挿話29 勇者、宵闇の魔女と相対する(前)

 木の矢が飛んでくるのはまだいいほうだった。

 迷宮に設置されたトラップはそれこそ多岐にわたり、落石や鉄球、時に落とし穴は下の階層にまで続いているものがあった。

 踏むと身体が重くなったり、歩みが異常に遅くなるものまで。すべてブラッドガルドの魔術がかけられているため、下手に解除するより自然と効果がなくなるのを待ったほうが早いという微妙に面倒な仕様でもあった。


「……なんなのよ、これは~~っ!」


 アンジェリカの怒りももはや疲労に変わりつつあった。

 オルギスやナンシーでさえぐったりとして、野営でも黙り込んでしまう始末。


「……いや、トラップ張りすぎだろこれ……」


 リクですら遠いところを見ながら言う。


「……いくらなんでも、多過ぎですね……」


 オルギスがやや死んだ目で答える。


「ブラッドガルドの迷宮にトラップがあったら……とは想像しましたけど……、ここまでなんでもかんでも取り入れるなんて……」


 シャルロットも最初は回復の術式を使おうとしていたが、それどころではなくなってきた。しかもほとんどは回避可能なトラップが多いせいか、怪我の治療という意味では使えない。そもそも回復魔法も使いすぎれば身体がついていかなくなってしまうのだ。

 だから食べ物や休憩で体力を回復させるのが一番なのだが、精神的にはかなりきつくなってきていた。もはやトラップへの恐怖というより、ただただ疲労がたまるだけに成り果てていた。


「これは……やはり、宵闇の魔女のせいなのだろうか?」

「当たり前でしょっ!」

「……元気だなあ、アンジェリカは」

「どこがよ!」


 ナンシーとアンジェリカの言い争いもどこか疲労感が漂う。


「でも、時間はかかったけど……ほとんど道は変わってない。だいぶ下層のほうに来てる」


 リクが言うと、全員の視線が集まった。


「ここでできるだけ体力を回復させてくれ。この先にいるのは――」


 リク以外の全員がぎくりとした。

 どれほどここで罵倒しようと、実際に目の前にすれば恐怖に駆られ、精神的に痛手を受ける。どんなトラップよりも、人の心を折るもの。存在そのものが恐怖を呼び起こす、存在してはならなかったもの。それがブラッドガルドだ。


 ――特に、この世界の人たちにとっては……。


 ブラッドガルド自身が強大な罠であり、最後の砦だ。果たしてそんなところにこの世界の人々を連れてきて良かったのか。自分だけがここに来れば良かったのではないか。少しだけ床を見て、拳を握る。


「……大丈夫ですよ、リク」


 オルギスの声に、顔をあげる。


「私たちは貴方のおかげでここまで来れたんです」


 ナンシーやシャルロットが同意するように頷く。


「こうなったらとことんまで付き合うわよ!」


 アンジェリカが力強く言って笑った。

 リクは仲間たちの顔を順に見た。そこに不安は無かった。どれほどの恐怖を目の前にしても、大丈夫だと思えるような顔がそこにあった。リクは少しだけ笑って、照れくさそうに口を開いた。

 言葉を乗せようとしたそのとき、不意に違和感を覚えた。

 立ち上がって周囲を見回すと、闇が広がっていた。それはずっと存在していた闇だ。だが、何かが違う。何かが潜んでいる。何かがこの空間に現れたのだ。仲間たちもそれを感じ取ったらしく、やや警戒気味に視線を巡らせて武器を手にした。

 もう一度あたりを視線だけで見回し、後ろを振り返る。指先へと魔力を乗せ、いつでも対応できるようにしておく。

 永遠とも思えるような沈黙の後――微かに耳に届いた音へ、一斉に武器と魔力が向けられた。そこにあったのは、地面から天井付近の暗闇へ通る一本の黒い影で出来た糸だった。


「まずいな。囲まれてる」


 たったそれだけで、現状が理解できた。この空間は、いつの間にか何本もの糸が通っていたのだ。縦横無尽に張り巡らされた糸はまさしく蜘蛛の糸だった。暗闇から赤い瞳がいくつも光り、黒い影のような巨体が何匹も現れた。キチキチと音を立て、そいつらは五人へと視線を向けてくる。ブラッドガルドが多用する蛇ではない。巨大な腹と細長い八本の足。

 影でできた蜘蛛――それらが同じく影で出来た糸を辿り、何匹も移動していた。巨大なものは人間をも凌駕するものから、小さなものは普通の蜘蛛と変わらないものまで。多種多様な蜘蛛が、空間をほぼ埋め尽くしていた。


『微かにブラッドガルドの魔力を感じます。これは……使い魔?』

「使い魔にしては突貫工事的だな」


 あきらかにここでの足止めのためだけに生み出されたようなものだ。これほどの量の生物が、気が付かれずに糸を張れるかというと無理がある。加えて、使い魔にしてはむしろ影に近い。使い魔たちをここに配置してきたというよりは、ブラッドガルドが直接手を出してきた、と見たほうがいいだろう。


「とうとう先手を打ったってわけか……」


 これもきっと新たな罠なのだろう、と推理する。だが、いかんせん量が多い。リクの魔術で根絶やしにしてもいいが、ここには仲間がいる。それに、余計な魔力を使いたくない。


「……リク。この先のルートは向こうです」

「え? オルギス?」


 聞き返す間もなく、影蜘蛛の一匹が咆哮をあげ、一気に糸を下ってきた。動きはただの蜘蛛よりも遙かに素早い。リクが魔術で応戦しようとすると、オルギスが目の前に現れ、槍で蜘蛛の足をとらえた。

 力が拮抗する。


「行ってくださいっ! リクっ!」

「でも!」

「わかっているんです!」


 オルギスの叫びに、リクはぎくりとした。


「本当はあなただけで十分なんだ。あなただけでも最奥へ向かえる。あなただけでも……ブラッドガルドと戦える!」


 ギリ、とオルギスの槍を持つ手に力が入った。

 本当なら、自分たちは必要がない。勇者の旅路に、本来なら必要は無かった。

 リクの背後にいた女神が、僅かに目を伏せる。


 オルギスが押されかけたそのとき、飛んできた矢が勢いよく蜘蛛を貫いた。蜘蛛が声をあげ、たたらを踏むようにオルギスから離れた。

 弓矢を放ったナンシーが二本目をつがえながら視線を向ける。


「でも、……リクはこんなところで消耗してる場合じゃない」


 二本目の矢が放たれ、蜘蛛へと向かう。もう一度蜘蛛の悲鳴があがると、他の蜘蛛たちが一斉に臨戦態勢をとった。暗闇のなかで、蜘蛛の瞳がぎらぎらと光る。


「私たちは、リクのためにありたいのです!」


 シャルロットが叫びとともに魔法を発動させた。光が降り注ぎ、オルギスとナンシーの見えないシールドとなる。それを合図に、ナンシーの弓が光りはじめ、魔力が走った。シャルロットの額のサークレットにも、同じように魔力が走る。


「我が槍は暗黒を裂く暁光なり――今ここに、我が主の威光を示さん!」


 オルギスの槍が強く光り、輝く放射体が大きく立ち上った。


「聖槍ボルガング!」


 詠唱に応えて姿を変えた槍が、鎧を着た右手と一体となる。


「我が弓は神の息吹、疾く射抜くもの。……闇を切り裂く一矢となれ」


 ナンシーの詠唱とともに引かれた弓から、緑色の光が立ち上る。弓はそれとともに巨大化し、光の羽根をいくつも備えた姿へと変化していった。


「さあ行こう――、光弓サランダ」


 まるで自身と一体化するかのような巨大な弓矢に、ナンシーは静かに語りかける。


「我が祈りは希望への道標……、勝利へ導く風となりましょう」


 シャルロットの額のサークレットが光り、姿を変えていく。後ろ髪を包み込むように光が流れ、光のヴェールに包まれた。


「行きましょう、風冠アイレーン」


 聖女の如く光に包まれたシャルロットが、目を開けた。

 三人は影蜘蛛を見つめ、立ち塞がった。きらきらと光が舞い、いまにも影を圧倒しそうだった。

 アンジェリカが杖を構える。


「よし! それならあたしも――」

「何してる? お前も早く行け!」


 ナンシーの声に、一瞬呆気にとられる。


「は、はあ!? なんでよっ!」


 アンジェリカの問いに正しく答える気はないらしく、ナンシーは弓を構えて巨大蜘蛛に向き直った。


「リクだけじゃあれだろ」


 その横顔には、覚悟が見てとれた。

 一瞬怒りかけたアンジェリカは、その横顔を見て黙り込んだ。しかしそれもただ一瞬のこと。ナンシーはすぐに無視するように前を向き直ったし、アンジェリカもそれに何か言うことはなかった。


「……わかったわ」


 アンジェリカは踵を返すと、リクのもとへと走った。


「ここを片付けたら追いつく! それまで死ぬなよ!」

「ああっ、わかってる!」


 リクはアンジェリカが追いついたタイミングで走り出した。


「ありがとう、みんな!」


 二人は後ろを振り返ることもなく、迷宮の先へと進んでいった。

 残された三人もまた振り返ることはなかった。自分達を取り囲む影蜘蛛たちへと武器を向け、勇者たちへの道を作ることに専念した。


 リクとアンジェリカは道を抜け、闇の中をひた走った。蜘蛛たちはあの部屋だけに集っていたらしく、どこまで走っても今度こそ邪魔はなかった。やがて二人の足はゆっくりになり、歩調をあわせて歩き始めた。長い長い、空虚な迷宮の先。

 このあたりはもうシバルバーへと突入したあたりだろう。重苦しい空気が支配し、寂しく荒涼とした雰囲気が漂っている。


「……このあたり、は……改造されてないんだな」


 仲間と別れたのは痛いが、警戒すべきトラップは無くなっていた。改造された迷宮はともかく大変だったが、このあたりの空気は『前回』を思い起こさせる。どれほど迷宮に手を入れようと、根本は何も変わっていないのだと感じる。

 もし、宵闇の魔女が何らかの思惑でブラッドガルドを変えようとしていたのなら――残念ながら失敗していると言わざるをえないだろう。


「この先が最奥ね……」

「ああ」


 最奥。ダンジョンや迷宮の主が陣取る場所。いわば迷宮の核とも言える場所。簡単に言えばラスボスの住処だ。


『リク、気をつけて。この先に……います』

「ああ。俺もわかるよ」


 リクはそう言うと、細い通路を抜けて先へと進んだ。歩いていくと、唐突に開けた場所へと出る。そこだけ空虚な空間が広がっていた。左右には壊れかけた柱が並んでいて、その中央――、一番奥まった場所に、いっそう強い魔力が感じられた。


「……ブラッドガルド……」


 最悪の迷宮主。ブラッドガルドと呼ばれる男が、玉座に座っていた。虚無感を覚える迷宮の最奥に座す主。その視線だけがぎょろりとこちらを向いた。シンプルな玉座も前回を思い起こさせる。だがその髪はざんばらで、痛みが激しい。衣服もかつてのような威厳を感じさせるものではない。黒く地面を引きずるローブはすり切れてボロボロで、まるで焼け焦げたようだ。玉座に足を組んで座り、左側の肘掛けに腕を置き、頬杖をついている。その視線は以前は虚無に満ちていたが、今度は妙に内面が計り知れなかった。

 おそらく、それは――その左側に見慣れぬ人物が立っていたからだろう。

 オレンジ色のワンピースに黒いローブ。髑髏のついた杖を持ち、頭には三角帽子。そこからは金髪が伸びている。

 まだ表情や顔は見えないが、一見すればハロウィーンの魔女のようだ。

 いや、実際そうなのかもしれない――宵闇の魔女が現代の人間であるのなら、それらしい衣服を選んで着ていることも考えられる。


「……あれが魔女?」


 リクよりも、アンジェリカのほうが不審げに見ていた。


「思ってたより早い帰還だったな、ブラッドガルド」


 リクは言いながら足を踏み出した。周囲をパチパチと魔力が渦巻いている。


「そいつのお陰か?」


 隣に立つ『魔女』は何も言わなかった。

 アンジェリカから聞いていたイメージからして、ゲームキャラのように妖艶で自信に満ちた姿を想像していたが、そうではなかったようだ。リクが前に進む間に、ブラッドガルドが動いた。頬杖をついた手を、組んだ膝へとやる。


「一人振り落とせなかったが……問題は無いだろう?」


 呟くような一言に、リクは思わず片目を見開いた。


 しかしその真意を尋ねる前に、ブラッドガルドの片手が動いた。ゆらりと左から右へと手が払われると、床に映った影が一斉に盛り上がり、巨大な蛇が現れた。アンジェリカが自分を見下ろす影蛇を睨み付け、杖を構える。だがそれを振るう前に、足の違和感に気が付いた。


「えっ!?」

「……おとりか!」


 二人の足に小さな蛇が幾重にも絡みつき、振り払おうとした腕にも蛇が絡んでかみついている。派手な出方と勢いで視線を上へと集中し、その間に――ということらしい。ブラッドガルドらしくないのは確かだ。いや、入れ知恵なのか。


「……やれ」


 ブラッドガルドが側にいた魔女へと言う。魔女は少しだけ顔をあげると、一歩足を踏み出した。


「リク!」

「大丈夫だ、そっちに集中しろ!」


 予想に反してつかつかと三角帽子の魔女は歩いてくる。ずいぶんと隙だらけの歩き方だ。これが余裕というやつか。だがおかげで、攻撃を受ける前には拘束を解けそうだ。魔女は近づくにつれて足を速めたが、リクはそれにあわせて目を細め、影蛇の拘束を解いていく。


『リク! 彼女、魔力を隠しているようです。何も感じない!』

「ああ、さすがの駄女神も気付いたか……!」


 その後ろでブラッドガルドの手が動いた。視線は勇者のうしろ。ハッとしてアンジェリカはブラッドガルドを見返した。その瞳が交錯すると、言い様のない恐怖が内側からこみあがってきた。


「……っ」


 こんなのは久しぶりだ。予想はできていたことだったのに。思わずリクへと視線を向ける。魔女が唐突に三角帽子に手をやるのが見えた。おもむろに帽子を脱いでかなぐり捨てる。リクの反対側の手の拘束が解かれた。リクが片足の拘束を解いたあと、魔女は金髪に手をかけた。そのまま、ずるりと髪を引っ張る。


「え?」


 金髪が地面に落ちた。思わず三人の視線が、落ちた金髪へと向けられる。


「草薙陸!」

「……え?」


 金髪がカツラだったということ。

 自分の名前を知っていること。

 そして何より、聞いたことのある声。

 その全てが、リクの行動を遅らせた。リクに一瞬の隙ができ、相手の顔をはっきりと見上げたその瞬間。


「歯ァ食いしばれこの野郎ーー!!」

「んぶぅっ!?」


 グーだった。

 まごうことなきグーだ。

 リクの頬に綺麗な右ストレートが決まり、確実なダメージを与えた。


『は……』

「えっ」


 一気に拘束を解いて離れた蛇の勢いも手伝い、リクは殴られた方向へひっくり返った。女神とアンジェリカも思わず呆気にとられる。

 その近くで、髑髏のついた杖の先が床を突く。反響はしたが、作り物めいたやや軽い音だ。リクは上半身を起こしつつ、ぽかんとしながら相手を見返した。


「な、な……っ!?」

「忘れたとは言わせないぞ、草薙陸!」

「お、お前……なんでここに!?」

「うるせーこのおたんこなす!! 作り物のパセリ!!! 腐ったひょうたん!!!!」

「なんだそれ!!?!?」

「だまれスカポンタン!」


 『魔女』は怒ったような睨むような目で、リクを見下ろす。


「よくも私の記憶を弄ったな!?」


 そこにいたのは萩野瑠璃。

 リクの幼馴染みにして、ここにいるはずのない少女だった。

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