瞼が落ちた。絡みついた魔力の鎖は静かにほどかれ、霧散していく。
魔術を全てほどききると、ブラッドガルドは指先を戻した。
それから瑠璃はゆっくりと目を開けた。何度か瞬きをしてから、次第にわなわなと呟く。
「お……」
ブラッドガルドが視線を向ける。
「お……お……、思い出した……。わ、わたしは……あの日……。リクに告白しに行ったんじゃなくて……」
「告白しに行ったのか」
「違うって!? 告白しに行ったと思ってたの! だけど違う、わ、わたしはあのとき……!」
学校の屋上で、リクと対峙する。
――いままでどこにいたの。
――なんで皆もおばさんも、行方不明だったこと覚えてないの!?
――変でしょ、こんなの!
今まで行方不明だったはずの人間が、なんの弊害もなく受け入れられている。しかもそれが、行方不明だったことなど無かったかのように、自然とそこにいる。こんなことがあるものか。「良かったね」で看過できない不自然なものがそこにあった。あまりに自然なのに、不自然に満ちている。
「お、おばさんなんて血相変えてずっと探してたのに! 何も無かったみたいに! 人が一年近く消えてたんだぞ!」
両親でさえ覚えていないなんて、ありえない。
何でもいいから教えてほしいと涙ながらに尋ねてきたリクの両親ですら、それをすっかり忘れてしまったようだった。
そして唯一それを覚えているのは、瑠璃だけだった。
しかしどういうわけかそこから、瑠璃はリクに告白して振られてしまった。そういう流れになったとかそういうわけでもなく、唐突にだ。答えは得られないまま、自分の口から出てきたのはそれまでとまったく関係のないもの――。
「なるほど。記憶に修正が入った結果、貴様が屋上とやらに呼び出したのは問い詰める為ではなく――告白するためだったと整えられたわけだな」
ブラッドガルドが言い放った言葉に、瑠璃は困惑の表情を浮かべた。
「大体、そんなことで……」
ブラッドガルドが何か言いかけたが、瑠璃はそれどころではなかった。テーブルに両手をかけたまま、無言で困惑の表情を浮かべて沈み込んでいた。少なからずショックだったからだ。振られたことではない。まだ形にすらなっていなかったものが、整合性を保つためとはいえ自分の中でそんな形になってしまったことが。
微妙な沈黙が部屋の中を支配する。ヨナルがそろそろと指先の影から出てきて、様子をうかがう。
「……」
はた、とブラッドガルドが後ろを振り向くと、自分の影から出てきた影蛇も何故か非難するような目で自分を見ていた。我のせいではないとばかりに、むりやり使い魔を影の中に戻す。そうして視線を戻すと、気を取り直した。
「……小娘。おそらく勇者は此方の世界に来ている可能性が高い」
そう言うと、弄ぶように続けた。闇の底から誘うような声は、悪魔の囁きにも似ている。
「で、どうする。文句のひとつでも言ってやるか、それとも――」
「……とりあえず……」
言葉を遮り、ゆっくりと顔をあげる瑠璃。
「一発殴りたい……」
その瑠璃のひとことに、ブラッドガルドは虚を突かれたように目を見開いた。だがその驚きも、次第に愉快げに変わっていく。ブラッドガルドは我知らず口の端をあげていった。
「……いいだろう、小娘……、舞台は整えてやる」
「え?」
「ただしその後は――勇者次第だがな」
*
そして時間は戻り、現在――。
「そういうわけで魔術を解いてもらって思い出したんだよ」
「……なんかお前だいぶ端折らなかったか!?」
確実に聞いておかないといけないことがかなりあったように思う。それを「そういうわけで」で纏められてしまっては、そう言いたくもなる。
だがハッと気が付く。
そんなことをしている場合じゃない。瑠璃を庇うようにして前に出ると、ブラッドガルドへと視線を向ける。当のブラッドガルドは手に何か石版のようなもの――ではなく、瑠璃のスマホを持ちながらこちらを見ていた。
「……おい小娘。これはどうやったらYourTubeとやらに流せるのだ」
「何撮ってんだお前!!!?」
「えっ、私のアカウントでやるの!? やめてよ!?」
「そっち!?」
茫然とする女神とアンジェリカを差し置いて、ツッコミにまわらざるをえないリク。
「お前が宵闇の魔女だったのか!? お、お前、ブラッドガルドに一体何したんだよ!?」
「えっ……何って、ヒカキンの動画くらいしか見せてないよ!?」
「YourTubeから離れろ!? 違うって、もっとあるだろ、魔術を教えたとか技術を与えたとか――」
改めて自分がしてきたことを考える。
だいたいお菓子食べているか、そうでなければゲームして映画見て遊びに出かけたくらいしか思い出が無かった。それだけで十分すぎるほどだ。魔術を開発したり、現代の技術を教えたり、高い魔力で魔物を作ったり、そんなことはしていないし、できない。そもそも魔力が無い。
つまるところ――。
――なんっっっっっ……もしてねぇ……!
見事に何もしていなかった。
沈黙してダラダラと汗を流しつつ視線を逸らす。
「ど、どうした!?」
「……恥ずかしくなってきた……」
「お前本当に何した!!?!?」
「うっさいなデリカシー無い奴か!?」
「はぁあ!!?」
微妙なすれ違いが生まれつつ、リクはなんとか気を取り直す。
「い、いや、とにかくそんなことは今はいいんだ。とにかく奴から離れて――」
「なんでだよもう一回殴るぞ」
「俺に対する態度がキツいのなんでなんだよ!?」
「おまえのせいだよ!!?!?」
ぎゃあぎゃあと喚く声が空間中に響き渡る。
「それで――」
その声を裂いたのは、地獄の底から響くような深い声だった。
全員の視線が声の主へと向けられる。
「感動の再会は終わったか?」
ブラッドガルドは立ち上がり、三人――もとい女神を含めた四人を見ていた。魔力がうごめき、地面から這う影がゆらゆらと炎のごとく揺らめく。その掌の上に黒い炎が出現し、あたりを不気味に照らし出す。茫然としていたアンジェリカも、目の前の恐怖を思い出した。
「クソッ、瑠璃、色々聞きたいことはあるが――」
「まだなんかあるの?」
「いやあるっていうかちょっと待ってろよ!?」
「じゃあちょっと待って! 時間ちょうだい!」
リクは自分に言われたと思ったが、瑠璃はブラッドガルドのほうを見ていた。
ブラッドガルドが剣呑な目で瑠璃を見下ろす。
「……対価は?」
「えっ、対価? ……”神の実”とか……?」
「なっ、お前……!?」
「っていってもまだ苗の状態なんだけど!」
「……」
ブラッドガルドが少し考えるように睨む。
「一時間だ」
ブラッドガルドは表情を変えぬまま言った。
「貴様に一時間やろう」
そう言うとブラッドガルドは立ち上がった。どろりと玉座が影に解ける。それと同時に、自分の下に出来た影の中へと沈んでいった。
「一時間後に――我は勇者を殺す」
後はもう声だけが響き、静かになった。
たったそれだけだった。
「……くそっ……」
「あっちょっと待て! その前に私のスマホ返して!!」
「いや……あれはもう無理だろ……」
とリクが言った直後、影からぬうっと出てきた影蛇が、口からポイッとスマホを投げて寄越した。
「あ、返ってきた」
「返ってくるのかよ!?」
瑠璃が影蛇に手を振って見送るのを引きずりつつ、リクは広間を後にした。
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